幼き頃の約束 後編
私は走った――。身なりも気にせず、乱れる髪も気にせず、とにかく急いで走った。
私は外に出ないようにしていたけれど、カインは雨の日でも会いに来てくれていたんだと知った。今までいくつか雨の日があったけれど、それでもきっとカインは――。
いつもの長い廊下が、やけに長く感じる。無我夢中で走り、カインがいるであろう部屋の扉を勢いよく開け放つ。
――バンッ!
開かれた扉の音に反応するように、私へと視線を向けるお父様とカインの姿がそこにあった。
玉座の前にてお父様が仁王立ちし、そこから少しの段差を下って、真っ赤な絨毯の上でカインは二人の衛兵に組み伏せられていた。体にはロープが巻かれ、後ろ手で固定されているようだ。
私は肩で大きく呼吸しながら、力強い足取りでお父様へと歩み寄る。
「お父様、これは一体どういう――」
「見ろ! お前をたぶらかす、下賤の者を捕らえた」
カインを指差しそう口にするお父様の言葉に、私はわなわなと拳を震わせた。そして鋭く睨み付け、大きく腕を横へと払う。
「たぶらかされてなどおりません――っ!」
初めての反抗――、と言えるだろう。私は今までお父様に逆らった事などなかったから。
けれどお父様は、激怒する私の姿を見ても眉一つ動かさなかった。
「あの者に、外の話を聞いていたのではないのか?」
「――っ! そ、それは……」
カインから聞いたのか、鋭い勘か、私が禁を破っている事をお父様は的確に見抜いた。
当然、図星を突かれた私は返す言葉もままならずに押し黙ってしまう。
そしてお父様は重いため息を一つ吐いた後、下にいるカインへと冷酷な刑を告げる。
「その者、ティファニエル家王女を惑わす魔の罪人として、打ち首の刑に処する!」
その言葉を聞いた瞬間、まだ幼い子供だというのにあまりに重すぎる刑に、私は胸が張り裂ける想いに駆られた。
「待ってくださいお父様! それだけは――っ! それだけはお許しください!」
「連れていけ!」
泣き縋り、しがみつく私を無視しては、二人の衛兵へとカインを連れて行くよう命じる。
一つ頷いては立ち上がる衛兵の姿に、私は必死にお父様へと泣き叫んだ。
「お願いです――っ、お願いです――っ、なんでも言うことを聞きますから! もう二度と、外の世界には関わらないと誓いますから! だから――っ、だから……。どうか……」
ボロボロと涙を流し、必死に懇願する私はしがみつきながら泣き崩れ、握るお父様のズボンを力無く何度も叩きつけた。
私の必死の願いが通じたか、お父様はカインを連れて立ち去る衛兵の足を止めた。
「待て。今回は娘の涙に免じて許してやろう。小僧……メリーを泣かせたくない気持ちが貴様にもあるのならば、金輪際この城へは近づくな」
刑を取り消したその言葉に、私は涙で滲む目でお父様を見上げ、そしてカインへと視線を移した。
カインは何かを我慢するかのように下唇を噛み締めると、お父様へと深く一礼した。そして衛兵と共に踵を返し、丸めた背中を向けては、絨毯の上をゆっくりと元来た方へと足を進ませて行った。
お父様はその姿を最後まで見ずに、その場を立ち去るようだ。私の横を通り過ぎる間際、一言だけ呟く。
「次はないぞ」
その意味は、聞かずとも伝わった。今回は特別に見逃してもらえたけれど、元は約束を破った私が悪いのだ。次も許してもらえるはずがない。
お父様が退出し、カインも出口の扉へともう迫っていた。
あの扉が閉まれば、もう二度とカインの姿を見れなくなってしまうかもしれない――。そう思った私は、咄嗟に声が出てしまった。
「カイン――!」
呼びかけた私の声に、カインは足を止めた。横顔を向け、何かを伝えるかのように口元だけを動かす。そして、囚われた後ろ手の一つを握り、親指を立てた。
――また、会える。
声は聞こえなかった。だけど私には、カインが何を言ったのかしっかりと伝わった。
溢れる涙を堪え、私もそれに答えるように、立てた親指をカインへと向ける。
カインは最後に微笑みを向け、前へと向き直っては、閉まりゆく扉によってその姿を消して行ってしまった――。
カインと会えなくなって、今日で五日目――。
窓際の椅子に腰かける私は、空を見上げながらふとそんな事を考えてしまう。
無意味な事、どうしようもない事、そんなのは分かってる。だけどこうして一人でいる時は、自然とカインの事を思い出してしまうのだ。
――コンコン。
自室のドアをノックする音が突然響いた。廊下側から聞こえる声から察するに、いつもの侍女のようだ。
「どうぞ」
私の返事の後に開くドア。その向こうに立っているのは案の定だ。
「メリー様、旦那様がお呼びです」
お父様が? 一体なんの用だろう。
あれからお父様とはまともに口を利いていなかった。というのも、拗ねた私が部屋に閉じこもっているからだが。
「今行くわ」
そう一言だけ返し、部屋を出る。いきなり呼び出し、しかも侍女に要件を伝えないなんて、きっと何かあるに違いない。
嫌な予感を抱きながらも、無視する事は出来ないので重い足取りで廊下を進むのだった――。
私はその場の光景に、理解が追いつかずただ固まることしか出来なかった。
お父様、お母様がいるのは分かる。だけどもう二人ほど知らない人がいた。
一人は付き添いの護衛だろう、こっちはいい。問題なのはその護衛が守るべき主、見るからに王子たる風貌のその男だ。
見た目の年齢は私よりも少し上。高身長に青と白を基調とした高級正装を身に纏っている。そして気になったのが、金色に碧眼の瞳が私と同じ事と、腰に携えた剣に施された見たことのある紋章だ。
私の記憶が正しければ、あれは――。
と考察している内に、その男は私に気が付くと自然な笑みを浮かべて近寄って来た。
「メリー王女ですね? 僕はファラウン家第一王子、レイガル・ファラウンと申します。お会いできて光栄です」
あぁ、やっぱりあれはファラウン家の紋章だったか。確かファラウン家は、ティファ二エル家と同じくらいの格式があり、隣国を治めていると聞いたことがある。
すると私は、右手に違和感が走ったのを覚えた。ふと視線を下げてみると、腰を降ろしたレイガル王子が、私の右手の甲に唇を重ねているではないか。
「――っ!」
後ろへと飛び退く私。挨拶だとは知ってはいるのだが、初めて受けたこともあり突然だったのでビックリしてしまったのだ。
「メリー王女、何か……無礼を働いてしまいましたか?」
「い、いえ……」
心配そうな面持ちで、純粋な眼差しを向けてくる王子。この人は何も悪くない、むしろ第一印象はいい人だと思う。誠実で優しそうな印象を受ける。
だが、なぜその王子がここにいるのかが重要だ。
私は王子になんでもない素振りを見せた後、お父様へと鋭い視線を向け、説明を要求するように無言の圧力をかけた。
「前々からの話でな、我が国とファラウン家の治める国との合併が決まったのだ。私としては王子に婿に来てもらいたくてな、心優しいレイガル王子がそれを快く承諾してくれたのだ」
瞬間、私は固まってしまった。いずれは、こうなるだろうとは思っていた。自分の好きな人とではなく、家の為、国の為の政略結婚。
だけど私の知らない所で、こんなにも話が進んでいて決定事項になっているとはさすがに予想していなかった。
「初めて会ったのだ、積もる話もあるだろう。この辺で退出するとしようか」
どうやら私の意志は無視して、お父様はそそくさと退出するらしい。私の横を通り過ぎる間際、またあの時のようにそっと耳打ちしてきた。
「……なんでも言うことを聞くという約束だったな――」
それだけ言い残し、お母様と一緒に部屋から姿を消していった。
私の意志は、元より聞く耳を持っていなかったようだ。あの時の私の約束を逆手に取り、有無を言わさない状況へとすでに運んでいた。
最初から私は――、お父様に囚われた小鳥だったんだ。
「これからよろしくお願いしますね、メリー王女」
「……はい」
何も知らない無垢な笑顔が、私の胸に突き刺さる。
私はドレスをぎゅっと握り、小さく返事をすることしか出来なかった――。
二階のテラスで、いつものように空を見上げていた。明るい青空には、二羽の小鳥が仲睦まじく飛び交っている。
あれから、もう五年か――。
私はレイガル王子と正式に婚姻を交わし、少女から一人の女、そして妻として成長していた。
「メリー、ここにいたんだね」
私を探していたのだろうか、後ろからレイガルの声がかかる。
「また、空を見ていたんだね」
「……ええ」
レイガルは私の横に立ち、一緒に空を眺めていた。飛び交う小鳥達を見つめ、どこか寂しそうな瞳を覗かせている。
そして呟くように、レイガルは小鳥達を見つめたまま、静かに口を開いた。
「いつの日か僕らも……あの小鳥達のように、心を通わせる事が出来るのかな」
私は俯き、何も答える事が出来なかった――。
レイガルがいい人だからこそ、優しいからこそ、カインのことをずっと言えずに心の中に閉じ込めるしかなかった。
だから――、罪悪感を抱く私は、きちんとレイガルと向き合うことが出来なかった。
――もう、あれから何年経ったのだろうか。
月日は流れ、もうカインと会えなくなってからの年数さえ分からなくなっていた。
手はやせ細り、顔にはしわも増えた。
年を負うごとに、カインへの愛おしさも増していく。
「――コホッ、コホ」
最近体の調子も悪い。テラスで空を眺めていると、体に当たる風がやけに冷たく感じる。
「メリー様、お体に触ります。中へお入りください」
「そうね……」
侍女に促され、ベットへと横になる。布団をかけてくれるいつもの側近の侍女、彼女もだいぶ老けた。
ベットのすぐ横にある棚、その一番上に座る人形へとふと視線が向く。
「会いたいわ……カイン」
そう一言呟き、私は深い眠りへと着いていった――。
目が覚めると、見慣れぬ光景が広がっていた。まるで車いすに座り、誰かに押されているかのよう。しかし視界は上下に揺れ、なぜか体の感覚が無い。
たくさんの人、立ち並ぶ建物――、どれも見たことの無いそれは、王宮の外の世界ではないかのかと考えさせられた。
「ママー! このお店入ってみたい!」
突如聞こえた少女の声。頭上から響くそれは、かなり近い位置からだと感じた。そして視界が左へと動き、ガラス張りの建物に映る姿に、私は驚愕した。その時初めて、自分の姿を知ったのだ。
ガラスに映っているのは、母親と思しき女性と手を繋いでいる少女。そしてその少女が胸に抱える、見慣れた人形。
そう、私は――。
”あの人形”になっていたのだった。