犬の妖
柔らかにそよぐ秋風に、左右に立ち並ぶ背の高い木々から木の葉が舞い散る。目の前には、立派な赤い鳥居が奥へと続くように並び、横幅が広く段差の低い石造りの階段が連なっている。
どこまで続いているのだろうか。山を駆け巡るように伸びる階段は、曲がりくねっているのか先が見えない。
歩む先が見えなくとも、例え遠く長い道のりだったとしても、必ず終着点は訪れる。途中で足が疲れて、心がくじけそうになっても、歩みを止めない限りきっと辿りつける。
私は、握る緑の手をぎゅっと再度握り締め、一歩一歩踏み出して行く。
私と緑は、近くにある神社へと足を進めていた。気の持ちようだろうけど、今度に向けての願掛けをする為だ。
地面に落ちている木の葉をしゃくしゃくと踏み鳴らしながら、自然の景色と小さく見える街並みを見渡していた。時たま訪れるそよ風が、私の髪の内側に優しく入り込んで気持ちがいい。
それなりに階段を上り、疲れてはいないかとたまに緑へと視線を向けると、緑はただ無表情に隣を歩いていた。
道中一言も交わすことなく歩み続け、一時間もするとようやく目的地へと着いたようだった。
最後に一際大きな鳥居を抜けると、左右にはお互いが向かい合うように座っている犬の石像がある。ここは、犬が街の守り神として崇められているとう云われから、『犬神神社』と呼ばれている。
中央には奥へと参道が伸び、その参道を挟むように灯篭がいくつか並んでいる。そして参道の先には拝殿があり、正月などは参拝者で溢れかえる。
更にその奥には拝殿よりも大きく立派な本殿があるけど、そこには一度も行った事がない。
私と緑は参道を通り、年季の入った木造の拝殿の前までやってくると、三段ほどの木の小さな階段を上った。財布から五円玉を二枚取り出し、さい銭箱へと投げ入れる。チャリンチャリンと音を立てて五円玉が吸い込まれていき、天井からぶら下がる太い縄を軽く揺らす。乾いた鈴の音を鳴らし、私と緑は両手を顔の前で合わせた。
――どうか、お父さんが見つかりますように。それと……この子の未来が、幸せなものでありますように。
目を開けて緑の方へと顔を向けると、緑はすでにお願いを済ませたのか、ただ正面を見つめていた。何かを考えているのか、それとも何も考えていないのか。感情を読み取れない無表情さは、小学生にしてはあまりにも不釣り合いだと思った。
「緑は何をお願いしたの?」
私の問いで気が付いたのか、緑は視線をこちらへと向けると、静かに口を開いた。
「琴美お姉ちゃんのお願いが、叶いますように……って」
その言葉は私の胸に衝撃を走らせた。両膝に手を乗せ、少し屈んで目線を合わせると、困惑の表情を浮かべながら緑へと問いかける。
「自分の事は?」
「別に」
緑はそれだけ言い放つと、視線を元来た参道の方へと向けて小さな階段を下りる。そしてふと足を止めては、こちらへ振り返った。
「行こう」
向けられた一言に促されるように、私は緑の隣へと駆け寄り、小さな頭を優しく撫でてあげた。
緑は恥ずかしいのか少し不機嫌そうな顔をしていたが、それでも私は緑を撫でてあげたかったのだ。
さぁ帰ろう。そう思った時、ふと足元に何かが当たる感触を覚えた。地面へと視線を向けると、バレーボールくらいの大きさの、ピンク色のボールがある。周りを見渡すと、ふと拝殿の横からこちらを覗き込む小さな生き物がいることに気が付いた。
「琴美お姉ちゃん?」
後ろを振り返り、拝殿を見つめる私に異変を感じたのか、緑が首を傾げながら見上げて来た。
「何かいる」
私はそれだけ呟き、拝殿へと足を進めた。緑もつられるように踵を返し、私の隣に位置する。
拝殿の横へと辿り着くと、そこには何もなかった。見間違いではないはずと辺りを見渡すが、特におかしなところはない。
すると、しゃがみ込んで拝殿の縁下を覗き込んでいた緑が、ふと声を上げる。
「琴美お姉ちゃん、何もいないけどあそこにダンボールがある」
縁下の中を指差す緑に促されるまま、私もしゃがみ込んでそこを覗き込んだ。目に映ったのは少し大きめのダンボール。そして、ダンボールの縁に手をかけて、恐る恐る顔を出している犬と目があった。しかしただの犬ではないことを、私は瞬時に悟っていた。
そう――、この犬は妖であると。
「妖がいる」
私の呟きに、見えない緑は一瞬固まると、更に奥へと視線を巡らせている。
「暗いし、全然分かんない」
恐怖心よりも、自分だけが見えないことに焦燥感を抱くのか、緑は眉をひそめて少し不機嫌そうな表情を浮かべている。
そんな緑に、私は右手を差し出した。
「手を握ってみて。そうすれば、多分……見えると思う」
緑は探るような目で私を見てきたが、私がその目を真剣に見つめ返すと、信用したのかそっと手を添えてきた。そして手を繋いだまま、緑は縁下へと視線を向けると目を丸くしていた。
「ほんとだ……さっきまでいなかったのに、犬がいる」
真っ白の毛並みは所々黒く汚れ、小さな体につぶらな瞳、小さな数珠が輪のように連なった物を首からかけている犬の妖。
しばらく私達が観察していると、むこうもこちらを観察していたのか、自分の存在を視認していると感じ始めた”それ”が、おもむろに口を開き出した。
「ぼくのこと……見えるの?」
その瞬間、緑が勢いよく私へと振り返る。目を丸くし、さすがに驚いているようだ。
「しゃべった」
「妖を見ることが出来るようになると、その言葉も理解することが出来るみたい」
私の説明に納得したのか、緑は再び縁下へと視線を戻し、妖へと声をかける。
「見えるよ、ここで何してるの?」
緑が”見える”と答えると、妖は目を輝かせてダンボールから飛び出て来た。私達の目の前までやって来て、尻尾を元気に振っている。
「ぼくね、ちかを待ってるの! ちかは?」
聞き覚えの無い名前に、私と緑は顔を見合わせる。そしてお互いに首を横に振ると、妖へと視線を戻した。そして緑が静かに答える。
「ちかって子は一緒じゃない」
妖はその言葉を聞くと、がっかりしたかのように耳と尻尾を垂れさせた。
「そうなんだぁ……ちかと似てる匂いがしたから、来てくれたのかと思ってボールを持って行ったんだけど……やっぱりちかじゃなかったんだぁ」
妖の言葉が気になった私は、集中するように静かに目を瞑った。
そして――、妖の記憶の欠片を見ることにしたのだった。