第一章‐7
「あの森の事は全く知らない。記憶に関しては森に居た理由もだし、ついでに言えばそれ以前の事だって何も思い出せない。ただ、どんな人生を送ってきたかが分からないだけで知識自体は十分過ぎる程、あるみたいなのだけれど。時間が解決してくれることを祈るばかりだよ」
いつまで経っても記憶がないままなのは気持ちが悪い。この場に居る事自体は良いのだ。それに一体どんな理由があるのか分からないことが気になるだけで。
「どんな感覚なのか分からないけれど、生きてきた証を忘れてしまったことはとても悲しいわ。お辛いでしょう」
同情して我が事のように悲しむアテラ。彼女には悪いが、辛い、とは感情が違う。
しかしそれを口にするのはなんとなく憚られた。
「お気遣いありがとう。今考えられるのは知識から推測して俺が住んでいた場所はここからすごく遠い場所だということ。俺の持つ知識の中の文化と、ヘリオスの文化は随分と違うみたいだからね」
むしろ時代が違うくらいに文化の差があった。いや、文明の高度さを鑑みるに時代を遡っているとしか思えなかった。当然、モンストラクターは無視する。根拠の一つとして、森で目覚めてから今の今までデジタル製品を一つとして見ていない。機械自体は見かけても少なく、原始的だ。現代であれば火を起こすのにあれほど大きな機械は用いない。というより機械と呼ばない。街の様子、建物の建築と技術はとても高く、文明レベルが低い街ならいざ知らず、機械が導入されていないことは不自然だ。
まるで開発されていないから存在しないかのような。このヘリオスは本当に、俺が住んでいたであろう日本の延長線上に存在する街なのだろうか。
「文化、か。顔の作りも随分と違うように見える。住む場所が違うと人の姿も変わるのは面白い」
西洋人と東洋人は、同じ人類のはずなのに、顔の作りも肌の色も違う。ガラス製に見えるコップに注いだ水に自らの顔面を写し込み、見る。そう、こんな顔だった。スラッグやアテラとは違う別人種。初めて見たのかもしれない、アテラも俺の顔を凝視する。
「あまり見ないでくれよ、照れるじゃないか」
美人に見られると存外、高揚するものだ。気持ちを分かってくれたのか見つめる事を止めて食事に戻る。
「それで、文化が違い、住む生物も違い、コウが住んでいた場所にはモンストラクターが存在しなかった、ということでいいんだよな」
「モンストラクターというのがあの怪物を指すのであればそうだよ。森に棲む怪物の総称という認識で間違いはないんだよね。人間を襲う動物はいるけれどせいぜい二メートルか三メートル、あんなに大きい地上の肉食動物はいないはず。だから背中に剣が生えた怪物が寝ているのを見たときは意味が分からなかった。あんな有機生命体が地球上に存在するのかって。そしてその怪物が襲ってきたときは助かるなんて全く思えなかった」
頭を縦に振って肯定する。知識上の動物図鑑に類似した生物の記録はない。全くの初見だった。もしあの怪物がいたなら記憶の本棚にモンストラクターの本が何冊も蔵書されているはずだ。
「モンストラクター、あいつらは森に棲む恐ろしい怪物達さ。大中小多くの種類があの森で暮らしている。確か二百種だったか」
ナイフで細かく切った肉を頬張りつつ、スラッグの発言に目を見開く。
「おいおい、二百種もいるのか、あの森は一体なんなんだ」
とか言いながら旨い肉に気を取られつつ次の言葉を待つ。
「ああ。ただ、草食で無害なモンストラクターも多くいるがな。コウが追われていたのはエッジスコナーという大型に属する種類だ。背中に生えた二対の刃が特徴で、良い武器になる。俺が首を落とした剣もエッジスコナーの刃を加工したものだ」
あの時、スラッグは幅広の大きな剣を使ってエッジスコナーを殺した。言われてみればその剣とエッジスコナーの背中に生えていた刃は似ていた。
「エッジスコナーは初めて見たときは戸惑うが、動きに特徴があってな。背中が重くて体を浮かせられず、あまり速く走れない。それでも人間からすれば十分速いがな。ま、倒しようはいくらでもあるわけだ。今度機会があればよく観察するといい」
さらりと恐ろしいことを言っている。ついさっき襲われたというのに。恐怖心が残っていないとはいえ、あの森に再び足を踏み入れるのは若干、躊躇うものがある。
「モンストラクターってのは大昔、突然現れた。それまで存在した動物は入れ替わるように全滅したために大混乱が起きた。なにせ代わりの動物がすこぶる狂暴だからな。最初は為す術もなかったらしい。だが今の状況を見てもらえば分かる通り退治の方法を得た」フォークで皿上の肉を刺して「コイツは中型モンストラクター、ルックの肉だ。一番初めに人間を襲った種であり、最初に倒されたモンストラクターとされている。脚が速くてね。特徴といえばそれだけなのだが」口に放り込み「すごく旨い」感想を述べる。「コウもそう思うだろ」
「ああ、とても旨い」
先ほどから口に含んでいた肉はルックの肉だった。それはステーキのように調理され、噛むと肉汁が口内に広がり、容易に砕かれていく。味は仄かに牛のようであるが、別物だ。肉食動物は食用に向かないはずだが、このルックは、いやモンストラクター自体が例外のようでどうも違うらしい。独特の臭みがなく次々に口へ運んでも気持ち悪くならない。そうか、動物が全滅し、台頭したのなら机上に並んでいる肉はモンストラクターのものというわけだ。不思議と記憶にある過去に食べたであろう肉の味とはどれも違い、同等か、より旨い。狩りが過酷な分報酬が良いということだろうか。
「話を戻す。小型はともかく中型や大型になれば力や動きが特徴的になり、倒すことは困難になる。しかし、出現から長い時が経った今となっては攻略法が練られ体力と力に自信があれば一人でも倒せる。コウが思っているよりモンストラクターは脅威ではない。危うく食われかけたんだから、そう言われても納得できないかもしれないだろうけどな」
今でこそ冷静に食事をしているが、つい数十分前には死の瀬戸際にいた。恐怖心は薄れて霧散しているといってもモンストラクターに対する脅威度は高く見積もっている事は確かだ