第一章‐6
「馬鹿馬鹿しくて信じられないだろうけど、目が覚めたら森の中にいたんだ。だから武器なんて備えはないし、怪物に襲われてそりゃあもう驚いたさ。一体、眠る前の俺はどうしていたんだろうね」
なぜ森の中にいたのか。それは俺自身が最も知りたいことだ。彼らは俺の事を当然、知らない。街の誰に訊いても俺の事を知る人間はいないだろう。答えを手っ取り早く知るには自分の記憶を取り戻すしかない。しかし、それはある意味何よりも難しい事のように思えた。嘘をつけないのに。自分が管理しているのに。ふと、他者が俺の記憶を根こそぎ奪って行ったかのようなイメージが思考をよぎっていく。もしそうであるのなら、記憶をどんなに探っても見つけ出すことはできないじゃないか。いや不可能だ。記憶を奪うなんて、そんなことできるのか。できないに決まっている。記憶はどこかにあるはずだ。森に来る前に頭を強く打って記憶障害に陥っているのだろう。そうとしか思えない。
「突然森の中に。対抗できない事は本当に恐ろしいわ、でもコウはモンストラクターに食べられそうになった割に平然としているように見える。私が小さい頃、今でもそうだけれど全く武器を扱えない頃、初めて森で大型モンストラクターに出会ったときは数日間、恐怖で夜眠れなかったものよ」
平然か。確かに、がたがたと震えてあからさまに恐怖してはいなかった。心の中でも意外な程引きずっていない。森から出るまでの間で落ち着いてから恐怖の感情は鳴りを潜めていた。
「それは……年齢の問題なんだと思うよ。精神が未熟な幼い子供なら恐怖する事は当然だし、俺はもう大人だ。その場では怖くとも長引く程の恐怖を植え付けられたりしないと思う」
アテラの話に、大人だからと理由を付けて答える。しかし本当にそうなのかと自分の口が語ったにも関わらず疑問に感じる。大人であっても、精神が成熟していても、見知らぬ脅威に対して強靭でいられるというのか。アテラが言う、モンストラクター。あの怪物達の総称だろうが、それに対する恐怖心は落ち着いても、思考の整理はまだ落ち着いていないようだ。
「そういうものかしら」
俺と同じようにアテラも納得いかないように呟く。声がフェードアウトしたところで作業の手が止まる。
「さぁ、できたわよ」
皿に載った料理を縁が上がっている四角い板、トレイに載せて机に運び出してくる。
「それくらいは手伝うよ」
台所にはまだ料理が載った皿があり、それらを取りに行って机に並べる。調理を手伝うことはできないがわざわざ作ってもらったのだ、運ぶくらいしないと申し訳ない。
「ありがとう、でも座っていて良かったのに」
お客様なのに、と言いたげだ。しかし俺はそんな立場じゃない。お情けでここに居るようなものだからな。
「丁度いい、飯が並んでいる」
布で黒い短髪を拭いながら、リビングに入ってくるスラッグ。
「では、飯食いながら話そうか」
椅子が四脚ある机に、アテラは料理を並べる。料理は一見、知識にある料理群との乖離は見られない。それが載っている皿も、綺麗な円を描き、精度が高い。渡されるフォークも、液体(恐らく水だろう)が入った瓶も、不可解な点はない。目が覚めて知識と差があるのは森のことと、ここがどこだか分からない事くらいで他は普通だった。
「見ての通り、アテラの料理は見た目も良い。味も保障するぞ」
机上を彩る料理はどれも食欲をそそるものだった。肉、野菜、スープ、どれもが美しく飾られている。森での出来事が嘘のように馴染み深い光景だ。
「とてもおいしそうだ。呼んでくれてありがとう。とても嬉しいよ」
窓から見える外の風景は赤みがかっている。日没が近いのだろう。少し早いように思うがこの食事はディナーというわけか。アテラも席につき、兄妹二人が並んで俺がその反対に座る形となる。
「祈りを捧げよう」
祈り、と思わず呟く。それはキリスト教徒が口にするような祈りだろうか。それであれば知識にあるようだが。
「もしかしてコウは知らないのか。世界共通だと思っていたのだがそうでもないみたいだな。まぁいい。知らないのなら聞いていてくれ。……私達を見守る太陽神様よ、皆が素晴らしく、皆が美しく、あなたが私達に与えてくださるように。私達はあなたに感謝します。太陽の恵みから私達が命の糧を得ることをお許しください。私達は永遠の感謝を捧げます」
スラッグとアテラは声を揃えて祈りを捧げた。それはキリスト教や、他の宗教とも違う祈りだった。
「人類は皆、太陽の恵みを受けて生きている。そして太陽神様のご加護の下、生き続ける限り感謝し続けるということを食事の前に祈るんだ」
宗教と言うものは人間と深い繋がりがある。キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教……他にも多くの宗教があり、人類の多くが信者であった。そして無宗教も少なからず存在し、俺が所属するはずの日本ではそちらの方がマジョリティだった。
「祈りは済んだ。さぁ、遠慮なく食べてくれ」
俺は祈っていないが、知らないのだから太陽神様も許してくれるだろう。スラッグは自分の皿に肉や野菜を次々に盛っていき、それに倣って同じように盛っていく。
「コウは、モンストラクターを見たことがないと言っていたが、それはつまりあの森に入ったのは初めてだということだな。そしてなぜ森の中にいたのか分からないと」
スラッグは肉を頬張りながら話し出す。同じ肉を口に含む。旨い。何の肉だか知らないけれど。