第一章‐5
「見ない顔ね。そして汚いわ」
長い黒髪を結い、西洋的な目鼻がくっきりとした顔立ち。白く細い輪郭の若い女性。近づいてくる彼女は青い瞳を俺に向け、物珍しいもの、というより汚れた出で立ちで現れたことに苛立っている、いや呆れた表情をしている。その様子からよくあることなのだと察する。
「スラッグ、もっと汚れないで狩りできないのかしら」
「そんなこと気にしてられるか。汚れた方が戦った気分が出るだろう。それよりも、コイツはコウって言うんだ。森の中で死にそうになってたから助けた、そして助けるついでに連れてきた」
悪びれる風もなくスラッグは開き直る。
「はい、申し訳ないことに」
汚くて申し訳ない。
「そうなの、初めまして、コウ。私はアテラよ」
「コイツは俺のシスターだ。アテラ、飯をコウの分も用意してくれるか」
「ええ、勿論。体を綺麗にしてからね」
アテラは笑顔で答え、奥に消えていく。兄妹、姉弟、どちらだ、いや流石に兄妹か。確かに、微笑んだ口の角度がとてもよく似ていた。とても美人だった。
「アテラは清潔さを重んじる傾向にある。咎められないように水を浴びよう。服は俺のものを貸してやる」
「じゃあ遠慮なく。有り難く浴びさせてもらうよ」
廊下の途中にあるドアのうち、奥側にある方へ。そこは廊下と同じく床には石が敷き詰められていたが、段差によって少し低くなっている。一方の壁際には浴槽、一方には壁伝いに管が取り付けられその先端にはシャワーヘッドのように角度がついてあり、手が届く位置にバルブのようなものがついていた。
「先に浴びていろ。服はここに。着替えは持ってくる」
「ありがとう。お先に頂くよ」
スラッグは背を向けて部屋から出ていく。服を脱ぎ、示された籠の中に衣服を納めた。改めて着ていた服を見ると、なぜこんなものを着ていたのだろうと疑問に思う。
どう考えてもこの服装が普段着として着ていたとは思えない。何かの制服のような……例えば軍隊のような。しかし確証はなにもない。出せるはずもない。記憶が無いのだから。
過去より今だ。大人しく水を浴びよう。汗と血に汚れた体を綺麗にしよう。バルブを捻ると上にある管の先端から水が流れてくる。水の出は疎らで不均等だが体全体を包むように水が体を濡らす。太陽光で火照った体に水は丁度良かった。欲を言えばもう少し冷たければ良かったのだが、常温でも仕方あるまい。シャンプーやボディソープがないかと見渡すが、この部屋に入った時から分かり切っていた。そんなものはない。この土地の文化に違和感を覚えつつ手で体を擦って汚れを落とそうと試みる。
……あまり落ちている気はしないのだが、仕方ないだろう。
「服を持ってきたぞ」
スラッグがドアを開いて現れる。振り返ると籠に服を放り込んでいた。「ありがとう」と言うと手を振って出ていく。手で体を擦るにも限界がある。五分もしないうちにバルブを逆に捻り、着替えの服と一緒に用意されていた布を掴んで体を拭く。これがもう一枚あれば楽に体を拭けたのだが……まあいい。気持ちが良かったのは事実だし、招かれたことすらありがたいのだ。贅沢も言っていられない。吸水性が微妙な布でなんとか体を拭いて、まず下着を手に取る。特に違和感はない。若干精度が気になる程度。他も確認するが、問題はなさそうだ。着心地も良好。運動には向いている。これはスラッグが今着ているものと同じタイプの服で、デザインこそ違えど俺が着ていた服と似たものを感じる。怪物退治に向いた服ということだろうか。浴室を出るとスラッグが壁に背を預けて立っていた。
「どうだ、水を浴びると気持ちがいいだろう」
「ありがとう、おかげですっきりしたよ」
「それは良かった。そろそろ飯が出来上がるから、俺もささっと浴びて来よう」
そう言って、着替えの服を抱えたスラッグは入れ替わりに浴室へ入っていった。
そろそろ食事の用意ができる、か。ならリビングで待たせてもらおう。彼女にもお礼を言わなければ。最奥の部屋に入ると、台所に当たる場所でアテラが準備を進めていた。気配に気づき、一瞬振り向いたあと声を掛ける。
「さっぱりしたわね。気分はどう」
「とても良いよ。さっきの襲われた記憶が吹っ飛ぶくらいにね」
机に付随する四つの内一つの椅子に腰かける。
「さっきの顔が酷かったから心配していたけれど、大丈夫そうね」
さっきまでの俺はどんな顔をしていたというのだ。見た目の汚れと臭いも合わさってとてつもない不快さだったのだと思うと羞恥心で頭を抱える。なんてことだ。
「それはともかく、助かったよ。スラッグがいなければ今頃、俺は怪物の胃の中さ」
恥ずかしさより、今は感謝だ。命があるからこそ、この感情を表すことができる。
ほんの少しタイミングが違えばこうして生きていなかった。
「スラッグは人を助けることに生き甲斐を感じる性格でね、今までもよく助けていたみたいよ」
お人良しというか、正義感がとても強い人間のようだ。生き甲斐を感じるなんてよっぽどだろう。感謝するとともに敬意を感じる。
「コウは何も武器を持っていなかったみたいだけれど、どうして森の中にいたの」
アテラの疑問は当然抱くものだ。森に多くの怪物が棲んでいるというのに、丸腰でうろつくなんて地元住民にとってありえないことだろう。俺だってアレを見てしまってはありえないとしか思えない。