第一章‐4
森の外から、街へと向かう道は舗装などされていない、土の道だった。直線上に街のようなものが見える以外、自然をそのまま弄らず、といった状態。ただ人通りが多いためか踏み固められて存外歩きやすい。真横、より少し前を歩くスラッグは俺より十センチ以上、目測で二メートルにほど近く、横も筋肉によって幅が広い。見るからに筋力があるがある剛腕な男だ。背中に担いでいる幅広の大剣を軽々扱えるなんて余程筋力を鍛えることに余念がないのだろうなと考える。
「スラッグ、さっき言っていたアレスってのは何」
無言が続いたのでとりあえず知らない言葉を訊ねてみる。
「アレスはあの森を挟んだ反対側にある街の事だ。俺が住むヘリオスの人間達は名前こそ知らなくても互いに名前は知っている。だがアレスとは長いこと交流が無くてな。誰も顔を知らない。だから見ない顔が森にいるとしたらアレスの人間かと思ったんだ」
通常ならアレスの人間でさえ、見ることは滅多にないのだろう。俺のようなケースは初めてに違いない。ちょっとした疑問が解消されたことで今までの事を整理しよう。意識を失っている間に気付かれることなく見知らぬ土地に強制連行。訳が分からないなりに散策するも背中に刃物を生やした獣に襲われる。しかし地元住人に助けられ、更に家に連れて行ってもらおうとしている。……訳が分からない。訊くべきなのはあの森に棲む怪物と、スラッグが背負うやけに大きい剣、そして妙に眩しい太陽。
日光に関しては……土地の問題だろうか。遮るものが少ない故に日光が当たりやすく、存在を大きく感じやすいのかもしれない。しかし、原理はともかく汗がとめどなく溢れていく。森の中がいかに涼しかったのか。走ったことも原因の一つだろうが、この暑さはそんな些細な理由なんてどっかにいってしまうように輝いているようだ。
「大丈夫か」
足を止め、スラッグが振り向いて声を掛ける。それに反応し足を止めた。こちらの顔を覗き込んで心配するスラッグには、とても苦しんでいるように見えているようだ。事実、バケツ一杯の水でも被ったかのような汗まみれに、乱れた息。とても体力がありそうなスラッグにしてみれば満身創痍に見えても不思議じゃない。いや当然見える。けれども、俺だって馬鹿じゃない。体力の限界くらい把握している。
「大丈夫だよ、一応。急に暑くなったから参っているだけ」
辛いことは確かだ。しかし限界までにはまだ余裕がある。視界に映る街との距離を鑑みれば十分、保てる。ただ少し、日差しに慣れていないだけだ。
「もう少しで家に着く、無理はするなよ」
納得しているようには見えないが、前を向き直し再び歩き出した。
「コウ、着いたぞ」
言われて、顔を上げる。
体力自体はまだ大丈夫なのだが、頭を上げていると太陽が眩しくて眼球が痛む。
「おお……」
興味、というのは不思議なものでどれだけ頭がぼやけていても新たなものを見るときには情報が不思議と吸収してしまう。
確か、ヘリオスと言ったか。
ヘリオスの街は三角屋根の赤い煉瓦作りの家が立ち並ぶ整然な街だ。
道路に敷き詰められた石は表面が整っていて歩きにくいことはなく、建物も大きな歪みはなく綺麗だ。
端的に表現すればヨーロッパを思わせる。
恐らくここはヨーロッパのどこかなのだろう。
だからと言ってこの状況が簡単に解決できるとは思えないが。
六メートル程ある大通りには、多くはないが、まばらに人が行き交っている。
「俺の家はここから近い場所にある」
先導され、大人しく歩く。
拭いたとはいえ大量の血がこびりついて汗まみれの満身創痍な男が歩いていても怪しまれないのか、と警戒する。
しかしそんなことは杞憂だったらしく、スラッグは気にする様子は微塵もなく堂々と歩く。
よくよく考えれば当然か。
森やスラッグの様子を見るにあの怪物と戦うことはもはや常識で、血を浴びることも多々あるだろう。
ただ、美意識は俺とそう違いはないようですれ違う人々は少し、不快な目を向ける。当然か。
「おう、スラッグ。そいつは、見ない顔だな」
自分からは一体どんな臭いがするのだろうかと嗅いでいるとスラッグに話しかける男が現れる。
俺の臭いは思ったより不快ではなかった。臭かったが。
「森でエッジスコナーに丸腰で追われててな、助けたんだ。名前はコウ」
「丸腰で森の中に、それは命知らずな男だ」
目を細め不可解な物を見るようにスラージは俺を眺める。
背は俺よりも高いがあまり差はない。しかし筋肉はより大きかった。
背中には大きなバッグを担いでいた。
「スラッグがいて良かったな、コウ、もう無茶はするものじゃないぞ。俺はスラージだ」
だがすぐに笑い手を差し出してくる。
握手すると、スラッグの背中をばしばしと叩いて、
「カッコイイことするなぁ、じゃ、また」と言って森の方へ向かって行った。
スラージと別れてから五分、大通りの途中で右に逸れていくとスラッグの家へたどり着いた。
スラッグの家は例に溺れず、他の家同様煉瓦造りで二階建ての住まいだった。
「お邪魔します」
スラッグに続いて躊躇いつつ家の中へ上がる。
こんなに汚れているのにそのまま入ってもいいのだろうか。
内開きドアの先には外側とは打って変わって白い壁、道路の石畳より綺麗に加工された石を敷き詰めた廊下があり、右側にドアが二つ並び、最奥の開け放した部屋に大きい机と、椅子が並んでいる。リビングのようだ。
「お帰りなさい、あら」
そのリビングと思しき部屋から顔を出す女性がいた。こちらを向いて不思議な顔、そしてすぐに苦い顔になる