第一章‐19
「最も逃げる事が困難なモンストラクターに遭遇しちまったなぁ」
まるで他人事のようにスナールは笑う。あんたも襲われている内に入ると思うのだが。撃退できるから気にする必要がないという事だろうか。ルックは見つけてしまった俺達を逃してなるものかと、俺の真下で吠え続けている。
「ルックはしつこいからな。よっぽどのことじゃないと狙った獲物は逃さないぜ」
「て事はなんだ、殺さないと俺はここから降りられないという事じゃないか。勘弁してくれ、どうやって倒すのかさっぱりだ」
「そう弱気になるなって。悲観的になった人間から死んでいくんだぜ。楽観的に、陽気に。というかよ、倒し方なんて知ってるだろうよ、コウが持ってるグラスレットで射ってしまえばいいだろう。小型より多少肉体強度は上がってるが根本的には一緒だ。生物的な弱点を突けば死ぬさ」
十メートル程下で吠え続けるルックを見る。全長は一メートル超、速いという特徴通り、チーターに似て細身で、昨日食った肉が信じられない程無駄が少ない。頭部は厳つく、ネコ科よりイヌ科に近い。吠える声も低く圧迫感がある。「エスターンを射てみろ、急所を外してもルックなら暫く動けなくなる。麻痺がなくなっても行動は制限されるだろう」
この筋肉質な弓は重いだけあって力強い射出ができる。この距離なら十分過ぎる程威力が伝わり、更にエスターンの神経負荷によって暫く動けないとなると素人にも勝機はある。グラスレットにエスターンを添えて引こうとしたとき、スラッグが呼び止めるように声を掛けた。
「その前にコウ、一つ、」
頭はスラッグの方へ向いたがしかし、手は止まらず引いていて、しかも力を緩めてしまいグラスレットの筋肉が前方へ押し出され、矢が放たれてしまう。そして気付く。スラッグはこの事を防ぐために注意しようとしていたのだと。木の枝の上という不安定な場所で威力の強い弓を使って踏ん張り切れるはずがなかった。放たれた矢と同じ方向に引っ張られて地面へと落下した。
「コウっ」
十メートルの高さから落下した衝撃は強かった。突然の事に受け身を取るという考えなんて全く浮かばなかった。そもそも受け身を取ったところで無事に着地できるのか、どうやったって大怪我を負う事は確実などと落ちてから頭の中を駆け廻った。呻き声を上げながら横たわる体を動かす。全身が痛んで、全治何か月かなと今後を想像して億劫になる。ヘリオスでの医療設備はどの程度のものなのだろうか。知識上の環境とは異なるものだが技術は独自の方向で発達していて、もしかしたら医療技術も高いかもしれない。少なくとも麻酔がなければ困る。手術ができるとしても痛みに耐えられないだろう。しかし、その心配は今必要ないという事が分かった。骨折にしては痛みが酷くない。体の下敷きになっていたグラスレットが衝撃を和らげたらしい。体は問題なく動いた。
「逃げろコウっ」
「急げっ」
スラッグとスナールが叫ぶ。二人とも地面に降りて駆けてきていた。
「ああ、そうか、そういう事ね」
二人とは対照的に、なぜか目の前の光景を冷静に受け止める。上半身を起き上がらせて目に入ってきたのはルックの体であり、今すぐにでも飛び掛かってきそうだった。俺が放った矢は刺さったのか血が垂れている。ただ、わずかに引いただけで手を離したために勢いはなく狙いは外れ後ろ脚の付け根をかすっただけのようだ。エスターンの効果で神経に痛みを生じさせていたようだが、かすっただけなのでほんの少し足止めしたに過ぎない。普通に考えれば俺は今ものすごく危険な状況だった。そしてルックが跳ぶ姿勢を取る。ここでようやく、事態をまともに感じられるようになる。どうやら落下のショックで麻痺していたらしい。
「うぁっ」
握っていたグラスレットを力の限り振り回して、噛みつこうと飛び掛かってきたルックをなぎ倒す。一瞬でも遅れていたら噛みつかれて本当に動けなくなっているところだった。ルックは転がってすぐに立ち上がり態勢を整える。流石、足が速いだけはある。運動神経がすごく高い。そして俺が死ぬ確率も高い。ルックは立ち上がった一瞬あとには俺に向かって走りだしていた。そのとき、ルックの体にいくつもの矢が刺さり、俺に到達する前に転倒し横を転がっていった。体を大きく損傷したルックは痙攣していたが、やがて動かなくなった。二人がグラスレットを使って何本も矢を射ってくれたのだ。
「大丈夫か」
そしてスラッグから差しのべられた右手を掴んで立ち上がる。やはり骨折も、捻挫すらなく無事だった。
「二人とも助かったよ、もう少しで死ぬところだった」
俺はこの森でまたも死にかけ、またも助けられてしまった。ふがいなさを感じると共にスラッグ達の頼もしさに感服する。
「まず始めに言っておくべきだった。木の上でグラスレットを使うときはチャージャーで固定するという事を」
スラッグは自らの過ちを悔いる。言い忘れていた事は確かに失敗だったかもしれないだろうけれど、後悔するほどの事ではない。後悔するべきは俺の方だ。
「いや、気付くべきだったんだ、グラスレットの反動が大きい事は分かっていたのに、狭い足場で使ったらどうなるか想像はついていたはずなんだ。けれど、高揚感なのか……」
射撃場で訓練したとき、俺はグラスレットの筋肉で何回も前方に引っ張られて転んでいた。小型区域で射ったときも転んだ。木の上で同じ事をすればどうなるのかなんて分かり切っていた。
「いや、理由がどうあれ俺の責任だ。申し訳ない」
この森ではちょっとした油断が命取りとなる。俺みたいな素人なら尚更。彼らみたいに生来この森を知っている人間とは能力に雲泥の差がある。俺はもっとそれを自覚するべきなんだと思い知った。
「むしろあの高さから落ちて無事って事が驚きだ」
俺の体をまじまじと見つめるスナール。それに関しては本当に運が良かったとしか言えない。もしまた同じ事が起こったらほぼ確実に至る所の骨を折るか死ぬだろう。
内臓も確実とは負えないが無事なようなのでひとまず安堵しておこう。だがスラッグは警戒するように辺りを見回す。
「……そろそろ動くか。モンストラクターの気配がある」
騒いでいたせいで寄ってきているようだ。
「まずいねぇ」
「コウは木の上に登ってくれ。スナール、俺達は狩るぞ。生きていくのに必要な屍の山を築こうか」
従って木の上に登り、二人を見下ろす。離れた場所に数体のモンストラクターがいた。他にも徐々に集まってきている。スラッグはグラスレットを置いて、愛用のエッジライナーではなく小ぶりの剣を構え、スナールは両腕に武器を装着した。
「かかってこいっ」
スラッグの大声で血気盛んなモンストラクターは二人の下へ走っていく。その中にはルックもいて、ひときわ速く、急速に接近した。
「流石スラッグだ」
飛び掛かってきたルックや同等のモンストラクターの首を確実に切り落としている。スナールも負けず、両腕に生えるようにつけられた刃物で致命傷を与えていく。無駄がない動き、プロフェッショナルだ。彼らの下には多くのモンストラクターが集い、そして数分後には死体が積み上がった。
「こんなもんだろう。一日の収穫としては十分だ」
「仕留めたのはいいけれど、こんなにどうやって運ぶんだ、担ぎきれないだろう」
一体一体は簡単に運べるだろうが、十体を超えるモンストラクターの山は無謀だ。
しかしスラッグの表情は明るい。
「なに、心配は無用だ。待ってろ、用意する」
一体何を、と言いかけてスラッグが向かった場所にそれがあった。荷車だ。
「さぁ詰め込め詰め込め」
連れてきていたホイーラーに荷車を繋いで、どんどんと死骸を積み重ねていく。
これは乱獲に当たらないのか心配だったが、彼らが問題にしていないという事はセーフ、なのだろう。
「コウには悪い事をしたな」
帰路につきながら、蒸し返すように自分の落ち度だと反省するスラッグ。でもそれは俺の落ち度で、叱られるならまだしも謝られるのは気分が悪い。
「そんな事された覚えないよ」
「そうかい」
意図を察してくれたのか、それ以後同じ話題を出す事はなかった。




