第二章 6)アリューシアの章
「アラン様がお戻りになられました!」
しかし重い城門がゆっくりと開き始めようとしたまさにその瞬間、その報せが届いたのだった。
この城の留守を任された重臣の騎士自ら、この報せを携えて門の前までやってきた。
彼は馬車の行く手に膝をつき、まるで自分の身を投げ出してでも、馬車を行かせまいとしているかのよう。
「どうやら探しておられた魔法使いもご一緒のようです。これで戦況は一変するかもしれません」
ギルド殿だ。父の腹心、その筆頭である。
アリューシアもギルド殿を信頼している。性格は堅実で誠実、仕事熱心で、子供たちにも優しい。最後まで、城主がこの城から逃げることに反対していたのもその騎士であった。
しかしアランが帰ってきた報せを聞いても、父は何の反応も示しはしなかった。
むしろ新たに決心を深めた表情で、そのまま馬車を出させようとする。
「あなた、まだ希望はあるはずです」
父の隣に座る母が、彼の腕を取った。「敵の中に卑劣な魔法使いがいるから、私たちは遅れをとったのですよね? アランがその魔法使いに対抗出来る人を連れてきたのなら、ギルド殿が言われたように、戦況は変わるのではないでしょうか」
「二千を数えた我が兵は四散した。いまや残りは五百。敵はその六倍の兵力だ。たかが魔法使い一人、連れてきたところで結果は見えている。今は一刻も早く逃げるのが先決。たとえ全てを失っても、お前たちだけは敵の手に掛けたくない」
「だけど戦わずして、逃げ切れることが出来るのでしょうか?」
「逃げようと試みなければ、逃げることも不可能だ」
「父上! 今、戻りました」
父と母の会話の間に割り込むようにして、遠くから声が響いてきた。やがて足音も近づいてきて、こっちに走ってくるアランの姿が見える。
(兄さんなら、私たちを守ってくれるの?)
アリューシアは馬車の窓から身を乗り出し、走ってくるアランを眺める。
歳もかなり離れていて、母も違う。
兄と遊んだ思い出もなければ、長い時間お喋りした記憶もなかった。しかしアリューシアはアランが嫌いじゃない。
(聖職者のように真面目だし、お姉ちゃんたちよりも優しいし、どんな騎士よりも強くて逞しい。それにパパに似てる。後姿なんて、パパにそっくりだ)
そして何より、この家の執事のサンチーヌと仲が良いようであった。
屋敷の子息と執事、身分は違うはずなのに、兄のアランはそんなことに拘泥しない。庭先で二人が熱心に語り合っている姿を見たことが何度もある。
サンチーヌが大好きなアリューシアだから、サンチーヌと仲が良いアランのことも大好きになるのは、当然のことであった。
「父上、この戦い、まだ望みはあります。私にお任せ下さい」
アランは馬車の前に立ちはだかるように立って、大声でそう言った。
「どんな望みがある?」
「近日中にも、新しい王が即位するという情報を、王都より得ました。一ヶ月、敵の猛攻に堪えることが出来れば、新王の調停が入るはずです。次の王はヘンリー王子です」
「何? ヘンリー王子が」
一瞬、父の顔が希望に輝いたように見えた。ヘンリー王子は、ボーアホーブ家とは縁の深い王族の一人らしい。
ヘンリー王子が正式に即位すれば、この内戦を傍観しているはずがない。なぜならこの内戦は、彼の王国の中で起きているのだから。
そもそもギャラック家が兵を進めてきたのは、王位の継承に伴う一瞬の空白の混乱を狙ってのことだった。王権が安定すれば、諸侯の一つに過ぎないギャラック家に、領土拡張のための戦争など許されるはずがない。
もちろん、そのような情勢を幼いアリューシアが知っているはずもないのだが、それは父も兄も共有している事実。
しかしアリューシアの父が希望を見せたのは一瞬だけであった。
また以前のように、石の底に潜む川魚のように暗い表情になった。
「もはや敵は目前まで迫っている。この城は明日にも陥落するかもしれないのに、一ヶ月とは何と長い月日であろうか」
「魔法使いを連れて帰りました。その男に希望を託しましょう」
「その魔法使いは噂通りの力の持ち主なのか?」
「は、はい」
一瞬の躊躇のあと、アランは続けた。「とても若く、傲慢で、非常に無礼でありますが、有能な魔法使いと聞きました。私が兵の指揮を取ります。その魔法使いと共に、敵を撃退してみせます。我が父は王都に向かい、新王の調停を請うて来て下さるようお願いします」
「むむ!」
父が重々しい呻き声のような声を上げる。そしてしばらく黙って何か考えるような表情を見せた。
「魔法使いの能力は未知数。お前も戦には不馴れ。もはやボーアホーブ家に未来はないだろう」
しかしもう一度、最後の戦いに賭けてみようか・・・。
父はそう呟いて、本当に疲れ果てた様子で、馬車を降りた。




