第二章 2)アリューシアの章
幼いアリューシアが詳しく知るところではなかったが、その頃、ボーアホーブ家は危機的な状態にあった。
ボーアホーブ家には敵がいた。かねてから領地のことで小競り合いを重ねてきた隣の領主、ギャラック家である。
ちょうど領土の境辺りに、オルドルペルという金が取れる山がある。
その金山はボーアホーブ家の財政を支える重要な財源の一つあると同時に、係争の地でもあった。
数代も前からずっと、ギャラック家とはこの山を巡って争ってきた。ボーアホーブ家がその山を失ったことは何度もある。
ギャラック家とは同じ王に仕える諸侯同士であったが、王の目の届かないところで何度となく戦火を交え、その山の奪い合いをしてきたのである。
特に、王が逝去して、代替わりのため政権が不安定になると、両家は必ず何らかの小競り合いを始めるのであった。
この冬も、先の王が突然病死し、王宮においてその跡目争いが長引く間、ギャラック家はオルドルペル山を自分のものにしようと、軍を率いて襲来してきた。
ボーアホーブ家も当然、彼らの襲来を予想はしていた。
ボーアホーブ家の当主、すなわちアリューシアの父が自ら兵を率いて、オルドルペル山を奪われまいと、その軍勢を迎え討つ。
しかしその最初の戦闘において、ボーアホーブの軍勢は大敗を喫してしまった。
ギャラック家が強力な魔法使いを雇っていたのである。ボーアホーブ家の軍はその魔法に翻弄され、オルドルペル山を明け渡さざるを得なかった。
「フラージェ・ギャラックの卑怯者め!」
アリューシアの父が屋敷中に響き渡る声で叫ぶ。
ギャラック家の現在の当主、フラージェは目的のためならば手段も選ばない男として知られていた。これまでのギャラック家の当主とは一味違う。
魔法使いを使って、隣の領地を侵略しようなどと企むものは少ない。それほどの魔法使いを雇うには、相当の財力と覚悟が必要だからである。
そしてそれは戦争における一種のタブーでもあった。ましてや同じ王に使える諸侯同士の間で、魔法使いを戦闘に介入させるなんてありえないこと。
そのありえない手段を、敵のギャラック家が実行してきたのである。
「向こうがこのような卑怯な手に打って出るのならば、我々も対抗するしかありません」
アリューシアの兄、ボーアホーブ家の次期当主候補、アランが父に進言した。「報酬を惜しむことなく、最も優秀な魔法使いを雇いましょう」
「そのような魔法使いに心当たりはあるのか?」
「クリストフが申すには」
クリストフというのは、ボーアホーブ家が雇っている魔法使いである。年齢は老境に達しているが、経験豊かで、誠実な魔法使いだ。
上級の大貴族ならば、魔法使いの一人や二人は召抱えているものである。
戦いのためだけではない。魔法使いがいれば生活が格段に便利になるからだ。魔法で火を起こしたり、暗みに光を灯したり、彼らはどんなことでも可能にする。
アリューシアはクリストフと言葉を交わしたことはないが、彼の存在はボーアホーブ家の中でも、決して小さくないことをよく理解している。
「ナミュールに住む魔法使い、プラーヌスという男はどうかと提案してきました。その男、まだ若い魔法使いでありますが、既にその実力は相当なもので、魔法使いたちの間ではスコーフィールドの再来と噂されているとか」
「スコーフィールドの再来だと? にわかに信じられぬな」
父の表情は浮かない。アランの言葉を信じてはいないからだろう。
スコーフィールドというのは有名な魔法使いだ。幼いアリューシアだってその名前を聞いたことがある。
スコーフィールドはこれまでこの世界で活躍してきた魔法使いの中でも最も傑出した才能の持ち主。恐るべき魔法の使い手として、数々の逸話を残している。
あくまで伝説で、真偽のほどはわからないが、万の軍勢を一人で壊滅させたとか、一つの街を一夜で壊滅させたとか、あらゆる国の王を殺し尽くしたとか。
二十七の齢にして夭逝したが、もし生きていればこの世界は彼によって、滅茶苦茶に破壊されていたかもしれない。彼は邪悪な魔法使いとしても有名なのだ。
「まあ、いい。ナミュールの街は近い。クリストフを連れて、その魔法使いに会いに行ってきてくれ」
父はアランに指示を出して、自身は再度、戦場に赴く。
「お兄様! こんなときに私たちを置いて、どこに行くつもりですか?」
アリューシアの姉、マリアが、旅に出ようとするアランに声を掛けた。
アリューシアもマリアのスカートの後ろに隠れながら兄の様子を伺う。
「毒をもって毒を制する、そのような言葉がある。お前たちは知らないだろうがね。私は今から、とてつもない魔法使いを連れて帰ってくる。もしかしたらその魔法使いは、私たちを助けてくれるかもしれない」
「ふーん」
「しかしお前たちは近づいてはいけないよ。本当に危険な人物らしいから」
兄のアランはそう言い残して、短い旅に出た。




