第六話 忍び寄る脅威
アレンの生家ガード家は、太陽系を擁すソウイル宙域から西に二つ宙域をまたいだ先のゲーボ宙域にある。
銀河の『北側』に属すここは地球文明を色濃く残しており、敵対国家キヴォロワと宙境を成す重要拠点でもある。しかし、隣接するキヴォロワ領はブラックホール密集帯であるため南側に比べて、両国間の衝突が少ないところでもあった。
「戻ったか。アレン」
「俺になにか用ですか、父上」
父と会したのは、じつに二年ぶりだ。
ゲーボ宙域を取りまとめる首星コルリスの第八宇宙基地にほど近い、島の山奥。交通には不便な、長い石畳の上にガード本家は居を構えている。閑静な山の斜面をさらにくりぬき、創られたトンネルの奥――軍事要塞のなかに父、ジェフ・ガードの執務室があるのだ。
空からでは決してうかがい知ることのできない本堂は、ガード家直系の者と、ジェフの側近数人のみに入室を許されている。それだけ連邦内外を問わず、父には敵が多い。
居室でしばらくの間、アレンは父と睨み合った。執務机に座った父は五十近いが、英気は一向に衰えていない。むしろ老獪に磨きがかかったような印象を受けた。剣術ではアレンに及ばないものの、この男の怖さは戦闘力ではない。
情けを捨て鬼となった父は、人であって人ではないのだ。
それをだれよりも知るアレンは、父の鬼気に感化されたのか人間らしい温かみを消していた。ラグズ第四基地にいるときとは別人のような、凍った剣気を実父に向けるのである。
ぴんと張りつめた空気を打ち壊すように、ジェフが鼻を鳴らし、左手の扉に向かって一言、入れ、と命じた。
間髪を置かずに栗色の髪の少年が入ってくる。訓練された隙のない動き。背筋を伸ばして立つ少年に、父が視線を転じた。
「覚えているか、アレン。お前の弟だ。今年で十七になる」
「セイル・ガードです。お久しぶりです、兄上」
透き通った高い声に反応して、アレンが目を向けると、弟のセイルが睨み返してきた。ちょうどアレンの眉の高さが、弟の背丈だ。
腹違いであるのに、容姿のよく似た兄弟だった。どちらも母親に似たが、セイルはさらに父親の面影少なく、躰の線が細い。清潔感のある美少年だ。
その白く細長い顔を、栗色の髪が縁取っている。アーモンド形のややつった目。灰色の瞳のなかに、剥き出しの敵意がある。
「では本題だ。エイダ・アトロシャスの傘下に、連邦に所属していながら反連邦の動きをする、きなくさい奴らがいる。アレン、お前も当然知っていよう」
弟を見るときだけ消えていた眼差しの鋭さが、父を向くころに戻っていた。
「……エイダ・アトロシャス傘下はそもそも、いまの銀河連邦そのものをあまりよく思っていないのではありませんか」
「さすがだな。伊達に特務をやっているわけではないようだ」
「俺は、あなたと違って約束を違えたりはしません」
「ほぅ……。ずいぶんガキくさいことを言う。特務になったとはいえ精神的には成長していないようだな。アレン」
「他人の痛みが分からず、情けを捨て、利用することしか知らぬ男が大人だというのなら、願い下げです。父上」
「……まあいい。このたびお前を呼び寄せたのは、その刀とお前の腕を見込んでのことだ。エイダに与する反銀河連邦の危険因子たちを斬り捨てろ。どんな手段を使おうとも構わん」
「納得いきません、父上っ!」
「ん?」
ジェフが不思議そうに傍らを見る。細面の弟、セイルが頬に冷汗をにじませながらも躰を折るように頭を下げた。
「ご無礼をお許しくださいっ。ですが私は納得できません。なぜ兄上なのですか? 兄はガード家を捨てた。
家を出た兄上に、なぜ私たちが頼らねばならないのです! 我らガードの者たちはいずれも相当の手練れ! 私たちが力を合わせればこの程度のことなど!」
「お前は黙っていろ、セイル」
「しかし!」
「野試合でガードを名乗り破れれば、ガードの名は土に汚れましょう。万が一を考え、家を出た俺ならば家の名に傷はつきませんね。父上」
静かに睨みつけるアレンを、ジェフは軽く手で払って制した。
「考え過ぎだ、アレン。お前を信頼しているから言っている」
「ほぅ」
目を細めた両者の鬼気が、再びぶつかる。
しかし、今度は間を要さなかった。アレンが一方的に背を向けたのだ。
中座を汲み取ったジェフが、語気を荒げた。
「アレン。どこへ行くつもりだ!」
「話は終わりです。ラグズに帰らせていただく」
「貴様は、銀河連邦の存続が危ういという時になにをっ!」
「ならばなおのこと、俺の上官であるレスター提督にこの件、早急に報告せねばなりません」
「馬鹿者がっ! エイダの傘下には、レスターなどが手も届かぬほど強大な男がいるということがわからんかっ! なぜ、私がお前を呼び寄せたと思っている。
正式な手段では、その男に届くことがないからだ。奴を切り崩せば、エイダ・アトロシャスはあと五年は連邦の中枢に絡めん。そのためにはアレン。お前がその傘下の者どもを斬り捨てるのだ。ガード家としてではなく、特務軍人としてでもなく。いちアレン・ガードとして!」
「つまり。責任はすべてアレンに押し付け、連邦もガード家も関与してませんってわけか。うまく行けば棚から牡丹餅。失敗してもトカゲの尻尾切りってことだ」
いるはずのない男の声が、この場に居る者たちを凍らせた。
「だれだっ!」
室の隅に控えた側近四人が、誰何とともに軍用ナイフを投げ打った。鋼刃が鋭く風を切ってその威力を発揮する寸前、閃光が散る。鋭角に打ち落とされたナイフは、甲高い音を立てて執務室の床に散らばっていった。
アレンが退室せんと手をかけた扉の傍ら、書棚の前でその侵入者は堂々と腕を組んで立っていた。
完全に色素が抜け落ちた、白髪紅眼。
銀河連邦軍で有名な、特務軍人である。
「アトロシャスの倅か」
ジェフの問いに、アルフが口端を広げてうなずく。
「ば、馬鹿なっ! ここまでどうやって……!」
息を呑んだのは、周りの者たちだった。この本堂に辿り着くには、数多の隔壁を始め、DNA・声紋認証・その他あらゆるセキュリティチェックを突破せねば踏み込めない。
さらに執務室は奇襲に備え、ジェフのいるデスクから室全体が見渡せる設計になっている。書棚の前で立っていただけの男を見逃すなど、まずありえない。
そのはずが幽霊のように前触れなく、アルフは現れたのだ。
「一応、これでも特務でね。潜入はあんたたちだけの専売特許じゃないってことだ」
「スカした面してなにしてる。アルフ」
眼球だけを動かし、アレンが相棒に問う。この同僚が本気で気配を消せば、アレンですら相当意識し、さらに接近されなければ気付けない。
視線の合ったアルフが、仏頂面のアレンを見て肩をすくめた。
「なに。お前一人だと問題起きるんじゃねえかって提督が言ってたんでよ、見に来てやったんだ。――初にお目にかかりますね。ジェフ・ガード郷」
「なるほど。連邦の狂人と呼ばれるだけのことはある。大した狂気だ」
気色ばむ周囲を置いて、部外者の侵入を許した城の主はどこか満足そうに言った。
アルフのまとう気が、冷える。
「へえ」
「アルフ」
「心配すんな。面白そうじゃねえか、お前の親父」
「殺しても殺し足りないような男だ」
「アレンさまっ! なんと無礼なことを!」
慌てる側近のたしなめに、アルフが半眼でアレンを見た。
「アレン」
「そういえば、まだ敷地内だったな」
素知らぬ顔で言うアレンには、まったく悪びれる様子がなかった。
アルフが肩をすくめていると、ジェフがデスクに肘をつき、組んだ両手で口許を隠しながら、見据えてきた。その眼差しが、針のように鋭い。
「それで、お前たちが行くのか。『連邦の双璧』よ」
「処理いたしましょう、ガード卿。腰の重たいあなたがたと違い、ラグズは血の気の多いところです。それと、最初に断り忘れていました。この会話はすべて、レスター・ドートルとブレア・アルバートに通してあります」
「なっ! 貴様、諜報の真似事をするとは!」
色めき立つ側近たちに、アルフは静かに言った。
「当然、これから長期休暇をもらうのに理由なく消えるわけにはいきませんので。直属の上官と基地の総責任者にはきっちりと筋を通させていただかねば」
そう言って、ぽん、とアレンの肩を叩く。
アレンがなにか諦めたように、短い溜息を吐いた。
「き、さまっ!」
「待て」
狼藉を働かれたと見た側近たちが、怒りに震えて抜刀しかける。彼らを、ジェフは掌を見せて止めた。
「ジェフさま!」
「なるほど。さすがは狂人。いや、そのくそ度胸だけではないな。頭の回転も速いようだ。我々がなにを感知しているのか、なにが狙いなのかも、レスター・ドートルとブレア・アルバートならば見抜くというのか」
政界の怪物、エイダ・アトロシャスは各界に太いパイプを持っている。
ジェフがこの場で言った「きなくさい相手」を候補に挙げると、星の数ほどになるのだ。いくらアルフがアトロシャスの養子であっても、かの老人が機密情報を洩らすはずがない、とジェフは正確に見抜いていた。その程度の情報管理能力ならば、ジェフとの権力闘争はすでに決着しているのだ。
さらにアルフはお飾りのアトロシャス。本人以上に周りがよく知っている。しかし無能の長男よりは、よほど警戒すべき相手だとジェフはこのときに判断した。
両肘をついたまま、アイスブルーの眼差しがアルフを射抜く。
「だがどのみち、ラグズはお前たちを支援できまい。表立って援助すれば、連邦同士がぶつかり合うことになる。――違うか? それを配慮したからこそ、私は実子であるアレンに、断腸の想いで告げたのだ。アレン・ガード個人で戦えと。せいぜい足掻くがいい。若獅子ども」
ラグズに配属されてから、アレンは明らかに変わった。特務最強と謳われる金獅子ブレアと、連邦の英雄レスターの影響を受けたことは疑うべくもない。
だがジェフにとっては戦闘面において目覚ましい成長であるものの、精神面では厄介な変化だった。
そのときだ。
「父上っ! いくら養子とはいえ、この男はアトロシャス家の! 納得いきませんっ!
なぜですか! なぜ私に行かせてくれないのですか!? 父上、ガード家次期当主は私ではないのですかっ? ならばゲーボ麾下の者たちに守られ、家でくつろいでいることよりも連邦の奸敵を討つことが、ガード家次期当主たる私の役目ではないのですか!」
じっと控えていたセイルが、弾かれたように一息に叫んだのだ。
答えたのは、アレンだった。
「ガード家の次期当主だからだ、セイル」
「なにっ」
怒りを湛えたセイルの灰色の瞳が、アレンを睨みつける。
アレンはまっすぐな眼差しを、弟に返した。
「お前がガード家次期当主として選ばれているから、父はこのような役回りをお前に押しつけない。――いいか、セイル。敵を斬ればそこですべて解決じゃない。
むしろ斬ったあとのほうが遺恨がある。どれだけ包み隠そうとも、やがてそれは表に出る。そのとき、ただの十九の男がやったのか、それともガードの名を継ぐお前がやったのか……。それによって当然、討たれたほうの目標も変わってくるんだ。表向きだがな」
「なにが言いたい。俺が、力不足だと言いたいのかっ!」
怒鳴り立てるセイルに、アルフが目を丸めた。
「おい、いまの説明で力不足と感じたのか? とんだ石頭だな……。世間知らず、と言ったほうがいいのか?」
「なにっ、この俺を侮辱するか!」
「威勢はいいな。坊主」
「アルフ」
止められて、アルフはそれ以上、セイルに構わなかった。扉を開ける。
「行こうぜ。用は済んだろ」
「ああ。無駄な時間だった」
「そう言うな、笑っちまう」
「……なんだと?」
言い合いながら去っていく二人を見送ったあと、ジェフの側近が滑るように傍に控えて、声をひそめた。
「ジェフさま。よろしいのですか」
「ムジナの連れはムジナよ」
「は?」
「アレンに相応しい、相棒だ」
低く喉を鳴らすジェフの顔には、一点の曇りもない。
反乱分子を斬る。ただその目的を確実に実行する男は、息子がどのような立場に置かれても微塵も揺るぎはしない。
アレンが連邦軍を除隊どころか、死刑に処されるところだったクレナモ事変でもそうだ。
(このお方は……! 実の子をまるで道具のように見ているのか)
側近は身震いを周囲に悟らせないよう、心のなかだけでつぶやいた。