第五話 ガード家の手紙
だだっ広いデータルームは、なだらかなスロープ状の床になっている。規則的に並べられた長机のうえには軍用端末が三台ずつ配備され、室の前方から後方にかけて細長い列をなしている。
空調の利いたこの室に、機械音を割ってロシュの声が凛と響いた。
「ガード少尉。本日は休暇を差し上げます」
室の中央でアルフたちが、ぴたりと動きを止める。
一瞬沈黙したあと、彼らはそれぞれの端末から視線を剥がして、鋼の淑女と呼ばれる女軍人をゆっくりとふり返った。
「なにぃいいいッ!? 一体どうしたというのですかッ、ロシュ大尉ッ! な、アルフ?」
ブレアが声を荒立てても、ロシュは相変わらず報告書を作成し続けている。その涼しげな青瞳は、普段とまったく変わりないように見えた。ブレアから話を振られたアルフが、彼女の素知らぬ顔を見ながら、目を何度もまたたかせる。
「どうしたの、ロシュ大尉。頭でも打った?」
「見ろ、アレンを。驚きのあまり真っ白になってるぞ」
ブレアが指す方向にアルフが視線を転じると、端末と向き合った態勢で固まっているアレンがいた。一瞬、石像か地縛霊と見間違えたことをアルフはおくびにも出さない。
「だろうな。あの仕事大好きロシュ大尉が突然休暇を切りだすとは……」
「待て待て。言われてみればたしかに、ハーネット嬢は仕事好きではあるがそれを人に強制はしないだろ。どっちかって言うとアレンが張り合っていた……それだけだ。違うか、アルフ」
「まあね」
隣でブレアに言われ、アルフは端末に目を戻す。事務処理がなかなか終わらない。終わりが見えてくると、隣から当たり前のように新たな書類が盛られてくるのだ。肘で押し返すもブレアは素知らぬ体である。逆襲の仕方をあれこれ考えているうちに、視界の端で、諸悪の根源たるブレアが首をひねっていた。
「しかし、それにしても驚きの展開だ。一体どうしたっていうんだ?」
「伍長たちにでも怒られたのか?」
アルフが軽く視線を上げ、ちょうど給仕にきた通信課のピア伍長と、データルームの隅にいる諜報課のエル准尉に話題を振った。二人ともロシュの友人であり、ルームメイトであり、部下である女軍人だ。
通信課のピアは桜色の髪を腰まで伸ばした、おっとりとした小柄な少女。諜報課のエルは赤いショートヘアの、スレンダーな女性である。
ブレアのデスクにお茶を置いたピアが、困った顔をした。
「私、怒ってませんよ」
ピアが話題を振るようにエルを見る。
エルもまた、困惑に眉を寄せていた。
「私も。というか、休むように進言してもガード少尉が」
「意地張るんだよねー。そうだよねー。ガードくん、昔からそうだもんねー」
ブレアが苦笑混じりに評すると、一同の視線が地蔵のごとく動かなくなったアレンに集まる。
我に返ったアレンが、睨むようにロシュを仰ぎ、立ち上がった。
「この俺が戦力外通告だと言うのですかっ!?」
珍しく、声に動揺が混じっていた。
対照的にロシュは端末に向き合ったままだ。時計のように正確な作業音が室内に響き渡っている。
アレンが立ったまま、胸の前で拳を握りしめた。
「確かにっ、私はあなたに比べて三時間か四時間くらいの睡眠をとってしまいますっ! ですが、あえて言わせてください。人間それくらいの睡眠時間は必要だと! しかも一週間に三時間か四時間なんですよっ!? 記録映像を見て震えましたが、あなたは週に三十分程度しか寝ていないっ!」
「人間じゃねえよ。どっちも」
思わずアルフが口をはさんだが、アレンもロシュも、意に介さなかった。
ブレアが唸りながら椅子を寄せてくる。
「さすがラグズの仕事、四から五割をやってのけてしまう鋼鉄コンビ、半端ねえ! 俺たちはもっとふわっと行こうな?」
「もちろん」
気軽に肩を叩いてきたブレアに、アルフは片眉を上げた。「なにか言いたそうだな」と問われたが、ブレアが寄越してきた書類を見つめるだけに留めておく。
ロシュの前にある半透明の映像端末には、びっしりと報告内容が並んでいた。
今日分の事務をそろそろ終えそうだ。向こうは。
「実はガード少尉にご実家から手紙が届いています」
「結構です。破棄してください」
アレンがぞんざいに言い放ち、気が抜けたように溜息を吐くや、端末への入力作業を再開した。
ロシュが眼球だけ動かして、アレンを見る。
「これによると、家に帰ってこいとのことです」
「…………ほぅ」
「どうぞ」
渡された手紙を、アレンは抜身の剃刀でも受け取るように指先でつまんだ。表裏をあらためるや、ゆっくりと通路まで出ていき、細切れに破り捨ててしまう。
「ガード少尉ぃ!」
「手紙くらいせめて読めば」
通路脇のゴミ箱でバラバラになった手紙に、ピアとエルが眉をひそめた。
アレンは「お構いなく」と言いおいて、作業を続ける。
ロシュが長いため息を洩らした。
「実家の呼び出しなんてろくなものではありません……」
「ロシュの場合は仕方ないよね。ほとんどご両親になにも相談せずに勝手に軍人さんになってるんだから」
「お互い、家には苦労しますね。ガード少尉」
ロシュはピアの言葉に怯えるように顔をそむけたあと、ひとつ咳払いした。
「ちょっと効率が下がりましたね」
「実家の手紙を見て、自分も来るんじゃないかって不安なんだね。ロシュ」
「作業効率が五分のところ、五分三十秒かかるようになってしまった。修正しなければ」
やはりピアの言葉には耳を貸さず、ロシュの細長い指が機械的なリズムを刻み始める。
エルがあきれた顔になった。
「ほどほどにしなさいね、ロシュ」
その三人のやりとりを視界の端に、アルフがデスクから立ち上がり、通路脇のごみ箱から紙くずを拾い上げる。そしてあらかじめ、パズルのピースが嵌まる場所を知っているかのように、紙片を並べ始めた。
ブレアが傍に来て、びしりとアルフを指した。
「さすがアルフ。すばらしい、その復元能力すごいよ」
「おだててもなにも出ないぜ。大尉」
言いながら、ほとんど復元された書面を見た。いまどき手書き文字など希少だが、アレン同様、力強く几帳面な文字で綴られていた。
簡潔な内容である。
そろそろガード家の次期当主を決めようと思う。
貴様もガード家の長男としての自覚があるなら帰ってくるがいい。
これは命令だ。
以上
ジェフ・ガード
「率直だな。お前の親父」
わざわざアレンに聞こえるよう音読したあと話しかけると、アレンは端末から一ミリも視線を動かさずに答えた。
「聞く必要はない。すでに俺はあそこを出た身だ。それは燃やしておけ、アルフ」
「けど、いまどき手紙で送ってきてるんだぜ。結構重要な話じゃねえのか?」
「ガード家にとってはな。だが、俺には関係ない話だ」
「帰らないの?」
「そうなる」
燃やせと言ったときだけ、こちらを見たアレンの目に気が籠った。
アルフが肩をすくめ、ゴミ箱を寄せる。
「帰りなさい」
そのとき、ロシュの凛とした声が制した。動きを止め、アルフが見上げると鋼の淑女が珍しくも端末から完全に手を離している。
「大尉?」
アレンも物珍しさに虚を突かれたのか、眉をひそめた。
「その意志がないことを伝えるためにも、一度帰ったほうがいいでしょう」
「……電文を送っておきます」
「直接会えばいいではありませんか。むしろそんな大切な話を電文で済ませようなど筋が違います。私が軍人になりだしたころ、父と母は猛反対しました。いかに私が筋を通し、正論を語ったとしても『お前は女の子だ』とか『そんな危ないところに行って命を落したらどうするの』とひたすらに言われましてね。説得を諦めて、さっさと出てきたことがあります。ガード少尉。あなたはきちんと父上に仰いましたか。面と向かって」
「……ハーネット大尉。私からもひとつ」
「なんでしょう」
「この手紙には『ガード家の長男としての自覚があるなら』とあります。ならば私が出向く必要はないでしょう」
「『命令だ』ですよ。父上の本音と建前を見分けられないあなたではないでしょう」
ロシュに諭されても、アレンは目を逸らしたまま答えなかった。
「よほど嫌なようですね」
「でなければ、こんな態度は取りません」
「ですがどのみち、行かなければ話は進まないでしょう。むしろもっと酷いことになるかも」
アレンは端末を、その向こうにある空間を見つめているようだった。
長い沈黙。
やがて観念したように、ぽつりと言った。
「了解」
「ガード家にはあなたとそう歳の変わらない弟さんがいらっしゃるそうですね」
「ええ」
「では、その彼ともよろしくお願いします」
不思議そうなアレンに、ロシュが完全に向き直り、まっすぐな視線を返した。
「アレン・ガード少尉。あなたは百年に一人、現れるか現れないかというほどの天才です。そしてガード家の長男でもある。いかにあなたが家は関係ないと言いきったとしても、向こうがそう取ってくれるかは分かりませんよ。あなたが望む、望まないにかかわらずです。そしてそれは、歳の近い弟さんも常に感じていることでしょう。あなたが軽く見ているガード家は、彼らお父上にとっては重要なことだということをお忘れなきよう」
長い沈黙がふたたび起こった。
アレンがようやく、絞り出すような声で「了解しました」とだけ返す。彼の端末が、動きを停止した。
ラグズでも指折りの我の強さを誇るアレンが、言いくるめられた瞬間である。ブレアが口笛を吹く。
「さすがロシュ大尉、理詰めで来られると強いぜ」
「だがアレンがあの調子じゃ、あまり意味がない気もするがな」
「つまり?」
ブレアに問われ、アルフが答えた。
「実家には行くけど、態度は変わらず」
「行くことに意味があるって言ってるんだろ。ロシュ大尉は」
「まあね。でも弟云々ってのは、行くだけじゃ意味ねえだろ」
「それは弟さんの人格が問われるところでしょう。どうなるかは知りませんが。ただ、ガード少尉。あなたが嫌うのは父上かも知れませんが、その父上を尊敬する者もいるということを、あなたはもう少し考えた方がよろしいですよ」
ロシュを一度だけふり返り、アレンはなにも言わずに室を出ていった。
ふたたび水を打ったような静けさが、降りる。
ピアが心配そうな表情で、扉を見やった。
「ガード少尉。寂しそうでしたね……」
「ロシュ。ガード少尉にだって思うことぐらいあるはずよ」
たしなめたのはエルだ。諜報員としてアレンと任務をともにしたことがある彼女は、一定の信頼を彼に置いている。
ロシュが端末に向き直った。映像は報告作成画面でなく、いつの間にかデータを読みこみ画面に切り変わっている。
「いつまでも過去から逃げていては話になりません。そして、知りもしない兄を偏見と憎悪の塊で見るなどあってはならないことです」
「会ったことあんの? ロシュ大尉」
ロシュの思わせぶりな言葉に、アルフが首を傾げた。アレンとは四年ほど相部屋だが、そんな話を聞いたことがない。アレンが家のことに触れたがらないのは昔からだ。そしてアルフも、深く詮索する性質ではない。
ロシュの彫刻のように整った美貌がこちらを向く。長い睫毛を伏せ、白い細面が小さく振られた。
「いいえ。ですが覚えがあります。そういう立場の人間がどんな風に考え、行動するのか」
そのときロシュの端末が読み込みを終え、一人の少年を映し出した。
栗色の髪の、涼やかな少年だった。色が白く、唇を真一文字に引き結んでいる。鋭さよりあどけなさが目立つ年頃で、左下にある別ウインドウには、彼の経歴が示されていた。
ピアが息を呑む。
「ロシュ。これって……」
「セイル・ガード」
名前を言われて、やはり、とアルフも思った。それくらいアレンと似ている。ただ髪の色だけでなく瞳の色までアレンとは違った。アレンは蒼瞳をしているが、少年の瞳は灰色だ。経歴画面にはAge 17とある。
ピアが嬉しそうに手を叩いた。
「ちゃんとガード少尉のこと心配してるんだね、ロシュ」
「当然です。パートナーですから」
「……ロシュって、たまに大胆だよね」
「ピア。そういう少女趣味、ロシュには期待しない方がいい」
うっすら頬を染めたピアの肩を、エルが溜息混じりに叩いた。ピアの表情が曇る。
「それがロシュの一番寂しいところなんだよね……」
「まだ私には乙女力が足りないというのですか……! これだけ読破したというのにっ」
ロシュが驚いたように声を張って、自分のデスク下に積んである少女文庫を指差した。軽く百冊は超えている。すべてピアに言われて読破したものだ。
任侠物が好きなロシュにとって、甘く切ない恋物語で固められたピアの推薦図書は目が滑って仕方がない。それでも期待に満ちた目で感想を聞かれると、読破せずにはいられなかった。無表情なはずの鋼の淑女の目じりには、うっすらと涙さえ浮かんでいた。
三人娘の様子に、ブレアがしみじみとつぶやく。
「ロシュ大尉もいろいろあるようだな」
「ロシュ大尉は、色恋沙汰の話をされると弱いからね」
ブレアがうなずき、デスクに肘をついて、去って行ったアレンの方角に視線を向けた。
「さて。うちの問題児は無事に自分の抱えてる問題をクリアできるのかね?」
「まあ、降りかかる火の粉は払うでしょう」
「その火の粉が、火ではなく太陽の光であるなら、むしろ受けてもらいたいものだがな」
「と言うと?」
「ううむ。お互いにとって良い出会いになればよい、と思ってな」
言葉の意味を取りかねて、アルフは首をひねった。ロシュもそうだが、ブレアが発した言葉には本来の意味以上のものが含まれている気がする。
顎を触るブレアが、少年の画像に目を細めた。
「セイル・ガードか……。ガード家の特徴である金髪蒼眼を受け継がなかった少年。優秀な剣士ではあるが、アレンに比べれば残念ながら、な」
「詳しいね。大尉」
「当然だ。ガード家の次期当主だからな。ある程度こちらも調べてある。ジェフ・ガードのような危険人物になられては困るからな。軍と政治は癒着してはならない。それはだいぶ前から決まっていたことだ。だが、ジェフ・ガードは軍人の家系でありながら政治家になろうとした。あくまで軍人としての立場で、な。やっちゃいけねえタブーだ。はっきり言っちゃ連邦警察の世話になってもおかしくねえ。しかし奴は、銀河連邦軍の武術開発長という地位を手に入れた。いまの連邦議長の片腕とまで言われるようになっちまった。うかつに手は出せねえ。だが、反銀河連邦の意識が根強く育っているのも、奴がいるからだからな。どちらがいいのかは分からねえ。事実、ジェフ・ガードが手腕を発揮しなければ、銀河連邦はいまの組織規模になるまで、あと十年はかかった。それだけでも十分ジェフ・ガードは銀河連邦に貢献している。連邦に反発する者を皆殺しにしちまうからな。そりゃだれもがビビッて喧嘩売らなくなるよ。そして自分とは違う考えを持つ奴をとことん更迭しやがる。連邦に反対する者をことごとく処断する。そのやり方は徹底してるぜ。政に参加できなくさせたり、へたをすりゃ財産を没収するとかな。ありとあらゆる手を使う。それがジェフ・ガードだ」
ブレアの表情が、獣のような鋭さを含んでいた。普段は梃子でも動かない怠け者だが、この男が有事の備えを怠ったことはない。
アルフが無言で、ロシュの映像端末にあるセイル・ガードを見やった。
アレンによく似た少年の顔は、兄よりもずっと屈託がない。