第九話 クリスタルロードでの再会
「で。宿は?」
星都バランのクリスタルロードを並び歩いていると、アルフが突拍子もない問いを口にした。アレンが脚を止める。一瞬中空を見つめて固まったあと、傍らの相棒を見やった。
「……まだ取ってなかったのか、アルフ」
「俺は政府筋か、お前の手配したところがあると思ってたから」
不思議そうに見返してくるアルフを見て、思わずこめかみを押さえた。すでに日没迫る時間帯。黒ガラスのビル群は早くも常夜灯を灯し始めている。
「お前は、俺が指定した場所だと文句をつけるだろう」
「そりゃビジネスホテルなんかに泊まれって言われれば文句も出るぜ。今回、俺たちは提督たちの支援を受けられないしな。最低限の通信機器、電子設備が整った環境でないと情報戦に乗り遅れたら目も当てられねえ。ジェフ・ガードは諜報・広報、どちらの面にも長けていると聞く」
「…………」
アレンはクリスタルロードの複雑な立体構造を見つめながら、変わらぬ歩調、表情のまま目許に影を落とした。
アルフが半眼になって覗きこんでくる。
「まさかお前、力業でどうにかしようと考えてねえよな?」
「………………」
「兼定で敵は斬れても、搦め手には通用しないだろ」
「……アルフ。お前はそう言うが、連邦政府筋の通信データを難なく拾える設備水準ともなると、三人分の宿泊費で俺たちの給料半年分は軽く飛ぶんだぞ。それだけの額を即金で用意できる宛が俺にあるとでも?」
「そんなもん、提督と大尉にツケときゃいい」
「そんなわけに行くかっ!」
「行くよ。見てみろ」
アルフが胸ポケットから小型端末を取り出してきた。そのミニスクリーンに、さきほど会ったニック・バラン都知事が映る。アルフの指先が流れるように端末キーを叩くと、画面が二、三回明滅し知事の支援者リストが同時に表示された。
「ジェフ・ガードの管轄宙域だけあって、ニック・バランの支持母体はすべてガード派の連中だ。どれもこの都市バランだけでなく、惑星リートス全体の政治的実権を握る水晶鉱山主たちで構成されてる。
ニック・バランは知事選に立候補する前は、連邦本部宙域で軍の技術畑にいた。リートスから買い上げた高純度の水晶振動子を使い、サイボーグの神経回路を開発する仕事だ。
だが七年前のキヴォロワ大戦で兄のピートが退役したのと同時に、一時期行方不明になってる。
ジェフ・ガードがいつごろ反乱分子の動向を掴んだのかは特定できないが、ニックが技術屋として惑星リートスに招かれたのは二年前。そこから政治家に転身し、ガード派の支持を得て半年前の都知事選に見事勝利した。
まったく政治基盤を持たないはずのニック・バランが、ピート・バラン絡みで祭り上げられてるのは間違いないぜ」
「……セイルを探す片手間に調べたのか」
「面白そうだろ?」
静かに微笑むアルフを尻目に、アレンの表情はすぐれない。
「ニック・バラン氏の表の経歴は、惑星リートスのユニバーサルカレッジを卒業後、大水晶鉱山主のクラニッツ氏のもとで秘書を務めていたことになっている。七年前の大戦の折には、連邦軍に惜しみなくリートスの水晶を寄贈し、軍の勝利に貢献したと」
「それがジェフ・ガードの用意した筋書ってことか」
「ああ」
「たしか中将だったんだよな? 当時のジェフ・ガードは」
「……そうだ。そのころはディルス・ニールド大将がゲーボ宙域の司令長官で、父は副司令だった。そして当時のゲーボ防衛で要を務めていたのが特務第三小隊だ。今回の謀反発起人と言われるエドガー・ランティス元大佐が隊長で、ピート・バラン元中佐は副隊長だった」
「うちのアホ大尉と違って、どっちも真面目に出世したわけか」
「……ブレア大尉は、珍しい人だ」
「俺としては大尉がとっとと昇進して、俺の直属上官がウェントス中尉に戻ってくれると楽なんだけどな。あのひと恰好はともかく真面目だから、余計な手間もかからねえし」
「入隊早々、そのウェントス中尉に噛みついた自分を呪え」
「…………あのころの俺は、アホだった」
「いまもさほど変わってない」
「……あれ?」
アルフが意外そうに目を丸くしてまたたいている。
アレンがため息を吐き、あらためて「セイルを探すぞ」と言いかけたそのとき、二人の視線が同時に上がった。
「お待ちしていました、ガード少尉」
鈴を鳴らしたような、サラサラとした声がアレンを呼び止めたのである。
左手のビルの影から、細身のシルエットが浮き上がる。足音をほとんど立てず、猫科動物を思わせるしなやかな身のこなしで近づいてくる。常夜灯の青白い光を受けて、プラチナブロンドの長い髪が絹糸のような繊細な輝きを放った。
「ハーネット大尉……っ!」
「お。私服」
グレーのパンツスーツを颯爽と着こなす淑女は、肩で風を切る。夕暮れ近いバランの街並みは、退社時間を迎えた勤め人たちでにわかに人通りが増していた。
その視線の数々を惜しみなく吸い上げるロシュの清廉とした雰囲気が、彼女の右肩でこんもりと膨らんだ物体を際立たせる。
鉄面皮の淑女は、涼しい顔で人を一人、担いでいるのだ。
少し前にアレンたちのもとから立ち去ったセイル・ガードに間違いなかった。
「ハーネット大尉、なぜこんなところに」
「休暇です」
「休暇?」
「それならイスラの方がよっぽど娯楽に富んでますよ、ロシュ大尉」
「どうもああいうリゾート地と言うのは、私の趣味ではありません。それと、彼がエドガー・ランティス大佐について手当たり次第に通行人を訊ねていたので、気絶させておきました。宿も取っています。どうぞ」
「ど、どうも」
まさかこんな形で弟と再会するとは思っていなかったアレンが、戸惑いがちにセイルを受け取る。どこをどうやったのかも定かではない。弟はアレンの腕のなかで、ぐるぐると目を回していた。
「悪いね、ロシュ大尉。上官にやらせちまって」
「かまいません。私はただ休暇で来たのですから」
「それなら俺たちが階級で呼ぶのはまずいな。私服の意味がねえ」
「…………なん、だ、と」
ぐっと身を固くするアレンのまえで、ロシュが優雅に一礼した。
「では、よろしくお願いします。アレンさん、アルフさん」
「どうも。それでロシュさん、宿は?」
「こちらです」
ラグズに居れば、二人並ぶだけで黄色い歓声とあからさまな舌打ちが飛び交うロシュとアルフだが、それはこの地、バランでも変わらない。
惚けたように遠慮がちな視線を向けてくる通行人たちなど素知らぬ顔で、二人は歩き出す気配のないアレンをふり返っていた。
「アレンさん。どうしたんです、行きますよ」
「は、いっ……」
『上官とプライベートで接する』のをなによりも苦手とする金髪軍人の戸惑った姿に、アルフが満足そうに喉を鳴らした。
ロシュ・ハーネットが手配した先は、都庁から南西に下った星都バランを代表する一流ホテルだ。
各界の著名人を客層のメインに据えたここは、宿泊客すべての要望に応えんと、あらゆる設備を整えている。たとえば娯楽施設や衣類のクリーニングに関するこだわりは当然ながら、ほかの宙域惑星からやってきた政府高官が、緊急回線を使用する場面も想定され、傍聴盗聴対策を施した秘密回線をも抱え持っているのだ。
アレンがさきほど「給料二年分の宿泊費」が必要だと言っていた、アルフのための設備水準である。
「兄上、この方は?」
セイルが目を覚ましたのは、ちょうどチェックインが済んだあたりだった。ガード家の次期当主だけあり、突然一流ホテルに連れ込まれていても内装のきらびやかさに気後れすることはない。
代わりに、目を覚ますと見知らぬ女性がいたことに、戸惑っていた。
弟が遠慮がちに視線を泳いでいるのを不思議そうに見ながら、アレンが率直に答えた。
「俺の上官で、ロシュ・ハーネット大尉だ」
「お初にお目にかかります。ロシュ・ハーネットです。お名前を伺っても?」
「セ、セイル・ガードです」
「セイルさん、ですね。以後お見知りおきを」
(神秘的なほどに綺麗な人だ……)
セイルがしみじみと細いため息を洩らす。
二十四階の六〇七号室。クリスタルキーに彫りこまれた部屋番号と同じ扉のまえにやってきたとき、当たり前のようにひとつの扉に入っていこうとする兄たちを、セイルは思わず制した。
「あ、あのっ、女性の方も一緒に部屋に入られるのですか……?」
「安心してください、寝る場所は違いますから」
ロシュが静かに答える。
戦闘艦内では、共同生活なぞ当たり前。
だからこその兄と同僚の落ち着きと頭では理解しても、軍人らしからぬロシュのまばゆい空気に、セイルは完全にあてられている。
「どうぞ紅茶です。お口に合うかは分かりませんが」
入ってすぐ、左手の広い部屋が応接室だった。
まるで映画のワンシーンのように、高級調度類のなかでロシュはしとやかに佇み、慣れた手つきで水晶のテーブルにティーカップを並べていく。
「どうも」
自然に受け取るアルフとは対照的に、アレンが膝頭を拳で叩き、立ち上がった。
「た――ハーネットさん」
「なんでしょう、ガードさん」
「雑務は私がやりますので、どうぞ座っていてください」
「かまいません。この部屋は私が取りましたので、あなたがたは客人と言うことです」
「ぐっ……!」
「とりあえず茶でも飲めよ、アレン」
「く、……小癪なっ……!」
――部下として上官に雑務を任せるなどあってはならない。
幼少から厳しく育てられてきたアレンには、そんなポリシーが強くあるのだ。それを知るアルフが、からかうようにティーカップを掲げたあと、ロシュを一瞥した。
「仕事じゃないんでしょ、ロシュさん」
「ええ。お二人に報告することがあります」
「私用で?」
「無論です、少尉アトロシャスさん。こちらのデータを」
ロシュが、こほん、と咳払いする。
雑談は終わり、という合図だ。三人の視線がぴたりと合うと、空気が引き締まる。
ロシュが応接テーブルの据え置き端末にデータキューブを挿し入れた。ローディング画面がすぐにいくつもの写真画像へと展開されていく。
「ピート・バラン。かつてディルス・ニールド大将をエドガー・ランティスとともに支えたと言われる刀使い」
「ええ」
「ガード少尉。あなたが言っていた通りの展開になってきたようですよ。――こちらが、エルからの情報です」
「ありがとうございます」
当然のようにデータキューブを差し出してくるロシュにアルフが礼を言う。
当のキューブを受け取ったアレンの方は、キューブの置かれた手のひらを見つめて表情を強張らせていた。
「このデータキューブに詳細がありますが、ディルス・ニールド大将は先のキヴォロワ帝国との大戦の折、ご自分のご家族が病に伏せったことを理由に前線から退きました。そこを帝国側に付け込まれ、敗北されるという結果を招いてしまっています。
当時、ジェフ・ガード中将は敗北の責任をすべてディルス・ニールド大将に押し付けました。さらにディルス・ニールド大将はキヴォロワ軍の捕虜を丁重に扱い、キヴォロワ領域に還したということで帝国民からも一目を置かれる存在だったそうです。そこをジェフ・ガード中将に付け込まれました。
つまり、キヴォロワと内通していると。
銀河連邦軍の大将が、キヴォロワ帝国と内通している、などと噂であっても公になれば当然、銀河連邦軍そのものの信用問題に繋がっていく。そのために上層部は、ディルス大将を切り捨てることにしたのです。ニールド家の財産はすべて奪われ、編成していた部隊の隊員たちは即解雇されました。彼らもまた、帝国と親しくしていたという理由で、どこの部隊からも受け入れられることはなかった、というのです」
「そっから先は、俺に説明させてくれ。ロシュ大尉」
張りのあるバリトンが奥から聞こえてくるのと同時に、応接室の扉が開いた。
「入りますっ!」




