第八話 兄弟の確執
ジェフ・ガードが管轄するゲーボ宙域西側に、純度の高い水晶産地として有名な惑星リートスがある。宇宙開拓史においては、地球人類が初めてキヴォロワ帝国民と宇宙で接触した場所であり、ハイスクールの歴史教科書に必ず掲載される惑星だ。
「ここが惑星リートスか」
星系内では守護惑星として親しまれる連邦軍基地の拠点惑星。街から二キロほど離れた丘の上に小型艇を降ろし、アレンたちはようやく十二時間の宇宙航行を終えた。
艇のハッチを開けて広がるのは、乳白色の空だった。筋状に流れる雲の縞が、土星本体や木星表面とよく似ている。荒涼たるひび割れた大地のさきには、高層ビル群が寄り添い円形に並んでいた。
この惑星のもっとも特徴的な景観は、大地から湧き出る無数の光の玉にある。断崖が折り重なった岩の割目から、ピンポン玉ほどの光球が湧きだしてきては、ふわふわと乳白色の空に向かって吸いこまれていくのだ。それはあたかも、海中から水面に向かって伸び上がっていく泡を思わせた。
蛍火のごとく数千、数万という光の玉が地上から空に向かうさまは見る人々の感動を呼び起こすのだ。
「な、なんだ……この幻想的な景色は。この光はいったい」
「空気中の水素と特殊な成分が混ざり合い、塵のように軽い氷となって陽の光を反射しているんだ」
アレンの説明を聞いて、セイルは目を丸くすると何度もまたたいた。指先をかすめた光の玉を見下ろす。
「氷? そんな馬鹿なっ、寒さもなにも感じない。いたって快適な気候じゃないか!」
「それがこの惑星の特質。水を固体のまま常温化させられる。蛇口をひねっても、なにも処理してなけりゃ水は固まっちまうぜ」
反対側から上がったアルフの言葉に、セイルは思わず乗ってきた小型艇をふり返った。
「じゃあこの惑星に来るまえに俺たちが打った、あのワクチンは」
「あれを定期的に接種しないと血液を始めとした人間の体液はすぐに固まる。ここの惑星住人ならともかくな」
「水も飲めないのか、この惑星は」
「怖気づいたかい?」
反応を面白がって訊いてくるアルフを、セイルは無言で睨み返した。
「生真面目な野郎」
「アルフ」
「っふふ、打てば響くからつい」
「その意地の悪さをなんとかしろ、お前は」
「持ち味なもんで」
「……ほう」
悪びれないアルフのまえに、アレンが拳を鳴らす。その蒼眼が冷えている。
アルフが諦め混じりにため息を吐いた。
「お前はその手の速さをどうにかしろよ」
「持ち味なんだ」
「……へえ」
睨み合った二人が黙ったのも数秒だけで、それからも彼らのくだらない会話は続き、街に入る手前でついにセイルは耐えかねて叫んだ。
「単独任務の緊張感を、少しは持ったらどうなんだ! あんたらは!」
「しかしセイル。ずっと緊張していては疲労する」
「ふっ、く、くっくっくっく……」
アレンは真顔で弟に言い返すや、傍らで笑いをかみ殺している相棒を煩わしそうに見やった。
「アルフ、真面目に聞いてやれ」
「聞いて、る、けど……ほん、とにむか、し、おま、そっ、っくっく」
「俺に似ている、と言いたいんだろうが、それだけじゃないだろう。ちゃんと仕事しろ、なんてお前がいつもブレア大尉に言っていることだ。大方、久しぶりに立場が逆転してよほど嬉しいと見える」
「……あのアホ大尉がいないと、なんでこう気楽なのかね」
「少し目を離すとすぐ遊んでいるがな、お前たちは」
「お前とロシュ大尉はいつ見ても仕事してるよな」
「それが普通だ。だいたい、お前がそうやって気を抜いているから緊張感が足りないと言われてるんだぞ。現に」
「兄上もですっっ!」
少し黙っていれば舌の根も乾かぬうちに雑談を始める二人にセイルが苛立って叫ぶと、アレンが意外そうに目を見開いたあとセイルを見返してきた。
「あ、兄上っ! あれは……」
空気が弛緩していたのもこのときまでだった。
街の入口が見えてきたところで、セイルがふと脚を止めたのだ。
十五メートルほど前方の、落ち窪んだ岩のうえで喧騒が起きている。首をめぐらせてよく見ると、ひとりの赤服の男を隊列を組んだ青服の男たちが追いかけているらしい。
「待てっ」
青服の隊長らしき男が鋭く呼び止める。ほかの青服たちはその間に素早く展開し、赤服の男を取り囲んだ。
「お前たちは」
「我々とともに来てもらおうっ! あなたはすでに、重要参考人なのだ!」
男たちが銃口を突きつける。八方を抑えられた赤服の男は、慌てる素振りも見せずに首を横に振った。
「すまないが、私はこの先に用がある……」
「あなたに銃を向けたくはありませんっ! あの方のお気持ちをお分かりくださいっ」
「すまない。今日は父の命日なんだ。墓参りくらいさせてくれ。この通りだ」
静かに言う赤服の男を、青服の男たちはどこか懇願するように見つめていた。
「銀河連邦? 彼も銀河連邦の制服を着ている。なぜ連邦同士で……」
偶然鉢合わせたセイルが、思わず眉をひそめた。
赤い服の男は、言わずもがな特務軍人で間違いない。青い服は連邦陸軍のものだ。おそらく星都バランの兵士たちだろう。
「ターゲットの顔くらい覚えとけ」
横合いからアルフに釘を刺され、セイルはぎょっとした。
つい先ほどまでくだらない話をしていた二人の気配が、一気に張りつめている。
「え? ターゲットって……ま、まさか、銀河連邦軍人だというのかっ!?」
驚きながらふたたび眼下を見る。
連邦陸軍に囲まれている特務軍人。あれが今回のターゲットだ。背は高く、恰幅もいい。短い銀髪が羅刹のごとく逆立っており、人間の虹彩ではありえないガラス玉の瞳だった。首筋から後頭部にかけて特殊装甲の黒い人工皮膚が覗いており、彼が一昔前の連邦軍で主流だったサイボーグであることを示していた。
ピート・バラン。
父が反乱軍の発起人と睨んでいる、危険人物のひとりだ。
セイルの顔が険しく強張るのを見て、アルフが嘆息した。
「お前も話を聞いただろ。連邦同士で喧嘩になるかもしれねえから、俺たちは独自で動けって言われてんだ。どうやらお前のなかにはガード家しかないらしいな。……仕方ねえか。まずは剣の腕だもんな。武術開発局は」
セイルは柳眉を震わせて押し黙ったあと、傍らで事態を見守る兄を睨みつけた。
「兄上、なにをしているのです。あの男を斬れという命令ではないのですか」
「彼は戦う意志を見せていない。特になにかしようとしているわけでもないようだ……。それで斬れ、というのは少々おかしくないか」
セイルがぐっと息を呑む。
アレンがひとりごちた。
「……銃を構えている者も銀河連邦の軍人ならば、銃を向けられている者も銀河連邦……」
「シュールだな」
アルフの言葉に、アレンもうなずいていた。
そのとき、変化が起きた。
セイルの視界の端にさっと影が過った瞬間、銃を構えていた陸軍兵たちの一部が、呻き声を上げて斃れたのである。
絶命した陸軍兵たちの制服の胸には、袈裟状に血の線が刻まれていた。
なにが起きたか、セイルが把握するよりさきに取り囲まれていた特務軍人、ピート・バランのまえに新たな男が現れ、ピートに一礼した。
「あなたを同朋としてお迎えに参りました」
「エドガーさまっ!」
この思いがけぬ男の登場にピートだけでなく、セイルも動揺した。
「エドガー・ランティス。最重要人物っ! 今回の反乱計画を担う首魁じゃないか! なぜアイツがっ」
黒い戦闘服に全身を包んだ、エドガー・ランティス。この男もまた、肉体の半分をサイボーグ化した元特務軍人である。ガード家が台頭するまでは、銀河連邦軍では修練度に顕著な差が出る気功闘法よりも、機械化による肉体強化が主だったのだ。
「先生っ! ここは我々が」
エドガーの登場から遅れて、岩影に潜んでいた黒服の男たちが足音もなく現れてきた。みな刀を佩いている。
サイボーグの強化筋肉をいかんなく発揮するのに、携帯に不向きな巨大銃火器は倦厭される。それよりも通常の刃物よりも頑強で、切れ味の鋭い高周波ブレードが好まれるのだ。
「刀使いっ!?」
そう言った事情を知らないセイルが驚きで目を白黒させている間に、黒服の男たちは灰色の肉厚な剣を抜き放ち、彼らを取り囲む連邦陸軍兵たちに冷酷に告げた。
「悪いが、先生の顔を見た以上は死んでもらう。お前たち、全員にな」
「なにっ!」
「いかに刀でも、遠距離なら!」
青褪めた顔で、ある陸軍兵が発砲した。
直後、顔色を変えたのは撃った本人ではない。遠巻きに見ていた陸軍兵のほうだった。
「なっ、レールガンを……避けたっ!?」
「刀使いがなぜ、銃に対抗しないと思う」
事態を呑み込めず固まっている兵士を、不吉な硝子眼が捉えた。弾丸のごとく飛びこんできた黒服と陸軍兵はすれ違うや、銃を構えたままくぐもった声を上げて斃れていく。
その腹部から、なみなみと鮮血が流れた。
動きが違い過ぎる。
陸軍兵たちが、恐怖で顔面を引きつらせた。
「い、一旦態勢を立て直すんだっ!」
「ぜぁあああっ!」
「死ねっ!」
引け腰になった途端、黒服たちの制圧力が増した。
見る間に全滅に追いやられかけた陸軍兵が、死に物狂いで銃口をある男に向ける。
「せめてっ、……せめて首謀者、を!」
発砲と同時、最後の陸軍兵の喉が貫かれていた。
跳ね上がって暴発した光弾が、奇しくもエドガー・ランティスの眉間に吸い込まれていったのも同時だ。ざわめく黒服たちのまえで、その弾がしかし反逆首謀者の脳を貫くまえに、甲高い音とともに脇へと逸れていく。
「すまない」
「……参りましょう」
眉ひとつ動かさず礼を言うエドガーに、特務の制服を着たピート・バランは軽く首を振った。エドガーの顔のまえには、いつのまにか刀が横たえてある。それを握る、逆立つ銀髪のサイボーグの男、ピート・バランは、斬り捨てられた陸軍兵たちをじっと見下ろしたあと、瞳を閉じてきびすを返しその場から去っていった。
「兄上っ!」
追わねば、と踏み込んだセイルとは対照的に、アレンは見のまま、ただ低く唸っていた。
「……すさまじい使い手だ。彼は銃弾を見ることはおろか、視線さえ合わさずにどこを撃ったか見切った」
「ブレア大尉並みの運動神経と見切りだな。こいつは骨が折れそうだぜ、アレン」
アルフの忠告に、アレンは深刻な面持ちで黒服たちとピート・バランが去っていった方角を見据える。
「まだ、戦うと決まったわけではない」
「なにを言っているっ。あの男は連邦軍人を斬ったぞ!」
「斬ったやつらも連邦軍人だ。よく見ろよ」
アルフがあきれ混じりに言ったのが決定打だった。
セイルがいまだ動かぬ特務軍人二人をまえに苛立って、声を荒げたのだ。
「馬鹿なっ! 連邦軍人としての地位を剥奪された者たちが、いまだ連邦軍の制服を着るなど言語道断だ! 彼らが仕えていたディルス・ニールド大将は、銀河連邦を根底から覆そうとしていた! だから父上は、一族郎党すべて処断したんだ。父上がやることに間違いなどあろうはずがないっ! 兄上!」
「そうだな。昔の俺も、そう思っていた」
「なに……」
気勢を削がれて、思わずセイルが眉間を寄せる。
アレンは相変わらず、動く気配を見せない。その代わりに彼の表情にあるのは、これまで弟に見せたことのない、複雑な感情だった。
それがなんであるのか、対峙しているセイルには理解できない。
アレンはゆっくりと目を閉じたあと、感情を払い落としてセイルをじっと見据えた。
「お前は哀しいくらい、あのころの俺に似ている……。違いは、お前は殺めたことがないんだ。殺してはいけない人を。だから疑問を持たない」
「なにを戯言をっ! 斬らねば終わらん! 平和な世に、争いの火種を持ち込もうとするならそれは悪だ!」
「だが、その悪に原因はないのか。悪になるための原因はないのか。お前は連邦軍人を、甘く見過ぎだ」
「兄上は連邦軍人に理想を抱き過ぎだ!」
「どちらが正しいかは、これから分かる」
「兄上っ……!」
さらに詰問するセイルのまえに、アルフが立ちはだかっていた。
「おっと、やるのはアレンだ。お前は黙って見てな」
「くっ、アトロシャスが……! そもそもお前のところの問題ではないのかっ!」
「俺はアトロシャスから名前をもらっただけだぜ。あくまでもね」
口角を上げるアルフの視線に、セイルはなぜか不吉なものを感じた。
………………
…………
星都バランは水晶の街と呼ばれるにふさわしく、焦茶色の岩盤の隙間に、色とりどりの水晶が豊富に生えている。岩盤より五十センチほど高い場所に、透明な特殊ガラスが敷かれ、これが街の地面として機能しているのである。
遠目にもわかる超高層ビル群は乳白色の空に向かってそびえている。その壁はすべて暗色に塗られ、太陽の次ぐ惑星光源となる無数の光の玉が無用に反射するのを抑える効果があった。
星都バランはその地質上、街に入っても思いがけぬところに断崖がある。その激しい高低差を緩和する特殊ガラスの道は時に立体交差や螺旋坂を成し、落ち窪んだ地面から高い地面を見上げると、まるで空に光の道ができたようにも見えるのだった。
「街のなかは普通に水が流れている。なぜ……」
クリスタルロードの下に川や滝があるのを見て、セイルが素朴な疑問をつぶやいた。
アルフが乳白色の空を指差す。正確には空で光のカーテンとなって揺れている、半透明の巨大なオーロラである。
「街の外に幕があるだろ。あれがバリケードになってる。ここは地球と変わらない環境だ」
街に入るまでは、ワクチン接種を怠ると命に関わる、と言っていたアルフが、妙にニヤけていた理由に思い至って、セイルは眉を震わせてそっぽを向いた。
――ワクチン残量など、街には入れば心配する必要がなかったのだ。それをこの白髪の特務軍人は知っていた。
大通りを行くと、グレーの正装に身を包んだ紳士たちが、アレンたちを出迎えた。彼ら後ろに、黒塗りの高級セダンが止まっている。
陣頭に立つ、四角い顔の男が柔らかな声で話しかけてきた。胸元には、金の議員バッチを付けている。
「アレン・ガード少尉ですね」
「ええ」
短く答えるアレンに、男は深々と頭を下げた。
「お忍びで来られると、ジェフ・ガードさまよりご連絡いただきました。どうか私どもにお力をお貸しください」
「あなたは?」
「ここでは話もなんです。どうぞ中へ」
星都バランの紋章入りの車に乗せられ、案内された先は、街の高層ビルのなかでも一際高いトリプルタワー、都庁だ。
最上階の窓からバランの街を見下ろすと、まるで宝石箱をひっくり返したようなきらめきに目を奪われる。いまは都庁の中腹を占める時計台が、定刻のために鐘の音が響かせていた。
柔らかな物腰でアレンたちを知事室に招き入れた男は、ニックと名乗った。グレーの正装と、胸もとの金バッチが示すとおり、この星都バランで知事を務める男である。
「このようなところまでお越しいただき、ありがとうございます」
緊張して浅く腰掛けるセイルとは対照的に、アレンたちは背筋を伸ばして深くソファに腰掛け、腿のうえに拳を置いている。
対面に掛けたニック知事が身を乗り出しながらも、じっとアレンを見据えた。
「実はアレンさまに、ぜひとも斬っていただきたい者がいるのです。本来ならばその男は私に代わり、この星都バランを統治するはずでした……。私の兄でございます」
(なにっ)
セイルの眉がぴくりと跳ねる。若き特務軍人二人は、ここでも驚きを見せない。
(同行しているはずなのに、なぜこんなにも出遅れてるんだ)
心中で舌打ちする。あの場で父から聞いた以上の情報を、彼らはすでにつかんでいるのだ。
もちろんその内容を直接アレンたちに問うたならば答えてくれるだろう、と予想できた。しかしセイルにはまだ、断片的な情報を選り集めて、正確に事実を導き出す経験が足りていない。
ニック知事が話を続けた。
「兄は家を捨て、勝手に反逆者ディルス・ニールドに付き従い、ジェフ・ガード大将によって裁きにかけられた者です」
反射的に顔を上げ、ニックを見る。
政治家を務めるだけあって、誠実そうな四十絡みの男である。そのニックの顔に悲愴な影を見つけて、セイルも思わず表情を曇らせた。
「そのような兄を持って、さぞや気苦労なされたことでしょう。ご安心ください。我々が必ずや、連邦に刃向った反逆者を叩き切って参りますっ!」
「心強いお言葉、ありがたい」
かすかにニックが頬を上げる。
アルフが視線を動かさないまま、声をひそめた。
「どう思う、アレン?」
「……父の犠牲者が、ここにも」
「おい。お前が感傷的になってどうする」
「分かっている。だが――」
腿に置いた拳を見つめるアレンのまえで、知事はほがらかに微笑んだ。
「今夜はごゆっくりお過ごしください。英気を養っていただかなければ」
そう言ってテーブルにあったベルを取り、鳴らす。知事室の開閉扉が開いた。ベージュ色のスーツを着た女性が楚々と入ってくる。
「妻のサテラです。ご用の際は、なんなりとお申し付けを」
「よろしくお願いいたします」
サテラという女性が一礼する。
アレンは手のひらを知事に向けて、首を横に振った。
「せっかくですが、宿を取っておりますので」
「兄上。このような申し出を受けずして、なにをっ。バラン殿のお心遣いを無にするおつもりですか!」
「――セイル」
いつになく強い声で押しとめられて、セイルはぐっと息を呑んだ。
その間にアレンは立ちあがり、バラン夫妻に恭しく頭を下げた。
「ニック・バラン知事。どうか私の無礼をお許しください」
「私はなにか……失礼をいたしましたかっ」
「いえ。純粋に、宿代を先払いしてしまいましたので」
「私が言って、宿など!」
「失礼」
なかば強引に話を切り上げたアレンは、音もなく開く開閉扉をくぐって室を出ていった。
「兄上っ!」
「では」
そのあとを、セイルとアルフが続く。
アレンがようやく歩みを止めたのは、ニックの牙城である都庁を出てからだ。
セイルは駆け、大通りの真ん中で不可解な兄のまえに回り込むと、声を荒げた。
「なぜですか、兄上っ! あの知事の方は我々に協力してくれようとしていたっ! それをなぜ断る!」
「お前は、実の兄を斬ってくれと言った、彼の悲しみが見えないか」
「なに……?」
「恐らくは、断腸の想いだったはずだ。彼は拳を握りしめていた。いかに笑顔を取り繕おうとも、その目の端に現れていたのは涙のあとだ……!」
「国家反逆罪だぞ。その兄を斬れというのは、当たり前のことだ!」
「セイル。お前はシャンディアさまを斬れるか」
「なぜ母上がっ!」
「そういうことだ。シャンディアさまが、国家反逆罪に仕立て上げられたんだ。そのうえで――お前では到底殺せないからだれかに頼んだ、ということだ。兄を殺しに来た男に対して、彼は精一杯の笑顔で迎えていた……! その心意気が分かるか。彼の兄は、おそらく家の者に問題が降りかからぬために、自ら家と縁を切ったんだ」
「フッ、家を出た者同士、共感するところがあるってわけか……。だが彼の兄が、反逆者であることに変わりはない。斬らなければ争いの火種は増え」
「お前は、親父を知らなさ過ぎる」
「なに……?」
「ことはそう単純じゃない。おそらく彼の兄を斬らねば、惑星リートスは数日のうちに連邦によって反逆の烙印を捺されるだろう。……分かるか。反逆者の兄を匿ったとして反銀河連邦扱いされるんだ。それが親父のやり方だ。そうやってアイツは銀河連邦の支配を広げていった……! 自分の地位を固めると同時にな」
「兄上は、父上をよほど憎んでいらっしゃるようだな」
「セイル!」
思わず身を乗り出した兄を、セイルは鼻で嗤った。
「そんな戯言に俺が惑わされるものか。兄上がやらんのなら、俺がやる!」
走り去っていく弟の背を見つめて、アレンはかすかにうつむき、拳を固く握りしめた。
「俺は、口下手だな……。アルフ」
「と言うより、焦りすぎだ。いまの段階で、あいつの常識をひっくり返すほどの材料はそろってない。たとえお前の言っていることが事実でも、人間ってのは自分が納得できないものを拒絶する」
「……それでも。これ以上、親父の思い通りにはさせん。親父の犠牲者を増やしてなるものか……! 連邦の地位のためだけにこれ以上悲しみを広げるなど、絶対にあってはならない! それが俺の、銀河連邦軍人としての意地だ!」
アレンが吐き捨てるように言い、しばらくの間、自分自身の拳を見つめていた。
――三年前、ただ言われるままに殺めるしかできなかった自分の手を。
ゆっくりと顔を上げ、じっとアルフを見る。
「付き合ってくれるか、アルフ」
「いまさらだれに言ってんだ、アレン」
「……ありがとう」
ようやく肩の力が抜けたのか、アレンは小さく微笑った。




