第二十話 御前試合
パルケスとの御前試合は俺の心に大きな負担をかけていたらしい。
らしい……と言うのも、どうやってこの部屋に来たかもあまり覚えていないからだ。
昨夜、パルケスとの勝負をイメージした。
何度も何度もイメージを繰り返し、夜明け前にようやくパルケスを倒すところまでイメージすることが出来た。
パルケスの魔法を対抗魔法で防ぎ、反撃に移る。
レベルで上回る事で得た優位で、パルケスを追いつめ止めを……。
どうしてもそこでイメージは止まってしまい、その先を想像できなかった。
――その先はパルケスの命を奪うこと。
元の世界でもこの世界でも俺は他人の命を奪ったことは無い。
その俺が人を殺せるのか……。
キリングス将軍にでも相談したら、甘さを叱責されるだろう。
『あくまでパルケスは倒すべき敵だ、一瞬の油断がお前の命を奪うぞ』
きっと腑抜けた俺はキリングス将軍にぶん殴られてしまうはずだ。
パルケスを倒すために特訓を行った。
国を挙げて応援してもらった。
皆の心配する気持ちは、痛いほど伝わってきた。
俺は負けるわけにはいかない。
それがわかっていて……
――ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク
なんで俺の心臓はこんなに、うるさいんだ。
「……コウ?ねぇコウったら!」
レイリアに揺さぶられ、俺は意識を取り戻す。
「ここは?」
「御前試合の控室よ」
がらんどうの部屋には、長椅子が2つあった。
その内の一つに俺は腰掛けていた。
どうやらレイリアが朦朧としていた俺をここまで連れてきてくれたらしい。
そこまで気づかないなんて、重傷だな。
部屋にいるのは俺とレイリアだけで、時間になると係員が呼び出しにくるそうだ。
「シアとヴォルカンは?」
「……獣人は控室には入れないって係員に止められたわ。時間になったら私が迎えに行って一緒に観客席に行くつもりよ」
二人とも心配してくれていたそうで、二人の心配そうな顔が目に浮かぶ。
悪いことをしちまったな。
その時ドアがノックされた。
ひょっとしてもう試合の時間なのか?
しかし入ってきたのは見知った顔――ミハエルだった。
「ごめん、遅くなって。パルケスの情報を集めてきたよ」
ミハエルはもう一つの長椅子に腰をかけると、集めてきた情報を話し始めた。
パルケス・フォン・バッケスホーフ、27歳。
先代宮廷魔術師筆頭の孫にして、俺達の9代前の魔法学園首席卒業者。
5年前の対ダカルバージ帝国との戦争で、数十人の敵兵を倒し頭角を現したミストラル帝国宮廷魔術隊の誇る若き英雄。
聞けば聞くほど陽のあたる場所を歩んでいた人物で、華やかな経歴だ。
ただ、私生活では女性関係のトラブルが多いらしく、権力で揉み消しているらしい。
「それと一つ悪い情報が……。バッケスホーフ家には『業火の指輪』って言う家宝があるんだ。『業火の指輪』は火魔法を増幅させる魔道具で、それを今回の試合で使うみたいなんだ」
聞けば先代の宮廷魔術師筆頭は『業火の指輪』の力で、筆頭の座に上り詰めたんだそうだ。
それだけでも、とんでもない効果を秘めた魔道具だとわかる。
方や伝説級の魔道具を装備した実戦経験豊富な若き英雄、方や魔法学校を卒業してからそれほど時間の経っていない俺。
「それでもね、僕はコウの勝利を疑わないよ」
「ミハエル?」
「コウの成長度合いの異常さは僕が一番良く知ってるからね。最初はずぶの素人だったくせに、あっという間に僕を抜き去ったじゃないか。おかげで魔術師への未練が無くなって商人に専念出来ているよ」
友の信頼の眼差しが暖かい。
だけどな、ミハエル。
俺の膝は震えていて、心臓もバクバクとうるさいんだ。
「じゃぁ先に観客席に行くから」
ミハエルはそう言うと、レイリアに何か話しかけて控室を出て行った。
ミハエルがいなくなると控室には沈黙が訪れた。
いや、周囲の音が無くなった分、俺の心臓の音が更に聞こえるようになった気がする。
――ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク
ええい!うるさいんだよ!静まれ!
身体に魔力を通してみるが、全身まで行き渡らない。
目を瞑り、精神を集中させるが、焦りが許してくれないのだ。
――このままでは不味い。
試合をする以前の問題だ。
その時、唇に柔らかい感触を感じた。
「え……」
目を開けると、目の前には目を瞑ったレイリアがいた。
レイリアの唇が、俺の唇に当てられている。
暖かく柔らかい感触に俺は動けないでいた。
永遠とも思える時が流れる。
「レイリア?」
やがてレイリアは俺から離れる。
ニコッと微笑んで、レイリアは言った。
「コウ、私はあなたが好きよ」
微笑んでいるはずのレイリアの瞳から、涙が流れ落ちる。
「なんで…」
「好きな人にキスをするのは自然な行為でしょ」
なら、どうして泣いているんだよ。
好きな人とのキスなら嬉しいはずじゃないか。
「初めてのキスをコウに捧げて吹っ切れたわ。お父さんのところに行ってくる」
「ちょっと待て!どういう事だ」
レイリアは今回の騒動に、俺を巻き込んでしまった事を詫びてきた。
レイリアは学生の頃から俺を好いていてくれたらしく、今回の縁談にどうしても頷けなかったそうで、それが原因でレイモンド宮廷魔術師筆頭は怒り狂っているのだそうだ。
「試合を無しにしてもらうの。私がパルケスに嫁げば、きっとお父さんも許してくれるわ」
部屋を出ていこうとするレイリアの手を掴む。
いつの間にか膝の震えは止まっており、苦しかった鼓動も心地よいものに変わっていた。
「行くな、レイリア」
「コウ…だけど、あなた…」
レイリアは俺の変調に気づいていて、このままだと負けると思っているのだろう。
「もう大丈夫だ。心配かけたな」
どうやら俺の勇気は、誰かを守る時に発揮されるらしい。
「俺が試合に勝ったら、さっきのもう一回してくれるか?」
返事を遮るかのように、ドンドンとドアが乱暴に叩かれた。
どうやら今度こそ、係員が呼びに来たようだ。
「いいわよ、何回でもしてあげる。だから、ちゃんと帰ってきてね」
「レイリアのおかげで目が覚めたよ。じゃぁ行ってくる」
俺は右手を掲げ、部屋を出た。
部屋を出ると、係員と一緒にバルムンクがいた。
「ほおおお!逃げなかったか。感心、感心」
嫌らしい笑みを浮かべるバルムンクを見るのは苦痛でしかない。
「我が弟子、パルケスにわざわざ殺されに来るとは物好きなものよ」
貴様がデュッセル王国に圧力をかけているんだろうが、と口にしてしまいそうになるがぐっと飲み込む。
「賭け屋のオッズを知っておるか。貴様の3分以内の死亡に1.1倍だぞ。貴様の勝利に賭けたのは2人だけ!これも宮廷魔術隊の実力者パルケスと小国の宮廷魔術師の格の違いの現れよ!」
評価の違いを叩きつけて、俺の動揺した姿を見たいのだろうが、生憎オッズは既に知っている。
それより気になったのは、俺の勝ちに2人賭けたと言うことだ。
シアとヴォルカンの分もレイリアの名義になっているから、一人分。
もう一人俺の勝ちに賭けた人がいるのか。
一体誰だろう。
俺が何も話さない事にバルムンクは苛立っていた。
「もっと泣きわめけ!つまらんだろうが!」
そう言うとバルムンクは、怒りを露わにしながら去っていった。
あいつは何をしに来たんだ。
きっと俺が無様に命乞いをするのを楽しみにしていたんだろうな。
趣味の悪いおっさんだ。
だがお前を楽しませてやる義理はない。
係員に案内され、大きな扉の前に立った。
扉の外からは大勢の観客の声が響いている。
このスタジアムには数万の人が収容出来ると聞いている。
その全てと言っていいほどの人たちが、パルケスの勝利を期待しているのだ。
この地に俺の勝利を願っている人は、片手もいない。
「それがどうした」
胸のポケットに入っているお守りを掴む。
――お守りにはフィルとユリカの願いがつまっている。
足を擦る。
――足にはシアとの特訓の成果がある。
唇を触る。
――ここにはレイリアの想いが込められている。
大切な人たちの思いに包まれて、俺はここにいるんだ。
「……絶対勝ってやる」
完全なる敵地のこのスタジアムで、俺は皆の想いを頼りにパルケスとの勝負に臨む。
スタジアムからは司会らしき男の声が聞こえた。
『デュッセル王国、宮廷魔術師コウ・タチバナ入場!』
司会の合図で、大きな扉は開かれた。
一瞬、静寂がスタジアムを包んだかと思うと、一斉にブーイングが始まった。
地を揺るがすほどの、大ブーイングだ。
「パルケスの3分以内の勝利に賭けたんだ!とっとと負けて儲けさせてくれよ!」
「お前なんか、パルケス様に殺されてしまえ!」
怒声が響き渡る中、俺は開始線まで進む。
普通なら、この数万の怒声に足がすくむんだろうな。
開始線まで進むと、司会が俺の紹介を始めた。
『コウ・タチバナは昨年の魔法学園次席卒業者で、現在は獣人の国で宮廷魔術師をやっているそうだ!うはっ都落ちじゃねぇかコイツ!はっきり言ってパルケス様とは格が違うな!』
司会が、悪意のこもった紹介でこき下ろしてくれるが、気にならない。
俺には心強い応援者がいるんだ。
はっきり言って質が違うんだよ!
パルケスの登場までもう少し時間があるらしく、俺はぐるりとスタジアムを見渡した。
最前列の一角に、明らかに他とは違う雰囲気の場所を見つける。
周囲に人はおらず、そこには数人の男たちがいる。
真ん中には、豪華な衣装を身に纏った男がおり、こいつがきっとミストラル帝国皇帝エーベルハルト八世だろう。
まるで子供のように興奮して両手を叩く皇帝。
その隣には、レイモンド宮廷魔術師筆頭が腕を組み座っている。
こんなやつらの気まぐれで、俺は死地に立たされたと言うのか。
しかも、そんな愚行を毎年毎年……。
「今回怒りをぶつけるのは、こいつじゃない。パルケスだ」
今倒すべき相手を、間違えないよう自分に言い聞かせる。
皇帝から視線を外すと、ずっと上の方にレイリア達がいた。
フードを目深に被っているので、逆に周囲から浮いて目立っているおかげで見つけることが出来たのだ。
『さぁ!ミストラル大祭最大のイベント御前試合!見どころはコウが何分持ちこたえられるかだ!』
***レイリア視点***
「酷いわね……」
あまりのブーイングに私は、眉をひそめた。
この中でコウが戦うのだと思うと、罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
「もう我慢ならねぇ、俺は兄貴を応援するぞ」
大声を張り上げようとしたヴォルカンを止める。
「ばか!やめなさい。ここで目立って、あんたに何かあったら悲しむのはコウよ!」
司会が獣人への偏見を並べ立て観客を煽っているのに、ここでヴォルカンが獣人であることがバレたなら、興奮した人々に何をされるかわからない。
「すみません、姉御」
「わかればいいのよ」
その時見知った顔が現れた。
その顔は、焦燥しており明らかに変事だとわかる。
「オルティネ師匠!どうなさったのですか!」
「レイリア!よくぞ無事で……いや、再会の挨拶は後回しだ。実は今朝からベルモットが見当たらないのだ」
いつもなら起こしに来るはずのベルモットが、今日に限って起こしに来なかったそうなのだ。
珍しくベルモットが寝坊したのかと思い、部屋に向かうと誰もいなかったそうなのだ。
「一緒に観戦する約束をしていたので、スタジアムに来てみたんだが……」
私が知る限り、ベルモットは無断で外出する様な人では無い。
明らかに変だ。
その時私は以前ベルモットが獣人だからと、誰かに殴られてしまった事があることを思い出す。
まさか……ね。
『さあ!みんなお待ちかねのパルケス様の入場だー!』
無神経な声で司会はパルケスの入場を告げる。
パルケスの姿に、私もオルティネ師匠も固まってしまう。
「私……コウだけじゃなくベルモットにまで……」
***コウ視点***
「パルケス様素敵!」
「パルケス、俺を儲けさせてくれよ!」
現れたパルケスに俺はギョッとする。
派手な金髪、豪奢な金色と白色の衣装、背も高く顔立ちも整っており、まさしくイケメンだ。
これなら女性人気が高いのは理解できる。
パルケスはにこやかに手を振って、観客に愛嬌を振りまいている。
それだけなら、ここまで不快な思いをするは無かった。
俺に嫌悪感を抱かせたのは……
パルケスが獣人に跨って入場してきたからだ。
「獣人を馬扱いするんじゃねえ!」
恰幅のいい女性の獣人に跨って現れたパルケスは悪びれた様子もなく、俺を見下してきた。
「どうだい?獣人の国に仕官している君と戦うには、最高の演出だろう?」
「ふざけんな……」
その時観客席からあがる歓声の中に「ベルモット!」と叫ぶ声が聞こえた。
まさかこいつが跨っているのは、レイリアと一緒に暮らしていたベルモットさんだと言うのか?
「ほら早く進め!」
パルケスはまるで馬にするように、ベルモットさんのお尻に鞭を入れる。
ベルモットさんは激痛に顔を歪めながらも、叫び声を堪えていた。
ここで叫べば、パルケスを付け上がらせてしまうと思っているのだろう。
『パルケス様の紹介はいらないな!次代の宮廷魔術師筆頭と目される若き英雄!みんなパルケス様の戦いっぷりを見ていたいんだ!あんまり早く終わらせないでくれよ!』
どうやら司会はこの下劣な行いを止める気はないようだ。
それどころか、観客を煽る道具にすら使いはじめる。
『獣人を馬代わりにするなんて、ナイスな演出だね!さすがパルケス様だ!』
観客が司会の声を、歓声で肯定する。
パルケスもベルモットさんから降りる気は無いようで、まだ観客に手を振っている。
クソッタレが!
『それじゃぁ皆お待ちかねの勝負を始めよう!御前試合……始め!』
試合開始の合図と共に俺は攻撃を仕掛ける。
「ウォータースフィア!」
水の塊がパルケス目掛けて、飛んで行く。
パルケスは対抗魔法を放つと思っていた。
しかし、パルケスは予想外の行動に出る。
「獣人を上手く使わなきゃね」
そう言うとパルケスは、ベルモットさんを羽交い締めして、あろう事か盾にしたのだ。
「ぎゃああ!」
ベルモットさんの悲鳴が響き渡る。
様子見の初撃なので、威力はさほどでもないが、ベルモットさんを傷つけるには十分なものだった。
「おいおい、こんな魔法を使って僕の綺麗な顔に傷でもついたらどうするんだ」
「卑怯だぞ!パルケス!」
俺は司会に、ベルモットさんを開放させるよう要求するが、聞き入れられない。
『早くもコウは泣きを入れてきたぞ!獣人はあくまで道具で装備品の一つだっての!もっとも、もう試合は始まっているから、お前が獣人を呼んでも認めないけどな!ヒャハア!』
会場からは嘲笑が聞こえる。
なんなんだよ、これは!
パルケスはベルモットさんに捕縛の魔法を使うと、自らの前に壁として置いた。
「一発で死ぬなよ。会場がしらけちゃうからな!ファイヤウォール!」
「くっ!ウォーターシェル!」
パルケスの火魔法に対向するべく、水で壁を作るが『豪華の指輪』で増強されたファイヤウォールはあっさりと俺の魔法を打ち破った。
火が俺の身体に襲いかかるのを必死に避ける。
パルケスは火魔法と、異なる属性の魔法を交互に放って揺さぶりをかけてきた。
火魔法以外は、対抗魔法で相殺出来る事から俺の魔法攻撃力の方が上のはずだが、パルケスは戦い慣れているらしく魔法に強弱をつけてくる。
通常なら、強い対抗魔法を放てば完全に防げるし、魔法の種類によっては余波でダメージを与えることも可能だ。
――しかし、今回はそれが裏目に出てしまう。
余波がベルモットさんへ当たってしまうのだ。
対抗魔法で相殺出来ない量の魔力しか込められず、完全にパルケスの魔法を消しきれない。
俺の身体は次第に傷ついていく。
まずい、まずいぞ。想像外の展開だ。
パルケスの攻撃の合間にヒーリングを使うが、俺の怪我は治りきらない。
ハイヒーリングが使えれば、と思うが新魔法はここでは使えない。
皇帝の側にレイモンド宮廷魔術師筆頭もいれば、バルムンクもいるのだ。
あの二人に新魔法を見せるのは得策では無い。
「亀のように防戦一方かい。攻撃しなきゃ僕は倒せないよ」
「この卑怯者が!」
対抗魔法を放ちつつ、動きまわって魔法を避ける。
落ち着け…落ち着け。まだ負けた訳じゃない。
きっと勝つ方法があるはずだ。
問題は2つ。
ベルモットさんを盾にされていることと、『業火の指輪』で強化された火魔法だ。
この2つをどうにかすれば俺に勝機はある。
「よそ見してたら、試合終了だよ!」
パルケスの火魔法が、俺の左腕を焼く。
「ぐぅ!」
「今のは効いたようだねえ」
パルケスはまるで虫けらを見るような目をしている。
師匠のバルムンク同様、嫌らしい。
「お次は風魔法だ!ウィンドエッジ!」
風はかまいたちの様に、俺の身体を切り刻んでいく。
「ぐっ!」
俺が苦痛に眉をひそめると、パルケスは残忍な笑みを浮かべる。
こいつ俺をいたぶりたいんだな。
『はい!3分終了!3分以内に賭けていた人は残念だったね!』
司会の声が勝負に水を刺し、会場は怒号と歓声に包まれた。
きっと3分以内に俺が負けることに賭けた客が騒いでいるのだろう。
パルケスは余裕があるのか、俺に話しかけてくる。
俺は息を整えるので精一杯だってのに。
「レイリアみたいなお転婆のどこがいいんだ。血統だけは良いから妻にしてやろうと言うのに逆らいやがって」
「お前レイリアに惚れてるわけじゃないのか?」
「冗談。あんなじゃじゃ馬、妻にしても孕ませたら用済みだよ」
これで負けられない理由が一つ増えた。
こんな奴にレイリアは勿体無い。
絶対に渡さねえ!
その時ベルモットさんが叫んだ。
「コウ様!私ごとパルケスを撃って下さい!」
悲痛な表情でベルモットさんは訴えてきた。
そのベルモットさんの必死の訴えすら、パルケスには冗談の様に聞こえるのだろう。
「おやおや、君は獣人に好かれているようだね」
しかし、ベルモットさんの提案を受けるわけにはいかない。
パルケスに魔法が届くと言うことは、ベルモットさんが倒れてしまった後だからだ。
それがわかっているのか、パルケスはベルモットさんを盾にし続ける。
なんとか揺さぶりをかけて、パルケスをベルモットさんから離そうとするが、経験に優る試合巧者のパルケスはそれを許してくれない。
「せっかくの盾を有効活用しなきゃね」
俺が攻撃魔法を放てないまま時間は進む。
ただひたすらに対抗魔法で時間を稼ぐことしか出来ない。
一向に打開する気配は見えない。
このままではパルケスの思いどおり、俺はいたぶり殺されてしまうだろう。
俺の身体は傷だらけになり、せっかくフィル達が作ってくれた服もボロボロになってしまった。
観客たちは俺の傷だらけの姿を見て、喜びの声を上げる。
左手は曲がらない、目は腫れて視界が狭まっている。
体中が火傷やら、切り傷で傷ついている。
その上、ベルモットさんを盾にされているせいで、俺はまともに攻撃すら出来ない。
確かに、そろそろ決着が着くと思える頃だよな。
だけど、このままで終わるわけにはいかないんだよ!
『10分経過!そろそろパルケス様が止めを刺すのか!』
司会の煽りに、観客たちは
「「「パルケス!」」」
「「「パルケス様!」」」
と口々にパルケスを煽り立てる。
パルケスは満更でもない表情で、会場に向かって手を振る。
――ここがチャンスだ。
俺はすぅっと息を吸い、ポケットを握りしめ心を落ち着ける。
パルケスは魔力を集中させている。
観客に煽られたパルケスは大魔法を放って、俺に止めを刺す気なのだろう。
観客から「兄貴!」と叫ぶ声が聴こえた。
ヴォルカン我慢してろよ。
ここからが俺の見せ場なんだからな。
「足は肩幅で、重心は前に」
パルケスの杖に魔力が集まるのがわかる。
これは上級魔法より上!神級魔法か!
「フレイムトルネード!!」
業火が巻き起こり、竜巻となって俺に襲いかかる。
明らかに今までとは違う規模の大魔法に、観客は熱狂している。
「これで終わりだ!」
パルケスの叫びに、観客も勝負の終わりを感じただろう。
「全身の体重を使って……飛び込む!」
シアとの特訓では横に避けることだけを、訓練してもらった。
しかし、俺はこの手詰まりの状況を打破すべく、一歩先へと考えを進ませた。
横ではなく斜め前へ。
業火の竜巻を隠れ蓑に、俺はシアから教えてもらった方法で距離を詰める。
左腕が炎に巻き込まれ、焼けただれるがこれしか方法は浮かばなかった。
遠くから魔法を放っても、ベルモットさんに当たるなら、直接パルケスに当てるまで!
「神級魔法を使ったのが運の尽きだな!炎で俺の場所が見えまい!」
「なんだと!」
突如現れた俺にパルケスは驚いていた。
実際には業火の竜巻の端をくぐり抜けたのだが、パルケスには炎の中から現れたように見えただろう。
「喰らえ火拳!」
俺の火拳が腹に突き刺さり、パルケスは身体をくの字に曲げた。
「ぐふっ!」
どうだ?息も出来ないだろう。
火拳の恐ろしさは俺が一番知っているんだからな。
俺は人体の急所と呼ばれる場所に火拳を叩き込んでいく。
みぞおち、顎、こめかみ…徹底的に殴り続ける。
「うがっ!?もう止めてくれ!」
「さっきまで散々いたぶってくれたくせに、都合が良すぎるぞ!」
殴る度にパルケスの抵抗は薄れていく。
「ファイヤ……」
「唱えさせるかよバカが!」
腹を殴ると、息ができなくなったようでパルケスの詠唱が止まる。
パルケスは手を伸ばし抵抗してくるが、力が入っていない。
めった打ちにされるパルケスを見た観客から悲鳴が上がる。
「悪役上等!」
「うぎゃあ!」
念入りに顔に火拳を叩き込むと、パルケスの顔は火傷だらけの無残な状態になった。
「止めてくれ…僕の顔が」
ダメージを一気に受けたパルケスにもう戦う気力は残っていないようで、周りには水たまりが広がっている。
どうやら失禁したようだ。
これでモテ男も廃業だな。
「い、命だけは助けてくれ!ほら!この指輪をやるから!」
『業火の指輪』を差し出し、命乞いをするパルケス。
「なんなら、僕が宮廷魔術師筆頭になったら君を序列第1位にしてもいい!」
残念だが、御前試合に負けたお前にその資格は無いんだよ。
俺がどう思おうと、ミストラル帝国はそんなに甘い国じゃない。
俺は差し出された指輪を、指に填める。
『コウがパルケスに止めを刺すのか……』
既に司会の声は小さくなっていて、会場もしんと静まり返っている。
パルケスは戦意を完全に失っており、俺はてっきり試合を止めると思っていた。
パルケスは少なくとも前戦争の英雄の一人であり、宮廷魔術隊でも第13位の実力者だからだ。
そんな貢献者のパルケスもこの国は見捨てるのか?
だがここでパルケスに止めを刺さないと試合は終わらない。
ゴクリとつばを飲み、覚悟を決めパルケスに杖を向けたその時……
業火が巻き起こり、パルケスの身体は炎に包まれた。
『コウ・タチバナの勝利』
パルケスの身体は崩れ落ち、会場からは悲鳴が起こった。
司会は俺がパルケスに止めを刺したと判断したようだが、実際は違う。
遠方から放たれた火魔法がパルケスを燃やし尽くしたのだ。
この事実に俺は愕然とした。
通常、単体魔法なら先ほどのフレイムトルネードの様に、炎が巻き起こり対象目掛けて進んでいく。
しかし、今の魔法はどうだ。
遥か遠方から放たれたにも関わらず、パルケスの足元から炎が現れた。
威力も神級魔法のフレイムトルネードを上回る。
「俺の知らない魔法か」
気がつけば一人の観客が、嬉しそうに走り寄ってきた。
ミストラル帝国皇帝エーベルハルト八世だ。
満面の笑みで駆け寄ってくる皇帝の後を、複数の人達が追いかけてくる。
中にはレイモンド宮廷魔術師筆頭の姿もあった。
「コウ・タチバナ!大儀であった!」
子供のように目を輝かせる皇帝エーベルハルト八世。
その足元には、先程までパルケスだった灰が転がっている。
皇帝の視線は俺にだけ向いている。
もしも皇帝がフィルなら……あの心優しき王は部下の死を悼み、泣き崩れるだろう。
しかし、目の前の皇帝エーベルハルト八世は部下の死を一顧だにしない。
その事実をわかってはいたが、改めて思い知らされた。
――フィルを知ってしまった俺は、ミストラル帝国には仕官できない。
俺は皇帝に跪き臣下の礼をとる。
形式上ミストラル帝国はデュッセル王国の宗主国に当たるので、当然の事ではあったが心情的にはとりたくない。
「良き御前試合であった。褒美をとらそう、望みはなんだ」
この話もキリングス将軍から聞いていたとおりだ。
退屈を持て余しているこの皇帝は、退屈しのぎをさせてくれた者に褒美を取らせるのだ。
「杖が良いか、金品か?それとも美女か」
美女と聞いた瞬間、レイリアの姿が思い浮かんだ。
「レイリアを自由にしてやってください」
これは正直博打だ。
今回の一件はレイリアとレイモンド宮廷魔術師筆頭の、親子喧嘩の延長線上にある問題だ。
レイモンド宮廷魔術師筆頭は御前試合と言う名を借りて、俺をいたぶることでレイリアを翻心させようとした。
レイモンド宮廷魔術師筆頭から見れば、唯一の上役は皇帝。
その皇帝を巻き込むことで、俺はレイモンド宮廷魔術師筆頭に翻心してほしいと企んだのだ。
俺の見た皇帝の印象は、『面白ければ良い』と言う人物で、キリングス将軍と同じ評価を下した。
そして褒美を渡したがる人物でもある。
その二点を以って、この博打に打って出たのだ。
「貴様!」
案の定レイモンド宮廷魔術師筆頭は怒りに震えていた。
しかし、俺の口撃対象は皇帝だ。
「褒美と言われても、他には思いつきません」
「ふむう」
皇帝は少し考え込んだかと思うと
「レイモンドの娘、レイリアを嫁に欲しいと言うことか?」
と、尋ねてきた。
「そうとって頂いても構いません。ただ俺は平民ですから難しいでしょう」
「ならば、どうしろと言うのだ」
「レイリアを俺の部下にしていただけないでしょうか。そして俺の許可なく結婚させないよう取り計らっていただけませんか」
皇帝は目をパチクリとさせ、やがて笑い始めた。
貴族の婚姻には皇帝の許可が必要で、皇帝には俺の願いを叶えるだけの力がある。
「ふあっは!面白い、面白いぞコウ!こんな望みは初めてだ!」
「エーベルハルト皇帝!」
レイモンド宮廷魔術師筆頭の抗議に、皇帝は冷たい声で答えた。
「レイモンド、儂の判断に不服があるのか?」
バルムンクですら、皇帝の冷ややかな声に凍りついている。
この皇帝……噂だけの人物ではないな。
明らかに今の雰囲気は異常だ。
皇帝から発せられる重圧も、並ではない。
「ふむ、レイリアはレイモンドの一人娘だったな。ならば、儂の三男エッケハルトをレイモンドの養子とすればよかろう」
「エッケハルト殿をですか!有難き幸せ!」
皇帝の提案に喜びを隠さないレイモンド。
バルムンクも「おめでとうございます!」と祝福している。
俺はこの展開に背筋が凍りついた。
皇帝の三男エッケハルトはまだ幼いながらも聡明と評判の王族で、貴族たちの受けも良い。
魔術の才能もかなりのものらしく、皇太子ベルンハルトの対抗馬と言われている人物だ。
皇帝エーベルハルトは災いの種を、この機に乗じてレイモンドを使い取り除いた。
レイモンドとしてもパルケスを婿養子にしようとしていたくらいなので、更に上の血筋を手に入れることが出来るのは悪い話ではない。
「エッケハルトはまだ8歳だ。親族の娘を養子に取れば、それに婿入りさせようぞ」
レイリアは18歳で、エッケハルトとは歳の差がありすぎる。
それを利用して皇帝はレイリアを手放せと、レイモンドに言う。
部下どころか我が子まで、物のように扱う皇帝。
皇帝の提案に娘を売り、どの娘を養子にするのが良いか思案する宮廷魔術師筆頭。
俺が巻いた種とは言え、まるで俺には理解できない。
これが王族であり、上級貴族なのかよ。
レイリアが嫌がるのも無理は無い。
胸糞悪い思いをして宿屋に戻ると、シアとヴォルカンが待っていた。
「コウ様!お帰り!」
「兄貴!信じてやしたぜ!」
体中は傷だらけで、火傷もひどい。
少し身体を動かすだけで、全身に痛みが走る。
「痛っ!」
「怪我は治さなかったのか?」
「ああ、ヒーリングだけかけたけど、治りがやぱっり悪いな」
「それなら、怪我をこっそりハイヒーリングで治して、ローブを被って痛いふりをしていればいいのではなかろうか」
シアさん頭いいっすね。
俺は隠すことばっかり考えていて、そこまで思いつかなかったっすよ。
「それにしてもいい勝ちっぷりでした!」
「そうだな。最初はどうなることかと思っていたが」
試合には無事勝つことが出来たし、悪徳商人バルゼットからの返還金も戻ってくることを皇帝は約束してくれた。
皇帝の手のひらで泳がされているようで気味が悪いが、デュッセル王国としては最良の結果を引き当てることが出来た。
レイリアの政略結婚も無くなったしな。
「ところでレイリアは?」
「師匠のオルティネさんと、どこかへ行ったぞ」
「おいおい、大丈夫なのかよ……」
俺が心配の声を上げると、レイリアは二人の女性と一緒に戻ってきた。
一人はベルモットさんで、もう一人は知らない美女だ。
「……されちゃった」
「は?」
「離縁されちゃった」
離縁?レイモンドに親子の縁を切られたって事だよな。
レイモンドに王族の養子が来るからか?
平民の部下に娘がなることが許せないのか?
どう考えても原因は俺だ。
聞けばレイモンドはもう養子を吟味しているらしい。
元王族で将来の宮廷魔術師筆頭間違いなしの逸材の嫁に、立候補が相次いでいるそうだ。
「何というか……親の思惑なんだろうけど」
「そうね。普通の貴族なら良縁で喜ぶんじゃない?」
でも俺のせいでレイリアは上級貴族と言う肩書きを失ってしまった。
しかし、レイリアは今回の一件で貴族に愛想を尽かしたから後悔はしていないと言う。
「確か、離縁された貴族は平民扱いだったよな」
「うんっ!」
笑顔で俺の質問に答えるレイリア。
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「えへへ、想像とは違ったけど、夢が叶いそうなんだもん!」
感極まったレイリアが俺の胸に飛び込んでくる。
その笑顔には一点の曇りもない。
「私の夢、叶えてよね!」




