ボクと、ポチ
一年位前に書いた文なので、今とちょっと書き方が違いますが…
終わりの無い旅(自覚なし)を続ける犬(自称)と、それに拾われた一人称ボクな兎さんのおはなしです。
ボクをかばって母さんは、狐に食べられて死んだ。
茨の茂みの中で、震えているしかできなかったボク。
ボクは狐の食べ残しから母さんのかけらを一つ一つ、拾い集める。
温かくて優しかった母さんは、もういない。
母さんとボクのお気に入りだったヘビイチゴの原っぱに、ボクは母さんを埋めた。
そうすることで、母さんは土に還り、空に溶け、そばにいてくれる気がしたから。
でもそんなものは、やっぱりそんな気がするだけで。
ボクにとって、世界の全てだった母さん。
ぼろぼろ流れて、止まらない涙。
ボクは母さんを埋めた場所から離れることもできず。
ひたすら、ひたすらに泣き、悲しみ続けた。
ボクはこうして生きているのに、どうして母さんは死んでしまったの――
何も喉を通らない。
何か食べ物を探すために、動く気にもなれない。
ボクはただ、母さんのそばにいたい。
ボクの涙は、まだまだ涸れない。
三日が経つ頃には、ボクはもう動けなくなっていた。
これが緩慢な自殺だって、わかっていたけれど。
生き物としてあるまじきことだって、わかっていたけれど。
最初の一日にはあった力も、とうに使い果たした。
ゆっくりと、ゆっくりと死んでいくボク。
生きる気も、死ぬ気もおきない。
もう食べ物を探すために移動することもできない。
そんな力はもう、どこにも残っていなかった。
それでもひたすら、涙だけが流れる。
ボクはうずくまり、ぐったりとしながらも。
母さんを呼んで泣き続けた。
三日目のお日様がボクにほほえむ頃。
ボクは優しい誰かの声を聞いた。
柔らかく、柔らかく、母さんみたいに温かい声だった。
「ウサギのお嬢さん、どうして泣いているんですか?」
ふわっとふくらんだ、羽毛みたいな声。
心地よい声は、でも聞いたことのない声で。
これが狐やオオカミだったら、声なんてかけず、問答無用で襲いかかってくるはず。
茨で囲まれた原っぱには、狐やオオカミは来ない。
誰が話しかけてきたのかと、ボクは後ろを振り向いて・・・
そこにいたのは、大きく立派な蛇だった。
ボクの涙も思わず引っ込んだ。
どうしよう、外敵だ。外敵だよ。
本能がボクに強く働きかける。そう、逃げろって。
一目散に、何が何でも全力で逃げろって。
でも、無理だよ。
ボクの体には、何の力も残っていない。
ああ、ボクは此処で蛇に食べられてしまうんだね・・・。
そう思うと、何故か不思議と覚悟が決まった。
もとより母さんを失ってから、ボクの生きる気力は危険なほど下がっていたから。
流されるまま投げやりに、緩慢な死を選ぼうとしていたから。
だから、慌てようとする気持ちはすぐに収まった。
ああ、この蛇に食べられて、ボクは死ぬんだ。
そうしたら、母さんに会えるかな。
母さんと同じところに行けるかな。
ほのかな希望にも似た、危ないささやきが聞こえる。
ボクはそれに抗うだけの気力もなく、危ない魅力にとりつかれそうだった。
ああ、でも。ぼんやりと思う。
でも、これは蛇であって狐じゃないから、母さんと同じところには行けないかな・・・?
そうかな。そうなのかな。
でも、それでもいいや。
だってこの蛇、とってもきれいだもの。
白銀色に光って、きらきらしてる。
ボクの毛皮とおんなじ白い色に、親近感すら感じる。
この銀色に食べられてしまうのなら、それもいいと思えた。
そう思うくらい、きれいな蛇だった。
このときのボクは、本当に危険な状態だった。
精神的にも、肉体的にも。
ぎりぎりの極限状態で、ボクは蛇さんの言葉を聞いた。
「やあ、私はポチ。犬だよ!」
「・・・・・」
どんな反応をすればいいのか、わからなかった。
「犬?」
「犬だよ」
「・・・犬?」
「うん、犬だよ」
何を言っているんだろう、この蛇は。
どこからどう見ても犬には見えない、白銀の蛇なのに。
それなのに、どうしたことか自分のことを犬だという。
これは一体、どんな意図があるんだろう。
もしかしてごっこ遊びか何かかな。
ボクは、本気でとまどっていた。
いっそひと思いにやってくれればいいのに。
赤い口の奥、きらりと光る白い牙。
危険なそれで、早くボクを食べてしまえばいいのに。
でもボクのそんな心の声は、蛇には届かない。
「それで君は、どうしてそんなに泣いているんだい?」
相手が蛇だと思えば、答えなくてもいいはず。
だけど不思議な蛇に気圧されて、ボクは素直に口を開く。
もう、反発するだけの気力も体力もなかっただけかもしれないけれど。
「ボクの母さんが、死んじゃった・・・」
「そう、それでずっとここにいるんだね」
しゅるしゅると、なめらかな動きで這い寄る蛇。
いつもだったらおぞましいとか、怖いとか思うんだろうね。
でも今は、そんな些細なことはどうでもいい。
重要なのは、もっと他にあるはず。
蛇はボクを囲むように一周すると、ボクの顔をのぞき込んだ。
「ああ、こんなに眼を腫らして・・・それにもうずっと、何も食べていないんじゃないかい?
お嬢さん、君、三日前から此処にいるだろう」
「なんで知ってるの?」
「それは三日前にも、私が君を見かけているからさ」
そうやって穏やかにほほえむ蛇は、ことのほか優しそうに見えた。
「食べなければ、死んでしまうよ」
「死んでしまったとしても、今は食べたくない・・・」
「でも君が食べないでいることを知ったら、君のお母さんはなんて言うかな」
「あ・・・」
見上げる先、蛇はこちらに顔を寄せて。
「ねえ、君のお母さんは、今の君を見たらどうすると思う?」
「・・・ボクのこと、怒って、叱って、泣いちゃうかな」
「うん。君も本当はわかってるみたいだね。君は死ぬべきじゃないよ」
「なんで?」
「だってそんなに泣けるくらい、愛せるくらい、お母さんは君を大事にしてくれていたんだよね。君を大事に慈しんだお母さんの宝物なんだよ、君は」
ボクの母さんのことを、何も知らないくせに。
なのに、蛇の言うことは、嫌になるくらいにすっと胸に入り込む。
そうなのかなって、思えてくる。
「君は君のお母さんの宝物を、お母さんから取り上げるのかい? 壊しちゃうのかい?」
「・・・・・」
知ったようなことを言うと、反論しても良かったけれど。
ボクは蛇の言うことを、否定することができなくて。
ボクは。
ボクは、どうすればいいんだろう・・・。
今までよりもずっと強く、深く、ボクはとまどった。
まるで深い沼で溺れそうな感覚に、迷い込む。
そんなボクを掴みあげ、溺れないように支えてくれたのは・・・
何故か、この蛇で。
犬を自称する蛇が、ボクに優しく言うんだ。
「今すぐ死ななくても、どうせいつかは死ぬんだよ。それまで精一杯生きて、幸せになればいいんじゃないかな。その方が、君もお母さんに胸を張れると思うよ」
「でも、ボク・・・」
「暗い気持ちから抜け出せないのは、きっとお腹がすいているからだよ。おいで。
一緒にご飯を食べに行こう?」
「・・・ごはん?」
蛇と一緒に、ごはん?
・・・ボク、やっぱり食べられるんじゃないかな。
そう思ったけれど、蛇はどうしてか態度を変えないで。
おいしい草がたくさん生えているところまで、ボクを連れて行く。
なんでおいしい草の生えた場所を知っているんだろ。
鈍く疑問に思ったけれど、口には出さずに。
蛇を見上げると、鋭い牙を見せて笑った。
純粋に怖かった。
「どうして生きたらいいのか、わからない」
蛇に押されてお腹いっぱいに草を食べて。
そうしたらやっぱり、ごはんはおいしくて。
それでも生きることへの積極性は取り戻せない。
ボクはぼんやり、蛇を見上げた。
「わからなくても、生き物はとりあえず生きていくものだよ」
「わからなくて、いいの?」
「いいんだよ」
「じゃあ、ボクは何をしたらいいんだろう・・・」
「そうだね。幸せになったらいいんじゃないかな」
「・・・・・」
このときには、ボクにもちゃんとわかっていたよ。
この蛇が筋金入りの、変わり者なんだってこと。
こんなに呑気で、こんなに攻撃性の低い蛇、他に見たことないよ。
そのことに、どうしてかボクは興味を引かれている。
さっきまで緩やかに死のうとしていたのに。
ボクは生きていく上で、どれだけ生き物が図太いのかを実感していた。
「ねえ、ウサギのお嬢さん」
「・・・なに?」
「君、私と一緒に来ないかい? 私はちょうど、一人旅を味気なく思っていたんだよ」
「旅? 旅をしているの?」
「そうだよ」
「どこに行くの? なんのための旅?」
「目的かい? それは私の飼い主になってくれるご主人様を探す旅さ」
「・・・・・」
聞かずともわかった。
それは、蛇を犬として飼ってくれる奇特な人間を探す旅だと。
道のりは果てしなく遠く、早々滅多なことでは終わらない旅だと、ボクでもわかるよ。
「でもどうして、ボクをそれに連れて行くの?」
「お嬢さんが一緒にいてくれれば、楽しそうだと思ったからだよ」
「どうして」
「気まぐれみたいなものだと思って、そこは納得してくれるとうれしいよ。こうして出会ったのも何かの縁だから。私は君のお母さんに・・・いや、亡くなった方の代わりは、誰にもできないね。ましてや君の誰より大切な、お母さんの代わりなんて」
申し訳なさそうな顔で、蛇がぐりぐりと尻尾をいじる。
どうしたものかと、思案している。
ボクなんて、ただの獲物にしか見えないはずなのに。
この蛇は、ボクの心を傷つけまいと思い悩んでいる。
「そうだね。私は君の、お兄さんになりたい」
ようやっと蛇が結論を出したとき、ボクの中でも結論が出ていた。
どうしてだろうね。この蛇が、とても変わっていたから。
だからボクは、この蛇を警戒しながらも、何故かついて行こうと思えたんだ。
いつ死んだって構わないって、投げやりな気持ちも、消えてはいなかったから。
どう考えてもエサにしか過ぎないはずの、ボク。
そんなボクを掬い上げて、生かそうとする蛇。
ボクと蛇の、長い旅路が始まろうとしていた。
とりあえず、終わりはどこにも見えていない。
最後まで読んでくださり、有難うございます。