時空の狭間
時空の狭間と呼ばれる黒森がある。
それは、人の身では踏み入れてはいけない、果て無き広がりを持つ大森林だ。
もし、なんらかの方法でこの黒森に入った場合、生命の保証はできないのだから――。
【ここが、時空の狭間か】
時空の狭間に現れたのは、黒衣と黄金の竜杖を携えた長い黒髪の男――魔王サタンだった。
【ふむ、空を飛んで目的地を探すか】
サタンのそう呟くと、黒い大型のコウモリのような翼を背中から生やし、数回羽ばたかせ地上から空へと向かった。
ガサガサガサッ!!
木々が擦れ合う音を響かせながら、黒葉の壁を突破する。
そして、突破した先の光景は――血のような紅い光に照らされた、果てしなく広がる、黒葉が茂った木々の群れのみだった。
【……目的地は『黒石造りの教会らしき建物』だが、これでは目的地がどこにあるのか検討がつかんぞ】
サタンの目的は、黒石造りの教会らしき建物にいるニャルラトホテプへ、想造主から頼まれた伝言を伝えることだ。
黒石造りの建物といえば、上空から見下ろせば、木々がある程度まで拓けていたり、不自然的に盛られた黒葉の丘があるようなものなのだが、それすらない。
【地上から徒歩での探索をするしかないのか……んっ?】
サタンは徒歩での探索を考えていると、鼻につく醜悪な臭いを感じた。
そして、急速に己に近付いてくる気配も、だ。
【ふむ、猟犬ティンダロスか?】
猟犬ティンダロス。それは、時空の狭間に住まう、猟犬ならざる姿をした猟犬である。
常に餓え渇いているため、獲物を見つければ執拗に追いかけ、その肉を喰らい一時の餓えを満たすのだ。
人の身で時空の狭間に踏み入れてしまえば、獲物の臭いを嗅ぎつけたティンダロスに食い殺されてしまうゆえに、生命の保証ができないのがその理由である。
《グゥルルル……ギャゥ!!》
サタンの臭いを捉えたティンダロスは、勢い良くジャンプし上空にいるサタンへと噛みつきかかった。
【ぬるいな。この程度で喰わせはせぬ】
サタンは竜杖を右中段からバットのように構えた。
そして、接近してくるティンダロスを竜杖の攻撃範囲まで引きつけてから、ティンダロスの横顔めがけて、竜杖を思いっ切り振ったのだ。
ブゥン。
《ギャゥン!?》
ティンダロスはサタンの迎撃をまともに喰らい、左の横顔の肉が少し抉れ、体液の役割を果たしていると思われる――酵素を欠いたような青い膿汁を垂らしながら黒森へと墜ちていった。
【追い討ちをかけるか】
サタンは黄金の竜杖を一振りし、竜鱗が施された黄金の片手剣に変えた。
そして、ティンダロスが墜ちていった方向へ黄金の片手剣の切っ先を向けると、剣を起点として身体全体に風の魔力をまとわし、身体をドリルのように回転させ渦を生じさせると、自らを軸とした竜巻へと化した。
【ゆくぞ】
ギャヴゥン……!!
サタンは一言だけ呟くと、眼下に広がる黒森へと突っ込む。
ザザザザザザッ!!
黒い木々に生い茂る樹冠を吹き散らす音が、辺りに響き渡る。
《ギャウ…………》
竜巻の突撃をまともに喰らったらしく、ティンダロスが断末魔の叫びをあげ始めた時には、すでに絶命していた。
【ふん、この程度で死ぬか。しかし……ここまでやっても、木々が倒れぬとはどういうことだ?】
サタン自身が竜巻となって黒森に突撃したのだが、巻き込まれた木々たちは一本も倒れることなく佇んでいた。
普通ならば、木々すら根こそぎ倒れているものなのに、だ。
【まぁいい。問題は、ニャルラトホテプがいるであろう『黒石造りの教会らしき建物』へどう向かうかだ】
現状の疑問への解決を諦めたのか、大翼を折り畳むとサタンは目的地に向かう方法を探し始める。
【やはり、このまま歩いて探すしかないのか? 】
果てのない黒き大森林を歩く。
それは、想像以上の多大な疲労を伴うものである。
しかし、空中から探すという手段は先ほど試し無意味な結果となったため、歩くしかない。
そしてサタンは、血を思わせる紅い光が照らす黒き大森林の中へ歩き出した――。