利己心を捨てる
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。
東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、
そこに住みついた。
そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。
彼らは石の代わりに煉瓦を、
漆喰の代わりにアスファルトを用いた。
そして、言った、
「さあ、我々の街と塔を作ろう。
塔の先が天に届くほどの。
あらゆる地に散って、消え去ることのないように、
我々の為に名をあげよう」。
主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、
そして仰せられた、
「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。
この業は彼らの行いの始まりだが、
おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。
それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。
彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。
主はそこから全ての地に人を散らされたので。
彼らは街づくりを取りやめた。
その為に、この街はバベルと名付けられた。
主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
バベルの塔の物語は、
「人類が塔をつくり神に挑戦しようとしたので、
神は塔を崩した」という解釈が一般に流布している。
しかし『創世記』の記述には「塔が崩された」とは書かれていない。
(ネット引用)
さて、
人々はこぞって塔ならぬ
巨大ダムを諸方に作り始めた。
その巨大ダムは環境を変え、機構を変え、
すでに崩壊目前ではなかろうか。
人間の創り出したものには何かケチがつく。
いや、とんでも無い恐ろしい事が待ち受けている。
それは神の怒りでも無く、
あまりにも知恵が無さすぎた。
某科学センターのホストコンピュータに
天下った生命体が如何なるものであろうと
人々はもつと賢明に行きねばならぬだろう。
河川の氾濫を生むとすれば余りにもその行為は
愚かしい事であろうか。
偽典の「ヨベル書」によれば、
神はノアの息子たちに世界の各地を与え、
そこに住むよう命じていた。
しかし人々は、これら新技術を用いて天まで届く塔をつくり、
シェムを高く上げ、人間が各地に散るのを免れようと考えた。
神は降臨してこの塔を見「人間は言葉が同じなため、
このようなことを始めた。
人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」
と言った。
このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、
世界各地へ散らばっていった。
さて、この世紀に生まれた人間たちの行く末は如何なる事に
なるのであろうか。
人には人を生み出した創造者の魂、そして知恵が宿って居る
筈である。
神は愛である。
全ての人々が利己心を捨てるべきだろう。
それぞれの民は人々の悲しみに喜びに寄り添い、
新しい時代が,平和で実り多くあることを、共に心から願い、
世界の人々の安寧と幸せをの為に労も楽しみも分かつべきでしょう。