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杜の都で待つ人は  作者: はる姫
第一章
5/32

4.

   

 少女の頬は艶やかなピンク。まだ筒のような上体から床へと、スカートが重そうに広がっている。金色の頭には、アイボリー(いろ)したレースの大きなリボンが乗っかり、大きな巻き毛が背中で弾んでいる。なにやら、鼻歌を口ずさんでいた。

 13の歳を数えたばかりのアヤカーナは、いつもの動線で、寝室から続きの部屋へ出ると、壁の前に止まった。自然と鼻歌も止んでいる。

 壁に掛かっている、豪華な幕が付いた絵画に向かい、軽く膝をおり、礼の姿勢をとる。

「ドュラン殿下、今日のケセンは晴天で気持ちが良いです」

 許婚である隣国パーレス帝国皇太子ドュランの姿絵に話しかける。

 これは、母に言われて始めたことだ。初めのうちは、おざなりに済ませていたが、心を込めた(ほう)が絵の殿下も嬉しいでしょ、と母に諭され、なるほど、と思った。今ではアヤカーナの楽しい日課になっている。


 こちらを見つめる、濃い栗色の髪、琥珀色の瞳、鼻筋の通った若者は唇をきつく結んでいる。微笑(ほほえ)んでいる絵が送られてきたことは一度もない。

 それでも、アヤカーナは話しかけると、絵が微笑(わら)ってくれるように感じた。弟達の話、城での出来事など、たわいもない話をする。話の仕舞いには必ず、殿下、大好きです、と告げる。

 その時の殿下の笑みが一番素敵だと思う。

 声が聴こえるのではないか、とアヤカーナは絵画のドュランへ、期待の眼差しを向ける。もちろん聴こえたことなどないが。


「アーヤ、今日も綺麗だよ」

 私を(うつつ)へと戻すのは、マリユス従兄(にい)様の声だ。

 振り向くと、五才(いつつ)上の従兄弟(いとこ)が扉にゆったりと肩を(もた)せている。

従兄(にい)様、いつ入ってこられたの」

「ノックはしたよ。

 でも、アーヤは殿下に惚けていたから」

 そう言うと、マリユスは悲しそうに微笑(わら)い、軽く両手を広げる。

 額にかかった薄い金色の髪をかき上げると、アヤカーナに手招きする。

「アーヤは、私と殿下のどちらが好きかい」

 はいはい、従兄(にい)様よ、と慣れたように呟き、アヤカーナはマリユスの腕の中に納まった。

 息を吐いて身体(からだ)を預けると、額に温かいものが触れる。お返しに、おはよう、とマリユスの頬に唇を寄せた。

 すると、ふわりと抱き締められ、頬にマリユスの細い金色の髪がくすぐったい。温かい息がかかり、耳元で囁かれる。

「私が王だったら、アーヤはパーレスになど嫁がせない…

 今頃、皇太子殿下は、赤毛の麗人と仲良くしているだろうに」

 これは、いつもの従兄(にい)様の挨拶。アヤカーナはうんざりしたように微笑う。


 この従兄弟(いとこ)によれば、殿下には恋人がいらっしゃるそうだ。何でも、赤毛で小ぶりの鼻に雀斑が散った令嬢なのだという。その赤毛の(ひと)とは小さい頃から仲が良く、パーレス宮廷もこの令嬢を皇太子妃に、と望む声が少なくないらしい、ということだ。


 アヤカーナの脳裏には色々な赤毛の(ひと)の姿が浮かぶ。背の高い(ひと)、低い(ひと)、太った(ひと)、痩せた(ひと)…。いつも、その(ひと)達は、薄い紗の幕に覆われ、はっきりとした姿を見せることはない。

 なのに、変だ、今日はくっきりと見える。焔色の髪、翠色の瞳に瞳色のドレス、ドレスから伸びる細い首、高い身長、今迄想像の域を超えることがなかった顔貌が、急に現実となって姿を晒している。


 その赤毛の女性がアヤカーナを認め、近づいて来る。こちらへ来る程に、女性が思っていたより大きい(ひと)だと解かる。見上げるアヤカーナを、麗人は満面の笑みで見下ろす。

「はじめましてアヤカーナ様。私がドュラン皇太子殿下の(まこと)の婚約者フォンティーヌです」


 


 アヤカーナは目を開けた。

 口の中が乾いて苦い。唾をごくりと飲み込み、目じりを指で拭う。知らないうちに泣いていた。

 何度か目を拭い、天井の模様を確認する。上体を起して、やっと深く息をついた。

「嫌な夢…」

 夢だと確かめる意味を込め、声に出して首を振る。なぜこんな夢を…。


 昼間、回廊で出会った公爵令嬢(プリンセス)フォンティーヌが、現皇帝の弟君イズミク公爵のご長女で、ドュランの従妹にあたることを教わった。アザレア達は相手にすることは無い、と一笑に付してはくれたが、アヤカーナは溜息をとめられない。


 嫌なことは続くもので、就寝前には、護衛に就いていた近衛隊長のタンギューが、解任の挨拶に来た。護衛に就かれた当初は、黒髪の美丈夫に戸惑いを覚えた。しかし、タンギューの飾らない態度と優しさを知り、信頼できる方だと頼りにしていた。その方が護衛から外れるのは悲しい。

 そのタンギューに、一人では動かないように、と忠言され、庭の散歩を思い留まった。それも、嫌な夢をみた原因にあたるのかと考え、そろりとベッドを出る。


 もう眠れない、と思った。




****************************************




 東宮前の小さな庭園の中央に造られた、白い(あずまや)が、月光に輝いている。

 花の香りに囲まれ、(あずまや)の椅子の上で、薄着のアヤカーナは、膝を抱えて月を見上げていた。

 ここパーレスはケセンに比べ、とても暖かい。この時期ケセンでは、夜着一枚で外に出ることなど叶わない。アヤカーナは贅沢な気がして、いつまで夜着一枚で過ごせるかこっそり数えていた。


「アッキ、ユッキ、パーレスではまだ夜着一枚で寒くないのよ。

 暑がりなお父様がここに居たら、お母様に叱られるわね。裸ははしたない、って」

 ケセンの弟達へ届け、とばかりに半月に向かって話す。

 月が鏡になって、ケセンの家族の様子を半分でも映してくれないか、じっと目を凝らす。その逆でも良いと、月に己の姿が映るよう首を伸ばす。


 しかし、毎晩繰り返しているが、どんなに待っても奇跡は起きないし、弟達に奇跡が起きているかなど知る由もない。

 息を吐くと膝に顔を埋める。秋の夜風がさわさわと、萩の枝垂れをそよいでいる。私は萩のような女性になれるのだろうか。どんな風にも柔軟に耐えられる皇太子妃に…。

 萩が強い音をたて、アヤカーナの髪を冷たい風が剥く。アヤカーナは背中を丸め、身を震わせる。寒い、と思った。瞬間、肩に(きぬ)が舞い降りた。


「風邪をひくぞ」

 アヤカーナは目を丸くした。

 皇太子殿下が目の前で、アヤカーナの身体を覆うよう衣を整えてくれている。身体が手早く、すっぽりと衣に包まれた。すると女官たちとは違う大きな手が、アヤカーナの肩に、よし、と置かれた。


 ドュランは顔を(めぐ)らすと、石で出来た椅子を引き寄せ、それに腰を下ろす。(たちま)ち、尻が冷たいな、と顔をしかめた。

「あの殿下、殿下がお風邪を召します」

 アヤカーナが(きぬ)を脱ごうと動くと、ドュランは衣の前を押さえ、動作を封じる。

「俺はいらない!」

 ぴしゃりと言われ、アヤカーナは言葉を失う。

 ドュランは深い溜息をつくと、掴んだ手を離し椅子を跨ぐように腰掛けた。

 ドュランが掴んでいた所を、アヤカーナはぎゅっと握り、頭を下げる。

「差し出がましい真似を致しました」

「うむ」

 ドュランは言ってしまって、慌てて言い添える。

「それは王女のために持参したものだから…」

 アヤカーナのきょとんとした澄んだ灰色の瞳を目にし、ドュランは言葉が続かない。

「私の…ためですか」

 嬉しそうに微笑うアヤカーナを前に、ドュランは胸の辺りがざわざわと落ち着かない気がした。

 ありがとうございます、とアヤカーナは薄紅色の衣に鼻まで埋まる。


 ドュランはどうにも落ち着かず、口を開く。

「なぜ庭に居るのか聞いても良いか」

「月を見ています」

「月を見に、毎夜か」

 アヤカーナは瞬く。

「…はい」

「それ程に月が好きなのか」

「…」

 ドュランが、いくら待っても応えはなかった。


 アヤカーナはこっそり取っていた行動が、知られていたことに、恥ずかしくて顔を上げられない。

 うつむいて黙ったままの少女にドュランは期する。

「すまなかった。許して欲しい」

 唐突なドュランの謝罪に、アヤカーナは顔を上げ、目を見開く。

 思わず、違う、と首を左右に振っていた。

 皇太子殿下に謝罪をさせるなど、恐れ多くて涙が睫毛にたまる。

 ドュランは、いや、と軽く頭を振りアヤカーナを宥めた。

「侍女の件、それに調度や小物など、馴れ親しんだものを与えてやれなかった。」

 アヤカーナは目をしばたたくと、そんなこと、と顔を上げて微笑う。

「一番大切なものは持参致しました。

 殿下、私は同じ月が、ケセンも照らしているのだ、と眺めていただけです」

「… 虐められたとか、不満があるのではないのか」

 いいえ、と微笑うアヤカーナが労しかった。

「何か望みはないか」

 ない、とまたもや首を振るアヤカーナにドュランは、よく考えて後で告げるよう促す。アヤカーナは困ったように微笑(わら)うだけだった。


 また、会話が途切れる。

 ドュランはしばらく何を話したらよいのか迷っていた。アヤカーナは隣でずっと(うつむ)いている。


「アザレアは昔からきつい女だった。苦労しているだろ。

 ハンスイとケイトはアザレアの腰巾着だ。」

 ドュランは共通の話題に思え、アヤカーナに笑顔を向けた。

「いいえ、アザレア様はとても楽しいお方です。ケセンの母を思い出します。

 ハンスイ様やケイト様は弟達を…」

 あれ、ぽたぽたと薄紅色の衣にしみが広がっている。折角殿下から頂いたものなのに。慌てて、増えていくしみを払っていると、低い声がした。

「……ケセンが恋しいのか」

 しみを払う手が止まる。

 …恋しい。…ああそうか、このしみは自分の涙だ。

 アヤカーナは自覚すると、静かに泣き始めた。丸くなって衣に顔を埋める。

 すると頭を撫でられ、殿下が居ることを思い出し、謝る。


「謝る必要はない」

 ドュランの言葉に、堪えていた声までも上がる。

 ドュランは声を上げて泣いている少女を抱き寄せ、その広い胸に包み込む。

 なんて軽くて温かいのだろう。背中をさすると少女はしがみ付いてくる。


(うち)に…帰りたい…です…」

 嗚咽が混じり、途切れ途切れの言葉が聞こえた。ドュランは語尾を繰り返す。

「…帰りたい、な」

「お母様に…会い…たい…です」

 少女の心を聴き、ドュランは己の浅はかさにに愕然とした。





詰め込みました(笑)


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