8.
R15です。暴力要素大になります。ご不快に思われる方はご遠慮下さりますようお願い申し上げます。
馬車が速度を上げ、座席から放り出されそうだった。
アヤカーナはフォンティーヌが用意していた馬車に無理やり乗せられ、急発車の揺れに耐えていた。カーテンがピタリと閉じられ、外の景色を窺うことも出来ない。
向かい側ではフォンティーヌが、短剣に付いたセスの血糊を丁寧にハンカチで拭い落としている。眼前で執拗に汚れを確認しては、指先を使ってハンカチを小刻みに動かす。異常に紅潮した顔に浮かんでいる笑みと、指の優雅な動きが、彼女の常軌を逸した様子を表していた。
アヤカーナはセスの許へ一刻も早く戻りたくて、そんなフォンティーヌの様子になど構っていられない。先程まで塞がれて出せなかった分、声を張り上げる。
「セスは曲者ではありません。早く戻って手当てを!」
フォンティーヌは、目の前に翳している短剣から視線だけを動かし、アヤカーナを見る。
そしてくつくつと笑った。
「そんなこと知っているわ。」
そう言って、手にした短剣の刃先をアヤカーナへ向け、熱でもあるかのように光っている目を細める。
「曲者は貴女よ」
アヤカーナは驚愕して後退り、背中を背もたれへ押し付けた。
フォンティーヌはその様子に、雌鳥が鳴くような甲高い笑い声を上げる。
「どう?貴女の所為でセスは死ぬの。そしてマリユスは悲しむ。
これらは、貴女の存在が巻き起こす悲劇なの。すべて貴女が悪いのよ」
アヤカーナは意味が分らず、言い返そうとするが言葉にならない。フォンティーヌがこちら側へと身を乗り出し、怯む彼女の髪を短剣で掬う。
「ねえ、綺麗な髪に綺麗な顔立ち、誰からも愛される気分ってどんなものなのかしら。」
フォンティーヌはアヤカーナの髪を弄ぶのを止め、今度はアヤカーナの桃色の頬を短剣の腹でピタピタと撫で始める。
「綺麗なお顔が、傷だらけでもマリユスは愛してくれると思う?
― いいえ、そうよね。顔だけでは足りないわよね。身体もボロボロにしなくては」
独りで喋りながら、フォンティーヌの顔がみるみる歪んでいく。
「アーヤでもセスでもない。マリユスの一番は私なのよ!」
仰天しながらもアヤカーナは呑み込めた。
「貴女はドューではなくて、マリユス従兄様がお好きなの?」
「あら、やっとお気付きになった?
マリユスは私が一番綺麗だと言っていたのよ。なのに…。
なぜ貴女をあんな瞳で見詰めるの!
‘わたしのアーヤ’って何?その上キスまで!!」
フォンティーヌのうなり声が馬車内に響く。
アヤカーナは、徐々に食い込んでくる短剣で頬を切られると思った。彼女が腕を引けば肉がサクッと割れるだろう。目を瞑り覚悟を決める。
不意に頬への圧力がなくなり、フォンティーヌが離れる気配を感じた。アヤカーナは不思議に思い、薄目を開けてみる。
なんと、彼女は何事も無かった様に元の席に戻り、微笑みさえ浮かべている。こちらへ向けられている短剣だけが、非常を示していた。
「ご存知?マリユスがガンシュの王太子に立てそうなのは、私のお父様のお蔭よ。彼の鉱山で取れる金の精製の手助けをして、彼に富を与えてあげたの。彼がガンシュの王太子へ立ったら、彼の隣に並ぶに相応しい女性は私しか居ないわ。」
アヤカーナは、姿勢を直して怪訝そうにフォンティーヌを見詰める。
「ああ、ドューと貴女の仲を邪魔していたのは、マリユスに頼まれたからなの。
彼から、ドューが好きなのは私だと、貴女に思わせてくれ、ってね。
だからドューは私にとって大事な従兄。それだけよ。
まさか、マリユスがドューに貴女を渡さないように画策していたなんて、夢にも思わなかったけど…」
緑色の目を見開いたまま笑っているフォンティーヌの表情には、狂気さえ垣間見えていた。
アヤカーナは彼女の話を頭の中で消化して、確かめる。
「マリユス従兄様とは裏社交界でお会いに?
従兄様は、貴女を介して、イズミク公爵様とお知り合いになられたのですか?」
「そうよ。
彼は私を見るなり美しいと言ってくれたのよ。実母さえ忌嫌ったこの赤毛を、彼は暖かい色だと、そして愛おしいって。彼の言葉で、大嫌いだったこの髪の色が許せるほどに思えていたのに…。
なのに、金色の髪、象牙のような肌を持った貴女が現れ、ドューだけでは満足せず、私からマリユスまで盗ろうとする。
覚えておきなさい!」
金切り声で叫ばれても、アヤカーナはどうしようもなかった。だが、気圧されてはいられない、セスを助けなくては。
「私を恨んでも構いません。でもセスを見殺しにするなんていけないことです。早く手当てに戻って、お願い!」
きょとんと目を丸くし、フォンティーヌは噴き出した。
「私はマリユスの一番になる、と言っているでしょう。
彼の大事な従者を殺し、次は大切な女性を殺る番よ」
アヤカーナは呆気にとられた。そんな理由でセスが刺されるなんて、有り得ない。ふつふつと怒りが腹の底から込み上がってくる。
「貴女は間違っています。」
アヤカーナはぴしゃりと言い放つ。
「私から見たら、貴女ほど恵まれた女性は居ないわ。私など比ではない位のモノをお持ちじゃない。
でも貴女は、何でも簡単に手に入り過ぎて、忘れていることがある。
多くのものを持った人間には、等価の責任が課せられているのよ。その責任を果たさず、欲してばかりいたら罰が当たります」
フォンティーヌは得意そうに顎をあげて、せせら笑う。
「女性に一番必要なものは、美しい容姿よ。
ご自分がお持ちだからと言って、持っていない者へ対し、偉ぶらないほうが宜しくてよ。
それに、従者のことより、ご自分の身の心配をなさったら如何かしら、王女殿下」
自分と全く価値観を違えている人間と話す事に、アヤカーナは戸惑っていた。あべこべの世界で生きている者同志は、どのようにしたら、理解しあえるのだろうか。邪魔だと思うだけで、人間を簡単に殺せる人など、彼女の理解を超え過ぎて会話が出来ない。だけど、不用意に発言して、無駄に目の前の女性を、刺激してはいけない事だけは理解出来た。
しかし、笑みを湛えたこのフォンティーヌの余裕は、一体何処から来ているのだろう。
こちらへ向けられた短剣が、馬車の揺れに添って不気味なきらめきを放っている。
底知れぬ恐怖を覚え、アヤカーナの身体を冷や汗が伝い落ちる。
「私を宮殿へ帰して下さい」
「貴女を、天国へ、連れて、行って、あげるわ」
眉を上げ、赤い唇がゆっくりと一言一言を区切って動く。
意味を図りかね、訊ねようとした途端、馬車が急に速度を落とし、左右へ大きく振れた。車輪が石を弾き飛ばし馬車へと打ち付ける。どうやら曲がりくねった道へ入ったようだ。
馬車の揺れで舌を噛まないようアヤカーナは耐える、辺りが暗くなり、馬車を打ち付ける木の枝や草の音が車内へ不気味に響く。フォンティーヌを見れば、彼女は微笑を浮かべたまま、どんなに身体が揺れようが、跳ねようが短剣をアヤカーナから逸らすことはない。強い執念を感じ空恐ろしかった。
また車内が明るくなり静けさが戻った途端、馬車はごろごろ音を立てて止まった。
御者席から男達が降りる音がする。馬車の扉が開くと、フォンティーヌに肘を掴みあげられ、アヤカーナは馬車から外へと乱暴に押し出される。
扉の脇には緑色のお仕着せを着た、イズミク公の私兵が立っており、踏み段を降りた瞬間、両脇にピタリと就かれた。
そこは、森の中にぽっかりと広がった空間だった。周りを木々に囲まれ、その真ん中には今にも倒れそうな小屋が建っている。傾いだ戸口が滅多に使われていないことを教えている。
ここはどこかしら。アヤカーナは不安だった。
「グールメール!」
フォンティーヌの響き渡る呼び掛けに、木々から一斉に小鳥が飛び去り、小屋の扉から一人の大男が現れた。
「さあアーヤ、彼がお待ちかねよ」
耳元で囁かれアヤカーナはパニックへと陥る。
あれは、あの姿は…。
頭から、二つの穴が開いた袋をすっぽりと被った大柄な男。それは、忘れたくても忘れられない、あの夜の死刑執行人だった。
悲鳴が声にさえならない。アヤカーナは縋る様にフォンティーヌを振り返る。
「いやっ、お願い。フォンティーヌ止めて。彼のところへ連れて行かないで」
フォンティーヌはにたりと笑い、私兵達へ合図を送る。
アヤカーナは首を振りながら、兵士達の拘束から逃れようと踏ん張る。しかし、簡単に身体が地面から浮き上がり小屋の中に押し込まれた。
背後で扉が閉まる音が響き、部屋の真ん中にあの男が立っていることを確認する。
アヤカーナは逃れるように部屋の隅へと走り、身を竦ませた。
薄暗くて、何もない部屋だったが、思ったよりも広く、武器になるものがないか必死に目を凝らす。
「さあ、グールメール、彼女を好きになさい。
お姫様を抱けるなんて、一生に一度きりのご褒美よ」
フォンティーヌの満足そうな声が、アヤカーナを恐怖のどん底へと突き落とす。
アヤカーナの怯えた瞳の前で、グールメールは頭に被った袋を脇へと放り投げた。
「いやよ、フォンティーヌ。本気じゃないでしょう」
フォンティーヌは困ったふうに首を傾げる。
「私の友達は貴女の所為で亡くなったのよ。彼女のためにも償って頂かなくては。
諦めなさい。純真なお姫様がならず者に犯されて逝く。これは貴女に下された罰なの。
それにマリユスの心に残る最期の貴女は、酷く汚れたオンナ。最高よね」
フォンティーヌが短剣をこちらへ向けた姿勢のまま後へと下がり、グールメールが脂ぎった顔に目を光らせ、アヤカーナへ近付いて来た。大男の笑った口元からはボロボロの真っ黒い歯が覘いている。
男がアヤカーナの腕に手を掛けようと伸ばす。
「無礼者!下がりなさい」
アヤカーナは叫び、脇へ飛び退のくと、壁伝いに逃げる。またもや伸ばされる手を、両手を振り回し叩き落とす。泣きながらフォンティーヌに哀願する。
「止めさせて、お願いフォンティーヌ!」
「グールメール遊んでないで、殴ってでも犯っておしまい。
ゆっくりしていられないのよ!」
フォンティーヌの怒鳴り声にアヤカーナは悲鳴を上げる。
「いやーっ!」
叫びながら戸口を一目散に目指す。だが数歩も進まないうちにグールメールが、襲い掛かって来た。床に倒れたアヤカーナは、大男の下敷きになり息が出来ない。圧し掛かっていた重みがとれ、やっと息が出来ると思った途端、男の頭が臭い息とともに下がり、アヤカーナは乱暴に唇を塞がれた。舌を押し込まれそうになり、嫌悪で吐き気が込み上げてくる。いや、ドュー、助けて。
胸の奥から酸っぱいものが込み上げ、アヤカーナの喉と口を満たす。グールメールはその味に我慢出来ず、唇を離す。口が自由になりアヤカーナは、咳き込みながら吐瀉物をこれでもかと吐き出す。
グールメールは憤怒に顔を染め、アヤカーナの髪の毛を掴むと、思い切り引っ張り上げた。アヤカーナは負けじと手を振り上げ、届く範囲で男を殴る。
殴ったつもりだったが、アヤカーナの短い手は空を切るばかりだった。頭皮が剥がれるのではないかと思うほどの痛みの下、止めとばかり左右の頬に一発ずつ拳が飛んで来た。
アヤカーナは星を見たと思った。意識が朦朧として、口の中に鉄の味が広がる。ガンと後頭部が床に打ち付けられ、男の手には、抜かれた金色の髪の束が、握られているのを見た。
力の抜けた身体からドレスが剥ぎ取られ、肌が露わにされてゆくのが分る、ドュランの優しい手とは似ても似つかない野蛮人の手によって―。
身体の芯まで汚されたようで涙が止まらない。
「おい男、王女から離れろ。然もなくば、お前の主人の命がない。
フォンティーヌ、死にたくなければ、今すぐ止めさせろ。」
冷静な声が響き渡り、アヤカーナは声のする方向へふらふらする頭を向ける。
フイイが、フォンティーヌから短剣を奪い、彼女の白い喉元へ長剣を当てていた。アヤカーナは助かったと、詰めていた息を吐く。
「フイイ、そなた皇族へ剣を向けるのか。
近衛隊のくせに皇族警護の任務を放棄するつもりか」
フイイはフォンティーヌの言葉へ耳を傾けることはなかった。
彼女に一層剣を突きつけ、グールメールへ繰り返す。
「男、早く王女から退け」
グールメールは動かない。
彼はアヤカーナの上へ乗ったまま、フォンティーヌの指示を仰ぐ。
「グールテール、私は大丈夫。
そのまま王女のピンク色の蕾を噛み切っておしまい」
フイイが息を呑み、アヤカーナにはその意味が分からなかった。
「フォンティーヌ!首が飛ぶぞ!!」
「構わなくてよ。
でも、アーヤの可愛らしい乳首もなくなるわね、フイイ」
アヤカーナが息を呑む暇もなく、グールメールが覆いかぶさって胸の先に噛み付いた。
「ひ…くっ」
左胸の先へ鋭い痛みが走り、血が滲み出す。アヤカーナは恐怖と痛みのあまり、目を見開き、大きく口を開けたかと思った瞬間、かふっと喉を鳴らし意識を手放した。
フイイは唇をかみ締める。アヤカーナの乳房を伝う血を見詰め、剣を床へと捨てた。
フォンティーヌは口角を持ち上げ、床へ落ちた剣を拾いフイイへ剣を向ける。
「グールメールお止めなさい。
こちらに来て、この騎士様を縛り上げるのよ」