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杜の都で待つ人は  作者: はる姫
第三章
18/32

1.

 

 アヤカーナは子供の頃からパーレスに来れば、幸せが待っていると信じて疑わなかった。許婚ドュランに愛され、パーレスの貴族達に慕われ、自分はパーレスの為に生きていくのだと思っていた。

 そう教えられ成長してきた。それがケセン王族として生まれた自分の務めだと、胸を張っていたのに。

 まさか、ずっと育んでいた想いが偶然耳にした会話で、簡単に打ち砕かれるとは考えてもいなかった。

 

 近衛隊の視察へ向うため、外へ出たアヤカーナは忘れ物をしたことに気付く。部屋へ戻りたいと思ったが、言い出せずにいた。

 途中、アザレアとタンギューが視察の申請方法について、言い合いを始めた隙を見て、待っていて、と言い残しこれ幸いに走り出す。


 近道しようと、宮殿の大庭園を突っ切っていた時だった。

 誰かにアヤカーナと呼ばれたような気がした。足を止め、声の方を振り返る。

 何処だろう。数歩ばかり戻ったところで声が聞こえる。どうやら声の主達(あるじたち)は、厚い生垣の向こう側のようだ。

 関係ない、とまた走り出そうとするが、聴こえてきたケセンという言葉に後ろ髪を引かれた。

「下賎なケセンの王女を皇太子妃と(あが)めるなど、虫唾(むしず)が走ると思っていましたが、ガンシュ王女の方が、まだマシというものです。」

 聞き覚えのない中年女性の声だった。そこへ男の声が続く。

「静かに。まだ意見は別れているが、ガンシュ王女の輿入れは決まるだろう。

 直ぐにも条約締結に向けて、宮廷へガンシュ側の出入りが始まる。何処に耳があるか分からん、ガンシュの中傷など以ての外だということ、お前もよく心しておけよ」

「ええもちろん。

 ところで、そうなるとケセン女はいつお帰りになるのかしら…」


 アヤカーナは逃げるようにして、その場を走り去ることしか出来なかった。心臓がドクドクと脈打ち、今にも口から飛び出しそうだ。

 部屋まで走って来たものの、何故戻ってきたのか思い出せない。息を切らし部屋を見渡していると。突如、腕を引かれる。


「アヤカーナ様、一人で行動なされては困ります」

 走って追いかけて来たのだろう。アザレアの息も上がり、額にうっすら汗まで浮かんでいる。

 ああそうだ、思い出した。昨日、近衛隊の視察に行くと聞かされ、昨晩こっそりフイイへプレゼントを用意していたのに、それを忘れてしまったのだ。

 プレゼントは、楽しかったダンスのお礼のつもりだった。

 アヤカーナはアザレアへ、ごめんなさいと謝り。引き出しから、Feuilly(フイイ)と自らが刺繍したハンカチを取り出し、胸に仕舞う。




 宮殿の裏庭の一画、四方を壁に囲まれた庭で、白いブラウス一枚の男性が一組、壁へボールを交互に打ちあっていた。コートを挟みアヤカーナ達の向かい側では、見物組の兵士達が仲間へ声援を送っている。競技者達の息遣いと、打ち込まれるボールの音が白い壁に反響し、蒼い空へと抜けていく。

 白熱した戦いに、アザレアは目の前の保護網に指を絡ませ、ボールの行方を追っていた。

「何故、近衛兵士達のポーム試合の視察が必要なのか聞かせてくれ、アザレア」

 タンギューからの問いにアザレアは、面倒臭そうに眼を細め、傍に寄るよう指で合図を送る。

「今、令嬢方の間で一番人気の試合をお見せして、お元気になって貰おうと思ったのですわ」

 小声で言われ、タンギューは、ちらりとアヤカーナを見る。ケイト、ハンスイと共に微笑(わら)って試合を楽しんでいる様子だ。

「お元気そうだぞ」

 アザレアは肩を落とす。

「いいえ変です。あれは楽しんでなどおりません。」

(よだれ)を垂らしてる誰かさんと違い、上品に見物なさっているようにしか見えないな」

 瞬間、目を丸くしたアザレアは、去れと乱暴に手を振り、つんとタンギューに背を向ける。


 アザレアは不安だった。ここのところ、アヤカーナの様子がおかしいのは間違いない。上の空が多いし、何事にも、邪魔ではないか、という問い掛けが多くなったように感じる。以前の天真爛漫さが息を潜め、なぜか危うい感じがして眼が離せなくなった。

 殿下の執務室への日参を停止された事が一因だろうが、これ(ばか)りはドュランを責めることは出来ない。彼は今も、頭の固い国務大臣らを相手に、アヤカーナを得るため戦っている。

 但し、アヤカーナに何も知らせるな、というお達しだけは腑に落ちない。しかし、これも一種の愛情なのだろう、と割り切る。

 アザレアは、もし自分がその立場だったら、隠し事だけは御免だと思う。というより、知るだけでは済まさないだろう、と苦笑する。

 競技者達へ拍手を送るアヤカーナの横顔を見つめ、アザレアはこの少女を心から不憫に思う。ここ伏魔殿(パーレス)へ、ケセンからたった独りで嫁ぐには、彼女は純真すぎる。そんな少女を護り抜きたいと思うが、所詮自分は女の身である。いつまで宮仕えが叶うのかさえ知れない。アヤカーナがここで(すが)れるものはドュランだけだ。今、彼女の為には、彼女にドュランへ不信感など、抱かせない事が私の責務、と改めて確認する。



 一際(ひときわ)大きな歓声が響き、アザレアは競技場へ眼を向ける。最終勝者が決まった様子だ。勝者はコートの真ん中からアヤカーナへ向け、深々と礼をしていた。


「アザレア、彼とお話ししてもいいですか」

 アヤカーナの眩しい笑顔に、アザレアは(うなず)きたくなるのを(こら)え、艶やかな笑みをタンギューに向ける。

「隊長にお訊きいたしましょう」

 タンギューは話しを振られ驚く。

 くそっアザレアめ!ドューにあれ程近衛達との接触はなし、と約束していたではないか。

 ()、と告げようとするが、アヤカーナの期待を込めた瞳にたじろぎ、頭とは裏腹な言葉が口から出る。

「もちろん宜しいですよ」

 ありがとうございます、とコートへ出て行くアヤカーナを見送るタンギューの後ではアザレアが、声高に口をすぼめて笑っていた。



「フイイ!とても素敵でした」

 アヤカーナにはフイイが直ぐに分かった。笑窪(えくぼ)が魅力的な好青年が勝ち進むことを、一生懸命に応援していたのだ。

 勝者フイイは、コートの真ん中で突然王女に両手を握られ焦っていた。周囲の静まり返った様子が、事の重大さを表している。

 お願いです!手を離して下さい!! 心の中で必死に叫ぶ。 

「それに仮面は外した方が、もっとハンサムです」

 恥ずかしげに微笑(わら)っているアヤカーナに見惚れ、ついフイイも返してしまった。

「王女様こそ、仮面など無いほうがとても可憐でお美しいです」

 地鳴りのように響く同僚の歓声に、フイイは我に返る。隊長の居る方角から黒いものが蜷局(とぐろ)を巻いてこちらを威嚇している。やばい、絶対にやばい、私は隊長に殺される。

「ありがとうございます」

 頬を真っ赤に染めて礼を返す王女の愛らしさに、また目尻が下がる。後の野次が一層五月蝿くなったが、フイイはもうどうとでもなれ、という心境だった。

 不意に手が外され、慌てて首を振り邪念を追い払う。

 そんなフイイをよそに、アヤカーナはドレスの胸元を(まざぐ)ると、白い布をフイイに差し出す。

「フイイこれを」

 フイイが手にしたものは、アヤカーナの体温で温かかった。

「先日のダンスのお礼と今日のお祝いです」

 白い花のようにふわりと微笑(わら)うと、アヤカーナはアザレア達のもとへと戻る。

 

 フイイはFeuilly(フイイ)の刺繍を指でなぞる。直ぐに言葉が出てこなかった。皇族へ背後から声を掛けることはご法度だったが、構ってなんぞいられない。

「アヤカーナ様ありがとうございます。次も頑張ります。是非応援にいらして下さい」


 アヤカーナは立ち止まると、少し考えて振り向いた。

「…次が、ありましたら」


 静寂が場を包み込む。


 誰もが、王女は知っている、と思った。

 アザレアが喉の奥から声にならない悲鳴を発する。タンギューは咄嗟にアザレアへ腕を伸ばし、その細い腰を支えた。彼の支えがなかったら、アザレアは間違いなく崩れ落ちていただろう。


 フイイはアヤカーナの瞳を見つめたまま、その場にゆっくりと跪く。

「お約束願います。

 先日私へ、ボンネットを外し、ダンスを踊りましょう、と

 お誘い下さったのはアヤカーナ様です。私はまだ踊って頂いておりません。

 次の舞踏会では必ず私と踊って下さいますようお願い申し上げます」

 アヤカーナは微笑み、首を傾げた。

「ごめんなさい。覚えておりません」

 言って、踵を返した華奢な後姿にフイイは続ける。

「私の父は連日の閣議で、殿下とご同様に皇太子妃はアヤカーナ様と発言しております。

 当家の縁者、私の親友達はアヤカーナ様を仰いでいることを覚えておいて頂けたら光栄に存じます」


 アヤカーナは一度も振り返る事無く、アザレア達と競技場を後にした。フイイの言葉はとても嬉しかった。頬が濡れて大変だった。


 しかし、アヤカーナは政治の世界において、どうにもならないことが多々あることは百も承知していた。

 

 

 



ポーム試合はジュ・ド・ポームを頭において著してみました。

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