9.
夜遅く、タンギューはドュランの居間に居た。
室内には三人だけ。目の前ではダズンがドュランと向かい合わせで腰掛けており、タンギューは書棚に背を預け、立っていた。
タンギューの瞳が皮肉気に光る。
「突然の不可侵条約の申し出…。それも、ガンシュ側から王女の差出し付き、とはね。
ところで、我が国に後宮制度はない、と記憶していたが、ガンシュ王女はドューの第二夫人になるのかな」
ダズンは親友の皮肉に大きく息をつく。
「まだドューは結婚してないぞ。
たとえ、してたとしても…、条約が締結され、ガンシュ王女が差し出されたら、どう考えても皇太子妃だろ」
「一方的なガンシュ側の歩み寄りに見えるが、ウラはないのか」
「イズミク公がその点を考慮され、パーレス側もガンシュへ皇族の輿入れをと、意見していらっしゃった」
「ガンシュとの不可侵条約締結は、パーレス側としては拒否する理由がない。
重鎮達にとっては願ってもない事だろうから、決まりだな」
言って、タンギューは無言のまま腕を組んでいるドュランに目を遣る。
「フイイ達が逃してしまった王子様は、どう係わっていると思う。ドュー」
「…女のためにここまでやるなんて、敬服するよ」
ドュランは深く頭を後ろにもたせ溜息をついた。
ダズンは書類を目で追いながら、ドュランに同意する。
「まったくだ。まず、そのマリユス王子とやらが、ガンシュの新王太子に間違いないな」
タンギューは眉間を寄せる。
「たった二年で、影の薄かった第六王子が、王太子まで登りつめたのか。一体何を武器に?」
「金だ。」
ダズンの淀みのない応えにタンギューは、信じられないという風に天を仰ぐ。
「おいおい、都合良く、金が空から降って来た、とでも言うのか」
「パーレス、ガンシュ、ケセン三国の国境線の交わるガンシュ側は、マリユス王子の母の実家ガンシュ・ハイデン領にあたる。パーレスに接する境は山林だ。数年前その一帯に金鉱が発見されている。その金鉱を盾にマリユス王子は上手く立ちまわったのだろう。
我が国との不可侵条約の締結はあちらにとっても、敵対関係をうだうだと続けるより、国策として正に働くだろうし、何より無血だ。
金鉱の守護という大儀が、お偉方を納得させた要因なのだろうな。とにかく新王太子の最高の手柄となる。
逆にこちらにとっても、敵対していたあちら側の申し出による不可侵条約の締結は、諸外国へパーレスの優位を示す良い材料となり、損にはならない。
互いに万々歳だとしか思えない、ということだ。」
内心、マリユスの手腕に感心しながらもタンギューは、ドュランの気持ちを慮り、軽く肩をすくめる。
「ドューとアヤカーナ様の婚儀の二ヶ月前に、ぶつけてくるところが憎いな。
皇太子の婚儀を間近に控えているこちら側に、条約審議の時間をとらせないという戦略か、それとも二人を結婚させまいと必死なのか。」
「両方だ!」
ドュランの強い口調に、ダズンとタンギューは驚く。
考え込むように肘を突いて、両指を絡ませているドュランを見つめ、まずいとダズンは焦る。幼なじみの考えていることなど手に取るように分かる。短絡的な行動だけは謹んでもらわねば。
「ドュー、まだアヤカーナ様に対して不埒な行為にだけは及ぶなよ。」
ダズンに続き、タンギューは肩を書棚から起し直球を投げる。
「やってしまえば、こちらのもの。などは通用しないぞ」
ドュランは眼を瞬かせ、俺はそんなに信用ないのか、と落胆するが、気を取り直して二人に告げる。不思議と気負いはなかった。
「ガンシュと不可侵条約は締結する。俺の妃はケセン王女アヤカーナ。これで閣議を通す」
信じられないと言った表情で、タンギューはダズンを見た。
「おい、ドューが廃太子にしろと騒がないぞ」
タンギューの黒い瞳に当惑と喜びが入り混じっている。
ダズンは口が半開きのまま、言葉にならなかった。
ドュランはそんな二人の表情に苦笑する。
「これからも俺の進む方向について来てくれ、俺はお前達を信頼している。お前達も俺を少しは信頼しろ」
ドュランの口から出る、待ちに待った言葉にダズンは酔う。盆暗だと諦めていた日々が嘘のようだ。
しかし、ドュランの選んだ道は難しい選択であることは間違いない。ケセンがパーレスにとって、ガンシュを上回る影響力を及ぼすことなどあり得ない。ガンシュの王女を蹴ることを大臣たちに納得させるための作戦を… ケセンとの結びつきが国益に適う証明… そして、やっかいなガンシュの王太子の出方…
問題は山積みだ。しかし、彼は湧き上がる喜びに夢中で、苦など一片も感じない。皇太子の側近としての腕の見せ所だった。
「やるぞ!!」
鼻を擦り、天井を見上げたダズンの頬に、キラリと光るものが見えた。
そんなダズンの様子を訝り、ドュランはタンギューに囁く。
「医者が必要か」
冗談じゃないとタンギューは首を横に振る。
タンギューは頬を濡らしている友を、思い切り抱き締めてあげたいと思った。