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杜の都で待つ人は  作者: はる姫
第二章
15/32

7.

 

「みんなで幸せになろう」とその少年は言った。

 四歳になったばかりのアヤカーナを抱え上げ、ケセン国サンワイ城の天守から南の方角を見据える。

 夕陽(せきよう)が射していた。橙色に染まった城の石壁が反射して、まだ幼さの残る少年の横顔を照らしている。肩まで伸ばした癖のない薄い金色の髪を陽が透き、長い睫毛に縁取られた大きな灰色の瞳が輝いていた。その少年、マリユスの瞳は、遥か彼方の大帝国パーレスの首都サウザンタワーに向けられていた。

 

 強国に挟まれた小さなケセン王国が生き残るためには、二つの烈国を刺激しないよう、外交の均衡を保ちながら渡り歩かなければならなかった。その上、資源を隣国に依存し、頼れる産業が水産だけというケセンの立場は弱い。

 現状、貿易量などの面から、公益上ケセンはガンシュよりパーレスに追随せざるを得ない。たとえパーレスの属国と呼ばれようが、国の存続を維持することが、代々のケセン王族の務めであり、そのことを少年は承知していたはずだった。しかし、納得していながらも、婚姻という契約で、己からアヤカーナを取り上げるパーレスを、恨まずにはいられない。


 マリユスは三歳の時、生まれ育ったガンシュ国ハイデン領主館から、母と慕ってきた叔母セイラの輿入れに伴いケセン王宮へと移って来た。もの心ついた頃から、父と母は居らず叔母のセイラを信じて生きてきたマリユスにとって、そのセイラに付き従うことは当然といえば当然であった。

 また、ケセン王妃となってもセイラは、マリユスに惜しみない愛情を注ぎ、マリユスの父母のことも、包み隠さず話して聞かせてくれた。マリユスは己の生まれのを知った時、とりわけ特別な感情も湧かず、ああそうなのか、とだけ思った。

 それは彼が、真実(ほんとう)に愛されて育った所以だろう。穏やかで優しい気質の少年は、その白皙な美貌も相俟って、ケセンでも周囲の者たちに愛され、何の不満はなかった。

 しかし、仲睦ましいケセン国王夫妻を見るにつけ、マリユスの心には孤独という感情が芽生えていた。周囲には美麗な笑顔を振り撒きながらも、心の奥底では叔母夫婦の間に、己の居る場所などないことを悟り、ケセン王家の人間ではない己の存在価値までもが疑問となり、孤独へ拍車がかかる。いつの間にか胸の中には、孤独という無数の小さな(うじ)(うごめ)き、いつか口の中から黒い(はえ)が、群れをなして飛び出しそうな感じだった。

 そんな折、授かったのがアヤカーナだった。セイラから「あなたの従妹よ。護ってあげてね」とマリユスの腕の中へ委ねられた赤子は、金色の巻毛に桜貝のようなピンク色の唇を持ち、まるで蕾が花開くようにふわっと、マリユスへ微笑みかけてきた。

「かわいい」

 ゼリーのようにふわふわの柔らかい小さな命は、泣くこともなくマリユスに抱かれ、小さな息を無心に繰り返している。頬ずりをすると、ミルクの香りがした。マリユスは一瞬のうちに魅了されていた。

 その時マリユスは、このアヤカーナの中に、心の底から求めて得られなかった家族を見出していた。それは、彼が孤独から救われた瞬間でもあり、この赤子を全力で護ると誓った時でもあった。

 

 その大切なアヤカーナに、許婚が決まった。その相手である会ったこともない、パーレスの皇太子を殴り倒したい気持ちに駆られるマリユスを、アヤカーナの屈託のない笑いが(とど)める。

 私がアーヤを幸せにしてあげる、誰よりも幸せにしてあげるのだ。

 アヤカーナを腕に抱いたあの時から、彼女を幸せにするのは己の使命だと決めていた。


「私がアーヤを幸せにしたい」

 ケセン王妃は甥マリユスの訴えに微笑って返す。

「マリユス、貴方は今幸せですか。

 人を幸せに出来るのは、幸せな人間なのよ。

 誰かを恨んだり、羨んでいるうちは駄目。

 誰かを幸せにしたかったら、先ず自分が幸せでいなくては。」


 マリユスは思った。では皆で幸せになればいい。城の天守から改めて誓う、私は彼女を護る為いつでも戦おう。

 腕の中でくたりと凭れ掛かっている少女の前髪を、優しく掻きあげる。緊張していたマリウスの顔が自然に綻ぶ。いつの間にか眠っていた、この柔らかな少女への責任感と愛しさで胸が一杯だった。 




****************************************




 額を撫でる冷たい感触が気持ちいい。

 アヤカーナがドュランと仮面舞踏会から戻り2日が過ぎていた。

 

 アヤカーナは寝台へ入ったのまでは覚えていた。それからは、寒い、熱いという感覚を行ったり来たりしている。

 今は首に巻かれた布が汗でへばり付いて煩わしい。外そうと伸ばした手を、先程と同じ冷たい感触が止める。何だろうと重い瞼を上げると焦点があわず、瞬きを繰り返す。

「大丈夫か」

「殿…下…」

 喉が渇き声にならなかった。目の前にはドュランの顔があり、会話をしたいのだが、どこか遠くへ意識が吸い込まれるような感覚に捕らわれ、また瞼を閉じる。冷たい感触が去って行き、直ぐに乾いた唇へ冷たいものが触れ、意識が呼び戻される。

 重なった唇から液体が注ぎ込まれ、アヤカーナは喉を鳴らして飲み込んだ。よく冷えていて美味しい。

「もっと飲んだほうがいい」

 ドュランがまた口移しで飲ませてくれる。

「私…、なぜ?」

 状況が理解できず、アヤカーナが尋ねると、ドュランは眼を細めアヤカーナの喉へ軽く手を置いた。

「舞踏会の後から熱を出して、寝込んだのだ。

 あの夜、大分怖い思いをさせたからな、悪かった。」

 ああ、喉の不快な布の正体は包帯だと気付き、取りたいと訴える。ドュランは渋い顔をした。

「アザレアが紫になった痣をみて、俺を変態だと罵るのだ。

 痣が消えるまで付けていてくれ」


 


 あの日の明け方、やっと宮殿に戻り、寝台へ入ったドュランは、眠った気もしないままアザレア達に叩き起され、アザレア、ケイト、ハンスイの三人にアヤカーナの寝室へと引き摺られた。


 高熱で魘されているアヤカーナの隣で、アザレアは半狂乱でドュランを責め立てる。

 首の痣と身体に散っている赤い斑点は何か答えろ。もしかして殿下は女性の首を絞めながら行為を致す、俗に言う変態なのか。などと鬼の形相を呈し、皇太子に対する礼儀もへったくれもなかった。

 ドュランは、玉のような汗を浮かべ、紅潮したアヤカーナの様子に驚き、それ所ではない。

 清々しいはずの秋の朝、王女の寝室に響き渡ったドュランの叫び声がアザレアを黙らせる。

「黙れアザレア、医者を呼べ!早くしろ!!」

 アザレアは片方の口端を上げ、ふんと皮肉な笑みを浮かべる。

「既に御殿医には処方を致してもらっております

 首を絞められた事による衝撃と過労による発熱。二、三日で熱は治まるそうです

 さあ、殿下。昨夜は宮殿を抜け出し、何を致していたのか、お聞かせ願いましょうか」

 そんなことより、アヤカーナに付き添わせてくれ、と頼むドュランにアザレアは声を潜めた。

「ソニアが殺されました」

 眼を見開き、まことか呟くドュランへ、アザレアは頷いた。

 




「変態?…ですか」

 小さな声だった。聞き漏らす事無く、ドュランは苦笑した。

「アザレアは女に暴力を振るう男は変態だと言い張る。」

 息を呑んだアヤカーナをドュランは手で制した。

「面倒なので変態と思わせておこう」

 言って片目を瞑るドュランの姿に、アヤカーナはくすくす微笑う。

 ドュランが顔を寄せ、こつんと額をあわせた。

「まだ、熱がある。何かスープでも飲んで休め」

 少しだるそうに見上げるアヤカーナの肩シーツをで覆うと、女官へスープを持ってくるよう指示をだす。

 アヤカーナは大きな枕に頭を乗せたまま、ドュランの姿を追っていた。扉にアザレアの姿も見えたような気がした。

 まるで身体に鉛でも仕込まれたような感じだ。病気の時付き添ってくれる男の人は、マリユス従兄さまだけだったのに、殿下が傍に居るなんて不思議だった。ああそういえば、マリユス従兄さまに久しぶりに会ったんだ。マリユス従兄さまはケセンに戻ったのだろうか…それとも…。アヤカーナは瞼が閉じていくのを止められなかった。



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