3.
高級娼婦と呼ばれる女性達が参加する、派手なドミモンドの舞踏会は、大きな舞踏場の他に、密会や逢引に使われる大小多数の部屋が、公然と用意されている。
その一つ、大きなバルコニーの付いた部屋で、アヤカーナはドュランとフイイはじめ四名の仮面を被った男性達と、テーブルを囲んでいた。
人ごみと香水で息苦しい舞踏場と違い、この部屋は空気が澄んでいる。
このまま皆さんとお話しした方が楽しそうだと感じ、畏まっている男性達にアヤカーナは笑顔を向ける。
フイイが甲斐甲斐しく動き回り、ドュランとアヤカーナへ飲み物を運んでくる。彼は二人の前へグラスを置くと、椅子の前で一旦直立し、他の三名と同じく背筋を伸ばしたまま、腰を下ろした。
ゆったりと長椅子に身体を預けているドュランは、四名の仮装した男達、一人一人に視線を巡らし目を細める。
「近衛隊の諸君、今宵の収穫を聴かせて貰っても良いかな」
普段のドュランならば、ドミモンドでは身分を問わず皆と交流しており、近衛隊の諸君などと、呼称することはなかった。しかし、いつもの無礼講の定義は、目の前の男が己から連れを奪おうとしていると気付いた時点で、頭の中から綺麗さっぱり消えていた。
四名の騎士達は、本来なら本日の女性談義に華を咲かせるところだが、いつもと違う殿下の態度といい、連れの女性の正体に確信が持てるまでは黙っている方が懸命だと感じ、その問いに応える者はいなかった。
いつもの裏社交界なら、ドュランの存在は遠目でも直ぐに判断が付いてたいた。そうなれば近衛として、遊興より皇族の警護が第一となり、連れの女性を警戒し、ドュランの鼻先で声を掛けるなどというヘマをする筈が無かった。
この半年余り、裏社交界の集まりでドュランを見かけることがなくなり、油断したと四人はしきりに反省していた。
「何を収穫するのですか、ドュー」
緊張した場にそぐわない無邪気な声が、ドュランの隣の女性から響く。
ドュランはにこりと微笑い、アヤカーナへと視線を移す。
「彼らは閨房術を実践するための女性を探しているのですよ。
貴女に声を掛けてきたのもそういう訳で、男性は騎士だろうが貴公子だろうが、気を許してはいけないということです。」
丁寧に話し、これでアヤカーナも周りに警戒心を持つだろう、とドュランは満足気にグラスを手に取った。
「まあ。それは皆様、ドューの真似をなさっているということですね」
アヤカーナの一言に、口にした葡萄酒が気管に入り咳き込む。意味が分からず顔を横に向けると、アヤカーナはほんのりと頬を染めていた。
「ドューがむかう方向に皆が従うのは当然ですもの。
ドューがこちらへ動けば、皆もこちらへと動く。動かなければ動かない。
ブンチョーとやらに入り浸れば、ドューに忠誠を誓った皆様は同じく入り浸る。
でも、皆様は快楽を求めながらも任務を忘れない、それがパーレスの騎士だ、とアザ…っじゃない。
えっーと、私の友人が申しておりました。」
ドュランは目を見開き、照れくさそうに微笑んでいるアヤカーナの横顔をみつめた。
友人とはアザレアのことだ…。臣下の行状は主、つまりは俺の責任だと言っているのか。
思わず額を押さえ、女傑の先手に舌を巻くしかないと肩を下ろす。夕刻にダズンとタンギューが聞いたのと同じアザレアの笑い声が、数刻遅れでドュランの頭の中で響き渡っていた。
「皆様、ご苦労様です。
私もドューの進む方向に付いてまいりますので、よろしくお願い致します」
そう言って、ぺこりと頭を下げたアヤカーナに、四名の男性は釘付けになっていた。
「ドューも私が後ろに付いていることを忘れないで下さいね」
一方、真剣な眼差しを向けて告げるアヤカーナに、ドュランは目を瞠った。
目の前の村娘はケセン王女だと四人が四人とも確信した。仮面を被ってはいるが、少女の純真な表情と想いが手に取るように分かる。
宮殿の中を隊長やレディ・アザレア達と歩いているのを、フイイはよく目にしていた。殿下と連れ立った姿を見たのは初めてだ。
見栄えが良いだけの王女だと思っていたが、もしかするとパーレスは宝玉を皇后に戴けるのかもしれない。そう思うと、フイイの心が沸き立つ。
フイイは陛下と殿下に捧げているオマージュを、この王女へ捧げてもよいとさえ思え、跪きそうになるのを慌てて堪える。他の三人に目をやれば、互いに頷きあい、同じ気持ちだということが伝わってくる。この王女は、きっと殿下を支えてくれる。パーレスの未来に思いを馳せ、感謝せずにはいられなかった。
ドュランは驚いていた。俺が向いた方に皆が付いてくる…、当然だと思っていた。その行動による結果など考えたこともない。今までの短絡的な己の思考回路を省み、ふっと自嘲が零れる。褒められそうなことなど、全く浮かばない。
…そうか、これからは後ろにはアヤカーナが付いているのか。小さな何かがドュランの胸の奥に灯り、そこが妙に温かく、くすぐったかった。
突如、各々のもの思いを破るかのように、扉を叩く強い音と共に鈴の音が響いた。
扉が開くのと同時に、妖精の衣装を身に纏い、背中に羽を付けた女性が三名、短い杖の先の鈴を鳴らし、ひらひら舞いながら部屋の中へと進んで来た。
「麗しい男性達が、一つの部屋に固まっているなんて、反則ですわよ」
男性達は不意を付かれ、驚いたように起立し、女性達を見つめる。
紅い髪を高く結い上げた水色の妖精がドュランの前で止まり、ドュランの頬を滑るように撫でる。
「来ないって、言ってたくせに。嘘吐き」
フォンティーヌだ!アヤカーナを含めそこに居た全員が、乱入してきた妖精の正体に気付いた。フォンティーヌの後ろで、鈴を鳴らしながら、くすくす笑っている黄色と赤の妖精二人も貴族の令嬢なのだろう。
「フォンか。」
ドュランは安堵して名を呼び、直ぐに眉を寄せた
「護衛は付いて来ているのか。」
「心配性ね。
大丈夫よ、今日は城から三名ほど付いて来ているわ」
フォンティーヌは拗ねたように唇を突き出し、近衛隊の騎士たちへと身を翻す。
「フイイ、コンブ、ラック、ダン。楽しんでる?
さあ私達妖精が、魔法を掛けに来ましてよ」
三人の妖精は、男性達頭上へ杖を振り上げると鈴を鳴らしながら、くるくると男性の周りを回りだした。三色のドレスが舞い、鈴の音と笑い声が部屋に反響して、まるで幻想の中にいるみたいだ。
男性達は、妖精の羽を掴もうとしたり、蝶の形をしたマスクを外そうと手を出すが、妖精たちは慣れた素振りで巧みに躱し、男性の手をすり抜ける。
アヤカーナは一人座ったまま、その戯れを見上げていた。ドュランが妖精達に手を伸ばさないことが唯一の救いだが、胸が深く開いた、軽やかな三人の衣装に比べ、自分の控えめな衣装が惨めに思えてくる。それに私は騎士の方達の名前さえ教えてもらっていない。
フォンティーヌが舞うように、ドュランの左手を掴み扉へと引いて行く。
「ダンスを踊りに参りましょう、ドュー」
フォンティーヌは嫌に甲高い笑い声を上げ、開いたままの扉を足を速めて通る。ドュランはたたらを踏みながら声を上げた。
「フイイ!アヤの護衛を頼んだぞ!!」
他の妖精も男性達の手を引き、フォンティーヌの後を追って嵐のように去って行く。赤い妖精は二人の男性を連れて行った。
今までの喧騒が嘘のように静かになった部屋には、アヤカーナとフイイだけが残っている。
沈黙が続き、王女へ何と声を掛けてよいのやら、フイイは見当が付かなかった。項垂れて小さくみえる少女の顔がボンネットで隠れて見えない。置いてけぼりを食い、泣いていないかとフイイは心配したが、護衛を全うすべき、と余計なことは頭から追い払った。
アヤカーナは、予期していなかったフォンティーヌの出現により、乱された気持ちが落ち着くのを静かに待った。子供の頃から王女として、見苦しい姿を晒さぬよう教育されている。
息を整えたアヤカーナは、ふらりと立ち上がると、フイイの前へ優雅に進み、右手を差し出した。
フイイはアヤカーナの様子に戸惑い、一歩退く。
「フイイ殿、先程のダンスの申し込み、喜んでお受けいたします」
仮面の奥に見える灰色の潤んだ瞳に魅入られ、フイイはアヤカーナの手を取った。白い小さな手の柔らかい感触に我に返ったフイイは、仕舞ったと思った。
王女にダンスを申し込んだ時のドュランの様子を思い出す。
王女と踊って俺の首は繋がっているのだろうか。
フイイは天を仰ぐしかなかった。
この舞踏会、まだ続きます。