2.
その夜、アヤカーナは寝室を行ったり来たりしていた。頭の中はドュランからの伝言で一杯だった。
『今宵、夜会へ共に。一切の他言は無用。』
この伝言は、寝台へ入ったアヤカーナへの手の中へ、女官の一人が、殿下からです、と忍び込ませてきたものだ。
女官の行為にも驚いたが、内容がはっきりと理解できず、アヤカーナには戸惑いの方が大きかった。
小さな灯だけの部屋の中、手にしている紙切れに、はぁと息をかけてみたり、それを透かしてみたりする。
…やはり、文字は増えてもいなければ、見落としもない。伝言に従い、誰かに訊くことも出来ない
アヤカーナは肩を落とす。そんな自分の姿が映った鏡が目に入り、さらに溜息が零れた。
そこに映る姿は、すでに寝巻に着替え、髪も下ろしている少女。
もし、ドュランと夜会へ出掛けるとしたら、この寝巻姿は有り得ないし、それに時間だって遅い。いくら考えても夜会など無理だ。
もしかしたら、今夜のことではないのかも。
考えるのを諦め、くるりと回れ右をし、寝台へ戻りかけた時、背後のカーテンが揺れた。はっと息を呑んで振り返ると、黒ずくめのドュランが唇に指を当てて立っている。悲鳴を上げそうになったが、いつの間にかその姿にうっとりとする。
黒いドミノ(マント)を纏ったドュランは、さながら妖しい魅力を湛えた闇の皇子のようだ。
ドュランは目を丸くしているアヤカーナを見つめ、ふっと苦笑いをする。小さな灯りが金色の髪を琥珀色に輝かせ、まるで絵画の天使のようだ。そんな少女を、安全な宮殿から連れ出す行為に、咎を感じるも、慌てて打ち消す。
「近衛の者たちが集まっている仮面舞踏会へご一緒していただけませんか、姫」
言って、片手を胸に当てアヤカーナの前へ跪いた。
アヤカーナは、はいと思わず差し出された手を取りそうになるが、手を握り顔を背けた。
その様子に、ドュランの眉が軽く上がる。
「この寝巻では、外出できません」
ああ、と笑い、ドュランは包みを差し出した。
「…これに着替えるのですか」
寝台に広げられた衣装は初めて見るものだ。大きなフリルの付いたボンネットに、仮面もある。
殿下曰く、村娘風の控えめな衣装なのだそうだ。しかし、どうしよう。一人で衣装を着ることが出来ない。コル・バレネだって一人で身に着けたことがない。
でも、殿下と舞踏会へ行きたい。衣装をじっと見つめ、女官を呼んで貰おうと顔を上げたが。
「誰にも気付かれないうちに、早く着替えて出かけよう。」
警戒するように囁かれ、アヤカーナは着替えの手伝いを言い出せなかった。
仕方ない、と意を決しコル・バレネに手を伸ばす。
「俺は後ろを向いているから」
ドュランはアヤカーナに背を向け、話を続ける。
「今宵の約束だ。
俺のことはドューと呼ぶように。決して殿下とは呼ばないこと。」「はい」
「アヤカーナのことはアヤと呼ぼう。」「はい」
「そして、俺の傍からは離れない、他人と話をしない。」「はい」
ドュランの背後から、衣擦れの音とともにアヤカーナのくぐもった返事が繰り返される。
アヤカーナはドュランへ返事をしながら必死で着付けをしていた。
なぜか前が大きく開いて、押さえていないと胸がこぼれそうだ。コル・バレネが緩いのかと思い、つまんで引き上げる。
益々緩くなったように感じるが、片手で押さえていれば大丈夫、と急いで仮面を付けボンネットを被る。
衣擦れの音が止み、アヤカーナの終わりました、という小さな声が聴こえ、ドュランは笑顔で振り返る。次の瞬間ドュランは唖然とし、硬直したまま動けなかった。
あの右手を離したら、村娘の衣装は全て脱げる!
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広い舞踏場は仮装した男女でごった返していた。皆一様に仮面をつけ顔の上半分を隠している。頭上には色とりどりのランプが吊られ、大きな植木鉢が巧みに配置され、その陰で寄り添う男女が秘密めいた雰囲気を醸し出している。
アヤカーナは部屋の隅でドュランの腕を掴み、ダンスフロアをもの珍しそうに眺めていた。女性は肌を露出した古代調の衣装が多く、胸が強調されている。それに比べアヤカーナの装いは、ドュランの言うようにとても控えめだ。
胸の開いた自分の着付けは間違っていたみたいで、ドュランが全て直してくれた。
器用にコル・バレネの紐を締め、身頃やらスカートやらを順序良く重ねていく。そんなドュランの手際のよさに、最初は驚いたが、衣装を着せてくれているドュランの姿を思い出すとアヤカーナの顔に微笑が浮かぶ。
アヤカーナは自分の装いが、逆に目立って、愛らしい笑みが、魅力を増して見せていることに気付いていない。
「あの方、じっとこちらを見つめているわ」
先程から仮面の奥の視線を感じていた。ドュランの影に隠れてはそっと顔を出すが、その視線が離れることはない。視線の主は背が高く、銀色のドミノを纏いフードを被った男性だ。こちらを見つめたまま、気だるそうに大理石の柱に凭れて動かない。
ドュランも気付いていた。睨み返してはいるが、こちらに視線を向ける事無く、アヤカーナだけをずっと追っている。
「そしらぬ振りをしているんだ」
ドュランはアヤカーナを腕の中へ抱き込むと、男の視線から隠す。こちらのものだと示す意を込め、ゆっくりと金色の髪に口付けを落とし、顎をのせる。
静かに柱の方を見れば、男の姿が消えていた。辺りを見回して、銀色のドミノを探すも見当たらない。諦めてくれたか。ドュランは安堵し、アヤカーナを放した。
ドュランの、もう大丈夫だ、という声を聴きアヤカーナは広い胸から顔を離した。ドュランの腕は掴んだまま柱をちらりと見る。男が居ないこと確認すると、安心して思い切り息を吐いた。
途端、目の前に手が差し出される。ぎょっとして見上げれば黒いケープに仮面の男が立っていた。口元のえくぼが目立っている。
「恐れ入りますが、私と踊っていただけますでしょうか、村の娘さん」
アヤカーナは反射的に驚いてドュランの腕の中へと戻る。しかし、えくぼの男性は笑って続けた。
「舞踏会でのダンスは、我ら男性に公平に与えられた権利です。
是非、私にもチャンスをお与え下さい」
ドュランにしがみ付くアヤカーナの腕へ、男は強引に手を伸ばしてくる。
「あちらに、村の娘さんと踊りたい連中が列を成しております。まずは私と」
男が目にした方を見れば、確かに数人の男性が此方を伺っている。仮面を付けてはいるが、間違いない、あれは近衛隊の連中だ。
連れがいる女性に声を掛け、その連れから奪うのは、己の方が上だという自信の表れであり、貴族連中が好むやり方だ。
ドュランは確信し、ほくそ笑む。
「ほう、私の連れに手を出すとはいい度胸だ、近衛隊長タンギューの覚えめでたい近衛勇士フイイ君」
差し出した腕をぴしゃりと振り払われた上、正体を見破られた男は、改めて目の前の黒尽くめの男を見回した。
誰だ。隊長を知っていて、長身で栗色の髪、仮面から覗く瞳は琥珀色…
フイイの喉の奥から乾いた音が鳴った。
姿勢を正したフイイに、ドュランは片方の口端を上げ笑う。
「さて、列を成している連中とやらの許へ参ろうか」
すみません。推敲していません。変な文はご勘弁を。゜(。ノωヽ。)゜。ビェーン(。ノω・ヽ)チラッ。゜(。ノωヽ。)゜。ビェーン