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パーレス帝国、首都サウザンタワーを眼下に立つエイツリー山。その山頂グリリフ宮殿、これがワコク大陸に君臨する名高い皇帝の居宮である。麓から頂に渡り針葉樹に囲まれ鋭角な石垣が敵の進入を拒む。白い石で造られた宮殿はシンメトリーを成し、諸宮は同じく白い石で作られた回廊で繋ぎ渡されて壮大な帝宮を形成する。
その最奥、帝の居間にて、椅子に深く腰掛けた皇帝ワガセヒロは息を吐き、目の前に立つ宰相リキュウへ問う。
「あれには、覇気というものがあるのだろうか…」
定例の報告に加え皇太子ドュランの度重なる閣議欠席と、年頃の娘を持つ高位の貴族達からの抗議の報告を受けての発言であった。
長子ドュランは父であるワガセヒロの目から見ても、美男で長身、体躯も申し分なかった。しかし如何せん中身が伴っていないのだ。閣議はサボる、令嬢方に手を出す、皇宮を抜け出す、数え上げてもキリが無い。注意をすれば逆に廃太子にしろと迫って来る始末。
彼には強大なパーレス帝国の次期皇帝という自覚が、みじんも感じられないのだ。皇妃と共に愛情と威厳をもって育てたつもりがどこでどう間違ったのか…。
忠誠を誓う皇帝に苦笑を向けられ、宰相は深く跪礼する。
「陛下。やはり皇太子殿下のご婚儀を早めるのが一番かと。
婚姻が成れば、彼らへの牽制になります。
殿下も御子がお生まれになれば、落ち着きが出るかと…」
いつもは力強い宰相リキュウの語尾が、心なしか小さく聴こえる。
ワガセヒロ帝は目を閉じ顔をあげた。沈黙が流れる。
そして長い息を吐き、そのように、と告げた。
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「殿下。この度はご婚儀の日取り決定、おめでとうございます。」
ペンを握る指に力が入り、線が歪んだ。声の方へ顔を向ける。
「お前、殺されたいのか」
皇太子ドュランは、涼しい顔で声を掛けてきた近衛隊長タンギューを、不機嫌極まりない顔で睨んだ。
昨晩、城下の歓楽街ブンチョウでお楽しみの真最中、近衛兵らに皇宮の執務室へと拉致されて来ていたのだ。
そんなやつらの隊長に剣を突きつけたい欲求にかられるも、己の周囲に積まれた書類の山を一旦見つめ、こちらが先と意識を変える。途端、右手側から都合良く書類が差し出され、息つく暇も無く書類決済が続く。抗議の視線を上げれば、側近文官ダズンの見たことない愛想笑にぶつかった。
「ダズン、腹でも痛いのか。」
「いいえ。殿下、御手が止まっておりまする」
ドュランは肩を落とした。
「……その口調止めろ」
ダズンは、では…と目尻を下げた。
「馬鹿皇子、黙って仕事しろ」
悪友の笑っていない笑顔が怖い。その上、言葉と裏腹な声音が不気味さを増す。ドュランは夢中で腕を動かし、闇雲に決済を続けた。
「おざなりな裁量は後で取り返しがつかなくなるぞ。きちんと目を通せ」
いい調子だと独りごちているところに、ダズンの小言が飛んできた。
取り返しのつかないことをしない為にお前たち側近がいるのだろうに。第一ここに上がっているものは、未来の宰相候補で皇太子の幼馴染ダズンがすでに選査したものだ。
「目を通す必要はない!」
ドュランの宣言が室にむなしく響く。ダズンは一層引きつった笑顔になり、ドュランへ繰り出す書類の手を速めた。近衛隊長タンギューは無表情で隅に控えている。ドュランは己の執務室に漂う、居た堪れない空気に納得がいかなかった。
窓の日が朱に染まり、机上で動くペンの影が長くなった。
どうにか書類の山も減り、ドュランが大きく手足を伸ばす。それを合図のように、タンギューが沈黙を破った。
「アヤカーナ王女のご入宮は三日後、そして婚儀は三ヶ月後か」
ドュランの肩がぴくりと反応する。だが、会話には加わらない。
「姫君は俺たちの四つ下、15才か。まだ若…」
ダズンの言葉をタンギューがさえぎる。
「十分、年頃の姫君だ。
殿下 もう“お遊び”はお仕舞にして身辺整理はきちんとしとけよ」
ドュランは頭の後ろで腕を組んだまま、ああと心の中で納得していた。
悪友二人のいつもと違う態度は、許婚であるアヤカーナ姫、延いてはケセン王国へ対する俺の配慮が足らんということか。
パーレス帝国の最北に位置するケセン王国の王女アヤカーナ・デラ・ケセン。彼女は、弱小のケセン王国から送られる、このパーレス帝国への体のよい人質だ。
弱小とはいえケセン王国は、我々が敵対する大ガンシュ国と我が国の間に位置し、軍事上とても重要な役割を持つ。それゆえ、パーレス帝国はケセン王女を、皇太子の正妃として迎えるのである。
そもそもこの婚約が整えられたのは11年前、大ガンシュとの緊張が高まっていた時だった。
あれから11年経た今でも、ガンシュとの関係は変わっていない。この長期に渡る無変化は油断を齎し、パーレスの宮廷はいつの間にかガンシュへの緊張を緩めていた。
無益だと言って、ケセン王国との婚約破棄を口にする臣下も出ていたほどであった。
ところが一ヶ月前、そのガンシュがケセンへ目的不明の接触を始めていると、報告が上がった。廷臣らがざわめいたのは言うまでもない。
あの時点の約定では輿入れの時期は、アヤカーナ王女が18の歳とされた。今王女は15歳。
本来ならば三年後の婚儀が早まったのには、そんな内情があった。
はずなのに、いつの間にかこの急な婚儀の繰上げ理由が、“皇太子の行状が起因”となっている。この話はドュランにとって全く面白くない話だし、婚姻に対する祝辞などもってのほかだった。
出来ることなら、会った事もない女との婚姻などしたくないし、政にも興味がない。皇太子など辞めてしまいたい。これがドュランの本音だった。
「ドュー、聞いているのか」
「あ?」
タンギューとダズンの口から嘆め息が落ちる。
オイ!とダズンがめったに見せない真剣な眼を向ける。
乗り出して来たダズンの顔が近い。
「アヤカーナ王女を表面上だけでもいい、大事にしろ。
今はまだガンシュの動きがつかめない、皇太子としてパーレスの国益を第一に考えてくれ」
「もっ、もちろんそのつもりだダズン。言われなくても判っている」
ダズンの迫力に、ドュランは椅子のまま後退する。
「カシラ王太子の病死で空いていた、大ガンシュ国王太子の椅子。
第二から第五王子をさしおいて、末の第六王子が立太子するぞ。
末弟で、しかもこの第六王子の母は領主の娘と身分がかなり低い。その王子が王太子などあり得ない話だ。
ガンシュで何か起きている。」
後方から響くタンギューの低い声が、事の重さを告げている。
ドュランはダズンとタンギューを交互に見やり、端整な顔をみるみる青くした。
皇太子のその様子に二人は開いた口が塞がらない。涙が出るかと思った。そんな側近二人は声をそろえてドュランに告げた。
「朝の閣議に出ろ!
報告書に目を通せ!!」
はじめまして。はる姫と申します。
恥かしながら処女小説モドキ(゜ー゜;Aです。誤字脱字等、ございましたらご指摘下さい。
週一UPでまったり進行してまいります。
宜しくお願い致します(*゜ー゜)(*。_ 。)♪