第3話:上から来るぞ!気をつけろ!〜真面目なトッププレイヤーと、空から降ってきた異常者〜
『王城地下』の壁をケツワープで抜け、ポリゴンの裏側である「虚無の暗黒空間」を自由落下しながら、俺はゆっくりと息を吐いた。
「よしよし、座標軸のズレはないな。このまま落下し続ければ、第二層の正規ルートを丸ごとすっ飛ばして、第三層のボス部屋の『天井』に激突するはずだ」
バグゲー『エリュシオン』ではお馴染みのショートカット技、通称『奈落落とし(アンダーワールド・ダイブ)』である。
本来なら即死判定の奈落だが、特定のフレームで回復ポーションを使用し続けることでシステムを錯覚させ、生存したまま別マップへ強制ロードさせることができるのだ。
暗黒空間を落ちながら、俺はふと現実世界の自分の肉体を思い返していた。
毎日しがないデスクワークで肩はバキバキ。100キロからのダイエットを決意して四苦八苦している現実の俺とは違い、このVR空間のアバターはまさに羽のように軽い。
(まあ、だからといってこんなデスゲームに長々と付き合ってやる義理はねェ。さっさとRTAしてログアウトするに限る)
現実に戻ったら、まずはキンキンに冷えたビールと、脂ギトギトの熱い唐揚げを胃袋に流し込みたい。そしてシメには、ニンニクとアブラをマシマシにした極太麺のラーメン特大盛りが最高だ。
そういや、昔よく通っていた桜台のラーメン店はもう閉まっちまったらしいから、クリアした暁には、自分へのご褒美として新しい店舗を開拓しねェとな……。
そんな、デスゲーム参加者にあるまじき平和な(そしてカロリーの高い)思考を巡らせていると、足元の暗闇にうっすらと「光の膜」が見えてきた。
第三層ボス部屋の天井テクスチャだ。
「おっと、そろそろ到着か。着地狩りには気をつけねェとな」
俺はインベントリから初期装備の『布の服』を取り出し、落下しながら空中で一瞬だけ装備を切り替える。
これにより落下ダメージの計算式がリセットされ、ノーダメージで着地できるという寸法だ。ガバガバすぎる物理エンジンに、改めて圧倒的感謝。
パキィィィィンッ!!
空間の裏側から天井のテクスチャをぶち破り、俺は第三層ボス部屋の空域へと侵入した。
* * *
その頃。
第三層『灼熱の闘技場』のボス部屋では、一人の少女が絶望の淵に立たされていた。
「はぁっ、はぁっ……! くそっ、動きが速すぎる……!」
白銀の胸当てに、青いマント。手には鋭い細剣を握りしめたプレイヤー、アスナ……ではなく、リン。
彼女は、数千万人のプレイヤーの中でもトップクラスの実力を持つβテスターの一人だった。
デスゲーム宣言からわずか一時間。彼女は他の誰よりも早く第一層、第二層を正規ルートで駆け抜け、死に物狂いでこの第三層まで到達していたのだ。
だが、彼女の眼前にそびえ立つボスモンスターは、これまでの敵とは次元が違った。
【第三層の主・煉獄の双頭犬:Lv.35】
燃え盛る炎を纏った、巨大な二つ首の魔犬。
牙からは溶岩のような涎が滴り、その瞳は獲物をいたぶるような嗜虐心に満ちている。
(ポーションの残り、あと二つ……。私のレベルはまだ18。ステータス差が開きすぎてる。このままじゃ……死ぬ!)
ゲーム内での死は、現実世界での肉体の死。
その絶対的な恐怖が、リンの足をすくませる。剣を握る手が小刻みに震え、視界が涙で滲んだ。
『グルルルルル……ガァァァァッ!!』
オルトロスが咆哮を上げ、リンに向かって跳躍した。
回避不可能な大質量によるのしかかり攻撃。直撃すれば、残りのHPバーは一瞬で消し飛ぶだろう。
「いやぁぁぁっ!!」
リンが目を閉じ、死を覚悟した――その瞬間だった。
『――上から来るぞ! 気をつけろ!』
天井から、気の抜けた男の声が降ってきた。
直後、空気を切り裂くような凄まじい風切り音と共に、何かがオルトロスの頭上へと「激突」した。
ズドドドガァァァァァンッ!!
「……え?」
リンが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
さっきまで自分を追い詰めていた巨大なオルトロスが、地面にめり込み、白目を剥いて痙攣しているのだ。
そして、その巨体の上に――初期装備の粗末なシャツを着た、一人の男が悠然と着地していた。
「ふぅ。完璧なフレームでの着地キャン。俺の膝は守られたな。ヨシ!」
男は現場猫のようなポーズで指差し確認をしている。
「あ、あの……! あなた、どこから……!?」
リンは混乱のあまり、気の抜けた声を上げてしまった。第三層の天井には穴など空いていない。そもそも、こんな初期装備のプレイヤーがここにいること自体が異常なのだ。
男――俺は、足元のオルトロスを一瞥して鼻で笑った。
「なんだァ? てめェ……煉獄の双頭犬とか大層な名前がついてるから期待したのに。俺から見れば、室内飼いのチワワかミニチュアダックスフントと大差ねェ動きだな」
「チ、チワワ……!? 馬鹿なこと言わないで! そいつは第三層のボスよ! 早く逃げて、殺され――」
リンの警告が終わるより早く、気絶から復帰したオルトロスが激昂し、俺に向かって二つの巨大な顎を開いた。
業火のブレスの予備動作。まともに食らえば骨も残らない。
「しゃあけど、ただの犬やわっ!」
俺はインベントリから、王城地下でパクってきたばかりのチート武器『破壊剣・グラム』を実体化させた。
レベル45の圧倒的筋力ステータスに物を言わせ、身の丈ほどもある漆黒の大剣を片手で軽々と振り上げる。
「オラッ! お前を芸術品(ポリゴンの塵)にしてやるよ!」
俺が適当に大剣を振り下ろした瞬間。
グラムに設定された『攻撃時、周囲の空間に衝撃波を発生させる』という隠しエフェクトが、最悪の形でバグを引き起こした。
剣の判定と、オルトロスの巨大な当たり判定が複雑に干渉し合い、システムがダメージ計算を放棄したのだ。
ズバァァァァァンッ!!
ピピピピピピピピッ!!(処理落ちの限界を告げる電子音)
「キャンッ……!?」
オルトロスは悲鳴を上げる間もなく、全身のテクスチャがぐにゃりと歪み、次の瞬間には一万個以上のポリゴン片となって盛大に爆散した。
空間を埋め尽くすほどの経験値エフェクトとドロップアイテムが、宝箱から溢れる金貨のように降り注ぐ。
『経験値を獲得しました』
『レベルが45から48に上がりました』
『称号【規格外の討伐者】を獲得しました』
俺は剣を肩に担ぎ直し、空中に表示された見えないストップウォッチ(RTAタイマー)を止める仕草をした。
「第三層ボス撃破タイム、11分42秒……よし。自己ベスト更新だな。この区間は俺の勝ち! なんで負けたか、明日まで考えといてください」
誰もいない空間に向かって謎の煽り文句を放つ俺を見て、トッププレイヤーであるはずのリンは、ただ口をパクパクとさせていた。
「……え? ……は?」
「ん? ああ、ご同業か。悪いな、横殴り(横取り)しちまって。でもRTA中はチャート優先なんでね。じゃあな」
俺はポカンとしている銀髪の少女を放置し、次の層へと続く扉の「隙間」に向かって、再び後ろ向きでダッシュ(ケツワープの準備)を始めた。
「な、何やってるのあの人……壁に背中を擦り付けて……?」
「位置について……よーい……ドンッ!!」
ズガァァァン!!
爆音と共に俺の姿が空間の裏側へと消え去る。
第三層のボス部屋に取り残されたリンは、ただ一人、静寂の中で呟いた。
「……なんだこのクソゲーは」
真面目なトッププレイヤーの常識が、RTA走者の理不尽な暴力によって粉々に打ち砕かれた瞬間だった。




