第1話:ログアウト不可のデスゲーム? しゃあけど、RTA走者には関係ないわっ
「――これより、本作からのログアウトは一切不可能となります。ゲーム内でのHP全損は、現実世界の肉体の死を意味します。皆様の健闘を祈ります」
空を覆い尽くす、血のように赤いシステムウィンドウ。
無機質なGMの宣告が響き渡った瞬間、世界は静寂に包まれ、そして――爆発した。
「なにっ!?」
「ログアウトボタンがない! 冗談じゃない、出してくれ!」
「嫌ああああっ! 帰してええっ!」
次世代完全ダイブ型VRMMO『エリュシウム』。
数千万人が同時接続し、五感のすべてを完全に再現すると謳われたその「神ゲー」は、サービス開始からわずか一時間で、逃げ場のない狂気のデスゲームへと姿を変えた。
始まりの街『アルカディア』の中央広場は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄と化した。
プレイヤーたちがパニックに陥り、ある者は空に向かって怒号を上げ、ある者はへたり込んで泣き喚いている。
そんな中。
俺――ヤマトは、広場の片隅にある噴水の縁に座り込み、ただじっと足元の「石畳」を見つめていた。
(……おかしい)
恐怖で頭がおかしくなったわけではない。
デスゲームという非現実を受け入れられないわけでもない。
忌憚のない意見ってやつっス。このゲームの挙動、何かが決定的に狂っている。
『エリュシウム』は、総制作費数百億とも言われる超大作だ。グラフィックは現実と見紛うほど精細で、物理演算は完璧……なはずだった。
だが、俺の目の前にある噴水の石畳。
そのテクスチャの右下部分が、ほんの数ミリだけ「ズレ」ている。
さらに言えば、さっきからパニックになって走り回るプレイヤーたちの足音が、ほんのコンマ数秒、遅れて鳴っているのだ。
(この独特の処理落ち。当たり判定のガバさ。間違いない……)
俺は立ち上がり、噴水の裏側に回った。
そして、水面に向かって初期装備の小石を三つ、特定のタイミングで連続して投げ込む。
ポチャン、ポチャン、ボフッ。
三つ目の小石が、水面ではなく「何もない空間」に当たったような奇妙な音を立てて消滅した。
確定だ。
この世界は、ただの『エリュシウム』じゃない。
神ゲーのガワを被ってはいるが、その根幹の物理エンジンとマップデータには、あの伝説の産業廃棄物――俺が人生の数千時間を費やして極めたVRバグゲー『エリュシオン』のコードが丸ごと流用、あるいは融合している!
「……ふっ、ははっ!」
俺は思わず口元を押さえた。
笑いが込み上げてくるのを止められなかった。
デスゲーム? 命懸けのサバイバル?
怒らないでくださいね。そんなの、ただのプレミ(プレイングミス)の言い訳じゃないですか。
俺にとって、ここは死の恐怖に怯える檻ではない。
目をつぶっていても走れる、勝手知ったる『RTAのタイムアタック会場』だ。
広場では、混乱に乗じてプレイヤー同士の諍いすら起き始めていた。
「俺が先に行く! 初期装備の剣をよこせ!」
「ふざけんな、生き残るのは俺だ! どけっ!」
一部の血の気を持て余した連中が、街の出口へと殺到していく。
正統派な攻略法をするなら、それもいいだろう。いち早く狩り場を確保し、レベリングを行い、安全圏を広げていく。それがセオリーだ。
だが、俺はそんな正規ルートを辿る気は毛頭なかった。
バグゲー『エリュシオン』の仕様が生きているなら、わざわざスライムを叩いてレベルを上げる必要などない。
俺は広場の喧騒に背を向け、街の北側へと歩き出した。
向かう先は、絶対に開かないはずの「封鎖された巨大な王城門」。当然、門の前には『現在このエリアには進入できません』という分厚い不可視のシステムバリアが張られている。
「おい、そこのお前! そこは行き止まりだぞ!」
見かねた戦士風のプレイヤーが声をかけてきた。
「街の外に出てモンスターを狩らないと生き残れないぞ! 現実から目を背けて逃げるのか! 勇を失ったな!」
俺は足を止めず、肩越しに振り返って鼻で笑った。
「しゃあけど、正規ルートはタイパが悪いわっ」
「は……? タイパ……?」
戦士風の男が呆気にとられている間に、俺は城門の右端――バリアと壁が交差する、ただの直角の角に到達した。
俺はその角に向かって、信じられない行動に出る。
――壁に向かって、斜め45度の角度で後ろ向きにダッシュしたのだ。
「な……!? あいつ、壁に向かってケツから走って……何やってんだ!?」
周囲のプレイヤーが訝しげな視線を向けてくる。当然だ。傍から見れば、不可視の壁に背中をこすりつけて高速で足踏みする異常者にしか見えないだろう。
だが、これこそが『エリュシオン』が生み出した最悪の物理演算バグ。
通称『ケツワープ(斜め後方壁抜け加速)』のセットアップだ。
壁への押し出し判定と、キャラクターの移動速度のベクトルの計算が衝突したとき、このクソゲーのシステムはオーバーフローを起こし、キャラクターを「壁の向こう側」へと異常な速度で弾き飛ばす。
「位置について……」
角度ヨシ。
助走ヨシ。
インベントリから初期アイテムの『回復ポーション』を取り出し、地面に捨てるモーションをキャンセルしてジャンプボタンを入力。
「――よーい、ドンッ!!」
ズガァァァァァン!!
爆発音のようなすさまじい処理落ち音と共に、俺の視界がぐにゃりと歪んだ。
システムが俺の座標を見失い、猛烈な勢いで空間の裏側へと放り出す。
「なっ!? あいつが消え……!?」
背後で戦士風の男が叫ぶ声が、瞬時に遠ざかる。
真っ暗なポリゴンの裏側をコンマ数秒間飛翔し、視界が晴れた時。
俺はすでに城門のバリアを完全に透過し、はるか先の『王城地下・立ち入り禁止エリア』へと到達していた。
「着地ヨシ。乱数調整も完璧。一発成功だ」
本来なら、第一層のボスを倒し、幾つものお使いクエストをこなし、正規のキーアイテムを手に入れなければ絶対に入れない、中盤以降の隠しエリアである。
デスゲーム開始から、わずか五分。
現在、このエリアに到達している人類は、間違いなく俺一人だ。
俺はニヤリと笑い、薄暗い地下宝物庫の奥へと足を踏み入れた。
そこには、重厚な石の台座に深々と突き立てられた一本の剣がある。
刀身に紅いルーン文字が刻まれた、漆黒の大剣。本来ならゲーム終盤まで手に入らないはずのチート級アーティファクト『破壊剣・グラム』が、無造作に安置されていた。
「さてと。最強武器はタダでもらっていくぞ。さっさとこのデスゲーム、最短ルートで『クリア(破壊)』してやるか」
神ゲーとバグゲーが融合した狂った世界。
真面目に命懸けでスライムを叩いている奴らには悪いが――この世界のルール(バグ)を支配しているのは、俺だ。




