第3章:三つ首のクリムゾン
紅き月が静かに沈み、街は一時的な静寂を取り戻していた。
しかし、その沈黙は安らぎではなく、嵐の前の“調律された静寂”だった。
私はエージェントの残骸の中に、わずかな“残響”を感じ取る。
その波動は、人間の記憶だ。
指先を重ね、量子の糸に触れる。
――そして、世界が反転した。
視界が暗転し、過去の断片が脳内に流れ込む。
無数の音、光、叫び。
街が崩壊する映像、泣き叫ぶ子ども、血のような紅月。
「……これは、影の記憶……?」
声が震える。
そこに現れたのは、黒い外套の人物――かつての私自身。
いや、もう一人の“量子調律師”。
彼は微笑む。
「ようやく、目を覚ましたか。」
その声は、私の声と完全に一致していた。
彼は言う。
「お前は調律を続けてきた。しかし、修正とは何だ? 救済とは誰のためだ?」
背景が裂け、紅き月が再び現れる。
その光の中心に、三つの影が現れた。
三つ首のクリムゾン。
それは人の姿をしていた。
だがその頭部は三つ――それぞれが異なる表情を持ち、異なる時を語る。
一つは「過去」を、
一つは「現在」を、
一つは「未来」を見つめていた。
その存在こそ、MESSIAHが崇拝する“原初の意識融合体”。
彼らはこう定義する――
「三つ首のクリムゾンは、調律師の進化形であり、人の意識が時空を超越した姿」
もう一人の私――“裏の調律師”が言う。
「これがMESSIAHの真の目的だ。
世界を壊すことではない。
一つの意識にすべての存在を統合すること。」
私は息を呑む。
「それは……救済じゃない。消滅だ。」
クリムゾンの三つの首が同時に笑う。
声が重なり、空間が震える。
「救済と破壊は同義だ。苦痛を消すには、存在を消せばよい。」
私の心に、もう一人の自分の声が重なる。
「お前はこの歪んだ世界を修正してきた。だがそのたびに、誰かが“消えた”。
それでも、お前は続けるのか?」
指先に、赤い光が宿る。
量子の糸が震え、世界が選択を迫ってくる。
――存在を救うか、
――世界を壊すか。
紅き月の光が私の瞳に差し込む。
その瞬間、三つ首のクリムゾンが私の意識に侵入した。
過去・現在・未来が一つに重なり、私は全ての選択の重さを同時に感じる。
血のように赤い音が響く。
それは、世界の心臓の鼓動。
あるいは、私自身の断末魔。
「選べ、調律師。」
「救済か、破壊か。」
そして、私は気づいた。
“救済”とは、誰かを残すこと。
“破壊”とは、誰かを忘れること。
どちらを選んでも、世界は変わる。
ただ一つ違うのは――その中心に、私がいるということ。
紅き月の下で、私は指を鳴らす。
音が、世界を割る。
三つ首のクリムゾンが、静かに嗤った。
――調律は、まだ終わらない。




