序章:オルゴールが破裂した日
雨は止むことを知らず、街を銀色の膜で覆っていた。路地の水たまりには、世界の歪みが揺れ、異なる未来の断片が同時に姿を現す。
あの日、オルゴールは破裂した。古びた時計店の奥で、青白い光を放つその機械は、ただの音色を奏でるものではなかった。量子調律師である私には、それが時間と可能性の共鳴装置――未来を微細に振動させ、存在の糸を結び直す“鍵”であることが分かっていた。
破裂の瞬間、世界の秩序が叫んだ。金属が弾け飛び、光が裂け、過去と未来、死者と生者、現実と幻覚が絡まり合う。雨の中、街の人々は半透明に光り、影だけが別の方向へ逃げた。追跡対象の影も、そこで消えたのだ。
その破裂音は都市全体に鎮魂歌のように響いた。しかし、それは救済の歌ではない。逆流性症候組織 MESSIAH の足跡を示す警鐘だった。組織は量子の糸に干渉し、逆流性の歪みを都市全域に拡散させたのだ。
私は店の奥で膝をつき、破片の中に残る微細な振動を手で感じる。指先で量子の糸を撫で、未来の可能性を探る――まだ、間に合う。まだ修正は可能だ。
だが異常な感覚が襲う。未来の断片が割れ、消えゆく可能性が叫び、逆流する因果が私を押し戻す。あの影は……本当に消えたのか。それともMESSIAHが送り込んだ、別の世界の断片に変化しただけなのか。
オルゴールが破裂した日。それは、量子調律師の戦いの始まりであり、都市全体を巻き込む超感覚的追跡劇の幕開けだった。雨は止まない。そして、歪んだ街の闇の奥で、MESSIAHは静かに笑う。




