野の球の青春物語
グラウンドの片隅に、またひとりの影があった。
小さな体で黙々とバットを振り続ける青年。高校三年の夏を迎えるまでは、誰も彼の名前を覚えてはいなかった。
「おい、もうやめとけよ。お前がどんだけやっても意味ねぇって」
部室から帰る先輩たちの笑い声が背中に突き刺さる。だが、彼は振る。振り続ける。
結果が出なくても、評価されなくても、諦めることだけはしなかった。
その執念が、やがて仲間の運命を変え、自分の未来をも塗り替えていくことになる。
真夏の陽射しが照りつけるグラウンドに、スタンドから大きな歓声が響いていた。
背番号「1」を背負った小柄な青年が、ゆっくりとマウンドへ歩み出る。
それが三年間、誰よりも泥だらけになって練習を続けてきた佐藤玲央だった。
かつてはベンチの端にすら座れず、笑われるだけの存在だった。
だが今、スコアボードには「4番・投手 佐藤」の文字が誇らしく刻まれている。
キャッチャーがミットを構える。
初球、渾身のストレート。
空気を切り裂く音とともに、ノビのあるストレートに打者はバットを振り遅れた。スタンドがどよめく。
「うおおおおお!」
仲間の声が飛び交う。
打って、投げて、勝利をつかむ、そんな夢物語が、自分の現実になろうとしていた。
誰もが「無理だ」と言った。
けれど、諦めなかった。
だからこそ、今ここに立っている。
小さな背中を照らす夏の光は、ひとりの少年を確かに「スター」へと押し上げようとしていた。
甲子園のアルプススタンドは、灼けつくような熱気に包まれていた。
三回裏、二死満塁。
バッターボックスに立つのは、背番号「1」、四番・佐藤玲央。
相手は名門私立、速球派のエース。
観客は「この小柄な打者が、打てるはずがない」と思っている。
だが、佐藤の目は一点を見据えていた。
ピッチャーが振りかぶり、白球がミットへ向かって走る。
――その瞬間。
乾いた金属音が球場に響いた。
白球は高々と舞い上がり、夏空へ吸い込まれていく。
スタンドがざわめき、やがて大歓声へと変わる。
逆転満塁ホームラン。
「やったぞおおお!!!」
ダイヤモンドを駆け抜ける佐藤に、仲間たちが涙を浮かべながら手を伸ばす。
その姿に、かつて彼を笑っていた者たちでさえ立ち上がり、声を枯らして叫んでいた。
小さな体で、誰よりも大きな夢を背負った男。
その一振りが、チームの歴史を変えたのだ。
甲子園準決勝。
佐藤の打席に、球場全体の視線が集まっていた。だが、そのマウンドに立つ投手の存在感もまた、圧倒的だった。
身長183センチ、しなやかな長身から繰り出される直球は150キロを超える。
彼の名は――神谷蓮。
「怪物」と呼ばれ、すでにプロ (スカウト)からドラフト1位候補と囁かれている存在だった。
初球、豪速球が佐藤の胸元をえぐる。
たとえ避けても、風圧で体が揺れるほどの迫力。
スタンドからは「打てるわけがない」という声が飛ぶ。
佐藤はバットを強く握り直し思い切りスイングをした…が、空振りの三振。
己の小さな体に、積み重ねた何千何万もの努力に想いを託す。
――絶対に打ち返す。
それが、笑われ続けてきた自分のすべての証明になる。何よりチームのために…
甲子園の空気が張りつめる。
ここから、ふたりの宿命のライバル関係が始まろうとしていた。
試合は延長十回。
スコアは三対三。
ツーアウト満塁
球場の観客は総立ちとなり、両チームの死闘を見守っていた。
マウンドには佐藤。
小柄な体から繰り出される全力の直球は、もう球速こそ落ちていたが、魂だけは誰よりも熱かった。
最後の打者、『神谷蓮』を迎える。
カウントはツースリー。
スタンドからは「打て!」「抑えろ!」と割れるような声援が飛ぶ。
佐藤は歯を食いしばり、渾身のストレートを投じた。
――空振り! 三振!
ベンチから仲間が飛び出し、スタンドは歓喜に揺れた。
勝負はついた。
そう、誰もが思った。
だが、主審の手は上がらなかった。
キャッチャーミットに収まったはずのボールが、わずかに逸れて後方へ転がっていたのだ。
「振り逃げ!」
神谷は一瞬の隙を逃さず、一塁へ全力疾走。
佐藤が振り返った時には、白いスパイクがすでに一塁ベースをサードランナーはホームベースを踏み抜いていた。
歓声と悲鳴が入り混じる甲子園で、勝者は神谷のチームに傾いた。
マウンドに崩れ落ちる佐藤。
だがその顔には、不思議と悔しさよりも笑みが浮かんでいた。
「これが……俺のライバルか」
その瞬間、ふたりの物語は、甲子園の舞台を超え、やがてプロの世界へと続いていくことになる…。
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