12月20日 金曜日 過去の香り
チュンチュンチュン
雀の鳴く声で目が覚める。雪はまだ隣で寝ている。
濃密な夜だった。あの後も2人で同じ布団で寝ていたから自分の身体からも雪の香りが漂っている。
窓から外を覗いてみると夜の間にさらに雪が積もり、玄関前の駐車場にある車が雪に包まれている。
まだ、朝ごはんの時間までは時間がある。
特にすることも無いのでもう1度、雪の眠っている布団に潜り込んでスマホを触り暇を潰す。
隣から可愛い寝息が聞こえてくる。
「やっぱりどう考えても可愛いんだよな」
雪の首元の香りを嗅ぐ。
「好きな香りだな。放したくない」
雪の頬をふわりと撫でる。柔らかく滑らかな肌。
「綺麗だな」
朝から幸せな気持ちになって心が満たされていく。その後も想ったことがポツポツと僕の口から漏れ出てくる。
「褒めてくれてありがとう」
雪がいつの間にか目を覚ましていた。まさか、まだ起きないだろうと思っていたから完全に不意を突かれた。しかも、あまり聞いてほしくない事を言っている時に聞かれてしまった。
「すみません。起こしてしまいましたね。まだ、朝ごはんまでは割と時間があるのでゆっくりしましょう」
若干の早口で話す。雪に対して呟いていた事を会話に出したくない。恥ずかしすぎるから。
「陽介はなんでそんなに焦ってるのかな。さっき行ってくれてたことが私に聞かれたくなかったのかな?」
雪は起きたばかりのはずなのにしっかりと頭が回っているようだ。もう、ごまかすことはできない。
「いつから起きてたんですか?」
「君が布団に潜り込んできた時かな」
「ってことは......」
「うん。全部聞いていたよ。良い香りだとか綺麗だとか他にもいっぱいね」
雪が僕を手繰り寄せ、抱きしめる。
僕の顔が雪の胸辺りに埋まる。トクットクットクッと雪の心臓が脈打つ音が聞こえてくる。
「私の香りに包まれている感想を聞きたいな。昨日の夜はお互い寝ちゃって聞けなかったからさ」
「もちろん、いつまでも包まれていたいと思っています。でも、香りだけじゃ無くて雪の体温とか心臓の脈打つ音、雪の身体を巡る血液の流れる音を聞いているとずっと手放したくないとも思ってます」
ギュッと雪を抱きしめ返す。さっきまでふわりと僕を抱きしめていた雪の腕にも力が増してくる。
「私もね、このまま放したく無いな。本音を言うとね、朝起きたときに陽介が居なかったことが寂しかったんだよ。もちろん、すぐに君が布団に入ってきてくれたから喜びに変わったんだけどね」
自分の顔が雪の胸に埋まっている状態だから雪の表情は見えない。それでも、何となくわかる。
「大丈夫です。僕が雪を離すことはありません。何か話したいことがあったら全部伝えます。だから、安心してください」
先輩が腕をほどいて僕の顔を覗き込む。
「ありがとう」
雪の目が少し潤んでいる。
「君がそう言ってくれた後に言うのは申し訳ないんだけどさ、まだ、君に言えていないことがあるんだ」
雪が悩んで、言葉を選んで僕に伝えてくれる。
「朝から言う事では無いんだけど良いかな?今、言わないと言えなくなっちゃいそうだから」
「何も気にしないでください。なんでも受け入れます。雪の事だから」
「うん。ありがとう。じゃあ、話すね」
それから雪が話してくれたことは所謂、元の彼氏の事だった。それも、雪が傷ついて当然の話。
その人は雪が大学に入学した時に入ったサークルの2つ年上の先輩だったらしい。大学生活や初めての1人暮らしに戸惑っていた雪に優しく近づいてきたその人と仲良くなり次第に雪は好意を持つようになった。
その人も雪に好意を持っているような言動をするようになり2人で遊ぶ頻度も多くなっていった。ある時、その人から告白されて雪は受け入れた。
そこから、関係性がおかしくなっていったらしい。
遊びの予定を何度もドタキャンされ、おこづかいを要求された時に拒否すると殴られはしないものの怒鳴られる。性行為もただその人が満足するためだけの行為になっていた。その人から逃げたい気持ちはあったけどサークルでの人間関係でトラブルを起こしたくない気持ちやその人に対する恐怖で行動できなかった。
結局、その人がサークルのお金を日ごろから横領していたことが発覚して大学にも報告された。その人が横領の悪質さから大学を退学になったことで雪は解放された。
衣緒さんとはその頃に仲良くなったらしい。その人の良くない話を知ってそれとなく雪が相談できるようにしてくれていたらしい。
「これで話は終わりだね。あんまり言わなくてもだと分かってる。それでも、陽介には言いたいと思ったから。朝から気分を悪くさせちゃってごめんね」
「話してくれてありがとうございます。正直、驚いています。それに、その時の事を僕がとやかく言えることでも無いです。それでも、今はただ、雪が助かって良かったと思ってます」
どこか雪の表情が暗い。当たり前だ。思い出したくも無い事を僕のために思い出しながら伝えてくれたのだから。
「何があっても雪の事を大切にします。それに、僕の事を嫌いになった時には教えてください。僕は受け入れます」
「ありがとう。言いたいことも言わないといけないことも全部伝えていくね。もちろん、陽介にも全部言ってもらいたい。お互いのために」
「わかりました」
お互いに抱きしめ合う。その時に僕の電話が鳴る。
「あ、楽斗からだ」
『もしもし。おはよう。どうしたの?』
『もう朝ごはんの時間なのに朝食の会場に居なかったからだよ。まあ、起きてたなら良かったよ。早く来いよ』
それだけ言われて電話が切れた。
「思ったよりも長く話しちゃってたね。急いで行こうか」
「そうですね」
すぐに着替えて雪の準備が終わるのを待つ。
「そうだ」
雪が呟いた。
「どうしたんですか?」
「陽介って薄い胸が好きなの?昨日、君が顔を埋めた時に幸せそうだったから。ほら、私の胸って薄い方なんだけど君はどっちの方が好きなんだろうって気になってね」
突然、そんなことを聞かれても困る。もちろん、どちらかと言えば薄い方が好みだけども。
「雪の身体だから好きなんですよ」
「へーそうなんだ。自分の身体に改めて自身が付いたよ」
いつもの雪との掛け合いだ。こうやって普段通りの会話に戻っていく。
朝ごはんの会場に行くと朝食もバイキング形式で丁度良い満腹感を得られるまで楽しんだ。その後、少し休憩してからゲレンデに向かう。
その途中で衣緒さんから話しかけられる。
「ねぇねぇ、雪と付き合い始めたんだよね」
雪と楽斗に聞かれない程度の小声で言われた。僕も自然と声が小さくなってしまう。
「はい。昨日からですけど」
「陽介君は大丈夫だと思ってるよ。でも、もし、雪に何かあったら許さないからね」
「わかってます。過去の事も聞きました。その上で雪を大切にします」
「そう言ってくれて良かった」
衣緒さんと共に2人に追いついて4人でこの後もゲレンデに向かう。今日はどのコースを滑りに行こうかとかを話しながら。
その日も夕方までゲレンデで遊び尽くして帰りのバスの中では4人とも疲れ果てて眠ってしまい気が付いたら◇◇駅に着いていた。まだ、疲れ切っている身体を引きづってそれぞれが帰路に着いた。
自分の部屋に帰ってきて荷物を床に置く。そのまま、ベッドの上に転がる。何も考える暇もなく眠っていった。




