アイドルになれた瞬間
「今日であたしも卒業かー。」
見上げるほど高い鉄筋コンクリートビルに囲まれた雑居ビルの屋上。風が少し冷たく、肌を撫でるように通り過ぎていく。
瞬間、心地いいとゆあは思ったが、すぐ側の業務用エアコンの室外機からは湿った生ぬるい風が調子悪そうなファンの駆動音とともに吐き出されており、長くここにいたいとは思えなかった。
そんな無機質で寂れた雑居ビルの屋上に似つかわしくない淡いピンクやブルーのフリルがしつらえられ、女の子なら誰もが一度は着てみたいと憧れるような可愛らしいステージ衣装に身を包むゆあ。手には電子タバコを持ち、ふかしている。
「六年間、アイドルやってた私の卒業ライブなのに、なんで曇り空なんだよー。」
空はどんよりとした灰色で、太陽は見えない。ほんの少しの光が雲間から漏れ、ビルの壁に薄い影を落としていた。
ゆあが小さい時から思い、憧れ、掴んだこの場所。その終わりを告げる日だというのに、生憎、良くない天気だ。
「アイドル長くやってたんだから最後くらい晴れてもいいじゃん......。」
自分の夢を諦める。ゆあにとっては人生の区切り、今までの人生をセーブデータ一に保存していたら、明日からの人生はセーブデータ二に保存分けをする。そんな大事な場面なのに天気は曇り。やはり、自分は物語の主人公では無かったんだと思ってしまう。
姫乃ゆあ。これはアイドルとしての名前。本名は〇〇。年は二十二歳。こっちは本当。夢はアイドルだった。それも、世間の老若男女すべてが自分のファンで、ライブを開催すればチケット販売開始一分もしないうちに売り切れ、満員のドームがあたしのペンライトのカラー、一色で照らされるような大人気アイドルになる事だった。
そんな身の丈に合わない、不相応で尊大な夢を持ったきっかけは五歳の頃。歌番組でみたアイドルのステージ。キラキラステージでポップな歌を可愛く踊っている彼女たちをみて私も心踊ったし、目が釘付けだった。
あたしはすぐに彼女たちの歌と踊りをマネした。自分が踏むステップは五、六歩増えているし、歌も調子はずれでリズムも取れていなかったと思う。思い出してみるとすっごい下手だった。
でもお母さんが凄い、上手だね、〇〇ちゃんなら絶対アイドルなれるよって手放しで褒めてくれたのが嬉しかったんだよね。それがきっかけ。
それからは毎日のように両親の前で歌って踊っていたし、もっと褒められたいから新しい歌、ダンスを覚えたいからアイドル番組も見るようになった。半分、アイドルオタクになってたと思う笑。そんな子供だったから、アイドルに絶対なるって思ってた。
転機があったのは高校二年の十七歳の時。その頃には家族の前で踊ることは無くなっていたし、現実が見えるようになってアイドルになるなんて夢は隠すようになってた。アイドルになれるわけなんてないって。
代わりに流行りのアイドルのダンスを踊ったり、歌ったりする動画をSNSに上げるようになってた。動画の再生回数は千を超えるものもあったし、いいねも増えてきて、結構いい感じだったんだ。
だからか、東京のアイドル運営事務所から「アイドルにならないか」ってスカウトのメールがきた。その時は嬉しかったな。諦めかけてたアイドルになれる、夢が叶うって。
お母さんとお父さんの説得は難航した。あたしの実家は地方だから通えないし、高校も東京の学校に転校して一人で上京することになるからお父さんからはすごく反対された。だけど、最後にお母さんが「〇〇ちゃんの夢だから応援する」ってアイドルになるために上京することを許してくれて、お父さんのことを説得してくれたんだよね。
お母さんのおかげであたしはアイドルになるため上京できたし、子供の頃から夢、諦めかけていた夢を叶えられる。だから、お母さんに名前が届くような『ドームに立てるアイドルになりたい』思ってたんだけど......。
「本当にあたしがやってきた事って意味あったのかな。」
アイドルとして上京して六年間。結果から言うと、ゆあは目標としていたようなアイドルにはなれなかった。
アイドルになる夢を抱えて上京してから、思い描いていた華やかな世界と、今自分がいる場所のギャップに、ゆあは深いため息をついた。アイドルになれば、スポットライトを浴びて、多くの人に愛されて、いつかはドームでワンマンライブができるようになると思っていた。でも、現実はそんな甘くはなかった。
「......才能がなかったってことか。」
メジャーデビューを果たし輝くアイドルたちには、持って生まれたものがあった。愛される雰囲気、輝き方のセンス、そして何より、人を引きつける才能。それに比べて自分は、どれも欠けていると感じた。努力すればどうにかなると思っていたけれど、努力だけでは埋められない差があることを痛感した。
「本当は、ドームに立って、もっと多くの人に見てもらいたかったのにな......」
その願いも結局、叶わなかった。どれだけ努力しても、業界の目に留まることはなかったし、大きな舞台に立つ機会も訪れなかった。諦めずに小さなライブハウスを拠点に地下アイドルを続けていたが、表舞台に出ることはなく、ただ地下の狭い世界に閉じ込められたまま。華やかなアイドルの世界なんて、自分には遠すぎる夢だったんだと今は分かる。
「でも、もういいか。今日で全部終わりだから。」
手に持っていた電子タバコはランプが消えて、吸いおわりを示す。
「そろそろ行かなきゃ。」
ゆあは縋るように曇り空を見上げる。日が差してくれないかなと眺めたが、曇り空は変わらない。ゆあは最後のステージへ向かうしかなかった。
「あと十分で開演だな」
俺は連番のオタクと並んで、手に持ったペンライトをぎゅっと握りしめた。
会場のスピーカーからは、彼女たちルナエコーの定番曲が流れており、ファンたちは今か今かと待ち構えている。
「正直、この始まる前が一番ドキドキするわ。」
俺はつぶやいた。会場の熱気とファンのざわめきが交差するこの瞬間がたまらなく好きだ。しかし、今日は特別だった。俺が心の中で言い聞かせる。
「でも、それだけじゃないだろ?」
隣のオタクがニヤリと笑う。
「ああ、そうだ!」
俺は声を張り上げるように応えた。
「今日は最推しの姫乃ゆあの卒業ライブなんだ!姫乃ゆあのことは5年前からずっと応援してきたんだ。彼女がルナエコーとして輝き続けてくれたのをずっと見てきた。でも、今日でその姿を見るのも最後かと思うと......」
言葉が詰まり、胸の奥がじんと熱くなる。姫乃ゆあがルナエコーとして歌い踊り続けたこの5年、どれだけ彼女の存在に励まされてきたか分からない。
「絶対、今日は思い出に残る最高のライブにしよう。」
そんな姫乃ゆあの最後のライブなんだ。絶対に寂しい最後にはしない。
「うおおおおお!」
会場の照明が落ち、スピーカーから流れている曲のボリュームが一気に大きくなる。同時に会場のオタクたちは興奮を抑えきれず歓声が上がる。ライブが始まるのだ。
「~♪」
喉からじゃなくて、お腹から声を出すように。
喉が痛い、高音でないよ。
曲のリズムに合わせてステップを踏む。
足が重い、ステップついていけない。
手の振りは後ろの席まで見えるように大きく振る。
もう腕が上がらない。マイクが重くて持っていられない。
目線は下向かない。前を見る。
息がキツい。額からの汗が目に染みる。
もちろん、顔は笑顔で。
あたし、笑顔できてるかな。隠せてるかな。
ゆあたちルナエコーに残された時間はほんの僅か。
10曲以上、歌い続けて今歌っている曲が最後。ルナエコーの初期曲で5年前からずっと歌っていたものだ。
400人近いファンたちの興奮は最高潮だった。
自分勝手にコールを飛ばすファン。アイドルのダンスを真似し踊るファン。感極まって泣き、思いを告げるファンもいる。皆、この時間を思い思いに楽しんでいた。
「......ファンのみんな、ありがとう。」
ゆあにとってファンは唯一の救いだった。ギリギリでアイドルやってるこんな自分に魅力があると信じて、応援し、励ましてくれる。
そんなファンの期待に応えられず、諦める自分が情けなかった。
最後まで、最後だけでもファンを楽しませたい。
身体は疲れ切っている。それでもゆあが笑顔を崩さず歌い踊り続けるのはその想いだけだった。
曲はもうCメロのおわり。あとは少しの間奏で落ちサビに入り、ラスサビで曲が終わる構成。ゆあに残されたアイドルとしての時間は1分もない。
落ちサビはゆあが1人だけで歌う。いつもは他のメンバーが歌うのだが、最後だからと託してくれた。
あと数秒でで間奏が終わる。
ゆあはこれまで過ごしてきたアイドルとしての日々に想いを馳せていた。
小さい時、母親の前で歌ったあの日。アイドルになるために上京したあの日。メンバーとレッスンを積み重ね、1人でも自主練に励んだあの日。初めてファンができたあの日。オーディションに落ちて悔しくて泣いたあの日。それでも諦めきれなくて小さなライブハウスでもがき続けた日々。
結局、夢を叶えることはなかったが、走り抜けた。出し切った。でも、これでもうおしまい。
間奏終わり、ラスサビ。ゆあが歌い出す。
歌い出しと同時に顔をあげ、客席を見たゆあは、自分の目に飛び込んできた光景を一瞬、理解できなかった。
ゆあのメンバーカラーである紫の光が揺れているのが眼前にいっぱいに広がっている。
いつもはファンの推しメンカラーのペンライトやオレンジのサイリウムでカラフルに彩られるラスサビだが、今だけはゆあのカラー、一色だった。
今日で、この曲を最後に卒業するゆあへのファンからのプレゼント。ゆあのための、ゆあだけのステージ。
口では練習通りにメロディーを歌うゆあだったが、瞳からは涙がスーッと自然に溢れていた。
才能あるものが努力しても実らず、輝けないこの世界。自分には遠すぎる世界だと、道半ばで諦めたが、ドームと比べるとあまりにも小さいライブハウスが紫一色に染まっているこの瞬間だけは夢が叶ったとゆあは思った。
「本当に最高のライブだったな!」
駅へ向かう帰り道で、連番だったオタクが興奮気味に話しかける。
「......ああ、本当に良いライブだった!やっぱり、姫乃ゆあ、最高のアイドルだ!」
「お前の言う通りだったよ!やっぱり最後のラスサビ歌うのれなちゃんじゃなくてゆあちゃんだったな。」
「そうだろ!」
もう一人のオタクは得意げに笑う。
「SNSで『ラスサビはペンライトを紫色にして』って呼びかけて良かった......。あれで会場が全部紫一色になって、最高の景色だったよな!」
「お前、会場するギリギリまで『紫にして!」って他のオタクに声かけてたもんな笑」
二人は笑い合い、ライブの思い出話に花を咲かせる。ゆあの卒業が終わってしまった寂しさと、でも一緒に見届けられた喜びで、なんとも言えない感動が二人の間に漂っていた。
しばらく歩いていたが、ふと連番のオタクが思い出したように話題を変えた。
「でさ、次のライブの話なんだけどさ......」
「次?」
「ああ、あのグループの妹分がデビューしたんだってさ!初ライブ、もうすぐあるらしいんだよ。今なら俺達が古参になれるチャンスじゃね?笑」
「え、マジで?......行くわ、それ。」
ほんの数分前まで「姫乃ゆあ最高!」と感動していた二人だったが、すでにその熱は次のアイドルグループへと移り始めている。
「また応援して、みんなでペンライト揃えようぜ。今度はどんな色になるか、楽しみだな!」
「はははっ!お前気が早いって笑!」
二人は笑いながら駅まで歩いていく。ゆあの卒業ライブは確かに「最高」だったが、その「最高」も、きっと次のライブが来れば新しい「最高」に塗り替わり続けるのだろう。アイドルはいくらでも代わりがいるのだから。