2話 ラファエルのふり返り
カッコいい閣下のままでいてほしかったのですが無理でした。
ラファエルが当主を務めるトランバル侯爵家は国境に面した重要な地を治めている。軍を持つことも許されており、剣と大蛇のシンボルマークを掲げたトランバル領軍はこの国で最強の呼び声高い。戒律と上下関係に非常に厳しくはあるが、その分人情に篤い輩が多く在籍していた。
実際いい奴らなのだ。
ただちょっと見た目がいかつい。
筋骨隆々の傷男だとか、全身入れ墨の入った男だとか、とにかく婦女子には受けが悪い。なめられたら終わりという風潮もあるため、皆必要以上にいかつい風貌にしてくるのも拍車をかけているだろう。
さらにトランバル領独特のしゃべり方も威圧を与えるらしく、王都と行き来をするラファエルも当初はずんぶん気をつけたものだった。
先代から当主交代を言い渡され、これを機に妻をめとることになったのだが伴侶選びは難航を極めた。まず挙げられるのが隣国との緊張感が強いことだ。すぐさま戦争とまではいかないが、むかしっからトランバル家と仲が悪い相手が国境をはさんだ向こう側にいる。互いに威嚇しなめられないように努力した結果、互いに国最強の領軍をもつことになってしまった。
水面下の小競り合いは今でもあり、侯爵家から枝分かれした各家がそれぞれの縄張りでにらみを利かせている状態だ。各家に歴史があり、プライドがあり、それらをまとめるのがトランバル家なのだから生半可な気持ちでは務まらない。
ゆえに内情を知っている貴族たちは近寄ってこない。知っていて釣り書きを持ってくるものもいたが、はりきっているのは親族ばかりで肝心の娘は気が小さかった。使用人や部下を見ていちいち悲鳴をあげられてはたまらない。物怖じしない人もいたものの、ただ傲慢なだけで相手を思いやる気持ちがなく妻になりえる器ではなかった。
そして妻探しを難しくしているひとつが、父の言いつけによる「身内絶対守る包囲」である。
ラファエルの母は彼が小さい頃に亡くなった。
事故を装った襲撃で、父は怒り狂い徹底的に報復をしたが、その時の教訓から幼いラファエルへこれでもかという護衛がつけられた。自分の身を守る術のない者はそうして守ると父が決定したのだ。おかげで周囲からたいそう怖がられ、友人になってくれたのが変わり者の王子しかいなかった。
その身内絶対守る包囲は新妻にも適用される。
強面に囲まれてもけろっとお茶を飲めるくらい胆のすわった人でないとその人もツラいのだ。
何事にも動じない落ち着きと豪胆さ、そして優しさを備えた女性はいないものか。トランバル家に嫁ぐとなればそこが一番大事なので容姿は高望みしない。家格も最大限考慮する。そんな気持ちでラファエルはいた。最終的には分家筋から娶ることになるのだけれど、そうはしたくない理由がちらほらある。まだ内々で持ち込まれる縁談ばかりだったので、王都や各領から相手を探そうとひとまず社交シーズンにかこつけて王都へ行った。
そのタイミングで出会ったのがリリーだった。
◇
「あ、すいません。よそ見してーーすすすすすみませんでした本当にワザとじゃないんです申し訳ありませんでしたぁッ!!!!」
ラファエルの後ろにいる護衛を見て青ざめた女性がバケモノから逃げるように去っていった。通りすぎざまに軽くぶつかっただけなのに、それもわざとじゃないとわかっているのに、つい謝罪しなければならないほどの何かがあるらしい。
王国騎士団の訓練をこっそり視察させてもらおうと王城から少し離れた訓練場へと向かう途中だった。数人の護衛をつけて、ラファエル自身もフードを深くかぶっての控えめな外出にも関わらず人々は彼らを遠巻きにする。
いや原因はブルーノを筆頭とした護衛連中の圧の強さと分かりきっているのだ。しかしこれが世間一般の反応なのだとしたら、ラファエルの求める女性というのは幻の類いなのかもしれない。やはりいないものだろうか。いたって真面目に仕事をする部下たちへ「お疲れさま」と言ってくれる女性は。
少々気落ちしたなかふいに視線を走らせると、人の行き交う往来で、どう見ても少女が悪漢数人に囲まれていた。いや悪漢ではない。騎士だ。ガラの悪い男が立派と騎士服を着ている。そしてちんまりした少女を囲んでいる。
「っけんじゃねえぞゴラァ!」
興奮する男の大声がびりびりと辺りの空気を震わす。男は騎士のようだが口調はラファエルの部下に近い。というか部下が王国騎士団にこっそり入団してたと言っても信じるくらいの迫力だった。
王国騎士団にも逸材がいると聞いていたが、こんないたいけな少女を恫喝するとはがっかりだ。ラファエルはそんなことを思いながら少女を助けるべく一歩踏みだしたのだが。
「ちょっとお兄ちゃん! こんな大通りで大きな声出しちゃだめだよ。ちゃんとみんなの分あるんだから、ケンカしないで」
可愛らしい声で大男を叱責する姿に衝撃を受ける。
「だってジョルジュのやつがよぉ。クソ、おめえが意地汚ねえせいで俺が怒られたじゃねえか」
「はあうっせ。リリーの作ってくれたメシが不味くなる」
「んだとクソ野郎」
またヒートアップしてきた彼らを「お兄ちゃんっ」のひと声で黙らせる少女。名はリリーというのだろうか。
その時、運命のつむじ風がひゅうと吹いて、少女の帽子がラファエルの近くへ飛んできた。いちばん近くに立っていた護衛のガスが帽子を拾って軽く砂ぼこりを払っていると……
「まあ、親切にありがとうございます」
彼女が笑顔でこちらへ駆けてきた。
ガスは今日来た護衛のなかでいちばん背が高く、そして最高に人相が悪い。しかし本当は犬猫が大好きな優しい男でもある。そのガスから、リリーは手渡しで帽子を受けとった上に、笑顔でお礼を言ってきたのだ。
ラファエルは自身の手がわなわな震えていることに気付いていなかった。
「レディ。失礼でなければお名前を伺っても?」
ラファエルの気配を察したブルーノがすかさず少女の名前を聞く。ブルーノもガスに劣らず強面だ。厚い胸板にちらりと見える刺青、後ろに撫でつけた髪。ラファエルの中ではインテリ組だが、一般人は彼を怖がることを知っている。先ほどのガスとのやりとりは偶然かもしれない。もし少女がブルーノとふつうに会話ができたなら……
「ふふっ、レディだなんて。なんだか恥ずかしいですけど、帽子を拾っていただいからには名乗らないわけにはいきませんね。リリーと申します。けれど家名はどうかお許しください」
かわいい笑顔。
気持ちがよくなる会話。
さりとて防犯の意識も忘れず。
胸が苦しくなって服の上からぎゅっと握りしめた。
ここでまた予想外のことが起こる。
「おい危ねえぞ嬢ちゃん!! 」
見れば彼女の後方から樽が勢いよく転がってきている。荷台から転がり落ちたらしいが、勢いがよすぎてあんなもの当たったらひとたまりもない。助けなければ、と無意識に足を踏み出した。
しかしラファエルや護衛たちよりも先に対処したのはリリー本人だった。目の前までせまった樽の勢いをそのままに真上へ蹴り上げ、勢いをつけたまわし蹴りで粉砕。あまりにも一瞬の出来事で周囲にはなにが起こったのかわかってはいないだろう。バラバラになった樽を見て、少女へぶつかる前に壊れたのかと思っている人間は大勢いそうだった。
けれどラファエルの脳には焼き付いてしまった。
一瞬だけ見えたリリーの射抜くような鋭い眼差しを。容赦のないまわし蹴りを。
「すみません、親兄弟が騎士のせいかわたしったらどうもお転婆で」
ラファエルたちへ恥ずかしそうに笑いかけると、リリーはペコリと頭を下げて兄たちのところへ戻っていった。ばらしてしまった樽の始末やら荷運び人への注意などをするのかもしれない。
「……あの、ラファエル様?」
少年のようにきらきらと瞳を輝かせ、頬を紅潮させたラファエルには何も耳に入ってなかった。世界に光が満ち、花びらが舞い、天使がラッパを吹いていた。
トランバル家には彼女しかいない。
ひと目惚れとはちょっと違うのかもしれない。
けれど、ラファエルは絶対に彼女だと思った。
◇
成り行きを幼なじみに話したら爆笑された。腹を抱えながらひーひー笑うトリスタンに「いい加減笑いやめやトリ頭が」と冷たく睨む。
「はあーあ、久々に笑ったわ。しかしリリー・ハルティングか。いいと思うぞ、俺は」
彼女は結婚適齢期らしいが、彼女の親兄弟がなかなか強烈であまりそういう話は進んでないらしい。それでも騎士の中にはリリーへ懸想してる者もいて、そろそろ求婚者同士でデスマッチでもさせようかとあの兄たちが言ってるという。
「さっさと話進めねえと取られちゃうかもなあリリーちゃん」
「やめろ。ちゃんづけで呼ぶんじゃねえ」
「じゃあ呼び捨てでいいのぉ?」
そもそも気安く呼ぶなと言いたいのだが、果たして自分にその権利があるのか謎なので、というかきっとないのでラファエルはそのまま口をつぐんだ。
「知ってるか、リリーちゃんのタイプ。周囲があんな野郎だらけだから、結婚するなら線が細くて優しい王子さまみたいな人がいいんだとよ。おまえの素見せたらヤバいんじゃね?」
「……はっ、どこ情報だよ。ハッタリならただじゃおかねえぞ」
「リリーちゃんの兄貴に決まってんだろ。黙ってりゃ俺も王子サマに見えるからな。もしかしてリリーちゃんは俺の方が好みかも♡」
「殺す」
ラファエルが懐から短刀を取り出して突きつけると同時に、トリスタンも自身の袖口から取り出した小銃を向けた。殺伐とした空気のなか、引き金にかけた指が余裕ありげに遊んでいる。
「じゃあさっさと動けや。んなとこでチンタラしてんじゃねえ」
ノック音が扉の方から聞こえたので互いに物騒なものをしまうと同時に王子の侍従が入室してきた。どうやらもう時間らしい。
「ではラファエル、そういうことで。婚姻の際には遊びに行かせてもらうよ」
「お忙しい身でしょう。ご無理をせずとも」
「そう寂しいことを言うな」
互いにうそくさい笑みを浮かべ、王子然としたトリスタンと別れた。
方々に手を回し、リリーの家族へも挨拶をし、彼女との婚姻を最速で整える。リリーの話を聞いたラファエルの父も満足そうで、そうなれば分家たちがとやかく言うこともない。
まさかトリスタンがリリーを迎える日に合わせてトランバル家の屋敷へやってくるとは、さらに言うなら女装までしてラファエルたちを出迎えるとは思わなかったけれど。
いや女装してくれたのは正直ありがたく思う。黙って立っていればトリスタンは爽やかな王子なのだ。万が一、億が一、リリーの目が奴に奪われようもんなら……。しかしこのせいでリリーが妙な勘違いをしてしまったようだ。
ラファエルは慌ただしい日々を過ごしていた。リリーのことは誘拐同然に娶ってしまったので、怖がらせてはいけないと結婚後も寝室も別にして適切な距離をとっていた。披露宴ももう少しあとでと思っている。
嫌な顔せず嫁いできてくれて、部下たちにも笑顔で接してくれて、身内絶対守る包囲にも臆することなくティータイムを楽しんでいる。あまりに逸材だ。この地に住まうために遣わされた天使だ。生まれてきてくれてありがとう。あの日出会ってくれてありがとう。
そんななか、ブルーノからトリスタン愛人疑惑が解けていないと聞かされ、全身に鳥肌がたった。自分の口から否定し、ブルーノからも否定してもらっても「そうなの?」とあまり真剣に受け止められていない。
きっと、リリーはラファエルのことをなんとも思っていない。だからラファエルに愛人がいようがどうでもいいのだ。そのことに思いのほか傷心し、自分自身でも驚いた。
ラファエルがリリーに対して抱く気持ちは好意には違いないのだが、恋とはちょっと違っていた。完璧な理想の女性に対する憧憬の方が近いと思っていたので、相思相愛になりたいだとかは考えていなかったはずだった。はずだったのだ。
あの日あの時までは。
「どうしたら旦那さまを恋の罠に落とせるかと思って」
寂しげにうつむいた横顔。
罠どころか至近距離から大砲で撃ち抜いてきた。
屋敷には状況をおもしろがったトリスタンがまだ滞在していて、リリーはその笑顔で部下たちの心をすぐさま掴んでいた。トリスタンは好みのタイプである可能性があり、部下たちとは気安い関係を築いている。もしリリーがラファエル以外の男に心を寄せてしまったら。今までもそんなことを考えると不快な気持ちにはなったが、それに強い焦燥感も加わった。
まだ時期尚早だと思う。
結婚したもののあまり関係性を深められていない。
けどどうしても自分の妻になってほしかった。
◇
それがどうしてこうなった。
ラファエルの想いを告げ、本物の夫婦になった翌日。ゆっくり過ごしてほしいと伝えたのに、なぜかリリーは女装姿のトリスタンと庭でお茶をしていた。ブルーノがなんだかおかしなことになっていると呼びに来てくれたおかげで現場を押さえることができたが、これはいったいどういうことだろう。
扇子で口元で隠してはいるがどう見ても笑いをこらえているトリスタン。対するリリーは申し訳なさそうに肩を落としてしゅんとしている。
「トリスタン様はラファエル様の愛人ではないのかもしれないとようやくお思いになったようで、事実確認のためにお茶へお誘いになったのはよいのですけれど……」
あることないこと吹き込まれているようです、という言葉を途中まで聞きながらお茶会へ突入した。
ラファエルの姿をみとめるとリリーは立ち上がり、大げさなくらい頭を下げた。
「トリッシュ様とのこと、誤解して本当に申しわけありません! わたしのことをそんな風に思ってくださるなんて夢にも思っていなかったので……やだはずかしい」
赤くなった両頬を手でおさえて恥ずかしがる妻がかわいい。しかしトリッシュとはなんだ。偽名か。女装路線のままいくことにしたんだろうか。短いあいだにずいぶん打ち解けたものだと若干ジェラシーを感じた。
「旦那さまとトリッシュ様は五分の盃を交わしたご兄弟なのだと聞きました。詳しいことはよくわかりませんが、旦那さまにとって大切な方なのですね。こんなにおキレイな方が男性だとはちょっと信じられませんでしたけど……トリッシュ様の言う通り、生き方は自由であるべきですものね」
なるほど。男とは明かすがあくまで女装が趣味のトリッシュという人物で貫くらしい。兄弟うんぬんは事実なので何も言うことはないが、ラファエルよりもよっぽど打ち解けている様子のふたりにやっぱりジェラシーだ。
少々遠い目をしながら魂を飛ばしていると、リリーがもじもじしながら質問をしてきた。
「旦那さま……あの、トリッシュ様が、この領地の新妻は嫁いでひと月は夫となる方へ毎夜ひざ枕が必要だとおっしゃったのですが、本当でしょうか。わたし、何も知らなくて」
「……そんなことはないこともない、のかもしれないね。でもそれをリリーに強要することはないよ。してくれるのならとても嬉しいけれど」
なんてこと言ってやがんだトリ頭となじりたいような褒めたいような。それよりも恥ずかしがるリリーが可愛くて愛おしい。
「じゃあ、でかけるときは手をつなぐのも、おそろいの服を着るのもそうなのね……いやだわ、こちらへ来たのが急だったとは言えなにも知らなかった。ブルーノさんも教えてくれたらよかったのに」
やっぱなんてこと言ってやがんだテメェ! とトリスタンへ怒鳴りたい気持ちをぐっとこらえてラファエルは猫をかぶり続けた。心の中で「俺はキラキラ王子さま俺はキラキラ王子さま」と唱え続ける。
「うん。それもね、別に決まりとかじゃないから。リリーがいやならしないよ」
「そうなのですか……」
少し残念そうにするリリー。もしかしてペアルックとかしたかっただろうか。望まれるならどんな格好でもやる所存だ。
すると次の瞬間、リリーがラファエルへ近寄って手を伸ばした。そしてその小さな手でラファエルの手を握る。
「……ちょっと新婚っぽいこと、したいです。わたし、恋愛ごとにすごく憧れてたから」
「ぐっ」
不安げに首を傾げてラファエルをうかがうリリー。
もう、彼女に勝てる日なんて一生こないのかもしれない。
「……欲しいものなんでも言って。どんなものでも手に入れてみせる」
気付けばそう口を開いていた。
視界のすみで必死に笑いを噛み殺しているトリスタン。報復すべきか菓子折りを届けるべきか迷うところだかラファエルを笑ったことに関してはあとできっちり落とし前つけてやると堅く決意した。
「じゃあお言葉に甘えて、旦那さまとの時間を所望します。ずっとお忙しかったでしょうから少し休憩でもいかがですか? よければこのままお茶でも、なんて」
「……好き」
ラファエルの小さなつぶやきにリリーがぽっと頬をそめる。
ちなみにだが、ここには身内絶対守る包囲の対象者であるリリーとお忍びとは言え王族のトリスタン、そして現当主のラファエルがいる。庭には護衛という名のむさい男どもがはびこり、猫一匹逃さないほどの包囲網がしかれているのだ。空以外どこを見ても強面の男がいる。いや空にも大凧で宙を舞う強面がいる。
そんな状況で恥ずかしそうに照れているリリーは、やはりこれ以上ない逸材に違いなく、トランバル家の安泰はまちがいないと確信した。
妻を大事にしよう。
ラファエルは改めてそう決意したのだった。