今日は何の日? ひだまりのねこの気まぐれエッセイ~5月27日は『百人一首の日』ですよ~(*´▽`*)~
ごきげんよう、ひだまりのねこですにゃあ。
本日5月27日は、『百人一首の日』ですよ~。
およそ800年前の1235年(文暦2年)のこの日、現代でも親しまれている小倉百人一首が誕生したのです。
選者である藤原定家の日記『明月記』にそのことが書いてあるんですね。
何のために百首選ばれたのか?
藤原定家の親友に宇都宮入道蓮生(頼綱)というすごい歌人がいるんですが、この頼綱さんが京都の小倉山に別荘を持っておりまして、そこに滞在する際、襖に和歌を書いた色紙を貼ったらお洒落で良いよねって思いついたのです。
そこで親友の定家に頼んだわけです。
「悪いんだけど、お前のセンスで100人の和歌ベスト100を選んでよ」
「は? うーん、まあ他でもないお前の頼みだし、良いよ」
「あ、でも過去から今までの600年分から時系列でバランスよく頼む」
「めんどくせええ……」
というやりとりがあったとか無かったとか。
ちなみに定家の息子の嫁は頼綱の娘ですから、ガチの友です。定家も同じ小倉山に別荘持ってます。
頼綱は歌人として有名ですが、源頼朝の乳母に育てられた頼朝の直臣でもあります。
当時としてはかなりの長寿、88歳まで生きました。定家と同じ藤原氏。
そして完成した百人一首ですが、いわゆるゲームとして遊ぶようになったのは、戦国時代からです。
武将の奥さま方が集うサロン的な場で教養を競う遊びとして人気となり、現代のようにお正月に庶民が皆で遊ぶようになったのは江戸時代。
皆さまご存知の任天堂も現代まで続く百人一首の製造メーカーの一つなんですよ。
ところで私、小学生の頃は学校の百人一首大会で常に無双しておりまして、その勢いで中学に入ってから調子に乗って競技かるたを始めました。
ところがですね〜、私には致命的な欠陥があったのです。
ご存知の方も多いかもしれませんが、競技かるたってものすごい体力勝負なんですよ。
読みや駆け引き、記憶力という頭脳と、集中力、瞬発力、持久力という肉体系酷使の合わせ技。
突き指や傷なんて日常茶飯事。超体育会系です。優雅さどこ行った!?
体力が人一倍無い私には向いておりませんでした~。
通うことになった高校が遠距離だったこともあって、中学卒業と同時に競技かるたも卒業したのです。
ところが高校生のとき、始まったんですよ。競技かるたブーム。
そう……ちはやふるという漫画が人気になったんです。
漫画を知らなかった私ですが、当然読みました。王道の青春ですよ、青春。キラッキラです。
ああ……続けていれば私もこんな世界が?
しかし、
『かるた部に入って漫画みたいな青春を満喫しようと思ったが、私の学校にはかるた部が無かった。辞めたことを後悔したがもう遅い』
みたいな、残念系主人公な私。
無ければ創ればいいじゃない。
だけど私には体力が無かった……。
一回戦で燃え尽きてしまう私では大会は戦えないのですよ……無念ですが。
でもね、私が三年生のときに出来たんですよ、かるた同好会。
茶道部の畳がある部室で活動していたので、たまに教えてあげたり、練習に混ざったりしてました。あの頃は楽しかったなあ。
百人一首には悲しい後日談があります。
定家が書いた色紙は頼綱の子孫、宇都宮家に代々受け継がれたのですが、
「定家の色紙寄越せ」
という秀吉の無茶な要求を断わったため、一族は暗殺されて滅ぼされたそうです。
もし本当なら酷い話ですよね。
滋賀県には、近江神宮があります。
私は行けませんでしたが、競技かるたの全国大会、野球でいえば甲子園のようなかるたの聖地です。お近くの方はぜひ〜。
私もいつか絶対に行ってみたい。
我が家ではお正月に、百人一首をするのが恒例でした。
ずっと私が強かったんですけど、弟が中学生になってから勝てなくなったんですよね。きぃ〜っ、天才はこれだから。
坊主めくりなら、札を覚えなくても出来ますし、小さい子どもでも盛り上がりますからおススメですよ~。