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ハイライト職人  作者: 千流
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性欲と食欲


 まったく関係ないのだが、重大な事実に気づいてしまった。安芸は今洗濯機を回している。乾燥機能を使っている。一番外側の服は着ているが、そうだとすれば何を乾燥させているのか? 言うまでもなく下着である。インナーなものである。淫猥なのは俺の頭である。彼女は下着をつけていないのではないか?


 それを意識してしまうと、もうその場にいることに著しい困難を感じるようになった。

 うっかり下心や性欲を安芸に見せてしまおうものなら、実質的に“そういうこと”をしてほしいんですという意思を提示してしまう。それだけは回避せねばならない。彼女の罪悪感を刺激してしまうからだ。


 鋼鉄の意志で俺は食事に意識を誘導した。性に飢えたけだものから食に飢えたけだものになるのである。俺はものすごい勢いで大皿から焼きそばを取って、一心不乱に食った。


「お腹空いてたんですか?」


「ああ。でも遠慮はしなくていい。足りなかったらまた何か作る」


「はい……ふふ、なんか楽しいです」


 顔を上げた。彼女の表情だけを見ていると、本当に何か嬉しそうな様子だった。何が楽しいんだかわからないが、幸せそうだ。地上の天使かと思った。でも下着付けてないんだよな。静まれ!

 叫び出す心が伝わったのか、乾燥機がぴぃーっと叫んだ。最近、自然現象が俺を反映している気がした。安芸は脱衣所の方に向かい、二言三言喋ってからやや時間をおいて帰ってきた。途中で布擦れの音がした。


 耳にこびりついて離れぬ布が動いただけの音を消すために、音を立てながら焼きそばを掻き込んだ。

 安芸は品良く合掌してから食べ始めた。なんとまあ、金の有無が育ちの良さとは関係のないことを如実に表していた。すまんな母よ、これは必要なことだったんだ。多分父ならわかってくれる。わかれ。俺がいるってのは性欲の結果なんだから、わからないとおかしい。


 しかし十分ほど猛烈な勢いで食べると、一気食いの弊害が出た。食欲に急ブレーキをかけたせいで、スリップして俺の車体は性欲に突っ込んだ。ひっきょう俺の視線は安芸に釘づけにされ、彼女は不思議そうに言った。


「何か付いてますか?」


「いや。えーっと。美味しそうに食べてくれるなあ、って」


「神戸さんには負けますよ」


「これは違う。何というか、はは」


「そうですか? ところで、このままだと旭川さんの分がなくなってしまいます」


「気にしないでいい。あれは焼きそば好きじゃないからな」


「え、そうなんですか? 美味しいのに」


「お好み焼きの方が好きらしい」


「どっちもソース味では?」


 わかる。一体何がいけないのか。祐樹をダシにして雑談をし、彼の情報を開示するという高度な物語的技法を用いながら、俺は意味のあるモブとして振る舞っていた。やがて主人公が現れた。


「やあ。酷いじゃないか、僕を置いてご飯なんて。まだお昼も食べてないのに」


「焼きそばだ」


「どうでもいいや。僕ちょうどお腹いっぱいだったんだ。ところで今は何を作れる?」


 矛盾の塊みたいな発言に応じ、人の良い俺は冷蔵庫の中身を思い浮かべた。


「お前に出せる物は豆腐くらいしかない」


「冷奴って言いなよ」


「掛けるの醤油くらいしかない。俺はあれを料理と認めたくないんだ」


「あの。冷蔵庫の中、見ても良いですか? 私にできるものがあれば、作ってきますけど」


 なんで俺は自分で作り、祐樹は安芸の手料理を食べられるのだろう?

 この世の理不尽を感じながら頷くと、彼女は見分を開始した。姑みたいだった。おっかなびっくり食材や調味料に触っていた。

 戻って来るとどっかりと座った。諦観と疲労が見える。やがて魂ごと抜けたんじゃないかと思うくらいぼんやりと言った。


「うちより食材が多い……一人暮らしなのに」


「おぉ。ってかさ、それなら冷奴しか出せないっておかしくない?」


「おかしいな。俺もそう思う」


「僕への差別だよ」


「偏食を直せ、毎日珈琲ばっか飲みやがって。カフェ中が」


「エナドリ飲んでないだけマシだとは思わないのかい?」


 祐樹は文句を言いながら鞄を漁り、ポテトチップスの袋を取り出して無造作に開いた。祐樹はなんだかんだ言っても勘が良い。安芸の事情についても、貧乏くらいは察したようだ。


「安芸さん。これ二人で食べよう」


「良いんですか?」


「もちろん。僕一人でこんなの食べたら太ってしまう。道連れが欲しいんだ」


「でも、神戸さんに悪いです」


「大丈夫だよ。天嘉は招いてなくても勝手に摘まむ厄介な客だから」


「お前自体が招いてない客だってこと忘れてるだろ」


「不法侵入者で対決かい? この家の主を巡って戦おうか」


「ポテチでも食ってろ。床は汚さないようにしろよ」


 この家にテレビはない。大抵のことはパソコンとスマホで事足りるからだ。

 つまり手が使えない今の状況では、やることは雑談くらいしかない。通常ならば場が持たないところだが、祐樹が主人公力を発揮して場を掻きまわしていた。安芸はへとへとだったが、楽しそうだった。

 仲良き事は美しきかな……できれば俺を蚊帳の外にして、そのままいい感じに安芸を救ってくれたまえ。そして女友達を話の都合上紹介してくれ。どんな物語ならそんな都合の良い展開になるのか見当もつかないが、期待しているぞ。


 作戦通り徐々に口数を減らしフェードアウトして、そそくさと皿を洗ったりしていた。二人はご歓談中である。皿洗いを終えて席に戻ると、不満げに祐樹が俺を睨んだ。


「君さぁ、もうちょっと喋ろうとか思わないの?」


「うるさい。俺は忙しいんだ」


「安芸さんをほっぽり出してまですることかい? 君と話したいように見えるよ」


「え? いえ、そんな。旭川さんと話すのが嫌とか、そういうわけじゃ」


「あ、僕も誤解を招く言い方をした。別に他意はないんだ。つまらなそうに見えたとか、そういうんじゃない」


 初々しいやり取りだなあ。良いなあ。俺も外に探しに――大雨が降っていた。遠くから雷鳴まで響いている。俺の心のせいで俺の活動が妨害されている。こんな雨の日は家出少女の一人二人三人くらい――。

 スマホの着信音が鳴った。俺のだった。二人は即座に口を閉じ、俺は画面をタップした。


「もしもし? 赤留さん?」


「うん。今ちょっと話せる?」


 二人に目配せすると、彼らは頷いた。どうやら待ってくれるらしい。


「五分くらいなら大丈夫」


「今度さ、そっちに遊びに行っても大丈夫?」


「それは構わないが、どうした?」


「最近忙しくってさ。神戸君の部屋なら落ち着けるかなって」


「その理屈はとてつもなく間違ってると思うが。大事ないならいいや」


「うん。安心してー。じゃ、またねー」


 電子音が響き、通話が切れた。声に変化はないので、本当に大丈夫なんだろう。そう思いたかった。

 思考を終えると、一応二人に向き直った。


「終わったぞ」


「そっか」


 祐樹が興味津々だがさすがに聞けぬ、というようなもどかしそうな顔をしていた。

 安芸も似たような顔だったが、こちらは申し訳なさが強い。まあ、簡単になら話しても良いか。安芸には関わるかもしれないし。


「そのうち遊びに来て良いか、って話だった。安芸さんとは会うかもだけど、女子だし悪い奴じゃない。心配はいらない」

「そうでしたか。なら安心ですね」


「また女の子かぁ。天嘉はモテるねぇ」


「叩き潰して茹でるぞ」


「パスタかい。いや蕎麦かな、この場合。いいなぁ、お蕎麦食べたくなった。作ってよ」


「蕎麦ぁ? あー。何もなしでいいなら。できる」


 まずい。失敗した。言うんじゃなかった。ついうっかり答えてしまった。

 祐樹はにっこり笑ってキッチンを指差した。致し方あるまい。しかし、この俺がタダで転ぶと思うな。


「お前は後で金を払えよ」


「んーいいよ、今度学食奢る」


「ならいい」


 むしろ得になる。

 俺は満足してキッチンに向かった。背後から馬鹿呼ばわりされた気がした。


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