女の子で出汁を取ってない焼きそば
一番風呂は当然安芸に譲った。深い意味はない。お湯を飲む気もない。ただ男が入った後は嫌だろうという考えだった。
彼女を脱衣所に送り出したところ、数分後に顔だけ覗かせてきた。服を纏っている様子はないが、いくらなんでも早すぎる。
「あの、すみません」
「どうした? なんか壊れた?」
「ああいえ、なんて言うかその。シャンプーとか、使っても良いんですか?」
「良いよ。男物だから、合わなかったら申し訳ないけど」
「湯船、入らない方が良いですよね」
「入った方が良いね」
「僕もそう思うよ。体が冷えているから。なあに、天嘉が安芸さんの煮出し汁で不埒なことを考えた時は、僕の方から処分しておくよ」
「にだっ……わか、ありがとうございます!」
彼女は顔を真っ赤にして引っこんだ。俺は隣のニヤケ面に一発ぶち込むことにした。
「キング二枚だ。勝てるかな?」
「良いのかな? こんなところで切り札を切っちゃって」
「勝敗よりも矜持だ」
「こりゃ酷い。降参だ」
彼は場を流し、次いで三を出した。我々はトランプで二番手を決めようとしていた。大富豪だ。今のところこっちが優勢だが、強いカードは出し切ってしまった。それが失着となり、俺はボコボコにされた。
「家主が最後か」
「普通は客人が先だけどね。非常識な主人だ」
「お前は客じゃなくて不法侵入者だからな」
「なんてことを言うんだ。まさか、君一人で安芸さんと場を繋げると思っているのかい」
「……あまり俺を見くびるなよ。独力で安芸さんと仲睦まじくすることくらい訳ない」
「どうして彼女がいないんだい?」
「張り倒すぞ。あとお前、髪ちゃんと拭け」
フェイスタオルを投げつけた。彼は顔面でキャッチして、そのままずるずると持ち上げ頭を吹き始めた。
なんでこうなったんだ。安芸はまだか。会話がなくなると、浴室からの音が聞こえてくる。シャワーから飛び出した水が、安芸さんの身体にぶつかって滴り落ちる音だ。外に溢れている雨音と大差ないのに、妙に艶めかしく聞こえるのは俺がおかしいのか。エロい。多分裸を見るよりも劣情を誘う。
やがて水音が止まり、小さな声が響いた。
「おふろー、おふろー」
ざばーん。少し大きな水の音がして、嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。
なんかこう、思っていた女の子の入浴シーンと違う。十八禁ゲームではこういう時、静かに入ってお淑やかさを演出していたはずだ。まさか現実は小説よりも奇であるのか?
俺は真剣に考察を行った。三十秒で結論が出て、外の豪雨は俺の心なんじゃないかと思った。
彼女は親との関係が悪い。もしかしなくても、十分に風呂に入れていないのではないか。臭くはないから最低限は入れているのだろうが、実はシャンプー使うのはX年ぶりだったりするのでは。浴槽に浸かるのなんて、小学生以来とかなんじゃないか。そう考えれば、いつも汚れている制服にもつじつまが合う。洗濯できていないのだ。
「おぉ……もう」
「どうしたんだい?」
「健気な子ほど不幸な目に合うんだなあって」
「……話がぜんっぜん読めないけど、安芸さんのこと?」
「ああ」
「彼女、どうしたのさ。男の家に男子二人といて、大雨で叫んでも声が聞こえない状況で、お風呂入って鼻歌歌ってるってなかなかだよ。催眠術でも掛けたの?」
「俺にはそれを言う権利はない。悪い」
「じゃあ仕方ない。邪魔しないように静かにしていようか」
「あぁ」
俺たちは無言で大富豪をやり続けた。二勝四敗だった。
安芸は一時間ほどで上がってきた。顔が赤いが、のぼせたのか恥じらっているのかわからなかった。
「あの、すみません。長風呂して」
「良いよ良いよ。どうせ男は風邪引かないから」
「馬鹿は風邪引かないの間違いだろ」
「男なんてみんな馬鹿じゃんか」
二勝五敗になった。
気遣いのできる男祐樹は、俺との差をさらに広げた。
「安芸さん。聞き辛いんだけどさ、下着とかどうなってる? 今から僕もお風呂入ってこようと思うんだけど、万が一目に毒な物があったら隠してほしい」
「あ、えっと……はい。隠してきます」
「悪いね。というか天嘉、乾燥機とかないの?」
「乾燥機能なら」
「先に言えよ。まったく」
「思い出した時には、安芸さんは風呂に入っていた」
「じゃあ安芸さん、乾燥機かけちゃって。半乾きだろうから、すぐ何とかなるでしょ。適当なところで切り上げて呼んでくれるとありがたい。僕も自分の分を入れて、終わったらお風呂から出るよ」
「……入るころには、俺乾ききってそうだな」
「じゃあ入らなくていいんじゃない?」
「俺のことを何だと思ってるんだ」
ごろんとカーペットの上に寝転がった。数分で安芸が戻ってきて、入れ替わりで祐樹が消えた。二人きりだ。そろそろ本題に入っても良いだろう。
「安芸さん。今大丈夫?」
「あ、はい。すみません、お風呂」
「それはもういいから。できる限り助けたいんだけど、俺に何ができるかな」
「……あの、色々してもらって、お家にも上がらせてもらっておいて、あれなんですけど。やっぱり、ご迷惑になると思うんです」
「だから助けなくていいよ、と?」
「はい」
「それは俺が嫌いとか、怖いとか、得体が知れないとか話が面白くないとかじゃなく?」
「そんなことはないです。神戸さん、優しいですし」
優しい。俺知ってるぞ。褒めるところがないときに女子が使う言葉だ。心が折れそうだった。しかし退く訳にはいかない。俺はみすみす女の子を見過ごして不幸にした挙句、訳知り顔で救う卑劣漢に成り下がることを認められない。
「えっとさ。食事が与えられてないってことなら、十分児童虐待になると思うんだ。しかるべきところに相談するとか――」
「大事にしたくないんです。それに、逃げたら」
怯えていた。軽々しく否定はできないな。俺が腕っぷしも顔も兼ね備えたパーフェクトマンなら”俺が守る”と言えるのだろうが、そんな無責任なことは言えない。つまり俺は返す言葉を持たなかった。
安芸は笑顔を浮かべた。
「物凄く久しぶりにお湯に浸かった気がします。それだけで十分です。ありがとうございました」
「そっか。それは良かった。でもさ、返す訳にはいかないんだ」
「え?」
「助けられたくなるまで、ここを通す訳にはいかない」
俺は立ち上がり、彼女と玄関の間に仁王立ちした。自分でも何を言っているんだかわからないが、放っておいたら不味い気がする。何というか、目からハイライトが消えるだけで済まない予感がした。直感に従えるところでは従っておく。それが俺の処世術だった。
彼女は困ったように笑った。駄々っ子を見る目をしていた。
「えーっと……私にできることなんて、昨日のじゃないですけど、身体で払うくらいしか」
「要らない」
即答するとちょっと不満げに彼女は目を細めた。無神経な言い方だったか。訂正しておこう。
「安芸さんは物凄く魅力的だし、今も二人きりで恥ずかしいくらいだ。でも、そんな脅すようなやり方をしたいとは思わない」
「気遣ってくださってるのはわかるんですけど、なんか生々しくて嫌です」
「じゃあなんて言えばいいんだよ! 俺にも事情があるの! 助けたいんじゃなくて、助けないといけないの! ここで安芸さんをただで返すと俺は俺じゃなくななってしまう」
「えー、あー、はい。えっと。そ、そこまで言うなら、お願いがあります」
「何なりとご用命ください」
「そこを退いてもらえますか?」
「そうじゃないが」
「でも」
「よし、よくわかった、じゃあとりあえず、売春みたいな真似はやめろ」
「……でも、ご飯」
「そこで! 俺の出番だ。安芸さんにただ飯を食わせる。決定事項だ」
強引な手法だが、そうしなくては遠慮するだろう。
俺の不退転の決意を感じ取り、安芸はしょぼくれた。
「良いんですか? 何も返せませんよ?」
「安芸さんに言うのは非常に躊躇われるが、俺は甘やかされて生きてるから。バイトもしてるし」
彼女は苦笑したが、気を悪くしてはいないらしい。すぅっと目を細め、微笑を浮かべた。
「最後の確認です。甘えちゃいますよ?」
「親に甘やかされなかった分俺に甘えるが良い」
「重い……」
「それは安芸さんの家庭環境」
彼女はどうやら思うことがあると突っ込まずにはいられない質のようだ。鍛えぬけば芸人になれるだろう。美人だからそのままモデルになりそう。それで熱愛が発覚しそう。良いなあ! やっぱ助けなくても勝手に幸せに――とは限らないか。美人だからって生まれがこれでは、余計に不幸になるだろう。
世間は残酷だ。この世界と同様に。
「どうかしましたか?」
「いや、別に。家の場所は覚えた?」
「はい。恐らくは」
「来たい時に来ていいから。腹減ったり風呂入りたくなったら。あとまあ、別になんでもなくても来て良いよ」
「わかりました。ところで神戸さんの事情っていうのは、聞かない方が良い奴です、よね?」
「説明できない。よくわかったな」
「じゃあ聞かないでおきますね。あっ……」
「どうした?」
彼女は顔を赤らめて応じた。さっぱりわからなかった。全裸の祐樹でも見えたか?
待てよ。俺はとてつもなく巨大な勘違いをしていたのではないか。今まで、主人公が救わなかったせいで安芸がここまで追い詰められていたと思っていた。
しかしどうだろう。祐樹が主人公の物語で、安芸がヒロインで、俺は双方の友人ポジションなんじゃないか?
あり得る。ならば当然、祐樹にラッキーな変態的シチュエーションが発生しても何らおかしくない。普通は男が女の裸を見るんだろうが、逆があったっていいはずだ。
なるほど。一度諦めたはずの主人公の救いは、こうして起こるわけか。世界が収束しているってわけだ。徒労感と共に納得がいくと、腹が減った。
「安芸さん。お昼は焼きそばでいい?」
「あっ、え、なんで? あ、いえ。はい。頂いてもよろしいですか?」
「もちろん。先に言っておくけど、手伝いはいらない」
冷蔵庫から三人前の麺を取り出した。非常に、極めて遺憾だが、主人公たる祐樹に飯を出さないのは憚られた。それで何か問題が起きたら困る。さっくりと野菜を刻み、ソースをぶちまけ、最終的に出来上がったのは何の変哲もない焼きそばだ。普通に別々の皿に盛ろうかと思ったが、悪戯心が沸いた。大皿に盛って取り分けることにした。あれの分は冷めても良いだろう。
かくして、俺は一人だけ風呂にも入れずに飯を作った。




