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ハイライト職人  作者: 千流
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青い空


 安芸さん! とは叫べない。なぜか。今は授業中である。もし教師の退屈な話の合間にそんな大声で女子の名前を叫ぶ男子の声を聞けば、すっと意識が恋バナに切り替わってしまう。さすれば安芸さんに取り返しのつかない影響を与えかねない。故に俺は足音を殺し、忍者となって彼女の後を追った。


 安芸さんは途中で歩きに変えたので、追いつくのは容易かった。

 彼女の物語を応援するためには、彼女の役柄を把握しなくてはならない。主人公か? ヒロインか? どんな話なのか? “何の面白味もない日常系物語”だったら、小さくてちっぽけで大切な物を得られるだろう。“青春大恋愛”なら波乱万丈の果てに大いなる幸せか、人生経験となる苦くて渋く、でも忘れがたい素敵な経験を積むだろう。どちらにせよ救われる。彼女は。


 自分は後回しだ。さあどうする。彼女はどんな物語に組み込まれたんだ。じっと背後から見ていると、振り向いた彼女と目が合った。

 安芸は驚愕に表情を歪め、陸上部顔負けの速度で疾走した。待て! と言えるのは刑事だけだ。忍者ごっこの俺とアスリートごっこの彼女では、軍配が上がるのは当然アスリートだった。


「見失ったか」


 当然の帰結。早さが足りない。

 校舎一階、下駄箱前。この辺りの物陰に身を潜めているのだろうか? そこにこう、主人公が見つけてあげたりするのか? あり得る。あるいは外に飛び出して、二人校舎裏で出会うのかも。

 俺は物陰に身を潜めた。


 男子生徒がやってきた。少し柄の悪い茶髪だ。見覚えはないが、多分上級生だろう。しかし、悪人には見えなかった。

 その時物陰が動いた。始まった! 物語の開幕だ!

 飛び出した彼女は意を決したように鋭い声を放った。


「あ、あの! すみません!」


「あん?」


「わ、わたし今っ、ストーカーみたいな人に追われててっ! 助けてください!」


 男は義侠心に助けられたように険しい表情を作った。


「どんな奴だ?」


「は、はい。制服で、私の名前を知ってました。怖くなって逃げちゃったんですけど、そのあとずっと追いかけてきて」


 不良ともホストともつかぬ男は、あごに手を当てた。良い奴そうだ。俺なら“先生に言えば?”で終わるところを、安芸の力になろうとしている。これは主人公流の達人の動きだ。

 何というのか。さあ、お前の力見せてみろ!


「いや、それは用があったんじゃねえの?」


「え」


「多分、同級生か同学年だったんじゃねえの? それなら名前知ってるくらい普通だしな」


「え」


 男は去った。

 安芸は固まった。まるで熱された卵のようだった。残念ながら恋が燃え上がった形跡はない。

 こいつ主人公じゃないわ。それどころか登場人物ですらない。あれだ。舞台装置だ。俺じゃん。しかも俺ストーカーだと思われてる。ちょっと冷静に己を省みよう。何がいけなかったんだ。


 話したこともない男子生徒に顔と名前を憶えられていて、怖くなって逃げたら追いかけてきた。

 これは男子生徒の部分を男性という言葉に変えると実に恐ろしく怪しく青春ではなく買春的な光景になる。恐ろしい。女心以前に人の心の問題だ。

 まずいまずいぞ。ここから起死回生の一手を。そうだ。

 今のはハズレだったが、この調子で追って行けば彼女はやがて主人公に当たるはず。俺は今から安芸を追い立てる物語の牧羊犬だ。善は急げ。


「安芸さん!」


 さも今見つけたかのように突撃した。彼女は表情を強張らせ、立ち止まった。

 あれれー? おかしいぞ?

 車は急に止まれない。そのまま彼女の胸に飛び込む寸前、咄嗟に右に避けて俺は地面を転がった。


「あ、あの、どちら様ですか、私に何か用ですか」


 良い子。茶髪の言うことを聞いて、顔を引きつらせながらも立ち止まってくれている。でも俺は彼女に用などない。物語システムについて語り聞かせたところで、下駄箱から心が中学校に駆け出したと思われるだけだ。どうする。何を話せばいいんだ。

 考えているうちにも安芸の表情は陰る。怯えている。俺は恐る恐る声を掛けた。


「えーっと、安芸さん、でいいんだよね。1Dの」


「はっ、はい。安芸です」


「さっきは勢い余って止まれなかったんだ。驚かせてごめん」


「いえ、別に。それで、私に何か?」


 これしかない。いけ! 戦え! 常套句!


「えーっと……今日は、良い天気ですね」


 実際良い天気だった。澄み渡る碧空は俺の恥を照らし出していた。

 彼女は茫然としたが、毒気を抜かれたようにくすっと笑った。その瞳には弱々しいが確かに輝きがあった。

 要するに俺の目的は彼女では達成できそうにない。


「はい。それで、要件は?」


 許されなかった。何か照れ隠しだと思われたようだ。くそっ、どうする。何を言えばいい。

 いやあるじゃないか。簡単な言葉が。


「屋上に向かってるように見えたけど、俺を見て帰っちゃったから。もし屋上に行くならどうぞ、って言いたかっただけ」

「……ありがとうございます。でも、良いんです」


 何がいいのかわからない。尋ねられる好感度はなかった。彼女は少し古ぼけたスカートの裾を掃い、歩き出した。


「ありがとうございます、わざわざ」


「あっいや。ごめんね、こちらこそ」


 安芸は頭を下げ廊下を進んでいった。

 わかったぞ。あれは――ヒロインだ。普段のおどおどした様子に反して、何という立ち姿。あの凛とした表情。低反発枕並みの柔らかい笑顔。地上に顕現した天使。やはり彼女は――化けたな。あれだけ魅力的な表情ができるなら、主人公だって気付くはずだ。


 一仕事終わったな。良いことをした気分だが、元は屋上を塞いでいた俺が悪い。反省。今度からはもっと何も起きないような場所で黄昏るとしよう。でも嘆いても何もならないことがわかったので、黄昏時は終わりだ。再び宵闇の世界に戻るとしよう。

 とはいえ、今から戻るのはなんとなく気まずかった。校舎内を適当に散策して時間を潰した。


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