1-2 黒い匣(3)
顔の奥底が痛い。熱い。肉が溶けている最中であるかのように。寄生生物の動きがもたらす衝撃が脳に響き、世界が乱暴に揺れた。
「いだっ、い、あ、がっ、あああっ!!!」
「おっふ」
あごに頭突きを喰らったシエロがうめく。
「途中で取り出したら悲惨なことになるからな、もう少し頑張ってくれ」
男たちは暴れる少年を力ずくで抑え続けるが、新入りをいたぶって楽しんでいるような様子ではない。真剣な面持ちで変化を見守っている。
「う、あ、ぁ、ああ……う……」
ほどなくして少年は頭を振る気力も失い、涎と涙と鼻汁を垂れ流しながら力なく身を震わせるのみとなった。
イゾラはぐいと顔を近づけ、とめどなく溢れる涙をぺろりと舐め取った。痛苦に耐え切れず漏らしてしまった小水が服と床を汚すが、それでもイゾラは少年の脚を放そうとしなかった。
「馴染むまでの我慢な、そう……いい子だ」
「いい、こ」
「おうとも、とびっきりのな。よく耐えた、あとは悦くなってくだけだ」
朦朧とする意識の中、耳元で囁かれる声はやけに優しく聞こえる。にわかにこみあげた心細さに突き動かされ、少年は震える手を伸ばそうとする。意図を汲み取ったらしいシエロがおとなしく拘束を解いた。
「たす、け……からだ、あつく、て、っ」
「だろうな。それはそれで辛いんだよな」
少年があげる声は、断末魔じみた絶叫から、切なげな色を帯びた訴えへと変わっていた。眼窩で種子蟲がうごめくたびに、痛みとともに耐えがたい快感が走る。眼孔が性器になってしまったかのような心地は、少年の正常な思考を断固として阻んだ。
たすけて、くるしい、あつい……とうわごとを繰り返しながら、少年は目の前の男へと手を伸ばす。肩に手を回し縋り付く。イゾラはそれを受け入れ、左手の甲でそっと背中をさすった。手持ち無沙汰になったシエロは、イゾラの背後にしゃがみこんで少年の目の変化を静かに見守っていた。
「いぞら、さん、ここ……いて……こわい……」
「ああ」
頼られた男は少年の顔をひたと見つめる。様々な体液でぐずぐずになった泣き顔には、先ほどは見られなかった幼さが滲んでいた。
イゾラはぐいと顔を近づけ、半ば強引に唇を重ねた。すかさず舌を差し込んで咥内を蹂躙してなお、少年がそれに抗おうとする様子はない。ただ力なく身をゆだね、甘ったるいうめき声を洩らすのみだった。時折びくりと体を跳ねさせて、イゾラの肩と触手を強く掴みながら。
少年が解放されたのは、舌を徹底的にむしゃぶられた末のことだった。混濁していた意識が徐々に覚めてゆき、気恥ずかしさが襲ってくる。
「そろそろ目は落ち着いたか」
「あ、う、うん……たぶん……」
「変化は終わったっぽいねえ」
シエロは仲間の行動に驚くことも、それを咎めることもなく、少年の右目を覗きながら「へぇー」「ほぉー」と呑気な声をあげていた。絡めた触手を解きながら、イゾラもまた感嘆の声をあげた。
「面白れえなこれ、何に使えんだろ」
「んー、わっかんない」
興味津々といった様子で少年を観察する男たち。当人は痛みと熱の残滓に浮かされながら、夢でも見ているかのような心地で反応をただ聞いていた。
まだ涙で歪んではいるが、視界に厚みが生まれたように思える。右目が再生して視力を取り戻したのかも知れない、と気づいたのは、楽しそうに騒ぐ先輩たちをしばし眺めてからのことだった。
「そっちの目、見えるのか?」
「見える、と思う……ただ、まだおかしくて」
手の甲で涙を拭き取る。それで治るだろうと思っていた変調は、消えなかった。
「水の中にいるみたいな」
戸惑いが滲んだ言葉に、先輩たちはそれが妥当とでも言いたげな表情を見せた。種子蟲を住まわせる前と比べ、少年の視界はわずかに色味が変化しており、澄んだ水の中からものを見ているかのように感じられた。部屋が水没したわけでもないというのに。
イゾラはすっくと立ち上がり、混乱した少年の意識を引き付けるべく、手の刃を打ち鳴らした。
「まあとにかく俺らの仲間入りは半分成功だ、おめでとさん! あとは残り半分だな」
「まだ何かするの!?」
「大丈夫、次のは一瞬で終わるからさー。ほら立って、そこのでっかいの触るだけ」
シエロが少年の肩を支え、立ち上がらせる。残り半分、という言葉に不安は残るものの従うほかはなく、ふらつく足に鞭を打って死生匣へと歩み寄った。
目的のものへ手をかざすが、それだけでは変化は生じない。少年はちらちらと助けを求めるように振り返った。
「本当に触るだけでいいの……」
「そうそう、恐れず怯まずどーんとね」
「腰引けてんぞ、そらっ」
「おわっ!?」
背を押され、バランスを崩してしまう。両手と顔面で豪快にディスプレイに触れた瞬間、表示されていた内容がすべてぷつりと消えた。
一度真っ暗に戻ってしまった表面に、先ほどとは異なる情報が映し出される。装置そのものがわずかな振動を伴って喋り出した。
『アタラシイ レイズド ヲ ケンシュツ トウロク カイシ』
紡がれる言葉は固くいびつで、まったく馴染みのないもの。機械による合成音声を知らない少年は、その異質さに寒気を覚え身を震わせた。
「変な声が!」
「テラちゃん喋るのヘタクソなんだよ、大目に見てやってくれ」
少年がうろたえている間に、ディスプレイに表示される情報が次々と切り替わる。文字が表れては流れ、消え、何かの図のようなものが混ざり……めまぐるしい変化が止まったとき、映し出されていたものは、不安げな表情を浮かべた少年自身の顔だった。
種子蟲によって再生したらしい右目は、上手く映らなかったのか瞳がぼやけてしまっている。
『トウロク カンリョウ シキベツ コード ”モーリェ”』
画像の隣にまた新たな文が追加されてゆく。少年は死生匣から数歩離れた場所で、その様子を呆然と見ていた。彼の故郷には存在しない技術に再び驚きながら。被写体に気付かれぬように撮影し、紙以外のものに一瞬で現像できる写真など聞いたことがない。
その様子を見守っていた二人は、後ろで揃って笑顔で手を打ち鳴らした。
「モーリェっつーのか、改めてよろしくな!」
「もー……りぇ?」
「君のここでの名前だよ。死生匣がてきとーに割り振ってくるの、何かにつけ使うから覚えとこうねえ」
「そうなんだ、だから」
名乗らなくていいって言ったんだ。と続けようとして、響いた機械音声に遮られた。
『テキゴウ ショリ オヨビ サイコウチク ヲ カイシ』
適合処理とは? 再構築とは?
疑問を口にしようとした瞬間、ばちん、と体の中で音が響いた。ように思えた。
胸に激痛が走ったかと思うと、そこを起点として全身に痺れが走る。身体の内部、それも生命維持に必要な箇所が性感体となってしまったような、そこをあまりにも乱雑に責め立てられ、挙げ句の果てに潰されてしまったような――潰れた? 心臓が!?
モーリェという名を得たばかりの少年は、なすすべもなく床に崩れ落ちた。声をあげることもできないまま、少しのあいだ身を痙攣させて、動かなくなった。
つま先までぴんと反らせたむき出しの足が、イゾラの爪先を蹴りつけている。イゾラはもう動かない少年の足をそっと退けると、顔を覗くようにしゃがみこんだ。
「また後で、な」
穏やかな声で囁きながら、触手を器用に使って瞼を下ろしてやる。その隣でシエロは死生匣を操作し、”登録”が始まる前に少年が見せられていた情報を再び表示していた。
闘人の名と顔を連ねたリストには、新たな戦士が確かに追加されていた。