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絶命のユーフォリア  作者: 柏木むし子
一章 廃都ユーザヤール
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1-1 踏み外す(2)

 おいで、とは何だったのか。なぜこんなにも楽しそうに死んでいったのか。死神に首を掴まれたような心地になり、少年はその場にへたりこんだ。

 一刻も早くこの場から離れるべきだ、と頭が警鐘を鳴らし続けているのに、体は恐怖で凍りついてしまっている。――何への恐怖で?

 死が恐ろしい。いつでも自分を殺せる者と居合わせていることが恐ろしい。しかしそれだけではないと気づいてしまったとき、少年は立ち上がることができなくなってしまった。

(ずるい)

 事切れた若者の死に顔を羨ましいと思ってしまったことが、何より恐ろしい。

「何なんだこれ……どうなってるんだ……」

 ぽつりぽつりと心情がこぼれ出る。その少し遠くで、戦いを続けていた者たちが、怯えた声を雄叫びでかき消していった。

「は、なっ、せえええええええ!!」

 吼えたのは八つ脚の男。前脚に備えた爪が相手の腹を貫いているが、触手で腰を絡め取られ、退くことも進むこともできなくなっていた。

 手にしていた武器は弾かれてしまったようで、少し離れた地面で寂しそうに転がっている。引き連れていた化け物たちもまた、ほとんどを切り捨てられてしまい、あたりはその残骸だらけとなっていた。

「誰が放すかってんだよ!」

 まだ自由の利く異形の脚が敵を狙う。しかしそれらは爪によって弾かれ、腕の刃によって斬り落とされてしまった。

「づっ……ぁ、ああっ……!!」

 脚が切断されるたび、その主は上ずった声をあげて身を捩った。

 もはや嬲られるだけの獲物となった化物の、鮮血を撒き散らす脚の断面が、一つまた一つと増やされてゆく。

 刃の男は触手で相手の体を持ち上げ、くるくると踊るように振り回しながら、異形の脚をすべて断ち落とした。そして自らの腹部に刺さっていた二本を引き抜いて捨て、血で光る得物を標的の腋に宛がう。

「じゃ、新入りのチンポが吹き飛ぶぐらいエロい顔してくれ」

 男はいっそうの嗜虐性に満ちた凄絶な笑みを浮かべ、ためらいなく腕を振り上げた。刃は相変わらずの驚異的な切れ味でやすやすと肉を断つ。白い骨が一瞬だけ姿を見せ、血に塗り潰された。

「――――――――っ!!」

「そーそー、そんな感じ」

「っひ、う、ああっ……うで、だめ……っ! ああ゛――――っ!!」

 もう片方の腕も根元から落とされ、十肢すべてを失った男は、きつく目を閉じてひときわ高く声を張り上げた。失血で血の気の引いた顔でありながら、浮かべる表情はひどく熱っぽい。女性的な顔立ちと相まって、客とまぐわう情婦のように見えた。

 少年の脳裏に、先ほど目の前で力尽きた若者の言葉が蘇る。苦しい、でも気持ちいい――今まさに殺されようとしているあの人も? そんなことがあっていいのか?

 口をぽかんと開けたまま座っていた少年のもとへ、戦いの勝者が歩み寄る。靴底で血のスタンプを残しながら。触手で抱えていたものの向きを変え、鉤爪となっている手で持ち直しつつ。

「よーぅチビ助、ちゃんと見てたな」

「ぁ、っは、はい、見て、た」

 男は背から触手を一本伸ばし、先端で少年の頭を撫でた。その場にしゃがみこんで、青い髪を血の赤で塗り替えるように、丁寧に。

 少年は途切れ途切れの返事をしながら、ただされるがままに頭をいじくられていた。逃走も殺しへの糾弾も、試すだけ無意味だろうと思いながら。

「俺はイゾラ、お前さんの大先輩だ」

「いぞら、さん」

「と、そっちは名乗んなくていいぞ。大事にしまっとけ。気にいってねえなら捨ててもいい」

 イゾラと名乗った男は、手足を失った男を抱えたまま、やけに朗らかに話しかけてくる。理由までは汲めなかったものの、指示だけは理解した少年は、口を噤んで何度も頷いた。緊張で乾いた唇がくっついてしまい、痛い。

「で、こっちが俺の同僚でダチでライバルで腐れ縁のジンリンだ。見てりゃわかると思うが俺の次ぐらいに強いぞ。はい挨拶」

「……む……、り……」

 触手翼がジンリンという男の顎を持ち上げ、強制的に少年の顔と向き合わせた。その顔は青ざめており、ひゅうひゅうと荒い息をするのがやっとといった様子。

 少年は言葉を失いながら、死にかけの男と傍らにうち捨てられていた死体とを見比べた。浮かべている表情が似ている。このずたぼろの敗者もまた、苦痛を塗り潰すほどの甘美な感覚に身を焦がしているのだろうか。

「あ、あ、あのっ」

「おう、何でも訊け訊け。まず何知りたい?」

「なんで、同僚を……ころ、殺して、そんな」 

「それが俺らの今日の仕事だからな。本日限りタダで死に放題! まあ詳しくは順を追って話すさ」

「仕事……で、僕も殺すの、ここで」

「いいや、殺らねえ。今のお前さんをブッ刺したら本当に死んじまう」

 ”本当に”死ぬ、とはどういう意味なのだろうか。辺りに転がっている者たちは”本当に”死んではいないのか? 体を分断された死体に、首を刎ね飛ばされた死体、どちらも既にぴくりとも動かない。

 混乱の極みに至り、ただ口をぱくぱくとさせた少年に、イゾラは笑みを浮かべてみせた。ジンリンの手足を斬り落とした際に見せた、あの顔を。覗く歯は肉食の獣のように尖っていた。

「お前さんは今しがた、死生匣(テラヴァイス)に……俺らの主っつーかクソ飼い主っつーか、とにかくそういうもんによって()び出された。故郷に帰る手立てはない。選ぶんだ。人として死ぬか、俺らと同じ闘人(レイズド)に生まれ変わって、気持ちよくモツをぶちまけながら殺して死んで蘇ってまた殺す日々を送るか」

 ”大先輩”はそう一息に告げて、抱えていた同僚の首に腕の刃をあてがった。狙いを定めるように肌を叩くと、首筋に赤い線が生まれ命が滴る。

「ジン、首でいいか? それとも心臓にするか? 頭って手もあるぞ」

「……くび、して……」

「りょーかい」

 力なく答える声は、強烈な官能の色を帯びていた。己の首を切り裂かれることを、 まるで愛撫を求めるかのように、甘く切実に求めたのだ。

「よく見とけよチビ助。俺らにとって”死”ってのは、セックスみてえに何度でも味わえて、どこまでもブッ飛べるほど気持ちいい、最っ強に楽しいイベントだ!!」

 弦楽器を弾くような動きで、イゾラの刃が首をすべる。鋭利な刀身は音もなく肌を裂き、骨を断ち切って、ジンリンの首をすっぱりと両断した。

 切り離された頭は地に転がり、声にならない声を血と共に吐き出してから、目を見開いたままぴくりとも動かなくなる。結わえていた長い髪がその上にはらはらと散った。

 少年は息をすることも忘れてその光景に見入っていた。恐ろしさゆえに目を離せなかっただけではない。もっと背徳的な、今まで育ててきた己が倫理観を粉々に打ち砕くような、後ろ暗い情動に身を焦がされようとしていた。

 自らの足元に転がってきた生首を拾い上げ、光の消えた目をのぞき込む。羨ましい、と思った。口と鼻から垂れた血の跡は、この整った顔を飾る最良の化粧に違いない。

「……連れて行って、ください」

 自然と言葉がこぼれ出ていた。

 イゾラはそれを確かに聞き届け、立ち上がる。腹からはみ出ていた臓物を触手で押し込み、服で血を拭ってからその触手を差し出してきた。少年は生首をそっと置き、震える手でそれを握った。赤い皮膚には人肌の温もりがあった。

「故郷に未練はないし、自分もたったいま頭がおかしくなった……かもしれない……」

「そいつは良かった、イカれられないほうが辛いんだよなあ」

 手を引かれ、立ち上がる。

 もうどこにも戻れないのだろうという予感があり、それで良いのだという確信があった。

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