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絶命のユーフォリア  作者: 柏木むし子
一章 廃都ユーザヤール
1/31

1-1 踏み外す(1)

 蛇が空を飛んで襲い掛かってきたのだと思った。

 切り刻まれたはらわたの一部であると気付いたのは、少年が反射的にそれを叩き落して、飛び出した液体と血を顔面に浴びてからのこと。

 吐瀉物を煮詰めたかのようなひどい臭いに驚いた身体は、わずかな胃の中身をすべて吐き出してしまった。

 まっすぐに立っていられなくなり、目の前のものに掴まってどうにか堪える。少年が身を預けた金属柱の根元には、臓物の持ち主らしき者が半分だけ横たわっていた。

 もう半分、大胆に分断された下半身は、少し離れた場所に転がっている。どちらも断面から血がとめどなく溢れていた。

「な、に、これ、なにが」

 辺りを見回す。灰色を基調とした見覚えのない世界で、見知らぬ者たちが刃を振るいあっていた。足元に転がる死体はその犠牲者だろう。他にも数人分の、ばらばらに切り刻まれた人間の残骸がうち捨てられている。

 再びこみ上げた吐き気にやられ口を押さえたとき、戦っている者たちの一人と目が合った。一振りの斧槍(ハルバード)を構え、さらに二振りの剣を三本目・四本目の腕に構えた異形の男が、こちらを見て確かに笑ったのだった。

 しかし一瞬でも戦場から目を逸らしたことが仇となる。少年が瞬きをする間に接近していたもう一人の男が、大振りの刃で四本腕の戦士の首を刎ね飛ばした。

 力強く振るわれた刃はやすやすと骨をも断つ。分かたれた頭は地面を転がり、残された体はゆっくりと膝をついてから倒れ伏した。そっぽを向いて止まった顔がどんな表情を浮かべているかはわからない。

 戦いの場に残った者は二人。

 一人は先ほどの戦士以上に異様な姿をした男だった。遠巻きに伺える横顔は人形じみて整っており、上着の長い裾から覗く脚は蜘蛛のように多い。その足元では巨大な虫や目玉のついた肉塊が蠢いている。

 異形の戦士は観戦者を眼球の動きだけで一瞥すると、対峙した男に向かって、朗々と告げた。

「久々の新人さんですよ、自己紹介しないんですか?」

 その口元は柔らかく笑っていた。殺すか殺されるかの状況にありながら、彼はそれを楽しんでいるようにさえ見える。

「勝ったほうから、でいこうぜ」

 弾んだ声で問いに答えた男は、女顔の男に引けを取らぬ奇怪な姿をしていた。

 まず目につくのは、手にしている―否、腕があるべき場所に生えている―赤黒い大振りの剣。もう片方の腕も半ばから変質し、大きな鉤爪を備えた異形の手となっている。

 そのどちらもが血にまみれていた。辺りにうち捨てられた犠牲者たちはこれで屠られたのだろう。

 横顔に浮かぶものは興奮と愉悦。殺し合いが心底楽しくて仕方ない、とでも言いたげな顔をしている。

 その高揚に呼応するように翼のようなものと尾が揺れた。羽根も皮膜もなく、ぐねぐねと形を変える軟体動物のようなそれを、本当に翼と呼んでよいのかはわからない。

 翼にはさらに一対の眼球が備わっており、その片方が少年をひたと見つめている。

 戦闘経験のない、ただ虐げられるだけのものであった少年は、逃げだすことさえ叶わぬまま、異形の視線にうろたえることしかできなかった。

「おい! そこのチビ助!」

 大声が自分に向けられたものだと気付くのに数秒を要した。次はお前だ、とでも言われてしまうのか。身体を真っ二つに切り裂かれる己の姿が脳裏に浮かび、「ひっ」と引きつった声が洩れた。

 刃の男は片腕を高く掲げ、威勢よく叫ぶ。

「デモンストレーションだ、よぉーーーく見てなッ!」

 言いきった瞬間、男は力強く地を蹴り駆け出していた。大きな弧を描いて振り下ろした腕は、八つ脚の男が手にしていた武器で受け止められる。続けざまに繰り出された鉤爪による一撃は、突如変形した武器によっていなされた。剣のように見えた何かは、ぐにゃりと自在に形を変えられるうえに、刃を弾くほどの頑丈さを持つらしい。

 八つ脚の男は身を屈め、異形の脚部で素早く後ずさり、刃の射程距離から逃れた。ほんの一瞬前まで標的がいた場所で、刃の男の翼――もとい触手が泳ぐ。かわせなければ拘束され、ただちに切り刻まれていただろう。

「〈千装の仔蜘蛛(ワーカ=アラネア)〉! お食べなさい!」

 後退しながら声を張り上げる。号令に応じ、足元をうろついていたグロテスクな生物たちが敵へと殺到した。

 歩行するなめくじのようなものが、脚に纏わり付こうとして踏み潰される。四本脚の肉塊は尾によって貫かれる。大きく飛び跳ねて襲い掛かった虫は、自在に動くひと房の髪によって串刺しにされ、放り捨てられた。

 しかし小さな化け物たちのうち一体が、上手いこと刃の男のもとへとたどり着いた。再び得物で打ち合った二人の間に、蛇のようなものが飛びこみ腹に食らい付いたのだった。

 刃の男は顔を歪め、すぐさま爪で蛇を両断したが、頭だけが強固に食らい付いていて離れない。攻防の合間に触手でどうにか引きはがした頭部は、皮膚と肉をごっそりとくわえこんでいた。

 その後も観戦者が呼吸を忘れるような戦いぶりが続く。少年は時間が数倍に引き延ばされているかのような感覚に包まれていた。

「どぉ、かっこ、いい、れしょ」

「っひ!?」

 唐突な、すぐ近くからの声に驚いて、彼はびくりと身を奮わせた。声の主は足元にいた。すでに事切れていると思い込んでいた、下半身を失った青年が、血まみれの口で語りかけてくる。少年はひざまずき、彼の言葉に耳を傾けた。

「まだ生きて……手当てを……だめだ、間に合わない、どうしたら」

「そー、だねぇ、僕は、死ぬよ、一回」

 臓物が無惨にこぼれて息は絶え絶え、今まさに命が燃え尽きるというのに、青年の表情はやけに艶めかしい。どこか喜ばしげに目を細めるさまは、確かな性の気配を漂わせていた。

「たのしい、とこだよ、ここぁ……きっとすぐ、慣れる」

「慣れるって何が……半分死んでるのに!? 苦しくないのか!!」

「苦しい、よ、でも、それ以上、に、気持ちいい」

「クスリでもキメてるの!?」

 状況がまったく飲み込めず、顔面蒼白になって叫ぶ少年。死にかけの青年は力なく手を伸ばし、少年の頬をそっとなぞった。

「きみも、おいでよ」

 震える指先が少年の肌をもてあそぶ。汚れた頬に、そして開かぬ右の瞼に鮮血を上塗りして、青年は満足げに手を下ろした。そしてうっすらと目を開いたまま、ぴくりとも動かなくなってしまった。

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