後に賢王と呼ばれる者・後編
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上り階段に足を向ける。霊素が極端に薄くなっているその場所へ。
手に術を使うための、杖頭に【契約石】をはめた短杖を握りつつ、歩を進める。
霊素の濃度が減っていると言うことは、十中八九、術を行使した証拠だ。
この居館で術を行使できた者は、さっきの育児部屋に居た者しかいない。
それはこの居館にいる者全員でもある。
つまり、この術の跡は、第三者が術を行使した結果という可能性が考えられた。
一段、登る。
最悪の状況を考える。
二歩、足を伸ばす。
――妹が誘拐された可能性。
三度、周りを見渡す。
――妹がすでに死んでいる可能性。
これまでに四度、乾いた喉につばを飲み込む。
短杖を握る力が強くなる。
上り階段を登り切った僕は、その術の跡を辿っていく。
術を行使するための霊素は確保した。
【術精霊】による行使準備は終わっている。
とっさの判断が出来るように、頭を回転させておく。
どうやら、術の跡は父上の書斎に続いているようだった。
跡を追っていくうちに、僕の中で疑問が増えていく。
何故、リンカは重い扉を開くことが出来たのか。
何故、仮定にある第三者はリンカが外に出ることを知っていたのか。
何故、術の行使がこれだけ長時間行えているのか。
まさか、僕はその疑問のすべてを解決する答えを否定する。
そして、その否定が誤りだったことが分かった。
術の跡は、父上の書斎まで続いていた。内開きの扉は開いていた。
扉の枠から、そっと顔を出し、中の様子を見る。
リンカが父上の書斎で座っていた。
上半身を伸ばし、書斎の書棚へと開いた手を伸ばしている。
本が、浮いていた。
いや、『手』が本を掴んでいたのだ。
白い光を放つ、柔らかな『手』。
樹の民の眼を持つ僕が見える、霊素を集積したかのような『手』。
それは、紛れもない術だった。
――術を行使したのは、第三者でなく、リンカなのではないか。
僕自身が否定した答えは、正解だった。
神秘的な光景だった。
白く輝く霊素の『手』がまるでリンカへ本を授けるように、ゆっくりと降ろしていく。
周りの霊素の動きも活発になっているのか、鱗粉のように輝いて見えた。
リンカは本を求めてあと少し、と手を伸ばす。
まるで英雄時代の、竜の娘が枝の勇者に手を伸ばすシーンを切り取ったかのようだ。
リンカの近くに本が落ちる。その音で、僕は正気に戻った。
「リンカ! ここにいたのか!」
僕の声に反応したのか、リンカが身体を震わせる。
その直後、リンカが横に倒れた。
慌ててリンカに近づく。一体何が起こったんだ?
頭の中で整理ができないまま、横に倒れたリンカを抱きかかえる。
腕の中のリンカはスゥスゥと寝息を立てて熟睡していた。
脈などを確かめて、身体に異常が無いか確認した結果、外傷もないことを確認して、僕は胸をなで下ろした。
こうして、リンカハイハイ脱走事件は終わった。
僕は妹を育児部屋に連れ帰り、「登り階段の踊り場で力尽きたのか寝ていた」と報告した。
謎が残ったままだったが、母上の「見つかったし、それでいいわ」という竜の一声で、この事件は終わり。
しかし、僕は知ってしまった。
リンカが、術精霊が無くとも術を使えるということを。
次の日、リンカは何事もなかったように起きてきた。
顔は少し翳っている。昨日の事を思い出したのだろうか。
僕は育児部屋の絨毯の上で座ったままのリンカに近づく。
「おはよう、リンカ」
リンカに挨拶する。
「もしかして、言葉がわかるのか?」
そして、リンカに尋ねた。
リンカの眼が目一杯開いた。
昨日の夜、僕は昨日のリンカの行動を考えていた。
おそらく、部屋を出ることが出来たのは、謎の【術】のお陰だろう。
階段を登ったのも、手で自身を持ち上げれば問題ないはずだ。
しかし、何故、リンカは部屋を出たがったのだろうか。
結論として行き着いたのは、本だった。
樹の民は術の力を使い、神霊樹を守護する【樹の獣】。
樹の民は他の【樹の獣】と比べ、精神と知能の成長が格段に速い。
それは、術の扱い、いうより霊素の扱いには、精神力と知力が求められるからだ。
その血を引く僕も、他の【霊人種】に比べ、身体よりも頭と知能の成長が早いほうだと思う。
ならば、古き樹の民の特徴を持つ彼女はどこまで成長しているのか。
もし、知能の成長速度が身体の発達よりも遙かに速い場合、彼女は何を求めるのか。
言葉は出ない、でも、言葉は分かる。では、それ以外の伝達手段は。
僕はそこまで考えてようやく合点がいった。
文字だ。
「当り、かな」
リンカは驚いた表情のまま、コクコクと頷いた。
「そうか。昨日の行動は、本を読みたかった……」
いや、ここで勿体ぶってもしかたない。率直に訊こう。
「……文字を学びたかったのか?」
妹は壊れた木の実割り人形のように頷き続ける。かなり興奮しているらしい。
「なるほど。じゃあ、僕が文字を教えるよ。だから、昨日のように皆を心配させることはしないでくれ」
リンカの顔が陰る。そして腰を折った。謝っているようだ。
「分かってくれればいい。だけど、リンカは賢いな。自慢の妹だよ」
僕はリンカの頭を撫でた。リンカはくすぐったそうに目を細めた。
その日から、僕は暇を見つけては本を持って行き、リンカに文字の読み方を教えた。
布が水を吸うように文字と単語を覚えていくリンカ。
日増しに持って行く本が増えていき、僕の腕も鍛えられていく。
そして五日後。
リンカがあの不思議な【手】の術で僕のノートと石筆を奪い、握り手で石筆を握り、ノートに文字を書いていく。
そのノートに書かれた、お世辞にも綺麗とはいえない文字は、
『お兄様、ありがとう』
だった。
次回更新は5/18予定です。





