20 神官は喧伝し沈黙する、人間の神の加護と祝福に
太陽の昇る様は神の威光に似ている。
ワタシは夜明けの光を浴びただけ。独り占めなんて、思いもよらない。
◆◆◆
朝の祈祷も済み、上がり始めた炊煙に昼餉の内容を期待するこの時分。
神院祭務室は僕のひとり舞台です。つまりはやりたい放題ということ。
「……というわけでして、見事我々は、恐ろしいヴァンパイアの襲撃をも跳ね除けたわけです! ああ、このもどかしさ! 拙僧の舌では、あの神々しき戦いをお伝えしきれません! 戦史というよりもむしろ聖典の光景でありましたのに!」
祈りの姿勢で目を固く閉じ、感極まったかのごとくにしばし震えましょうか。薄目で確かめるまでもなく、唸り声と筆記音とで効果の程が知れますよ。
ここで転調、秘密を告げるように身を寄せまして。
「さしものエルフも畏怖を覚えたとみえまして、我々へ秘薬と香木とを寄越しますこと、これこの通り。凄いでしょう? 軍機ですので詳細は明かせませんが、エルフの殿下……おっと失礼、エルフのさる姫君が逗留しておりましてね?」
エルフの姫。どうにも大衆の心をくすぐる言葉ですからね。
それに、事実を喧伝できなくともまるで問題はありません。むしろ、まことしやかな噂の方がよろしい。願望の風に乗って尾ひれが着きやすく、望ましい。
「神学的見解ですか? それはお答えしかねます。当地の神院を預かる者としましては、拙速ながらもかかる次第をば大神院へと報告いたしました。いずれ大司教猊下より公式に発表がございましょう……きっと夢のように輝かしい発表が」
そういうことなので、よろしくお願いしますね。笑止。
ふむ。新聞紙面の割合を慮るに、そろそろ締め時でしょうね。強調すべきところを強調して終わりましょうか。
「とりとめもなく感動を口にして参りましたが……つらつらおもんみるに、人間の勇気こそが、強調されるべきなのかもしれません。すなわち……」
立ち上がり、元気よく高らかに誇らかに。
「民を背に神秘の炎を灯したオデッセン開拓司魔、その勇敢たるや! 鉄騎を率いて強敵へ挑んだアギアス・ウィロウ開拓軍尉代行、その驍勇たるや! 不肖このフェリポ開拓司祭もまた、鐘楼の崩れ落ちる神院にて勇ましの槍構え!」
ま、僕は特に何もしていませんが、鐘楼台の再建費用が欲しいのですよ。
それにしてもこの記者は、どうして絵描きを伴わなかったのですかねえ。文言を飾ってもらうより仕方なく、弁舌が止められませんよ。まったく。
「そして、誰よりも何よりも素晴らしきは……火兎守、クロイ様です」
ささやき声。大声の後に続くそれは、秘めやかに甘やかに、心の奥底へと届きますからね。
「魔物の津波、エルフの魔法、ヴァンパイアの怪力……我々に破滅をもたらす諸々の災厄を、彼女は祓いました。そう、それはまるで、神の奇跡のようにして」
音を立てて唾を飲み込みましたね? それでよろしい。あとは神妙さが筆を健気に走らせることでしょう。お帰りはあちらへ。
さあさ、次の案件は……おや?
酸っぱいものでも食べたような表情ですね。うちの勇敢なる魔術師殿は。
「どうしたのです? そんなところで立ち尽くして」
「ひ、必要なことなんだろうけどよ……よくもまあ舌が回るもんだぜ……」
「神官の説法とは魔法ですから」
「うお、そうだったのか! 道理で」
「嘘ですよ。さあ、開拓司魔としての報告をどうぞ」
今度は苦虫を噛み潰したかのような顔。オデッセン殿の人情味は表情の豊かさでもありますね。強面にも関わらず子供に好かれるのもわかります。
「……まず魔物の解体と製薬調剤についてだが、えらく順調だ。民が熱心っつうのもあるが、やっぱ本職が来たからな」
「魔術師組合の職人ですか。排他的という印象がありますが」
「あいつらはな。だが解体についちゃ冒険者たちがあけっぴろげだ。調剤の方は、俺にちょいとした伝手があってな……薬師の連中を引き込んだんだよ」
「なるほど。触媒魔法の正体見たりですねえ」
「まあな。治すも壊すも、消費行為ってことじゃ変わりゃしねえ」
肩をすくめるオデッセン殿の、その腰には見慣れない短杖が差さっていますね。服を汚しているところから察するに、それが完成品というとこでしょうか。
「ん? ああ、こいつが炭杖の完成品だ。ユシノ木の枝を加工したもんでな。密度があるから、これ一本で五、六発は魔法が撃てるぜ」
「それは素晴らしい。量産もできるのですね?」
「炭窯を独占できんなら、そりゃもう山盛りで作れるぞ」
「専用のものを作りましょう。もとより新たな窯が必要な状況ですし」
「人、増えたからなあ……危ねえ土地だってのによ」
口調とは裏腹に笑顔ですね。うふふ。わかります。この短期間でこうも民が流入してくるとは、僕としても嬉しい誤算でした。
どれほどの困難が待ち受けるともしれない場所へ、それでもなお集結せんする強い意志……希望とはどこまで貴く甘美なのでしょうか。人々は、己が目で確かめるという、ただそれだけのためにすら命を懸けるのですから。
「そんで、だ。火役要員の確保と訓練についてなんだが……」
はて。何とも形容のしがたい顔をしますね。まさか厠を我慢しているわけでもないでしょうに。
「どんな結果であれ構いませんよ? 砦から来る予定の援兵には、従軍魔術師と火役人足も含まれています。急場においては冒険者へ依頼することもできます。当面は適正検査を続けていただければ……」
「百人だったっけか? 欲しい数って」
「はい。それだけの人数を確保できたならば、部隊としての運用も可能ですから。しかし軍の主力はあくまでも騎兵です。魔法部隊とは夢や理想の話であって」
「三百十六人」
「……はい?」
「だから、三百十六人だ。今んとこ、検査した民の内の半数以上に適正があった。普通、百人にひとりいりゃいいとこなんだけどな」
「それは、また……ええと……」
「まあ、実際に魔法を使うとなりゃ、差は出てくる。魔力量の大小やら繰り方の器用不器用やら色々とあるからな。だが誰も彼もが指先に火を灯せたんだ。訓練次第で伸びるだろうよ」
僕は今、どんな顔をしているのでしょうねえ。とりあえず口だけは閉じておきましょうか。手で顎を押し上げまして。
「ちなみにだが、軍のやつらは全員適性ありだった……十割だ十割……」
言葉が出ませんよ。頭も働きません。
誰か来ました。ああ、先ほどの記者ですか。聞き忘れたことでもあったのかもしれませんが、神妙な態度で回れ右しましたね。さもあれ、中ではいい歳をした男が二人、互いに言葉と表情の選択を押し付け合って、見つめ合っているのですから。
咳払いをひとつ、何とか僕から動きますとも。僕の舞台ですし。
「……ウィロウ卿も呼び、急ぎ相談しましょう」
いやはや、声がかすれるなどいつぶりのことでしょうかね。
「事と次第によっては、戦争のやり方自体が変わるかもしれません」
神よ。神よ。その威、畏るべし。
そういえば、ウィロウ卿も言っていました。加護を受けて剣技が冴えわたると。馬の駆ける速度すらも増したとか。思えば僕も息が切れなくなりましたね。高揚が疲労を凌駕しているものと考えていましたが……これも……。
「魔術師組合の連中とも話をつけてくれ。俺の例があらあな」
「なるほど、確かに。抱き込む好機でもありますね」
「ああ。もう時間をかける必要なんざ、ねえ」
そう、この運命の地においては時の流れがひどく性急です。戦いが連続し、民が集まり、様々な思惑が高速に飛び交って大きなうねりとなっています。時代を揺るがす震源ですよ、ここは。
ですから、ほら、会わんと欲した人間がむしろ来きます。むべなるかな。
「二人ともいたか。丁度いい」
おや、珍しいですね。苛立ちが表情に出ていますよ。普段が冷静沈着としているだけに、何でしょうか、少し若々しく感じられますが。
「急な話で悪いが、二百騎で調練に出る。三日で戻る。その間のことを任せたい」
有無を言わさぬ口調。これは。
「ちょ、おい、軍尉さんよ! 何だってそんなに……」
「叩きのめさなければならん。そうしなければ納まらん。互いに」
「ええと……誰をです?」
「弟たちをだ。先ほど着いた」
「きょ、兄弟喧嘩で二百騎も使うってのかよ」
「向こうは一千騎だ。棒で突くから死人は出ない」
怪我人は出すということですよね、その言い方は。そしてなんという足早。走らなければ追えませんよ。
神院の前に一騎、見慣れない若者ですが。
「おう、出てきたか。そこは腐っても兄者だ。死ぬなら馬上でありたいもんな」
「黙れ」
「いいや黙らん。踊りながら集団で女を追いまわすような輩は、変態だ。そんな奴の言うことはきかん」
「……もはや騎馬で語るのみだ」
「そうだ。是非そうしろ。ウィロウ家の名の下に変態集団を懲らしめてやる」
なるほど。はい。わかりました。察しましたとも。
猛然と駆け去る馬群を土煙の先へ見送りまして、僕は別の案件に取り掛かることにします。もう、どうということはないですよ。これくらいの想定外は。
「……軍の訓練にクロイの奇行を取り入れるのって、やっぱやめたほうがいいんじゃねえかなあ……ピョコピョコとか、凄え気持ち悪いしさあ?」
無理です。ウィロウ卿、一度こうと決めたら頑固なので。
聞こえなかったことにしまして、僕は仕事に戻るのです。止めないでください。




