18 魔術師は畏怖し拝礼する、人間を救うだろう炎の少女に
戦いの始まりに、神はその気配を濃く強くする。
だからワタシは、その逆が起こる時に、戦いは終わりなのだと知る。
◆◆◆
いやはや、恐れ入ったね。
アギアス・ウィロウ。並みじゃねえとは思っていたが、さすがは名門の育ちってことか。耳長との共闘とはいえ、黄目に勝っちまうたあな。
駐屯所にも活気があるってもんだ。幕舎交じりの貧相さなのによ。
「おう、お疲れ。軍尉さんよ」
「司魔殿か……民の様子は」
精悍な面構えだよな。血と泥と吐瀉物に汚れていたって、んなもん、男の価値を上げこそすれ貶めるもんじゃねえや。
「暢気なもんさ。やっぱ長屋街の奥に隠れたのは正解だったぜ」
「そのようだ。神院は鐘楼台を壊されてしまった」
危ねえ話だぜ。黄目どもめ、逃げ際にまで余計なことしやがって。半数にも討ち減らされたんだ。大人しく尻尾巻いて逃げてきゃいいものを。
それでも、ま、危ねえってだけで済んだ話か。
「所詮、物だ。囮としちゃ上等な働きだろ。司祭も生き残ったようだしよ」
死んだやつが少なけりゃ少ないほど、勝ちは大きい。
名門騎士が率いた騎馬隊は、討ち死にが三十九名か。重傷者もいる。明日あたりにゃもう十名ほど死んじまいそうだが、それでも上等な部類だろうよ。
黄目は、多かった。耳長も対応を誤った。
民に死傷者を出さずに済んだのは、駐屯軍の奮闘と……。
「ん? クロイのやつはどうしたんだ?」
「討ち漏らしを追ったようだ」
「……大丈夫なのか? 指揮官っぽいのを逃がしたんだろ?」
「駿馬の分隊を向かわせた。戻らねば私が行く」
「本来、追撃なんてのはエルフの役割なんじゃねえか?」
「夜だ。使徒もいる」
それでも、追えるはずなんだがな。空飛ぶ耳長はよ。
特に、竜侍官だ……とんでもねえ使い手だったな。畜生。
遠かったから詳細はわからねえが、あれの使った魔法はまず間違いなく特別なやつだ。尾羽を生み出して、それを風魔法で操る、か……クロイは刃物を生み出して、それを兵法で振るうが。
准使徒だか従僕だかっつったっけか。どっちにしろ使徒に比べりゃ数段劣るはずなんだがなあ。あの大魔法の超演奏からすりゃ、これでも控えめな方なんかねえ。
「こちらでしたか。ご両名そろって」
腹黒司祭のお出ましか。聖槍を携えて大盾を肩懸けにする、神官戦士伝統の戦装束なわけだが……似合ってねえなあ。物々しい餅みてえだぜ。
「エルフの主力部隊、戻ってくるそうですよ。どうも伏撃を受けたようですね。随分な量の寝藁を要求されました」
「ん? そりゃあ、どういうこった?」
「銀豹が多く傷ついたということだ。恐らくは黒狼だろう」
「うわ、あれか。黒くて速くて、魔法があんま効かねえってやつ」
「まさに。エルフが最も嫌う眷属獣ですよ。つまり、かなり本格的な編成であったということです。規模も規模でしたし」
「練度も高い。攻め方、退き方、どちらも相当だった」
「……頭の痛え話じゃねえか」
冗談なしで頭痛がするぜ。魔物の大襲撃からこっち、良いことも悪いことも程度がでかすぎんだろ。どういう土地だよ、ここは。
「夜襲について、エルフはどう判断したのだ?」
「明言はしていません。しかし、それを警戒したればこそ、竜侍官は追撃に出ないのでしょうね。主力部隊を戻してからの判断こそ注視しなければ」
「共倒れにでもなってりゃいいのに……耳長め。さっさと森に帰れってんだ」
「……いや、むしろ兵力の増強が望ましい」
「はあ?」
「ええ、その通りですね。二等帥なぞと言わず一等帥でも来ればよろしい」
何言ってんだ、こいつら。二等帥ですらあんだけ鼻持ちならねえんだぞ。その上ともなりゃどんなのが出てきやがるかわかったもんじゃねえ。
「おや、おわかりになりませんか? もはやエルフが退去したとて開拓地の平穏は戻らないと言っています」
「……条約だか何だかがあるんじゃねえのか?」
「既に戦端は開かれた。我らはエルフと共にヴァンパイアへ当たるよりない」
「何でだよ。これまでみたく、化物同士で戦争させとけよ。俺たちゃおいしいところだけ掻っ攫えばいいじゃねえか」
「無理でしょうね。ああ、誤解のないようにしておきたいのですが、我々が武器を取ったからではありませんよ? 状況が変化したのです。人間を取り巻く状況が」
状況の変化だ? そりゃまあ、このところは激動の毎日だがよ。
聞いたこともねえような魔物の大襲撃があって、とんでもねえ数の耳長が来て、その中にゃありえねえことに使徒がいて、筆舌に尽くしがてえ演奏を聴かされて、そこへやべえ勢いですげえ数の黄目が来て……んん?
考えてみりゃ、どれひとつ取ったって、普通は起こらねえことじゃねえか?
そんなことが起きねえように、決められてたんじゃねえのか?
「……おい、まさか」
「エルフ、ヴァンパイア、共に戦略が変化しているのです。かなり積極的な軍事行動をとっています。そしてそれに人間領域を巻き込むことを嫌っていません……少なくとも絶対の禁忌とはしていないようですね。片方だけならばまだしも、東西両方共ですから、ある程度は許されたのだと考えるべきでしょう」
「許されたって、そりゃあ……」
「神に、ですよ。エルフ、ヴァンパイア、それぞれの奉ずるところの」
くそ、言葉が出ねえ。歯を食いしばってんのか、俺は。背中が妙に寒いぜ。
「……だからこそ、彼女は現れたのかもしれない」
そうなんだろうな。そうなんだろうよ。
クロイ。
あいつのもとへ神の恩寵が下ったのは、偶然じゃねえんだろうさ。
だって、あいつがいなけりゃ、魔物に皆殺しにされてたもんな。耳長相手だってそうさ。少なくとも俺は殺されてたろう。黄目にしたって、あいつひとりで南からの五十骨をぶっ倒したんだ。それでなけりゃ長屋街が襲われてたろうぜ。
「噂をすればですね。お戻りですよ」
ああ……畜生、拝みたくなる。
軍馬に騎乗して、騎兵と歩兵と民を引き連れて、篝火を持つでもなしに誰よりもまばゆいんだからな。見ているだけで、熱い。炎の在り様じゃねえか。
まあ、使徒なんだろうよ。人間の神のよ。
だが、それ以上に、救世主ってやつなんじゃねえのか?
人間を蹴散らしちまうに違いねえ、耳長と黄目の大戦争……世界まで終わっちまいそうなその大嵐をよ、何とかしなきゃなんねえってんで、ここへ寄越されたような気がすんだよ。クロイは。凛とした顔をして。
「クロイ様、少々よろしいでしょうか」
おうおう、槍伏せて盾伏せて轡の下へ膝をつくかよ。腹黒司祭の丁重さたるや、それこそ神にかしずくかのごとしだな。
「エルフの使徒たる竜帥サチケルが、クロイ様とのご会談を希望しております」
おい、それは。
「戦闘状況下です。すぐにもという話ではございません。されどクロイ様のご返答だけは、先方へ伝えておきたく存じます。いかがでしょうか」
馬上のクロイは、静かに呼吸をひとつふたつとして……頷いた。頷いたか。
「承知しました。ではそのように」
クロイはそのまま厩舎へ行ったか。誰かにやらせりゃいいのに、そういうところが生真面目というか何というか。手綱を引きたいやつもいるだろうにな。
シラがひっついてるとこ見るに、あれか。もう今夜は大丈夫って判断か?
「多くの者が、自ずから、クロイ様へ祈りを捧げるようになってきましたね」
「うむ。そろそろ明確な位置づけが必要だろう」
「クロイを使徒にってことか?」
「それにつきましては、大神院からの認定という形をとった方が色々と運びがいいでしょうね。今しばらくのお待ちを」
「軍として、何がしかの肩書を用意すべきということだな」
「一先ずはそれでよいかと」
「軍秩序の観点からすると、雑号の下士官職になるが」
めんどくさ。魔術師組合でもどこでも同じだな。どんなに素晴らしいもんでも、伝統やら慣習やらってのは既存の序列を乱したがらねえ。保守的なんだ。
「救世主でいいじゃんか、いっそ」
「ほう! それはまたズバリとした表現ですね! ですが駄目です。それはまだとっておきにしておきましょう」
「では、その方向で考えて……人護守ではどうか」
「だせえ」
「微妙ですね」
「えっ」
「火ってのを入れてえな。実際、あいつの力の根源には炎がある」
「ではウィロウ卿の発案を変化させて、火兎守ではいかがでしょう。ウサギはかつて人間の神の眷属であったと言い伝えられますし」
「お、いいじゃねえか。それで決まりだな……おう、どうした軍尉さん」
「……傷が痛むのでしょう。少しお休みになることです」
火兎守クロイか。腹黒司祭め、やるじゃねえか。言葉遊びみてえに「人の神」を混ぜ込みやがって。
常識がどっかに行っちまうような今日この頃だが、ま、いいさ。
熱く生き、熱く死んでやる。
そう決めてっからな。