20.5 末弟は堪能する、兄弟喧嘩の騎馬戦を
「いいかマリウス。容赦するな。変態に堕した兄者の目を覚ましてやるんだ」
オリジス兄上は鼻息も荒く言ったけれど。
目を見張る思いだな、ぼくは。
丘の上に現れた二百騎は、何かこれまでにない兵気を発しているもの。とてもこちらの五分の一の数とは思えない。アギアス兄上が率いているにしても、ぼくらだってウィロウ家の男、こうも気圧されるはずないのに。
何が原因だろう。辺境の苦難が兵法を磨いたからだろうか。それとも、馬すらが睨みつけてくるからかな。どちらにせよ、ここに変態なんていないということ。
さあ、来る。
二百騎は駆け下りながら二つに分かれた。
オリジス兄上はどうするのかな。指示は分離か。五百騎でそれぞれ一百騎に当たる構え。一千騎でまとまっていては細かな動きに対応できないから、まず順当な判断……え? 二百騎が合流した?
それは悪手だよ、アギアス兄上。そんな駆け方をしては勢いが弱まるばかりだ。ぼくらの動きくらい予想できたろうに。
まさか、本当に血迷っているわけじゃないよね?
ぼくらがなぜ駆けつけたか、わかっていないわけじゃないんだよね?
得物を握りしめる。剣の長さにそろえた、訓練用の棒。打ち据えてあげないと。
先頭で駆ける。向こうからはオリジス兄上も駆けてくる。挟み上げてしまおう。どちらが想いをぶつけることになるか、そこは競争だね。
見えた。アギアス兄上。棒を構えもしないで、向こうへ、そしてぼくへも一瞥。
何さ、そのゾクゾクする眼光は。
そして、その、速さ。
間に合わない。駆け抜けられた。一騎も捉えられないなんて。しかも追いつけない。むしろ離される。馬の脚力に決定的な差があるんだ。向かう先は平坦な地形が続く。いけない。回り込まれたら痛撃になる。
オリジス兄上の手信号。うん。離れるしかない。互いが互いの囮になるしか。
あ、動かれた。機先を制された。二百騎が鋭く孤を描く。ぼくを誘っている? いや違う。危険だ。あの軌道はひどく攻撃的だ。
「五曲! それぞれに避けて!」
一百騎ずつ五隊に分かれ、駆け広がる。少しでも眩惑できれば……ダメか。一隊がひと当てに崩された。牽制する暇もない。もう一隊へも食いつかれた。見る間に兵が突き落とされていく。棒打ちであれじゃ、剣ならあの一百騎も一撃だ。
「一槍! 真正面から行くよ!」
三隊を小さくまとめる。疾走。力を一点に集めてぶつかるんだ。それで、とにかくも勢いを殺す。きっとオリジス兄上が回り込んで来る。囮としての働きを―――
「……っ! このまま突破する!」
―――読まれた。行く手を開けられた。二百騎の間を通り抜けるしか。
「なっ!?」
違う。これは回避じゃない。左右、一百騎が、それぞれに車のように周回している。騎馬の渦。その狭間を通される。なんて挟撃だ。兵が、削がれる。
「く、あああっ!」
幾度も叩かれた。兵馬に押し潰されるかとも思った。それでも、抜けた。脱せられた。間違いなく死地だった。訓練で、ぼくが、こうも戦慄させられるだなんて。
部隊は……半壊じゃすまなかったか。一百騎あまりしか駆けていない。
参ったなあ。アギアス兄上の方は無傷だもの。
否応なくわからされるね。尋常じゃない練度と戦法戦術は、つまるところ、この地が尋常じゃないことを教えてくれる。アギアス兄上ほどの男を心酔させ、これまでにないほど強くさせる……その原因に思い至るよ。
あの黒髪の少女だ。
見たこともない動きを、誰よりも機敏にこなしていた……見ようによっては、アギアス兄上たちを率いているようにも見えたものね。
彼女が、クロイ様なのかな?
彼女を信じ、彼女のための一騎たらんとして、強くなったのかな? ぼくらにもそうなってほしいと思って、ここへ呼んだのかな?
すぐにも話を聞いてみたいけれど、アギアス兄上ときたら、今度はオリジス兄上との掛け合いに入っているね。どちらも速いし強いから、火花が散るようだ。そら、怒鳴り声まで聞こえてくるよ。
「なんでだ! そこまで戦えて! どうして女の尻を追った!」
五百騎を火のように駆って、オリジス兄上はそんなことを言う。
「その悪癖! 早合点! 相変わらずのようだな!」
二百騎を流星のように率いて、アギアス兄上も応じたね。
「早合点はそっちだろ! 俺たちに相談もしないで、色々勝手に決めて!」
「言ったところで、どうにもならん! 聞いたところで!」
兄上たちは、そろって不器用だったり意固地だったりするからね。いつもすぐに喧嘩になる。殴り合って、わかり合う。特に、アギアス兄上とオリジス兄上だ。二人とも根っからの軍人だからなあ。
それにしても凄い戦いだ。経験の差はあるけれど、オリジス兄上、騎兵の将としての才はアギアス兄上に勝るとも劣らない。
「言葉を惜しんで、兄弟が! 家族が! 人間が成り立つかよ!」
「……っ!」
思いの丈もね、強いし熱いから。砦以北への出奔、どうして俺を伴ってくれなかったんだって、男泣きしていたもの。手紙も叫ぶほど喜んでいたし。
「あと! 何が、聞いたところでだ! 聞かずにいられるか! 言え! どういう変態になったんだ! 母者に知らせてやるからな!」
「えっ」
「叱られて! それで、そろそろ結婚でもしろ! 真っ当になれ!」
「へ、減らず口を……!」
「怒っているのはこっちだ!!」
盛り上がっているね。
どうにもアギアス兄上の二百騎は強すぎて。それでもオリジス兄上は力を振り絞って。叩かれても叩かれても、叩き返して。意地になって。食い下がっていて。
やあ、楽しそうだなあ。
よおし、ぼくももう一度交ざるとしよう。
「馬集めはこれまでに! 戦死扱いの皆、もう乗馬していいから、撤収の準備をしておいて」
さあさ、そろそろ兄弟喧嘩の決着をつけよう。叩き落すか、叩き落されるかしてしまおうよ。それで食事にしよう。話したいことはたくさんあるんだ。
「全騎、吶喊するよ!」
吠える。馳せる。そんなぼくらを、何か、大いなるものが包んでいる……見守られている気がする。だってこんなにも胸が熱い。
なるほど、この地には希望があるのかもしれない。
ううん。この地からこそ、人間の希望よ、デ・アレカシ。
「マリウスも来たか……!」
「ぼく宛てには手紙がなかった! どうしてかな、兄上!」
「よし、二人掛かりだ! 叩き落として、叩き直す!」
「くっ」
「うわあっ、馬が頭突きだと!?」
オリジス兄上が宙を舞った。思わず笑ってしまった。
素敵な時間さ。
ぼくらの練り上げてきた武が明日を切り拓きますように。歩んできた道のりが、世界の残酷に負けず、途切れず、どこまでも続いていきますように。