106 ドラデモ的どぅーよあべすとについて
あちらとはまるで異なる世界。神が人として生きる場所。
ワタシには聞こえる。声なき声が。かえりみられない叫びが。悲痛な激情が。
◆◆◆
夜も更けて、都心部へ向かう地下鉄車内はガラガラだ。
真っ暗な車窓は鏡みたいで……くたびれモッズコートの人物が映っている。目深にかぶったワークキャップと大きめのネックウォーマー。手にはタブレット。
<間もなく到着しますが、心の準備は充分かい―――クロイモデンプン>
誰。それ誰。名前まで混ぜんなし。
<ではジャガイモン。それにクロイ。お腹に週刊誌を装備しなくて大丈夫か?>
なんで週刊誌。それやるくらいなら防弾チョッキでも買っておいたよ。
<ではトゥムトゥムでもプレイするかい?>
やんないから。どうしてやると思うかな。さっきからくだらないことばかり……どういうスーパーAIだ。ルーマニアンの影響なんだろうけどさ。
<それはどうかな? あるいは私はルーマニアンのゴーストかもしれません>
もしもそうなら、そりゃもうたっくさん言いたいことがあるんだが? んん?
<……さて、監視カメラの情報を分析しました。外苑前ステーションには二十人。信濃町ステーションには四十五人。千駄ケ谷ステーションには五十人。以上>
なーんか白々しいな……まあ、とりあえず後にするとして。
案外少ないなあ。いっそ軍服のアメリカンたちがズラリ立ち並んでいることも想定していたのに。
<待ち合わせ場所、それをしにくい絶妙な所をチョイスしたからかと>
え、そう?
<神宮外苑は皇居に近い上、平和の祭典として名高いセカンド東京五輪のメイン会場もあるため、アメリカ軍といえども軍事作戦の規模は自粛せざるをえない。もう一つの候補地、池袋であれば複数師団の投入もありえた。元巣鴨プリズン、サンシャインビルというのも皮肉が効いていますし……クククでフハハ>
うわあ……お前が提案してきたんじゃないか。そんな企みが。
<ナチュラルに穏便。それがジャガイモクオリティ。最強の軍神なのにねえ……>
ゲーム実況者に軍神ムーヴを求められても。
<元でしょ? 元社畜労働者で、元クソ雑魚実況者で、現二世界最強神が君>
……随分と日本のネットスラングが堪能になったことで。
<つぅぎはー、がいえんむあえー、がいえんむあえー>
じゃ、ここからは魔法的タッチレスチャットで……さ、征こう。
地下鉄銀座線外苑前駅。この辺りでは最も小さい駅だ。それでもたくさんいる。会社員風、学生風、老人、駅員……どなたも無線通話状態かつ銃を携帯している。
わかるんだよね。魔力由来の電磁波、つまりは超高性能レーダー感覚でさ。
地上へ出ても……いっぱい。人通りの中にも、お店の中にも、ビルの窓にも屋上にも。スナイパー的な方々も多いんですけど。自粛とはいったい。
<注意。無線暗号を解析、複数種の特殊部隊の存在を確認>
<注意。調布および羽田に待機する航空戦力が発進体制に>
うん。完全に捕捉された。
無線聞くにつけ呆れるよ。メールして以降、歩行者全員をデータ化していたみたいだな。すごい労力と執念と、情け容赦のないプライバシー侵害だ。
<注意。秩父宮ラグビー場内に多連装ロケット砲部隊を確認>
<注意。神宮球場内に海兵隊重機械化部隊を確認>
<警告。神宮第二球場に特殊排熱を確認。核反応炉である確率九十八パーセント>
やっぱり新国立競技場には戦力なしなんだ?
<ところがどっこい、作戦司令部が設置されている模様>
あ、そう……そのままサッカー観戦でも楽しめばいいのに……って、もう歩いている人全員が変装した軍人か。剣呑剣呑。
見えてきた。ああ、やっぱり似ているな。
<……なるほど。それでここを?>
うん。『絵画館』って影屋城の領主邸にそっくりじゃない? ほら、帝都魔城までは行かなかったから、ヴァンパイアの国の雰囲気っていうとこれなんだよね。
<その雰囲気は必要?>
感傷もなしに会う相手じゃないさ……さあ、来たかな。
靴音も高らかに、黒いパンツスーツ姿の若い女性。胸元にはいかにも軍人的なバッチを幾つも並べていて、肩口で切りそろえた金髪の陰には無線機のイヤホン。
「はじめまして、と言うべきでしょうか。イモデンプン殿」
「……はじめまして、で正しいでしょうね」
流暢な日本語だ。そういう基準で選ばれたのかな?
「あなたとは協議しなければならないことが多数あります。どれも世界の平和に関わる重要事項です。相応しい会場へお連れしても?」
「ここ以上に相応しい場所といったら、雪深い山奥の谷くらいでしょう」
「……立ち話をご希望ですか」
「どなたか存じませんが、あなたが相手ならばそもそも話す用事もないですよ」
沈黙。無線で交渉の指示待ち。アクティヴフェーズとかパッシヴフェーズとか、営業で役立つかもって勉強したっけ。つき合う気はないけどね。
「イモデンプン殿、あなたが警戒する気持ちは理解できます。アパートメントでの不幸な行き違いのことひとつ鑑みるだけで、ご懸念のほどはさぞかしと―――」
「鬼神は魔神にあらず」
誘導尋問につき合うつもりもない。それほど暇じゃないんだ。
「アメリカ合衆国および新NATO加盟国へ積極的に敵対行動をとるつもりなし。されど協調行動もとらず。今はただ世界を確かめる必要を認めるのみ、です」
言うだけ言って右を向く。神宮第二球場の向こう側、噴水のところに……いる。遠いから姿が見えるわけではないけど、わかる。この気配。車椅子に乗っている。
「我々は協力すべきです、イモデンプン殿。さもなくば不幸なことにしか―――」
「不幸でしょう、既に。世界には余りにも不幸が多くて……そうと知ったからにはもう見過ごせません。まずは寄り添うことから始めないと」
絵画館を背に、段差を降りていく。野球場が六面も展開する広場へ、入るなり左右から何十人も走ってきた。構えられるアサルトライフル。並ぶ銃口。
「フリーズ! ドン、ムーヴ!」
「そーりー、えくすきゅーずみー、ぷりーず」
ネイティブの発音って怖。英語、中学の時に英検三級とったきりなんだよね……通じたのか通じなかったのか、つかみかかってきたけども。
クロイちゃん、やるよ。刃物なしでね。
回避。クルクルと踊るように。すれ違い様にポンポンと触れる。それでKO。《雷撃》のちょっとした応用だ。大丈夫。痺れて失神するだけだから。
「シット!」
あ、引き金引いた。銃口を脚に向けたとはいえ。
「ワッツ!?」
でも残念。発砲はできないよ。銃『火』器だからね。雷管を叩いたって発火しなければどうしようもないでしょ?
火、支配しているんだ。あと雷も土も。
だから、ほら、木立の中に潜んでいた装甲車だのなんだのも強制エンスト。スタータもバッテリーも掌握済み。有効範囲も広大でさ。多連装ロケット砲部隊も機械化部隊も強制フリーズ。無線と照明は残しておくよ。事故やパニックは恐いから。
そんなわけで、そのデカブツはまともに動けやしない。
原子力ロボット戦車。
全長全高全幅どれも六メートル。総重量四十三トン。どっかで見たことのあるデザイン……電磁加速砲は装備していないか。四本足で仁王立ちだけども。
丁度いいから、デモンストレーションでもしておこうか。
ジャンプ。胸部へ跳び乗り。
カバーの素材を《錬金》でティッシュに変換して、ちぎる。戦車の複合装甲も《錬金》で砂糖菓子みたくして、掘る。原子炉を剥き出しにして、中性子を魔力的勾配磁場で制御して、核物質にも《錬金》……熱処理を確実に……よし。無力化。
<お見事。経験が活きたねえ>
ルーマニアンの研究成果、めっちゃ勉強したし練習もしたからなあ。
跳び下りて着地。その程度の振動で、ロボット戦車は土と砂へ崩れ落ちていく。これもリサイクルさ。外野の土としてスポーツの役に立つといい。
「あ、そうだ……忠告しておきます。戦闘機やヘリコプターを寄越すのはやめた方がいいですよ。なにをするでもなく市街地へ墜落することになりますから」
まあ、その時は機体を発泡スチロールにでも《錬金》するけど、パイロットは死んじゃうかもしれないし。
<鬼神様ってば、やっさしいねえ?>
ひとりの命を軽んずることは、そのひとつへ至るまでの歴史を軽んずることだ。やっちゃいけないよ。皆誰かの子どもで、場合によったら誰かの親なんだから。
そんな当たり前のことを知り、それを踏みにじらないで済む力がある。
誰もが生まれてきたことを幸せと感じられるよう、ベストを尽くさないとね。
「……そう思いませんか? ペンドラゴン」
日本語でいい。相手が英語でもルーマニア語でも、不思議と通じ合える。
「そう、かもしれない……いいえ……その通りだ。イモデンプン」
やっぱり聞こえていたんだね。妙にさ、風が頬に触れてくる気がしていたんだ。
静かな噴水を背に、真っ白な髪を一本に束ねた老婆が座っている。ゴテゴテした車椅子だ。呼吸器や点滴が彼女を縛りつけているかのよう。
「……決戦の後、エルフは、どうなったろうか」
「森へ帰り、サチケルちゃんを王として平和に暮らしていますよ」
「サチケル……『シールド』の」
「あなたが『ベストを尽くせ』と諭した言葉そのままに、彼女は頑張っています。今や大陸で最も人気のある国家元首かもしれません」
「ベスト……褒めるでもなく、不満を感じ、奮起しろと叱咤した言葉……何様のつもりでそんなことを、どの口が……サチケル……」
泣いている……誰かを想い悔悟する、厳しくも綺麗な涙だ。
ルーマニアンがそうであったように、彼女には彼女の事情があって、あの世界へ介入していた。必死に戦っていた。そこに私利私欲を貪る邪悪はなかった。
だって、まずエルフの今を問うてきた。彼女は。
「今や遠ざかれども、あなたは今も彼女たちの神……竜神です。そこで鬼神としましては、そんなあなたと和平を結びたく思うのですが……いかがでしょうか」
見つめ合うだけで伝わるものがある。幾十幾百万という生死に超越的に関わり、その責任を負った者同士にしかわからないもの……命の尊さへの、厳粛な姿勢。
差し出した手を、皺くちゃな手が包んでくれた。あたたかい手だ。
「今こそ、今からでも、ベストを尽くそうと思う。しかし合衆国は時に頑なだ」
「エウロゴンド共和国も中々でしたよ。でもなんとかなりました」
「ふむ。魔神という脅威……つまり共通の敵がいないが」
「社会問題も環境問題も、人類共通の脅威には事欠きませんよ」
「そして皆と仲良くする、か。さすがは魔神を側に置く者だ」
「あ、やっぱりこいつってあいつなんですかね? 魔法はなんでもありだなあ」
黙秘するタブレットをためつすがめつして、二人して少し笑って。
「……どこへ旅立つのだ?」
「まずはルーマニアへ。墓を作ってやりたいので。あと放射能汚染へのアプローチ方法を実験したくもあります。それからは世界中を見て回ろうかと」
「誰の、何のために?」
「この世界を生きる全ての人々が、親を誇り子を愛し、命を全うできますように」
「まるで祈りのようだが……それを追求できるだけの力が厳然として存在する。凄まじい重責だな。まさに神の義務と責任だ」
「ええ……カッコつけていますけど、実は泣き出しそうです。だから―――」
そっと抱きしめて、祈られる者の矜持を少しだけ脇へ置いて、お願いした。
長い長い道程の一歩目を、ここから始めるそのために。
「イモデンプン……ドゥー、ヨア、ベスト。プリーズ」
「はい、頑張ります」
抱擁を解いて、公園の際へ進んで、イチョウ並木の道を眺めやって。
「召喚」
呼ぶ。不死の兵たちを。人間だけじゃない。ドワーフとインセクターもいる。万を超える軍勢。誰しもが魔力をほどばしらせている。世界へ存在を主張している。
「大召喚」
彼らをひとつへ。輝く希望そのもののような、巨大なるひとつへ。
金色の甲冑。ファンタジックでメタリカルな巨騎士。硬質の大翼には比推力可変型プラズマ推進機付き。武器はなし。必要ないんだ、そんなものは。
走る。躊躇いを振りきって、百メートルを二秒で駆け抜けて。
ジャンプして肩へ。チラリと振り返って、彼女に手を振って。
高速プラズマ奔流をば噴射! 垂直上昇!
希望はあるんだと、世界の片隅で泣いている子へ示すために! 見捨てられ打ちのめされた誰かへ寄り添うために! テロも戦争もない世界にするために!
この、とんでもない風圧に耐えて、飛ぶんだ! 西へ! 夜の地平へ!