105 神官は報告する、大陸の平和を/ペンタゴンにおけるテロ対策
心静かに、鼓動に耳を澄ませ、内なる深淵へ降りていこう。
暗い暗い底のそこに……火が燃えている。光と熱の奥に異世界を映して。
◆◆◆
神は、世界から去られたまいました。
最終戦争において神業を御完遂あそばしたまいまして。
大陸の歴史に輝かしく刻まれたこの奇跡を、我々は後世へと伝えていかなければなりません。大いなる祝福は確かに在ったのだと。人間は神秘の炎に導かれ、希望への道程を歩んだのだと。
そう決意したからこそ、僕は、この聖衣をまとったのですが。
「おー、似合う似合う。物凄く悪の親玉めいてるじゃないか。フェリポ・ヴァルキ・ミレニヤム大司教猊下」
なんとしたことでしょうかねえ、この男は。我が親友は。
まだ漆喰の匂いが鼻をくすぐる礼拝堂に書類束を山と持ち込んで、一画を政務拠点として占拠して、ポンポンと景気よく押す印璽は行政の長のもの。
「あ、毛布。また長椅子で寝たのですか? いい加減にして欲しいですねえ……国政院はまだ建築中としても、相応の執務室をあてがわれているでしょうに」
「そう嫌そうな顔をするもんじゃない。私、ヤシャンソンパイン・メロ侯爵は寿命を削る勢いで執務中であるぞよ」
「自分の部屋でやれ、と言っています」
「ここでやるからいいのさ。新たな国の立ち上げなんてもんは逸話が多過ぎるくらいで丁度いい。後の歴史は私の仕事に聖性を帯びさせる。神の御前にて不眠不休の筆働きをした、とかなんとかね」
「……権威、ですか」
「必要だろ? 既にして神の気配は遠く……クロイ様もいないんだから」
うなずくよりありませんね。そして仰ぎ見ましょう。神像を。炎の中に座す性別不肖の姿形を。鬼神イモデンプンの大いなる様を。
ああ……胸が熱い。
言葉にすれば万巻を要する万感が、ただ炎の煌めきとして思い出されますよ。
「で? その衣を着たからには、例の企画を発動していいんだよな?」
「勿論です。新国の門出に花を添える大婚礼……それを大いに取り仕切りたいというのも大なる動機ですからね!」
「フッフッフ。実は諸首脳には打診が済んでるんだなあ。サチケル竜王陛下、ロザリンデ魔王陛下、そしてターミカ議長閣下もご臨席下さるとさ」
「ウッフッフ。いいですねえ。逃げ場なき是非もなしの陣容。さしものアギアス新王陛下といえでも肯じることでしょう。ヒクリナ嬢を妻と迎えることをね!」
「これぞ人生の包囲殲滅陣なのさ。フーハハー」
「たいそう丈夫な御子が期待できますねえ」
笑って、別れて、礼拝堂の外へ。展望塔へ。
清新な朝日に照らされて、新王都の街並みが見渡せますよ。以前は「砦」であったここも、今や人間国家の中心地。どこもかしこも造りたて、あるいは造りかけですが……素晴らしい都になること請け合いです。
だって、そら、旗がひるがえっていますから。尖塔に城壁に街路に、力強く誇らしく、篝火のようにして。
「司祭さん、大司教になったの?」
あどけない声と、追従するようなウサギの鳴き声。
「はい、今しがたなりましたよ……シラ火兎守」
軍外套を羽織る立ち姿。その細腕は白黒模様のソードラビットを抱えていて、お父上の遺剣は部屋に飾り置く……変わりましたね。強く逞しく。
「オリジス将軍の調練には参加しなかったのですか? 出発は昨晩でしたのに」
「今回はやめとけって。飲んだり食べたりも、馬から降りないからって」
「ああ、それは自粛して正解でしょうね……用足しの事情など鑑みるに……」
「西方辺境まで行くから、シラ、参加したかったよ」
「……あちらは魔物が多く出没します。随分と厳しい調練になるようですね」
戦争を終えても、瘴気についてはまた別の問題。いわゆる魔物津波のごときものは起こらずとも、軍が暇をすることなどありえません。
「じゃ、行く。大司教ってとこ見たかっただけだから」
「光栄です。新しき火兎守はどちらへ?」
「マリウスにね、パインを呼んできてって頼まれてる。彼が来ないと会議を始められないって、笑顔で怒ってたよ」
「おや、政務官からの召集となれば急ぎませんと」
「うんっ。パインと朝の汁物食べてくる!」
「ええ、そうしてあげてくださ……えっ、朝食!?」
いやはや、これはもう見送るばかりですね。頬を染め足取り軽やかな女性というのは、年齢を問わず無敵ですから。
「……あと五年もしたら、また国事として盛大に……クッフッフ」
企みを独語し、未来を想い笑うなどして……祈りを捧げますよ。
神よ。
そして、神と共に在るクロイ様。
今朝も、このようにして我々は生きていますよ。心穏やかに、やさしく豊かな戦後を……人間らしく自分らしく在れる日々を暮らしていますよ。
そちらは、いかがお過ごしになっておられましょうか。
まったくもって想像を絶する、神々の世界……そこへ征かれあそばしたまいて、いかに御奮闘くださっておいででしょうか。
祈りは、今も、届いるのでしょうか。
世界を燃やす神の大火炎……畏れ多くも我々の熱を加え奉らせていただくべく、大陸に幸せを。もっと。誰しもが生まれてきたことを喜べる世界へと。
幸いなるかな、人間の生と死。
命の火を燃やし燃やして。
◆◆◆
酸素マスクの縁より吸う合成レモン香。点滴で取り込むアイソトニックの水分。
耳は拾う。声を。攻略会議に交わされる言葉を。
「キョート大学への強制捜査は空振りに終わったようだな。『ポテトスターチ』は大学関係者にあらず。カツラ・キャンパスから接続を仕掛けたことは確かで、物証も数多く上がっているのだが……人相風体もわからんとは」
「大佐。一点だけ、手掛かりになりうる情報はあります」
「ほう? 中尉がそう言うからには、サイバー関連か?」
「は。保安システムの掌握に用いられたハックツールは、その痕跡を消しきったという点で逆説的に特徴を残しました。『ストリゴアイカ』ではないかと」
「むう……テロリスト同士、やはり結託していたということか。最後には仲違いをしたようだが、なるほどそれもレッドチームらしいといえばらしい。内訌はやつらのソウルワークだからな」
違うだろうな、とは思う。魔神と鬼神の決戦は、そういう汚らわしさとは無縁のものだった。朦朧とした意識の中でも感じ取ったのだ。輝きを。高潔なる高熱を。
しかし、発言はすまい。この身は敗残の傍聴者でしかないのだから。
「両者が協力していたとなれば、現状も腑に落ちるというものです。魔神が消滅してなお続くスーパーAIによる情報支配……ここへの攻撃こそなくなりましたが」
「管理者が代わり戦略が変わったということだろう。諸報告から察するに『ポテトスターチ』は合衆国への敵意が高くなさそうだ。まあ、相対的な評価ではあるが」
「……日本人であるという推定を信じれば、それもありうる話でしょうか」
「テロリストである以上は、日米同盟も何もあったものではないがな」
テロ。テロリズム。
政治的または社会的な目的の促進のため、政府や市民に対する脅迫や強制、あるいは、人物や資産に対する不当な実力行使や暴力行為のこと。
ストリゴアイカは、新国際秩序に対するテロリストだった。過去最大の。
ポテトスターチは……どうなのだろうか。
彼か彼女かもわからないが、異世界戦争の勝利者たるひとりの人間は、その結果に得たであろう超常の力をもって何を為すつもりなのだろうか。そも何が見えているのだろうか。この世界をどう捉えているのだろうか。
会える、だろうか。
いいえ……会わなければならない。きっと向こうもそう考えている。
警告音。特別なメールが着信したことを知らせるもの。ああ、やはり。攻略会議へ参加する誰しもに息を呑ませて、奇妙に日本的な文言。
<アメリカ合衆国国防総省統合参謀本部内特殊犯罪対応攻略会議内、アルバキア大陸東方エウロゴンド共和国守護神ペンドラゴン様。突然のご連絡失礼いたします。鬼神いもでんぷんと申します―――>
いもでん、ぷん。なるほどそれが正式な名称か。
その用件はわかっていたとも……我々はそうすることが必然なのだから。
<―――この度は異世界戦争の決着をつける件で、メールをいたしました>