四話 すべてが敵になる
最近、俺は一人で昼食を食べることが多い。正確には一人で食べてるわけではないのだけど、実質一人のようなものだ。むしろ、単純に一人の方がまだいい気がする。いつも一緒に昼食を食べている親友に、イカした、もとい、イカれた彼女ができた。そうなると、当然だけれども、親友は昼食を彼女と一緒に食べることになる。つまり、目の前でカップルが、幸せそうに昼食を食べるという生き地獄を味わうわけだ。その地獄を味わいながら、昼食を食べていると、佳然が珍しく声をかけてきた。
「川良くん、これ」
そう言って、折り畳まれた一枚の紙切れを俺の机に置いていき、佳然は自分の席へ戻り、友人と何事もなかったように昼食を再開した。
「恋文…ではないですよね」
親友の彼女が、目を細めながらどこか残念そうに言った。最近分かったことだが、この女は恋愛脳が酷い。事あるごとに恋愛に結び付けたがる、うざいことこの上ねぇ。
「これがラブレターだったとしたら、俺は、佳然に説教するっての。何の情緒もないだろ、これ」
「ラブレターじゃないなら、何なの?」
親友が素朴な疑問を投げかけてきた。親友の疑問を解決するためにも、紙切れの中身を確認することにした。
「はっ!」
中身を見て、思わず鼻で笑ってしまった。佳然らしいと言えば、佳然らしい。
「何て、書いてあったわけ?」
「この時間、この場所に来てください。って書いてあんな」
「愛の告白じゃないですか」
恋愛脳女の一言に、教室が一瞬、騒めき立つ。最近、忘れがちではあったけど、佳然は男女問わずファンが多くモテる。その佳然が愛の告白をしたとなれば、そうなるのも当たり前のことだ。高橋くんの俺を見る目が輝いてる。高橋くんの中では、俺は生粋の伊達男だからな。佳然を落とし更に評価が上がったことだろう。
「仕方ないさ。俺はモテるからな」
伊達男の一言に、教室が一瞬にして静まり返る。俺の発言を冗談、あるいは妄想と判断し各々昼食を再開しだした。ただ一人、高橋くんは、ウンウンと頷いてくれている。それはそれで嬉しいが、高橋くん盲目過ぎだろ。
「一応言っとくけど、それラブレターとかじゃないから。あと、川良くんはモテててないでしょ」
佳然がこっちを睨むように見て言ってきた。そんなことは、みんなも分かってる。いちいち註釈しなくていい。俺のファンである、高橋くんがショックを受けるだろうが。当の高橋くんは、佳然の言葉は聞こえてないのか、好意的解釈で照れ隠しと受け取ったのかは分からないが、別段ショックを受けてるようには見えなかった。高橋くんの将来が心配でならない。
「それで、行くんですか?」
さっきまであった脳みそスイーツな雰囲気を感じさせずに、払切が聞いてきた。勘の鋭いこいつだ、最初から紙の内容も分かってはいたのだろう。それか、佳然から既に聞いていたのかもしれない。隣のカズーも困ったような笑顔を浮かべている。完璧人間カップルにはお見通しのようだ。
「あぁ、行くよ。一人で。せっかく、御丁寧に誘ってくれたんだ。無視はできないしな」
そう、御丁寧に紙切れには、こう書かれていた。
『五日後、午後十一時半に学校の校庭で。あなたを殺します』
これが本当の殺し文句と、つまらない発想が頭に浮かぶ。大胆な告白だな。しかし、わざわざ殺すと宣言しなくてもいいだろうに、何も書かなけりゃ、それこそ愛の告白と勘違いして油断するかもしんねぇのに。まぁ、そんな馬鹿な手に引っかかる奴はいないとは思うけど。律儀というか何というか、佳然らしいな、ホント。
七月と言えど夜中は、まだ肌寒い。スカートで来たのは、間違いだったかもしれない、厚手のタイツを履いてるとはいえ、少し寒い。スカートなら川良くんが気を取られ、少しでも隙ができるのではないかと思ったのだけど、流石に命のやり取りをする時に、スカートに気を取られるほど川良くんもエロの権化じゃないだろうし、無駄だったかもしれない。
学校が見えてきた。しんと静まり返っている。黒早くんによって、人払いを済んでいる。学校内にも人はいない。人がいるのを感じられない建物は、どうしてこうも不気味なのだろう。憂鬱な気持ちのせいで、余計にそう感じているだけかもしれない。これからするのは、殺し合いだ。自分を守るための醜い潰し合いだ。
校庭には先客がいた。川良くんが校庭にあるポール時計の前に、いつもの不敵な笑みを浮かべて立っている。憎たらしい顔が見えたことで初めて気づく、校庭の照明は点いていないけど、小型の照明が何個か設置されていて校庭を囲むように照らしている。黒早くんか、もしくは川良くんが設置したのかは分からないけど、戦いの舞台は整ったって感じだ。
「よぉ、少し早かったな。五分前行動を心掛けてるようで何よりだ」
川良くんの後ろにある時計を見る。十一時二十三分。確かに少し早い。三十分に到着するつもりだったのに、知らないうちに気が急いていたのだろうか。だとしたら心に余裕がないのかもしれない。いや、ネガティヴに考えるのは止めよう。
「こっちは準備万端だぜ」
文字通り、準備は万端なのだろう。五日あれば、川良くんは最善最良最悪の策を練って、罠を張っているはずだ。勝つためならば五日なんて猶予を与えず、それよりも果たし状など送らず、騙し討ちをするのが正しいんだろうけど、私にはそれができない。それは卑怯だと思ってしまう。互いに100%の力で闘わなければ、フェアじゃない。
違う。全力を出して死ぬ、殺すなら、多少は罪悪感が薄れると思うからだ。酷い打算的な考えだ。吐き気がする。
「川良くんは、何か言いたいことある?」
「あぁ?別に。殺さないでって言ったら、殺さないでくれるわけじゃねぇだろ」
川良くんは、そう言って自嘲気味に笑う。自分でも、つまらないことを言ったと、おもったのだろう。
「それはね。ほら、遺言になるかもしれないじゃない?」
「はっ。安い挑発だな」
自分でも、安い挑発だとは思う。挑発は目的じゃない。今は無駄な話を続けつつ、周りを確認する時だ。地面を見る、落とし穴はなさそうだ。川良くんが、二度も同じ手を使うとは思えないけど用心にこしたことはない。周りに炎を防ぐ遮蔽物は見当たらない。
「もう観察はいいか?」
バレてた。別に隠していたわけじゃないけど、向こうの方が一枚上手のような感じがして良い気分じゃない。駆け引きに関しては、川良くんに勝てるとは思っていない。だからといって、アドバンテージを向こうに待たせたままにする気はない。
「ところで、こーゆー状況になってるってことはだ。俺の能力が危険だと判断したってことだろ?つーことはだ、俺の本当の能力が、分かったってわけだな?」
「川良くんの能力は、『元に戻す』能力でしょ」
「なるほどな…。けど流石に、制限数までは分からないだろ?」
そうだ。川良くんとの闘いで、ネックなのはそこだ。四回から六回のどれかだとは思うけど、正確には分かっていない。こっちの回数は知られていて、向こうは分からないのは圧倒的に不利。弾切れが分からないのはキツイ。わざわざそれを指摘して、自分が有利であることをアピールなんて、性格が悪い。
「五回だ」
「え…?」
「だから五回だよ。制限数」
「何の冗談?それとも惑わす作戦?」
あの川良くんが、敵に有利な情報を教えるわけがない。罠に決まっている。今までも、頑なに回数は教えなかったのに、ここにきて教えるのはおかしい。
「こっちは、佳然の能力の回数は分かってんだ。教えないと、流石にフェアじゃねぇだろ」
「川良くんから、フェアなんて言葉が聞けるなんてね」
「けっ。信用がねぇな。まぁ、俺にはなくてもいいけどよ」
そう言って、川良くんは携帯を取り出し、こっちに投げてきた。一瞬、罠かと思ったけど、ここは素直に受け取ることにした。受け取らず壊して、後で弁償しろと言われても困るし。
携帯は、既に発信画面になっていた。画面にはカズーの文字。一瞬、誰かと思ったけど、黒早くんか。川良くんの方を見ると、顎で出ろとジェスチャーしてきた。
「もしもし?」
「あ、佳然さん?カゲの能力の使用回数は、五回だよ。間違いなく」
唐突に、いきなり衝撃的な直球で、本題をぶつけられた。話が早いにもほどがある。受け止めきれないでしょーが。
「黒早くんが言うなら、間違いないんだろうけど、なんで川良くんはそれを教えてくれるわけ?」
「いや、カゲ、目の前にいるでしょ。本人に聞いたら?」
「川良くんが、正直に話すわけないじゃない。天邪鬼の化身のようなもんよ」
「うん、それは確かに。じゃあ、私見だけど、カゲは佳然さんのこと、気に入ってるんだよ、だからフェアって言うのは、あながち間違いないと思うよ」
断言はしないんだ。てゆーか、気に入ってるって、セクハラ相手としてな気がするけど。
「まぁでも、カゲだからね。それだけじゃないってのは、佳然さんも分かるでしょ」
「おい、カズー、喋りすぎだ。公平な立場なんじゃねぇのか、お前は」
ハンズフリーになってるので、こちらの会話をしっかり聞いてた川良くんが苦言を呈す。
「黒早くん、川良くんの作戦、知ってるんでしょ?こっそり教えてよ、ねぇ?」
「それは、流石に公平じゃないからね。カゲ相手には、油断は禁物とだけ言っておこうかな」
川良くんに背を向け、小声で話す私たち。半ば冗談。黒早くんから、これ以上の情報を聞き出せるとは思っていない。川良くんへの嫌がらせみたいなものだ。
油断は禁物。それは分かっていたことだけど、他人から言われると、その言葉の重みを強く感じる。川良くんと相対するなら、油断が致命的になる。
「もういいだろ、携帯返せ」
川良くんが呆れた表情で、こっちを見ている。割と珍しい表情だ。いつもは立場が逆、私がそういう表情をしてることが多い。川良くんじゃないけど、ざまぁみろってやつだ。
「川良くん?この携帯、燃やしていーい?」
「いいぜ。炎の回数が一回減るなら、安いもんだ」
黙って携帯を放り、投げ返す。投げてから気がついたけど、携帯壊すなら地面に叩きつけるだけでも良かったや。携帯をしまう川良くんの顔が、どこかホッとしてる気がする。失敗したな、壊しとけば良かった。川良くんの嫌がることは率先的にやっていきたい。個人的な感情もあるけれど、精神的ダメージを与えることで闘いを少しでも有利にするためだ。川良くんが得意なんだけどね、こういうの。
「お互い、腹の探り合いは充分でしょ」
「そうだな。かかってこいよ」
顔を上げ、例のニヤニヤ笑いを浮かべながら、人を見下して、片手で手招きをしてきた。もう一つの、手にはナイフが握られ、ユラユラと揺らしている。絶妙にイラっとする。本当得意だわ、こういうの。
挑発に乗ったわけじゃないけれど、こちらから仕掛けるために、駆け出した。
川良くんの能力の回数は五回、対して私の能力の回数は九回。数では上回っている。単純な話で言えば、私の炎を能力で、防がせればいい。現実はそう単純じゃないのは理解している。遠距離では能力を使っても避けられる可能性があるから却下。そうなると、やはり接近戦。接近戦なら、炎を使わずに体術のみで圧倒できる。川良くんの能力は危険だ。どういう攻め口でくるかは分からない。こちらも切り札を温存しといた方がいい。
距離を詰める。川良くんは余裕なのか、挑発をしたポーズのまま、微動だにしない。それならそれで好都合、そのニヤけた顔に拳を叩き込むだけ。そう決意したと同時に、川良くんの眼が細まり、手招きしていた片手から、パチンと音がした。
その瞬間、視界が塞がれる。何が起きているかは理解できていない。ただ、目の前にあらわれた何かが津波のように、私を飲み込もうとしているのは理解できた。
「こんにゃろぉぉぉぉっっ‼︎」
叫びながら、前面に炎を展開する。一回分の炎じゃ間に合わない、続けて炎を展開。炎が雪崩と共に焼失していく。まだ、駄目だ。再度、二回分の炎を同時に展開し、厚めの盾を作り、わずかな時間を作る。その隙に後方へと離脱する。
「はあっ…!」
思わず息がもれる。ピンチを切り抜けた安堵と、炎を四回も一度に使ってしまった不甲斐なさと、川良くんにしてやられた悔しさが混じった感情とともに。
冷静になって、ようやく気づく。津波のように襲ってきたものが、学校の机だということに。周りを見ると、机が壁のように積み上がっている。四方を完全に囲まれている。壁の高さは三メートルほど、パッと乗り越えれる高さじゃない。登ってる最中に狙われたり、足場を崩されたらおしまいだ。となると、前の崩れた机群なんだけど…。ここも足場が悪い、かといって、ここしか道はないんだけど。川良くんは既に視界にはいないし、どんな不意打ちがくるか分かったもんじゃない。
「流石に切り抜けたか。やるじゃねぇか。四回は使ったか?」
川良くんの声が聞こえる。川良くんからは、見えてなかったと思うけどしっかり計算して、使用回数を判断してるし。抜け目ない。
「川良くん、一人で、これ積んだの?」
「毎日夜中にコツコツとな。能力使えば、なんとかなるもんだ」
夜中に机を積んでは、能力で元に戻して、次の夜中に、能力で続きの状態に戻す。それの繰り返し。凄いを通り越して呆れてくる。そして見事に、策にハマった私にも呆れてくる。
「川良くん、馬鹿なんじゃないの?」
「今の自分の状況を、俯瞰で見れねぇのかよ」
川良くんの声が、私の後ろから聞こえる。この状況を打破するためには、川良くんが予想できないことをするしかない。なら…!
「はぁっ!」
声がした方向にある机の壁を、全力で回し蹴りで蹴り抜く。連鎖的に、机の壁の一部が崩れていく。無機質な津波が、轟音を立てて荒れ狂う。これを凌いだ私は褒められていい。
「うおぉっ⁉︎」
川良くんの声が、轟音に紛れて消えていく。砂埃が舞う、崩れた机の山の中に、川良くんが着ていた上着が見える。トドメを刺すために近づく。
川良くんが埋まっているであろう場所の上に立つ。手を伸ばし、上着を掴む。
と、同時に振り返り、背後に向けて炎を壁のように展開して放つ。
「ぐぁっ⁉︎くそっ‼︎ざけんなっ!」
川良くんが罵声を上げて、後方へと退いていた。やっぱり、狙い通りだ。私が机の壁を蹴り抜いて反撃することなんて、あの川良くんなら容易に想像できただろう。そして、川良くんの陰湿な性格なら、これを利用しないわけがない。机の津波に、巻き込まれたフリをして、あるいは実際に巻き込まれて能力を使って回避したのか、轟音でパチンという音が聞こえなかったから、どちらかは分からないけど。そうやって上着を残し、そこに注意を向けて死角から攻撃してくる。正直、賭けではあったんだけど、この賭けには勝ったみたいだ。
範囲を広げるために、炎を薄く引き延ばし展開してたため、川良くんに致命的なダメージは与えられてはいない。とは言っても、川良くんの状態は酷いものだ。所々血まみれでゾンビのようだ。
「ちっ!」
パチンと音がした。さっきの姿が嘘かのように一瞬にして元に戻る。炎によって、欠けて使い物にならなくなったナイフも元に戻っている。便利すぎる能力だ。敵に回すと、面倒臭いし、恐ろしい。
でも、流れはこっちに来ている。この好機を逃すわけにはいかない。能力を使わす、暇がないほどに攻め立てる。
一気に距離を詰め、まずはハイキックで相手の右手の武器を払い飛ばす。とりあえず、これで、一安心ではあるけど、能力を使い元に戻す可能性があるので楽観視はできない。ハイキックで、できた隙を突こうと、川良くんが左の拳を突き出す。狙いはいいし、速さもある。川良くんの動きは訓練された動きだ。けど、私には通じない。蹴り上げた足を戻した反動を使い、もう片方の足で、川良くんの拳を下から蹴り上げる、要は二段蹴りだ。上体が仰け反り、体勢を崩した川良くんの肩を左手で掴み、右手を川良くんの腹めがけ打ち込む。夜空に、響く肉を叩く音。我ながら、会心の一発だ。
「がはっ…⁉︎」
川良くんは飛びそうになる意識を繋ぎ止め、距離をとろうと離れようとする。もちろん、そんなことはさせない。立て続けに、ボディーブローを連打する。川良くんの身体が衝撃で浮き上がる。このまま意識を刈り取る。
「ぐっ…⁉︎がっ!」
パチンと音がした。拳が宙を切る。川良くんの姿が、消え失せた。意識を失う寸前に、能力を使ったんだろう。どこへ消えたのか。周りを確認する。見える範囲にはいない。逃げた?川良くんの能力は、正確には分かってはいないけど、私の怪我した身体を、何時間前の状態に戻せたのなら、何時間前にいた場所へと戻って逃げることも可能だ。でも、それならば、最初の薙との戦闘でも死に物狂いに逃げることはなかったはず。なら、それができない、あるいは条件があるのかもしれない。
もう一度、辺りを見渡す。どこかに見逃しがないか。あるとすれば、机の壁を使って死角にいるかだ。先ほど崩した壁の辺りへ行き、壁の内側を確認するがいない。やっぱり逃げた?そう結論づけようとした時、ある物が目に入った。ううん、正確には、あるべき物が目に入っていない。ハイキックで払い飛ばしたナイフが、消え失せていた。
それに気づいたとほぼ同時、パチンと音が聞こえ、背中に鋭い痛みが走った。
「っ…⁉︎」
痛みのした方へ視線を向けると、足場にしていた崩れた机の山場はなくなっていて、私の背中には深々とナイフが突き刺さっており、川良くんが珍しく、いつものニヤけ顔ではない真面目な顔でいた。
川良くんは崩れた机に巻き込まれた状態に能力で戻り、私が近づいたのを見計らい、能力で崩れた机を元に戻し、隙をついて奇襲してきたのか。
「こ…のぉっ!」
後ろに向かって、肘鉄を放つ。反撃がくるのを予想していたのか、余裕のある動きで、避される。その際に、傷を抉るようにナイフを抜かれ、痛みに叫びそうになる。
「ちっ!あの奇襲に反応するか、普通。ニュータイプか、何かかよ」
忌々しいといった感じで、川良くんは毒づく。自分でも無意識に、咄嗟の奇襲に反応し致命傷は避けたみたいだ。でも、致命傷ではなくても、重傷ではある。これでは、動きも鈍らざる負えない。一気に不利になった。だからといって、川良君はこれを好機として、追撃しようとはしてこない。ナイフを構え、こちらの様子を、隙なく伺っている。時間が経てば経つほどに、傷のせいで体力は奪われる。川良くんからしたら無理に攻める必要はない。忌々しいほどに冷静で的確な判断だ。本当に腹が立つ。
不利になったとは言ったけども、冷静に考えてみれば、必ずしも私だけが不利になったわけじゃない。川良くんは、これまでで能力を四回使っている。一回目は、机の壁を召喚した時。二回目は、炎でできた傷を戻した時。三回目は、私の腹パンから逃れた時。四回目は、机を消した時。私が壁を崩した時にも、能力を使っていた場合は五回使い切っていることになる。確証がないから、四回使ったと考えることにはするけど。一回でも残ってるだけで煩わしい。
このまま睨み合いを続けても仕方ない。傷は深くて、動きも鈍いけど、この状態でも川良くんの動きならついていける。踏み出そうとした時、一瞬だけ、川良くんの目線が右に逸れた。何かを、確認したような感じだ。
目を離すわけにはいかない。罠かもしれない。でも、確認した方がいい、私の直感がそう言っている。川良くんから、注意を逸らさず、さっき川良くんがやったように横目で見る。
何にもなかった。ただのグラウンドだ。変わった様子もない、ポール時計があるだけだ。
時計?ちょっと待って。時計…?気にかかる。何で?時計はあっても、おかしくない。前から、あの場所にある。
違う。重要なのはそこじゃない。重要なのは時間だ。時間。さっき見た時は、何時だったか。
十一時五十分。日を跨ぐ十分前。
川良くんの狙いを理解したと同時、いや、理解する前に身体は動いていた。それは反射的に直感で。動かなくては負けると言われているかのようだった。
「やらせるかぁぁっ!」
叫びながら飛び出した。川良くんが罠を張ってるかもしれない、その考えは頭にあったし、注意すべきだと、別の自分が警鐘を飛ばしている。それでも止まれない。ここが攻め時だ。
「ちっ!」
川良くんが舌打ちしながら、片手をこちらに向けてきた。あと一回、能力が残っていたみたいだ。駄目だ、能力を使われる!
違う!駄目じゃない!能力を使わせてしまえばいい!
「こんのぉっ!」
跳躍し、川良くんに向けて炎の塊を投げ飛ばす。私の炎は、薙の気の刃のように超高速じゃない。川良くんなら、能力を使わずに避けるだろう。
「能力を使うまでもねぇ!」
案の定、半身を逸らし左にずれ、軌道線から離れる。能力を出し惜しんできた。
「私は、出し惜しみはしない!」
地面に着地したと同時に、右足に生み出した炎を蹴り放つ。蹴り放つ炎は、投げ飛ばす炎よりもスピードが速い。狙うは川良くん、ではなく、最初に投げ放った炎。
私の炎は接触すれば消滅する、けれど炎同士ならば___。消滅はしない。川良くんの斜め上前、空中で炎同士がぶつかり弾け、川良くんを覆うように、炎の雨となり降り注いだ。これを浴びれば致命傷とはいかないまでも、かなりのダメージは与えられる。
「くそっ!」
パチンと音がした。炎は消えてない。なら!
後ろを振り返る。川良くんの姿がそこに___。いなかった。
再度パチンと音が背後から聞こえた。しまったと、後悔してる暇すらない。即座に振り返る。額に向かって投げられたナイフが迫っていた。炎で防ぐ。いや、ここは出し惜しむ所だ。上体を反らしながら、足を蹴り上げナイフの軌道を逸らし回避する。
これで、一安心と言うわけにはいかない。上体を反らした状態から背後が見えた。二本目のナイフを持った川良くんが、こちらへ迫っていた。最初の指を弾く音はブラフで、川良くんは炎をあえて受け、私が背後を向いた時にナイフを投げ、能力を使い、私の背後に戻ってきたのだろう。投げたナイフと川良くんとで挟み撃ちの形だ。川良くんの身体はあちこち炎で損傷している、一歩間違えば死ぬ方法だ。頭がおかしい。でも、そのせいで追い込まれた。この状態は危険だ。この体勢からは反撃ができない。体勢を戻すだけで、手一杯だ。
炎は残り二回。使い切る。タイミングが重要だ。川良くんの能力は打ち止めだ。これを凌げば、私の勝ち。
川良くんがナイフを構え、死角から襲い掛かる。私がやることは、できることは唯一つ。体勢を戻すことしかない。
蹴り上げた脚を振り下ろす反動を利用し、上体を起き上がらせる。背後には既に川良くんが肉薄している、間に合わない。このまま無防備に、今度こそは急所を刺されるのだろう。
けれど、そうはならなかった。背中に痛みはない。ゆっくりと振り返る。川良くんが、困惑と驚愕が入り混じった表情をしている。自分に起きたことが、理解できていないのだろう。それもそうだ。いつの間にか、両腕が、無くなっているのだから。川良くんの両腕は上腕二頭筋の半ばから先が、地面に落ちていた。
私は、ツインテールを、それぞれ掴み川良くんに先端を見せる。その先端には僅かだけど、炎が舞っている。
「っ…!髪に炎をまとわせて、起き上がる時に、俺の腕にぶつけたのか…⁉︎」
流石に理解が早い。私の奥の手だ。私の炎は、体のどこからでも出せる髪も例外じゃない。伊達に、無駄に長いツインテールにしていない。こういう時のために伸ばして手入れをしてたのだから。けして、小さい頃にツインテールをしたら、両親に可愛いやら、似合うねやら、と言われたからじゃない、けして。師匠にも褒められたのも関係はない。
「私の勝ち、みたいね」
そう言って、川良くんの脚を払う。両腕を失ったことで、バランスが取りにくいのか、簡単に仰向けに倒れた。
「はっ…!勝利宣言は、相手を殺してから言えよ」
満身創痍ながら、いつもの不敵な笑みを浮かべている。驚異的なメンタルの高さだ。まだ、秘策があるのだろうか。グラウンドの時計を見る、十一時五十三分、日は跨いでない。いらない心配だった。既に、川良くんは両腕がない、パチンと音を弾くことは不可能、日を跨ごうが能力を使うことはできない。
「がはっ!」
川良くんの胸板を踏みつけた。川良くんが憎しみを込めた眼で見てくる。その前に一瞬、視線が、スカートの中にいったような気がしたけど、気のせいだろう。流石の川良くんも、命の危機にスケベ心は出さないだろうし。たぶん。
「いたぶりながら殺すのが趣味なのか?褒められた趣味じゃねぇな」
「川良くんを、いたぶるのは割と好きだけど、死なれると困る」
眉根を寄せ、こちらを訝しげに見てきた。すぐに、こちらの意図に気づいたのか、口を歪ませ笑った。
「なるほどな。俺の能力は、いらねぇってわけか」
「そう。川良くんの能力は危険すぎる。だから、殺す。でも、それで、その能力が私に来ても意味がないでしょ?」
「そりゃそうだ。けどよ、俺の能力は便利だぞ?欲しくはないのか?」
「いらないわよ、そんなもの」
「そっか」
どこか寂しそうに、でも嬉しそうでもある、曖昧な表情を一瞬見せた。川良くんは、時々こういう顔をする。どこか遠くを見ているような感じ。
「川良くん、これ飲んで」
カプセル状の錠剤を取り出し、川良くんの眼前に差し出す。
「毒薬。川良くんが、自主的にこれを飲んで死ねば、それは自殺。私が殺したことにはならない。能力は誰にも渡らず消滅する」
師匠から自決ように貰っていた、毒薬が役に立つとは。捨てなくてよかった。というか、物が物だけに、下手に捨てられなかったんだけど。
「分かった。どうせこのままじゃ死ぬんだ。潔く死んでやるさ」
川良くんは顔を上げ、器用に舌で、私の手の平から錠剤を取り口に入れた。その際に、不必要に手の平を舐められたような気がしたけど、それくらいは我慢しよう。命を奪うんだし。
「最後に遺言とかある?罵倒でもいいけど、甘んじて受け入れるわよ」
この毒薬は、唾液じゃ溶けない。胃液で溶ける。そして、飲み込んでも毒が回るまで、少しは余裕がある。聞く猶予はあるし、聞く義務がある。
「……ぇ…だ…」
声が小さくて聞こえない。ちゃんと聞き取るために顔を近づけようとして、すんでのところで止める。
「危ない。顔近づけたら、毒薬を口移しで、私に飲ますつもりだったでしょ」
「ちっ」
案の定だ。油断も隙もない。
「これで最後。遺言は?」
いつものニヤニヤ笑いを浮かべながら、川良くんは最期の言葉を、口に出した。
「あめぇんだよ」
パチンと音は、しなかった。でも、音が聞こえた気がした。
頭を何かに掴まれ、引っ張られた。なぜ何かなのか。それはそこに、あるべきものじゃないから、あるわけがないものだから。頭が混乱し理解しなかった。
川良くんの、両腕があるわけがない。
____________
咄嗟の出来事で、パニックになっている私は、無防備だった。そんな私に、更なるパニックが訪れる。引っ張られた先には、川良くんの顔があった。そして、川良くんの口と、私の口が重なった。それだけでも、大パニックなのに、川良くんの舌が、私の口の中に侵入してきた。
「あむっ…⁉︎あっ…⁉︎」
毒薬を口移しされる。その考えよりも、私の口が、川良くんの舌に蹂躙されてることに、超パニックで思考が停止してしまった。舌の柔らかさとは違う、固い感触。ここに来て、ようやく毒薬の危機に気づく。
「っ!」
右フックで、川良くんの顔面を狙う。見事に当たった。川良くんが、私の頭を押さえているのと、私が、川良くんを踏んづけていたこともあって、身体ごと吹き飛ばすことはできなかったけど、轟音と共に、川良くんの顔は離れた。その際に二人の唇から、唾液がアーチを描いていて死にたくなるほど恥ずかしかった。いや、恥ずかしがる暇はない。恥ずかしがってるほど死ぬことになる。早く、口の中の錠剤を吐き出さなければ、飲み込まなければ大丈夫なはず。
「はっ!奪ってやったぜ。ざまぁねぇな」
川良くんが、いつもの不敵な笑顔を浮かべている。
パチンと音がした気がした。
____________
咄嗟の、予想もしない出来事に、一瞬、思考が停止した感覚があったけれど、何とか持ち直す。目の前には、川良くんの顔がある。毒薬を口移しされる。やられる前に右フックを川良くんの顔面に叩き込む。川良くんは、まるでそう来るのが分かってたかのように、顔を後ろに逸らし避けた。そして、下からカウンターで、拳を打ってきた。こっちも顔を、後ろに逸らし避ける。そのせいで、私の重心が後ろに少し傾く、その隙を逃さず、川良くんは身体をブリッジさせ、私をはね退けた。バランスを崩して後ろによろける。倒れるの覚悟で、浮いた片足を前蹴りで、立ち上がりかけている川良くんの顔面へ、叩き込む。倒れ込みながら、川良くんが後ろへ吹き飛ぶのが確認できた。これで一安心追撃の心配はない。
同時に体勢を立て直し、立ち上がる。
「あそこから反撃するか、普通。頭おかしいだろ」
川良くんが、口の中の血を唾のように吐きながら、ぼやく。血で見えないが毒薬も一緒に吐いたみたいだ、飲み込んでいたらこんなに冷静ではいられないはずだ。しかし、頭おかしいは、おかしい。むしろ、頭を使っているんだから、いいはずだ。違う。そうじゃない。本当におかしいのは、本当に不可解なのはそこじゃない。しっかりしろ、私。
「なんで⁉︎」
「なんでってなんだよ?」
まず出た言葉が、それだった。我ながら、アホみたいな反応だ。川良くんも、同じように思ったのか、こちらを嘲笑しながら両手を横に広げ手の平を天に向ける、外人が呆れた時に、よくやるようなオーバーリアクションをしてきた。そう、そのムカつくポーズ、それができるのが有り得ない。
「能力は使い切ったはず!それよりもまず、両腕がなければ、能力は使えないのに!」
「順番に説明してやる。能力は確かに使い切った。昨日の分はな」
咄嗟に、川良くんの後ろにあるポール時計を見る。時刻は十一時五十七分。まだ、日を跨いではいない。なんで…?
「…!そういうことか。こんな幼稚な手に、引っかかるなんて…」
「幼稚も幼稚だな。時計を、きっかり五分遅くしただけだ。日を跨いだ時に、佳然も能力が使える感覚はあったはずだろ?気づくべきだったな」
今になって、力が戻っているのを知覚した。川良くんの言う通りだ。最後に油断した。いや、違う。最初から油断していた。あれほど、油断しないと誓ったのに。無様すぎる。
「それと、両腕がないのに能力が使えるのかだったけか?はっ!」
川良くんが、鼻で笑いながら指を弾いて鳴らした。パチンと、小気味良い音がする。息を呑む。能力を使ったのかと身構えてしまう。
「俺の能力の発動には、指を弾いて、音を鳴らさなきゃならねぇ。____そんなこと、誰が言ったんだ?」
「え…?」
「能力使うたびに鳴らしといてよかったな。勝手に勘違いする馬鹿が出てくる。鳴らしすぎて、逆に鳴らさないと落ち着かなくなったけどな」
出会った時から騙されていた。それこそ勝手に勘違いした。時間の時も同じだ、勘違いするように仕向けられた。
「俺の能力は、自分の視界、正確に言えば俺が認識できる範囲内でしか使えない。だから、俺を殺すなら不意打ちや、長距離からの狙撃とかをお勧めするぜ」
「自分から教えてくれるなんて、どういうつもり?それとも、噓を教えて惑わす気?言っとくけど、私の能力も使えるようになってるんだからね!振り出しに戻っただけなんだから!」
牽制も兼ね炎を飛ばし、 足を踏み出し川良くんの元へと駆け、蹴りを叩き込む。
そのつもりだった。
「振り出しじゃねぇ、もうあがってんだよ」
思考とは裏腹に、私の身体は膝をついていた。自分の身体が自分の身体じゃないような、まるで、糸が切れたマリオネットのように身体が動かない。心と身体が離れているみたいな感覚。
震えが止まらない。寒気もする。いや、寒気なんて、生易しいものじゃない。これは、死の気配。身体が死を恐れ反応している。死を意識した瞬間、心と身体が足並みを揃え一致した時。思い出したかのように、全身を様々な苦痛が走り狂った。
「毒…薬…⁉︎そんな…⁉︎いつ…⁉︎」
「ついさっきだよ。俺が頭を掴んだ時」
そんな記憶も、覚えもない。川良くんの能力でも、私に毒薬を飲ますことはできないはず、仮に飲まされてたとしても、それに気付かないはずがない。
「佳然、一つ教えてやるよ。俺の能力は『元に戻す』能力じゃねぇ。『なかったことにする』能力だ。微妙な違いではあるんだけどな」
そう話す、川良くんの姿も霞んで見えてくる。意識もあるのだか、ないのだかも分からない。
「この能力、我ながらチートだと思うけどな、相手に触れてる間は相手にも干渉ができる。相手の頭に触れれば触れてる間は、相手の記憶にも干渉できる。だから、触れてる間の、お前の記憶を、『なかったことにした』」
記憶?そんなことが可能なんて、あまりにもチートすぎる。
「信じられねぇって顔をしてんな。奪ってやったって言ったろ。いや、その記憶はなかったことになったのか。要は、毒薬を口の中に入れた時の記憶をなかったことにしたんだよ。いつの間にか、毒薬が口の中ってわけだ」
だとしても、口の中に違和感があれば、流石に気づく。私は、毒薬を飲んでいない。
「それでも、気づく可能性はある。吐き出されたら、お終いだ。だから、保険をかけた。口の中にある、錠剤の違和感を『なかったことにした』。正確には錠剤の触感を『なかったことにした』かな。触感がなければ、違和感はない、口の中鏡で見ない限り気づくことはないし、なんかの拍子、拳を避ける為に動いた時や、息を呑んだりした時、唾液と一緒に吞み込んだりするだろ?」
知らないうちに、毒薬を自分で飲み込んでいた。振り出しじゃない、もう、あがっていた。川良くんの勝利だ。私に、打つ手はない。もう、身体を動かすこともできない。
「最期に、遺言はあるか?罵倒でもいいぜ?甘んじて受けてやるよ」
遺言____。あぁ、死ぬんだ。苦しい。身体はもはや痛みを感じないのに、苦しいということは感じる。心が苦しいの?死ぬとどうなるの?苦しいと感じる心、思考すら失うの?怖い、怖いよ。どうなるか分からない。先が分からない。あぁ、駄目だ。この思考は駄目だ。暗い闇の中に引き込まれるような恐怖が、襲い掛かる。誰か助けて。助けて。助けてよ。
「…師匠…ゆうちゃん…きょーこ…みんな…」
みんなの顔が浮かぶ。走馬灯なのかな、これ。
「お母…さん…お…父さん…」
私が死んだら悲しむかな…。死体から、『スペシャリスト』かを見分けることができるって聞いたことがある。『スペシャリスト』だとバレちゃうのかな?嫌だ…。嫌だ嫌だ。嫌だよ…。お父さんとお母さんには、知られたくない…。嫌われたくない…。あんな眼で、見られたくない…。化物を見るような眼で…。
「い…や…!い…やだ…よぉ…!死に…たく…ないっ…、死…にたく…な…い…よぉっ…」
あぁ…。意識が、暗い闇の中に沈んでいく…。
パチンと音がした。
「カゲ、指鳴らすの上手だよね」
放課後。集間北高校の、二-Aの教室、ホームルームが終わり、みんながそれぞれの目的をもって、教室から出たり或いは居残ったりしている。
居残ったりしている中の一人、僕の親友、川良 浩影は、自分の席に座りながら、何度も指を弾いて鳴らしていた。その様子は、心ここにあらずと言った感じだ。
「あん?あぁ…、ちょっと練習をな」
本人は気づいてないだろうけど、カゲが指を無心で弾いてる時は緊張している時だ。自分の心を落ち着かせようと、無意識にしている。その原因はたぶん__。
「ゆうちゃん、しょーこと連絡ついた?」
「つかない。携帯も電源切れてるみたいだし、携帯壊れたか無くしたかしたかな?」
佳然さんの友人、印花 京子さんと萌黄 優さんの話が、後ろから聞こえる。カゲが僅かに動揺したのが分かる。僕は、佳然さんとカゲの闘いの結末は聞いていない。本人から話すまでは聞かないつもりだ。
「それでも、学校来ないのはおかしくない?あ、携帯壊れたショックで、学校休んだのかも!」
「メンタル弱すぎだろ。きょーこじゃないんだ、しょーこは、そんなことないだろ」
「そう?しょーこは色々と強いけど、意外と、脆い所あると思うけど」
「うーん…、確かにな。少し心配だし、帰り、しょーこん家、寄ってこうか?」
「おー、いこーいこー」
印花さんと萌黄さんが、談笑しながら、教室を出て行く。カゲは、そちらを見向きもしない。教室には三人が残った。カゲと僕と、僕の横にピタリとくっついて、腕を組んでいる薙の三人だ。カゲは僕たちを鬱陶しそうに横目で見てきた。
「お前らもさっさっと帰れよ。いちゃつくなら、俺の視界外でやってくれ」
「いちゃつくのに、下品な御方に命令される謂れはございません」
「うん、そうだね。残念だけどその申し出は断るよ」
「ちっ」
「カゲこそ、帰らないのかい?」
「あん?人生には黄昏る時間も必要なんだぜ?」
いつものドヤ顔で、返答された。
「こういう時、無性に斬りたくなりますね。自制するのが大変です」
僕の彼女が、殺意を必死に抑え込んでいると、廊下から誰かが歩く音がした。音はこの教室に、真っ直ぐ向かっている。
「薙、行こう」
「はい。分かりました」
僕たちは立ち上がり、椅子を持ち、教室の後ろの壁際へ移動し着席した。
「そこは出てけよ!中途半端な、気の使い方すんなよ!」
「僕らのことは気にしないで、空気だと思って」
「目立ちませんので」
廊下の足音が、教室の前で止まった。中に入るでもなく、去るわけでもなく、迷っているのか、そのままでいる。五秒ほど経ち、覚悟を決めたのか、教室の後ろのドアを、力強く掴む音がした。そして、勢いよくドアが開かれた。
そこには、制服姿の佳然さんが、五体満足で堂々と立っていた。
「やぁ」
「お元気そうですね」
挨拶を返したら、ここにいると思っていなかったのか少し面食らった顔をしている。
「空気が喋んなよ、空気が」
こちらに顔を向けずに、カゲがこちらを批難してきた。確かに、空気が喋るのはおかしい。ご忠告通り、空気に徹することにしよう。戸惑う佳然さんに、僕は、手をカゲの方へ向け、向こうへと促す。佳然さんは一瞬、やり辛そうな顔を見せたが、気を取直しカゲの方へと向かった。
カゲの横に立つ、佳然さん。カゲは佳然さんの方を見向きもしない。佳然さんはカゲに、どう声をかけていいのか迷っているみたいだ。
「川良くん?」
まだ、カゲは佳然さんの方を見ていない。
「一つだけ聞かせて、何で元に…。ううん、なかったことにしたの?」
「死にたくないって言ったろ。佳然には一日に一回、俺の力を、使う権利があるからな」
「は…?」
そんな返答が来るとは思わなかったのか、佳然さんは、口を開けたままフリーズしている。
「それが理由なわけ?」
佳然さんは呆れたように尋ねる。それもそうだ。明らかに嘘だ。けど、嘘ではあるけど、それが理由なのは間違いない。佳然さんを殺さないことができる理由は、それしかないから。
「一つだけ聞かせろって言ったろ。もう返答しただろーが」
「川良くんってさ…。はぁ…」
「話は終わったな。俺は帰る」
そう言って席を立つ、カゲ。もう用事は、済んだようだ。佳然さんの後ろを通り、僕らの前を横切る。教室を出て行く時に、横目で僕を見て余計なこと言うなよと、目で合図される。僕は頷きで返す。大丈夫。カゲの分まで、ちゃんと佳然さんに説明するよ。それが親友だしね。後でカゲに怒られるだろうけど、甘んじて受けよう。
「なんなのよ…。訳わかんない」
佳然さんは机に突っ伏してぼやいている。親友の尻拭いをするために、僕たちは椅子を持ち近づく。
「やぁ」
「お元気そうでは、ありませんね」
「えーと…、空気だったんじゃないの?」
突っ伏したまま、顔をこちらに向け、やる気の無さ気に喋った。カゲみたいなことを言う。なんだか、二人は似てるんだよね。
「カゲが、なんで佳然さんを生き返らせたか」
「教えてくれるの?本人じゃないのに?」
「カゲは、あれで、不安定だからね。自分のことを自分でも、分かっていないことがあるんだよ」
「へー。分かりあってんだね。二人は」
例の獣のような眼ではなく、冷めた眼で見られた。僕の言葉を信じてないようだ。他人が他人のことを理解するなんて、普通は思えないから無理はない。
「私と和人様の方が、分かりあっていますよ」
「ごめん。これに関しては心苦しいけど、否定させてもらうよ」
薙が、この世の終わりのような顔をしている。普段、感情をあまり表情に出さないので、なんだか新鮮だ。こういう表情も、とても可愛らしい。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの?薙が死にそうな顔してるけど…?」
「あー!違う、違うんだよ!ちゃんと理由があるんだよ!」
「理由ですか…?」
涙目の薙は、凄い可愛い。いつもないドS心が湧いてくる。じゃなかった、はやく説明しないと、本当に腹を斬りかねない。
「詳しい話は省くけど、以前、僕とカゲが、『スペシャリスト』に襲われた時があってね。その『スペシャリスト』の能力が、人間の記憶を読み取って、トラウマを延々と追体験させて精神を崩壊させるって凶悪なやつでね。それを打ち破るために、二人で同時に能力にかかったんだ。互いの記憶を混濁させて、能力を完全に発揮させずにした。他人のトラウマなら、そこまでのダメージはないからね。その時に、互いの記憶、トラウマを追体験してね、僕はカゲの人生を、カゲは僕の人生を体験した。だから、大袈裟なことを言えばさ、カゲと僕は、互いに自分よりも相手のことを理解しているんだよ」
「あぁ、そっか。だからか。黒早くんって、川良くんの嫌いなタイプだと思ってたから、仲がいいのが不思議だと思ってたんだ」
腑に落ちたという顔で言われた。なかなか、酷い言われようだ。
「うん、まぁ、そう思うのは仕方ないけどね。僕もカゲも、最初は互いに苦手だったからさ」
「ってゆーかさ…、こんな場所で、ストレートに、そんな話して大丈夫なわけ?今更だけど」
「薙がいるからね。近くに人がいれば気配で分かるし」
「真の敵は下品な御方…?やはりあの時、息の根を止めるべきでしたか…。いえ、まだ間に合います。今からでも…」
薙が呪詛を紡ぎながら、殺気をみなぎらせている。後で、フォロー入れとかなきゃ。でも、それほどまでに愛されているってことは単純に嬉しくはある。僕は幸せ者だね。
「大丈夫?その気配察知マシーン、機能しているように見えないけど…」
薙を見る。なんだか、カタカタ震えている。ドス黒いオーラも見える気がする。
「うん。大丈夫だね」
「どこが⁉︎どの辺りが⁉︎大丈夫なとこ探す方が難しいでしょ⁉︎」
「いえ、大丈夫ですよ。覚悟は決めました。あとは殺るだけです」
真っ直ぐな濁った眼で、はっきりと薙が喋る。明確な意志を感じる。
「覚悟決めんな。駄目でしょ」
完全に、こいつら駄目だという眼で佳然さんが見ている。なんだか、変な空気になってる気がする。シリアスな話をする空気じゃないな。仕切り直さなきゃ。
「そう、覚悟。カゲには覚悟がないんだ。それが、悪いことだとは、僕は思わないけれどね」
こちらの、シリアスな雰囲気を感じ取ったのか、佳然さんは聞く体勢になった。空気を読める人だ。ありがたい。
「カゲはね、女性を殺せないんだよ」
「は?私、一回殺されたんだけど」
空気を読んで損したって顔をしている。回りくどい物言いをしてしまうのは、僕の悪い癖だな。直さないと。
「あぁ、ごめん。正確には、女性に死にたくないと請われると断れないんだよ」
「ん?川良くんは、本気で殺しにきたと、思うんだけど」
「うん。カゲは、敵には本気でかかるし、殺すことも、必要なら、抵抗なくこなすことができる人間だよ。女性を敬うとか、フェミニストだとか、主義や主張ではなく、カゲは、トラウマで殺せなくなる」
「トラウマ?」
「カゲは、恋人であり、友人でもあり、家族でもあった人を、死にたくないと懇願する彼女を、自分の手で殺してしまったんだ。それは、騙され、謀われた結果だけども、カゲの心に深いトラウマとして刻まれた。だから、それを、呼び起こされる場面に出くわすと、それが、どんな状況であろうとも、罪を償うかのように、『なかったことにしてしまう』」
佳然さんは、目を閉じ黙って聞いている。目を開け一度大きな溜息をついた。
「まぁ、納得はできたからいっか」
「難儀な方ですね。自分で壊したものを、自分で直すのですか。歪んでますね。ふふっ」
薙が何だか喜んでいる。歪んだ同族を、見つけて嬉しいのだろう。うん。可愛いな。
「ちょっと川良くんに、言いたいことできたから行くね。黒早くん、教えてくれてありがとう。これで、色々と踏ん切りがついた」
「うん。それはよかった」
そう言って、佳然さんは教室を出て行った。その顔は、晴々としていて、見る者を爽やかな気持ちにさせるほどだ。なんにしても、これで佳然さんとカゲの関係も改善されたかな?
「和人様?」
「なんだい、薙?」
透き通った眼で、射抜くような視線で、こちらを薙が見てくる。一見すると、睨んでるように見えるけれど、とても愛情のこもった慈愛の眼差しだ。
「気にかかることがあるのですが。今回の殺し合い、下品な御方らしからぬと言いますか…。能力の回数を、素直に教える必要はなかったですよね。卑怯で外道で姑息で狡猾でせこい、あの方のやり口とは思えなくて」
酷い言われようだ。間違ってはいないけれど。以前に、決闘で負けたのを、根に持ってるのだろう。
「そうだね。あえて回数を教えることで相手に回数を意識させて、油断させ騙したりしたのかもしれないけど。回数を教えない方が更に油断させ騙せるしね。普段のカゲのやり方ではないね。電話でも言ったけど、カゲは佳然さんのことを気に入ってるんだよ。いや、気になっているかな?」
「恋ですか?愛ですか?」
静かに真剣な表情で、聞いてきた。その眼は、そうであれという強い意思が感じられる。
「薙には残念かもしれないけど、少し違うかな。佳然さん、カゲの死んだ恋人に似ているんだよ。カゲの記憶を通して会ったのだけれど、性格とか雰囲気がよく似てる。だから、余計にトラウマが呼び起こされてしまうんだろうね」
「なるほど。やはり、難儀な方ですね」
「うん。そうだね。カゲはそういう奴だからさ」
何だか、好き勝手に言われてる気がする。
「…カズーの奴、余計なこと、言ってねぇだろーな」
下駄箱から、靴を取り出しながら、つい口に出してしまった。まぁ、多分余計なことは言ってるんだろう。カズーはそういう奴だしな。
一応、下駄箱の中身を確認する。ラブレターは残念ながらない。戸を閉める。もう一度開ける、やはり、ラブレターはない。再度、戸を閉める。見落としがあったかもしれない。また、開ける。
「川良くん…、何してんの…?」
声のした方を向くと、こちらを残念そうに哀れんで、ドン引きしている佳然がいた。
「見て分からないか、ラブレターの確認だ」
「そう…。もしかしたら、下駄箱に危険物があるのかの確認かと思ったんだけど、そうであって、欲しかったんだけども…」
なぜか虚ろな目で、こっちを見てきた。お腹いっぱいで食べれなくて、手の中で持て余していたソフトクリームを地面に落とした時のような目をしている。別に期待してはなかったけど、惨めな状態になって、ちょっとショックみたいな。
「…私はこんなのに負けて、命乞いして生き返ったの。惨めすぎない…?」
なんか、ブツブツ言ってテンションだだ下がってる。なんなんだ、こいつ。一回死んでおかしくなったのか。可哀想に。
「何で、川良くんが、こっちを哀れんで見てんのよ‼︎」
こっちの哀れみの視線に、気づいた佳然が突然キレ出した。
「何でって…、説明したら、もっと惨めだぞ」
「だぁからぁ…‼︎はぁ…。違う、違う。こんなことを、話したいんじゃない。落ち着け、私」
「あぁ、落ち着いた方がいい。ちょっと普通じゃない。情緒不安定っぽいぞ」
「怒りを蒸し返すようなことを言うなっ‼︎少しでいいから、黙ってて!お願いだから!」
心配してやったらガチギレされた。逆らっても怖いので、ここは言う通りに黙ることにしよう。佳然は頭を抱えながら、ゆっくりと深呼吸して、気を落ち着かせている。見た目は完全に危ない奴だ。
「ふぅ…。あー、川良くん?その…、とりあえず、お礼を言っとく。ありがとう」
「はぁ?」
頭頂部が正面にくるほど、深いお辞儀をされた。つむじも綺麗だな、こいつ。
「なかったことにしてくれたこと」
「あぁそう…」
礼を言われる話じゃない。俺が、勝手に身勝手に、くだらない理由でやったことだ。むしろ、礼を言われると自己嫌悪で死にたくなる。絶対に死なないけど。
「そもそも、川良くんのせいで、あぁなったとか、約束だとか、トラウマだとか、理由はなんだっていいけど、それは別にして、今ここに、私が生きているのは川良くんのお陰だから」
「はっ、死ぬほど律儀な奴だな」
「へ?」
嫌味を言ったら、きょとんとされた。そして、可愛らしく笑い始めた。
「あははは!律儀って。ふふ。うん、まぁ、確かに私は律儀な方だと思うけど、でも、川良くんには負けると思うけどな?わざわざ、約束を守って、『なかったこと』にしてくれたんだから」
「ぐっ…!」
悪戯染みた笑みを浮かべ、こっちを挑発するように見てきた。これに関しては、なに言っても勝てないので黙っておくことにする。
「ふふ。川良くんは、律儀に約束守ってくれたんだから、私も律儀に約束を守らなきゃね。これからも、私が川良くんのことを護るよ」
護る。前にも、似たようなことを言われた。「私がカゲを護るよ」そう誓ってくれた彼女を、俺が、この手で殺した。死にたくないと言った彼女を見殺しにした。助けられたはずなのに、助けられたのに…。何の為の力だって言うんだ…。
「川良くん…?」
呼びかけに我に帰る。佳然が心配そうに、こちらを見ている。そんなマジに心配されるほど、ヒドい顔をしてたのだろうか。
「ん…。あぁと…、護るねぇ。そんじゃ、今度、佳然 翔子に襲われたら、護ってくれよ」
「ぐっ…!」
今度の嫌味は、クリティカルヒットしたようだ。呻きながら、二、三歩退がった。ざまぁみろ。
「今度は、いつ襲われんだろうな。ま、きっと、律儀に知らせてくれるとは思うけどよ。律儀な奴だしな」
「それはないから、安心してよ」
更なる嫌味で追撃しようとしたらかわされた。佳然は、真面目な顔をしている。こちらの嫌味に対して、嫌味で返したわけではなさそうだ。
「急に心変わりしました、なんて言われても、普通は信じられないと思うけどな」
「それほどのことをしたからね。すぐに信用してもらえるとは思ってない。特に川良くんは、信用を質屋に入れたままの人間だしね」
どんな人間だ、それは。あながち間違いじゃないけど。
「色々と理由はあるけど、単純と言えば単純な話。私が負けたんだから、勝者には従わないとねって話」
なるほど確かに単純だ。そして分かりやすい。勝者に従う、敗者はつまりは絶対服従。となると…。
「あ、ちなみに、絶対服従とかじゃないから。エロいこととかしないからね。あくまでも協力関係だから」
「当たり前だろうが。真面目な話の時に何言ってんだ。空気を読め」
「え…?あ…、ごめん。そうだよね。流石に、川良くんでも、そんなこと言わないよね。そんなこと言ったら、ドン引きものの変態だし」
至極真面目な顔をして返したら、佳然が申し訳なさそうに謝ってきた。その顔は、心底意外だという感情を隠しきれていない。佳然は相変わらず、ポーカーフェースが下手くそだな。俺を見習うがいい。しかし、危なかった。後、少しでも遅ければ口に出していたところだ。
「もちろん、これは私の勝手な提案だから、川良くんは断ってくれてもいい。今回の件については迷惑をかけたから、償いはする。できることはするよ。私と関わりたくないなら、そうするし…、んと…」
急に歯切れが悪くなった。少し、うつむいて、視線を外している。マジで情緒不安定なんじゃなかろうか。
「その…、えっと…、さっきは、ああ言ったけど、川良くんが、どうしても、その…、エ…エロいことを望むんだったら、内容にもよるけど、善処はしようかと…」
唇を噛み、顔を真っ赤にして悔しそうに絞り出すように話す。まるで、親を人質に取られ、無理やり言わされてるみたいだ。そこまで嫌なら、言わなきゃいいだろうに。この状況が既にエロいことな気がしないでもない。
「内容にもよるって、どこまでならオッケーなんだよ?」
「え⁉︎ど、どこまでって…⁉︎」
エロいことを望む気なんてサラサラないが、この女のエロの許容範囲がどの程度か、単純に興味はある。あと、からかいたいだけだ。
「色々あるだろ、色々と。具体例を言えよ」
「ぐ、具体例…。えっと…、お、お尻とか、胸とか触ったりとか?」
小学生か。命を狙われた対価としては安すぎる。それでも、当人には苦渋の決断なのが、表情に表れている。もう少しいたぶるか。
「ヘソは?」
「は?」
「ヘソを堪能していいのかと聞いている」
「お、おヘソ?おヘソくらいなら、いいけど…」
「ほんとにか?想像してみろよ、自分がヘソを嬲られてるとこを」
「嬲られ、って…」
目を瞑り、ちゃんと想像してるようだ。ここは、その想像を手助けしてやろう。
「服をめくり、その程よく、くびれ引き締まったお腹にあるヘソを、まず淵をなぞり堪能し、ヘソの中を舌で味わう」
「舌ぁっ⁉︎それはちょっと!」
「堪能つったら、舌は必須だろうが」
「必須なの⁉︎ごめん、それは私にはレベルが高すぎて無理だわ…」
佳然が、至上最高レベルでドン引きしている。言い訳ではないけど、俺はヘソフェチではない。
「その程度の覚悟なら、そんなこと言い出すなって話だ」
これが言いたいが為に、敢えて変態めいたことを言ってただけにすぎない。しつこいようだが、ヘソフェチではない。
「あ、うん…。川良くんが、そこまでの変態とは思わなかったよ。軽率だったね、悪魔に魂を売るところだったよ」
そこまでのことか。佳然の中で俺が、ヘソフェチのど変態になっている気がするが、誤解を解くのも面倒なのでスルーすることにする。
「まぁ、襲ってこないならそれでいい。償いなんてのは必要ないし、お互い様だろ。護ってくれるだけで十分だ。俺は弱いから、誰かに護ってもらわなきゃな」
「でもいいの?できることはするけど」
しつこい奴だ。俺がどうということより、自分が納得できないのだろう。自身に、何らかの罰を与えなくては気がすまない。その気持ちは分からなくもない。なら、適当な罰でも、与えてやればいいのだけれど、それをやるのも何か癪なのでやりはしない。
「まぁ、既に結構なもんを貰ったからな。それでイーブンってことで」
佳然は、頭上にハテナマークが、浮かんでそうな顔をしている。それもそうだろ。佳然は、あの時の記憶がないからな。下手したら、殺されるようなことかもしれないし。初めての可能性もあったしな。まぁ、『なかったこと』になったけど。
なんだかんだで、長い間、学校にいたせいで日も暗くなってきた。模範的な優良生徒としては、早く帰宅しなければならない。靴を履き、帰ることにしよう。
「川良くん!」
背中越しに、声をかけられた。俺はもう帰る気分が満々なので、これ以上会話したくもないし、振り返らず立ち止まることで、返事をすることにした。
「この約束は絶対だから、『なかったこと』にはしないから!」
それは佳然の、約束は破らないという決意表明なのだろう。それと同時に、俺に対しても約束を違えるなと忠告している。顔は見れないし、見る気もないが、今、佳然は、挑戦的で不敵な笑みを浮かべているのが容易に想像できる。俺は、返事も何も反応せずに歩みを再開し、家へ帰る。佳然は約束を破らないだろう。
けれど、俺が破らないとは確約できない。
「これで、丸く収まったってことかな」
次の日、授業が始まる前の朝、教室で各々が時間を潰していると、カズーが突然そんなことを言い始めた。
「なーにを、したり顔で勝手にまとめてんだ」
「今回のことは、黒早くんに世話にはなったけど、そーやって、簡単にまとめられると、ちょっと複雑な気分になるね」
近くにいた佳然がカズーに咎めるような視線を送る。その佳然を咎めるように払切が視線を送る。なんだこれ。こいつら、仲良い時は仲良いのに、急に殺伐な雰囲気になるのは止めてほしい。周りの人間も気を使うだろうが。
「なになにー、何の話ー?」
剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、佳然の友達が二人、こちらの輪に加わってきた。あの空気に割って入るなんて凄い蛮勇だな。友人の危機だからだろうか。いや、萌黄の方は、まだしも、印花は見る限り、何も考えてなさそうだからそんなことはないか。
「んー。私と川良くんが、ちょっと喧嘩って言うか、揉めてね。それを黒早くんが取り成してくれたって話」
嘘は言ってないな。あれは喧嘩なんて、レベルの話じゃねぇけどな。
「解決したのか?」
「あ、うん。した。大丈夫」
「そうなのか」
萌黄は佳然と話しながらも、眼では俺を探るように見ている。どうにも、この女は苦手だ。いつも、俺を見る眼が天敵を見るような眼をしている。
「なんだよ?」
「別に」
切れ長の眼で、こちらを冷ややかに見ている。こちらも負けずに睨み返す。萌黄の眼が更に細まり、鋭利になる。ピリピリとした空気になってきた。
「うんうん、仲直りしたんだね。喧嘩は駄目だもんね。みんな仲良くが一番」
印花が頷きながら、満足そうにしている。その、ふわふわした感じのオーラに圧され、俺も萌黄も、毒気を抜かれた。狙ってやってんのか?いまいち掴めない奴だ。
「印花さんは、良いことを言いますね。その通りだと思います」
どの口が言うんだ、と俺と佳然は払切を見据える。当の本人は、どこ吹く風という感じだ。
「うん、そうだね。とりあえず、平穏無事で終わって、良かったよ」
カズーが肩の荷が下りたといったように、ため息混じりに言う。カズーはカズーなりに、苦労してたみたいだな。
「ま、これで俺の野望に一歩近づいたな」
「野望?」
「そう!俺の、崇高なる野望!」
周りの人間が、各々の興味値でこちらを見てきた。クラス中からも注目されている。これが、溢れ出るカリスマというやつだな。意識せずとも人を魅了するとは、罪作りな男だ。
「ハーレムキングになるという、俺の野望がな!」
「はぁ?」
佳然だけが反応した。他の奴らは、また例の発作か。みたいな反応で、完全に、こちらへの興味を失っていた。いや、カズーはニコニコと微笑を浮かべている。なんか、腹立つ微笑だけど。
「既に俺は、二人落としたからな!これから、どんどん落としていくぜ!」
「ちょっと待って!それ、私カウントしてないでしょうね⁉︎」
「二人…。私も、数に入ってはいませんよね。確かに、穴には落とされましたが、これは最大限の侮辱ですね。怒りで憤死しそうです」
佳然は、こちらに掴みかかる勢いで。払切は、見た感じは静かで、動じていないように見えるが殺気が滲み溢れている。動と静の殺意が、俺を呑み込もうとしている。
「ハーレムねぇ…」
カズーが、意味ありげな微笑を浮かべている。カズーには、どうせ、俺の野望の真意とかも、見抜かれてんだろう。無視をしよう。気を利かせて、向こうも無視してくれるだろう。そこらへんは、できる男だ。
「おー、でっかい夢だねー。夢はでっかくだ。あ!でも、私は、ハーレムの一員には入れないでよ。今、狙ってる人がいるからね、余計な噂はノーセンキュー」
印花は指を立てて、子供に言い聞かせるように、俺に話してきた。馬鹿にされてるんだろうか。ただのアホなのか、掴み所がないので分かりかねる。なんとなく、苦手なタイプだ。御しきれないというか。そもそもが印花はハーレムの一員になる資格はない。見た目は、可愛いんだろうけどな。
「きょーこ。そんな、くだらないことに、いちいち反応しなくていいから」
最初に、一番反応していた、佳然さんからのありがたいお言葉だ。その思いを込めた視線をぶつけてみたら僅かにたじろいた。
「言っとくけど、俺は大真面目だからな」
「くだらなさが増したな」
萌黄が、こちらを見ようともせず、すかさず批判しやがった。こいつに言われると余計にムカつくな。
「俺は、ハーレム帝国を築き静かに平穏に暮らすんだよ」
「そうだね。カゲが願うのは、それだよね」
「静かに平穏に、か…」
佳然が、少し寂しそうに、呟くように言う。それも一瞬、すぐに表情を切り替え、キリッとした顔になる。なんだか男らしいな。
「ハーレム、云々は置いといて、協力する約束したしね。実現させてあげるよ」
マジで男らしいな。格好いいじゃねぇか。少しトキめいたろうが。
「ハーレム云々に関しては、絶望的な気がしますが。下品な御方に堕とされる、女性の方などいないでしょうから。お一人を除いては」
「だから、私は落とされてないってば!」
「おや?私、翔子さんとは一言も言ってはいませんよ。御自覚がお有りなようですね」
「話の流れ的に、そーゆーことになるでしょ!」
「えっと?しょーこが、川良くんのことを落としたってこと?」
「ちがーう!きょーこは、ややこしくなるから、この会話に参加しないで!」
「しょーこ。あれは流石に、趣味が悪いと思うな。やめといた方がいい」
「ゆうちゃんも、参加しなくていいから!だからなんで、私が川良くんに、好意がある前提で話が進んでんのよ!」
「え?なになに?恋話ー?」
「あーもう!どんどん参加するなー!」
流石の人気者、佳然様だな。他の女共も参加し始めた。喧しいこと、この上ない。女、三人寄らば姦しい、とは言うが、もはや、三人どころの話じゃない。姦しいの漢字が何個も必要になりそうだ。
呆れた顔で、姦し集団を眺めていたら、隣には楽しそうに様子を見守る、カズーがいた。カズーは、こちらに向かって優しげな表情を浮かべている。
「カゲの野望が、叶うことを祈ってるよ」
それは心からの言葉なのだろう。その想いが伝わるくらいに、真っ直ぐにこちらの心に入ってきた。
「今は、静かで平穏な生活から、大分かけ離れてるけどな」
「そう?これも静かで平穏な生活の、一部だと思うけど?」
「そう…かもな」
今は、この静かで平穏な生活を、大いに堪能することにしよう。
川良 紘影は、夢を見る。悪夢を見る。過去の記憶を見る。
毎日、その悪夢を見るわけではない。いっその事、毎日見れば、その悪夢にも慣れるだろうが、その悪夢は、彼がそれを忘れかけると、忘れるなと戒めのように現れる。仮に毎日、悪夢を見ることになれば、慣れる前に彼の心は、壊れる可能性が高いのだろうが。
悪夢の結末は、最悪だ。罪に苛まれ、罰を受けたいと請うようになる。だがしかし、悪夢の中にも、幸せな記憶はある。仲間の記憶。夢を語り合った記憶。
一人は、「夢などない、今生きるので大変だ」と、言った。一人は「神だよ。『スペシャリスト』は神になれるんだ」と、言った。一人は「ハーレム。『スペシャリスト』が静かに平穏で暮らせる場所を作りたい」と、言った。その一人はハーレムの意味を、部外者が立ち入りできない、不可侵の領域だと間違えて覚えている。その言葉に二人は、それぞれ感銘を受けた。一人は、静かに平穏で暮らせる場所という言葉に。一人は、『スペシャリスト』のハーレムという言葉に。それを叶えたいと、三人は願い、三者三様の想いで、実現しようと努力した。
その結果が、仲間同士での殺し合い。一人は死に、もう一人とは袂を分けた。それは『なかったこと』にはできない過去。彼に残ったのは、静かに平穏で暮らす場所を作るということだけだった。悪夢はそれを急かすように、お前の罪に対する罰だと言わんばかりに彼の心を縛り苛む。
いつもの悪夢、慣れる気配はない。いつものように、彼は彼女を殺し後悔する。そして、殺した彼女の幻影が彼を非難し責め立てる。彼女は、そんなことをする人ではないと理解しているのに、幻影であろうと、それでも彼の心は傷つき血を流す。
けれど、今回の悪夢は少し違っていた。悪夢の最後、目覚める瞬間に何人かの人間の姿が見えた。それは、人生を共有した親友であったり、俺の保護者代わりの軽い男、人を斬ることが好きな大和撫子、フードを被り何でも見通す陰気な女、クラスメートの人間たち、近所に住んでいる親切で陽気な人たちなど、彼が最初に仲間を失って以降に出会った人たち。最後に、どこか彼女に似ている、全てを焼失する炎を持つツインテールの少女が見えたところで、彼は目を覚ました。
必要最低限の物しか置いていない、アパートの一室で彼はベッドから、転げ落ちていた。悪夢は見た日は、必ずベッドから転げ落ちる。いつものことだ。ただ、今日はいつもとは違う。悪夢の最後に見たもの。あれは何だったのか。
「あー…?なんだよ、ちっくしょぅ…」
起き抜けの頭では思考が鈍いのか、しばらく、ベッドから転げ落ちた状態のまま、低く唸っている。この状態で、先程の夢のことを考えているのだろう。時間が経過すると、顔の表情が目まぐるしく変わっていく。最終的には、苦虫を噛み潰した顔になった。
「あー…。これはあれか。心の奥底じゃ、あの悪夢から逃れたくて、あいつらに、助けを求めてるってやつか?」
皮肉げな、歪んだ笑みを浮かべる。すぐに、不機嫌な表情に戻り、立ち上がり右手を横に出し、パチンと指を鳴らした。
「『なかったこと』に…。するのも馬鹿らしいし、無駄遣いしてもな」
横に出した右手で、頭を掻きながら、深く嘆息して、俯く。
「ったく…、ざまぁねぇな」
彼は、これからも悪夢を見るだろう。ただ、ほんの少し、眠りにつく前に感じる、不安や恐れが、少し抑えられていたように感じられた。