三話 一瞬の油断さえ 命取り
あれから、数日は何も起きなかった。起きさせないようにしたからだ。やはり、払切は人目の多い場所では仕掛けてこない。あの、イカれた殺人撫子にも、倫理的なルールがあるようだ。同族(人間)に迷惑はかけない。俺も立派な人間だと声高に主張したいが、払切には通じないだろう。
なので、俺と佳然は人混みに紛れ、けして路地裏に入らず学校に行き、同じようにして、家に帰った。何のことはない、普通のことだ。佳然の両親は、『スペシャリスト』ではなく、人間なので払切が襲撃することはないし、俺は訳あって独り暮らしなので、カズーの家に泊まるようにしていた。なんなら、自分の家より快適だ。というか、今までも、自分の家よりカズーの家にいる方が多い気もする。
これで払切が諦める。とは、思わなかったが、もしかしたらの淡い期待はなくもなかったが、案の定、払切は諦めはしなかった。いついかなる時も、隠そうともせず殺気を孕んだ視線を注いできた。これには、俺も佳然も、神経をジワジワと削られることになる。その上、嫌がらせなのか、同じ手段でラブレターを装い、俺を廃墟とかに連れ出そうとしてきた。そんなもんに、二度も引っ掛かる俺ではない。なのにも関わらず、周りの奴らが念押しで、俺へと忠告してきたことに余計に神経が衰弱した。そんなに信用がないのか。
このまま、ほっとくというのも一つの手ではあるが、こちらの神経がイカれてしまう。ここは男らしく、正々堂々と果たし状を書いてケリをつけることにした。
四日後の、十一時半に教室で待つ。そんな感じの内容の手紙を、高橋くん経由で渡した。払切からのラブレターもどきも、高橋くん経由で何通か貰っていたので、高橋くんからしてみたら、遂にラブレターに返事を書いたように思っただろう。高橋くんの中では、俺は生粋の伊達男、カズーに続くモテ野郎となっている。俺を羨望の眼差しで見ている。誤解を解くのも面倒だし、青少年の夢を壊すのも忍びないので、誤解されたままにしておこう。
「これが、モテる男の辛さと言うやつか」
「黒早くん、川良くんの頭がおかしいんだけど」
「いつものことだよ。時折ある発作みたいなもんだよ」
「絆創膏いる?」
散々な言われようだ。今、俺がいるのはカズーの家にある、以前怪我を治療した畳の部屋。そこに、でかめのちゃぶ台が置いてあり、俺と家主であるカーズ。その従者のリノさん。人を頭おかしい呼ばわりした頭おかしい女、佳然 翔子がいる。
払切 薙との決闘においての作戦会議、まっただ中である。
「あと四日。私たちが闘うにしても、それまでに対策を考えないとね。薙は強い。相討ち覚悟なら勝てるかもしれないけど」
「じゃあ、それで」
「承諾するわけないでしょーが、ばーか」
自分で淹れた茶をすすりながら、こちらを見ずに悪態をついてきやがった。承諾しないなら言うんじゃねぇよ。
なんだかんだで、佳然も勝手したる他人の家状態になっている。ここ最近は、払切の問題をどうするか話し合いをしていて、カーズの家に入り浸っていたからだ。佳然が俺の家に行くのを嫌がり、俺が佳然の家に来るのも嫌がり、そこらのファミレスとかでは話せるような話ではないこともあり、必然的に、ここになったというわけだ。
ちゃぶ台には人数分のお茶と、お茶請けで羊羮が置いてある。佳然が持ってきたものだ。佳然は場所を提供してもらった代価と言っていたが、たぶん、自分が食べたかっただけだろう。お茶も、みんなの分を淹れてくれた手前、口には出さないが。本来、お茶を淹れる仕事をせねばならない人は、羊羮が気に入ったのかもくもくと食べている。無表情で。メイドが、和室で、日本茶と、羊羮を食べる図はシュール以外の何物でもない。
「対策練るって言っても、思いつかないね」
「佳然って、頭良くなかったか?気のせいだったか」
「人のこと遠回しに、馬鹿にしないでよね。川良くんだって、何も意見出してないでしょ」
「意見くらいなら、馬鹿である俺でも出せるぜ」
「だーかーらー、遠回しに馬鹿にすんな」
俺的には、直接的に馬鹿にしたつもりなんだが通じなかったようだ。
「まずはだ。四日間以内に払切を見つけ、油断してるようなら、奇襲をかける。住み処が見つかったなら、罠や精神的に苦痛を与えるために、嫌がらせをする。他には」
「ちょい、ちょい!ちょっと待って!ストーップ!ストーップ!」
御丁寧に手でバツの形を作り、佳然は俺の発言を遮った。自分に言われたのかと思ったのか、メイドの羊羮を食す手が止まる。相変わらず無表情ではあるが、僅かに目が見開いている。無表情のリノさんがここまで感情を露にするとは、よほど羊羮が気に入ったようだ。待てと言われた、犬みたいだな。
「あ、リノさんじゃないですから。どうぞ食べてください」
リノさんの様子に、佳然も気づいてたようだ。そう言われてメイドは、羊羮を食べるのを再開した。なんとなく、嬉しそうにも見える。尻尾あったらブンブン振れてるんじゃないだろうか。
「川良くん。正々堂々の意味を知ってる?漢字も分かる?」
さっきの仕返しなのか、遠回しに馬鹿にしてきやがった。いや、直接的か?
「字面のままの意味だ」
「うん。正解。じゃあ、騙し討ちとか奇襲とか嫌がらせは、正々堂々かな?」
「正々堂々ではないな。まったくもって。悪逆非道だ」
「…。黒早くん、川良くんって、最近、頭でも打ったの?」
失礼な女だ。この俺の、神に選ばれし脳細胞を馬鹿にするとは。仕方ない、説明してやるか。
「まったく…。カズー言ってやれ」
「えぇ?僕が言うの?そりゃあ、カゲの言いたいことは、分かるけどさ」
流石はカズー。以心伝心だな。その俺たちの様子を、佳然は澄まし顔で見ているが、瞳の奥に渦巻く炎が隠しきれていなかった。恐怖である。
「えぇっと。簡単に言うとね、カゲは正々堂々であり卑怯で下劣なんだよ」
うむ。間違ってはいない。けれど、卑怯で下劣って。他に言い方があるんじゃないか。
「卑怯で下劣ってのは分かるけど、正々堂々と矛盾してない?」
そこは分かるのか。素直に受け入れるな。
「正々堂々と果たし状を出した時点で、カゲの正々堂々タイムは終わって、卑怯で下劣タイムが始まってるってこと。それはそれ、これはこれといった感じで、その二つに関係性はないんだよ、カゲの中では」
「それって…。コンビニに置いてある、募金箱にお金を入れた後に、その募金箱ごと奪っていった奴を募金をする心優しき人間って、言ってるようなもんじゃない」
中々に面白い例えだが、間違っている。募金箱を奪うなら、ついでに、コンビニ強盗をするような男が、俺だ。見くびってもらっては困る。実際には、リスクが高いので絶対にしないけれども。
「佳然。これはスポーツじゃない。殺しあいだ。勝たなきゃ死ぬんだ。卑怯なんて言ってる場合じゃないんだよ」
「そのくらいは私だって理解してる。私が非難したいのは、川良くんの中途半端さなの」
「中途半端だ?」
何が言いたいんだ、この女は。
「正々堂々と、果たし状を送る。それはいいの、相手を油断するための作戦なら。ただ、それをなんで私たちにも言ったの?『正々堂々と果たし状を送った』って。後でそれは、嘘だとも言ってないよね?だから、私は川良くんにしては珍しく、正々堂々と勝負するのかと思ったの、私もそっちの方が好きだしね。けど、実際は違った。私は卑怯なことは好きじゃない、でもやらないわけじゃない、私の平穏な生活を護るためなら、私は外道に落ちる覚悟はしている。川良くんのやることは、卑怯で下劣だけど私は信頼している。それが効果的であるってことを。でも、川良くんは、私のことを信頼していない。お互いに相容れない所はあるけど、私たちはパートナーなんだから、信頼しあわなきゃ駄目だよ」
信頼?馬鹿馬鹿しい。利用しあってる仲に、信頼なんてあるわけがない。
「つまり、何が言いたいんだ?」
「卑怯なことやるんだったら、言い訳しないでやれってこと」
「言い訳って」
「分からない?募金箱にお金を入れないで、やるんだったら、コンビニ強盗ぐらいしろってこと」
「ぐっ…!?」
「ふふっ。佳然さんに一本取られたね。凄くカゲのことを、理解してると思うよ」
カズーの奴が嬉しそうに笑っている。佳然の方は真剣な表情だ。相手を言い負かした優越感など、微塵も感じさせてない。
「オッケー、オッケー。分かったよ。とことんやってやるよ。この俺の本気を見て、ドン引くんじゃねぇぞ!」」
ここまで挑発されたら、やらないわけにはいかない。流石に酷いかと思って、止めたプランを見せてやる。
「いいか、よく聞け!」
俺は詳細に事細かに、プランを説明した。その結果が、全員ドン引きだったのは言うまでもないことだった。ざまぁみやがれ。
目が開きました。他人事のように言うのは、半ば、自分の意思ではないからです。自らの領域に何者かが浸入すると、反射的に目が覚めるように身体がなっているのです。
即座に状況確認をします。ここは集間市の外れにある、寂れたビジネスホテルの一室。部屋の様子に、変化はありません。ワンルームで家具なども必要最低限な物しかないので、確認はすぐに済みます。この気配は部屋の外、廊下ですね。このビジネスホテルに、私以外の客はいません。なぜならば、私がこの部屋を借りた時に店主の方が、一年ぶりのお客と仰っていました。ならば、この気配は。店主の方でしょうか?それは考えにくいです。一切構わなくて結構ですと、伝えていますし、失礼ですが勤勉な方には見えませんでした。
考えられるのは、新たな宿泊客。可能性は限りなく低いですが。このビジネスホテルの近くにも、同じようにビジネスホテルはあり、ここより綺麗で安い。わざわざ、ここに泊まる必要性は低いです。
では、次に考えられるのは、刺客。あの下品な御方は、かなりの切れ者。こちらの居場所を掴んでいても、何ら不思議ではありません。正々堂々と、果たし状を送り付けてきたからと言って、こちらに何もしないとは限らない。何らかしらの妨害や罠などを仕掛けてくる可能性は大いにあります。
私はゆっくりと立ちあがり、傍に置いてあった刀を取り、音をたてずに扉へと近寄ります。
気配は扉のすぐ近く、こちらから奇襲をかけれる位置です。相手は気配を抑える気もないようです。素人?いえ油断は禁物。誘われているのかもしれません。
相手の正体が分からないことには、殺すことはできません。『スペシャリスト』ならば問題はないのですが、人間であった場合は殺さずに対処しなくてはなりません。あの下品な御方のことです、私が人間を殺さないことに感づき、人間の刺客を差し向けることは、大いに考えられます。
ですが、殺すことはできなくとも、無力化することは可能であり、自らの規律のラインを越えてはいません。
声には出さず、心の中で「ふぅ」と息をつきます。心を落ち着かせ、最善で最速の動きができるように整えます。
______。
扉を蹴破るように開き、廊下にいる浸入者へと向かいます。運よく、相手にとっては運悪くでしょうが、後ろを向いています。大したことはない、そう確信しました。とりあえず動きを止め、相手の目的を聞き出すことにしましょう。
扉の音に気づき、相手が振り向くのと同時に、相手の肩を掴み、引き寄せながら脚を払います。
「うわっ!?」
綺麗なまでに相手が宙を舞いました。弱い、弱すぎます。この時点で刺客ではなく、ただの一般人なのでは?という考えが強まりましたが、まぁ、ここまでしてしまったら、今さら感はありますので、止めずにいかせてもらいましょう。相手の肩を極めつつ、地面へと叩きつけます。
「ひぎゃ!?」
蛙が潰れたような声がしました。死んでませんよね?
「目的はなんですか?」
「ま、待って!こっちに敵意はないよ!」
敵意はない。その言葉を信じるほど、私は馬鹿ではありません。とりあえず、腕の一本でも折っておきましょう。
「あ!とりあえず、腕の一本でも折っておこうとか思ってない!?良くないよ、そういうの!?」
思っていたことを当てられ、少し相手に興味が湧きました。どのような人物かと、改めて相手を認識し観察します。
「!」
恋に落ちる時、よく雷に打たれたかのような衝撃と言いますが、実際、雷に打たれたことがないので、いまいちどの程度の衝撃かが分かりません。
ですが、この衝撃は、正しく雷に打たれたかのよう。身体を稲妻が走るかのように、エネルギーの奔流が暴れまくります。つまり、私はこの浸入者に、恋をしてしまったのです。
整った顔立ちでありながら、愛嬌もあり知性も感じます。少し癖っ毛のある明るい髪は、シルクのような手触り。そして何よりも、私的に好感度が高いのは高すぎない背丈です。私が平均よりも、些か身長が低いこともあり、あまり背丈の高い殿方は、好きではありません。彼は私が思い描いていた、運命の人そのもの。恋に落ちるのは自然なこと、それこそ運命なのでしょう。
「あの…?離してくれると、嬉しいのだけど」
「いえ、絶対に離しません。一生付き添います」
「うん。そうだね、肩が壊れないなら、それもいいけど」
肩を極めていたことを忘れていました。驚異はないですし、外しましょう。少しでも、印象を良くしなくてはいけません。
「ありがとう。これで一安心だ」
はにかんだ笑顔に、心臓がドキリとしました。恋は盲目と言います、いくらなんでも言い過ぎではと思っていましたが、当事者になった今、この言葉を実感します。盲目と言うより妄信、全ての行動が愛しく、彼のためならば何でもできるとすら思えます。
「えっと…。払切 薙さん」
「薙と呼んでください。さん付けはいりません。貴方のお名前は?」
「僕は黒早 和人」
名前すら美しい。名は体を、いや、体は名を表すとはこのことです。冷静に考えれば、ありふれた名前かもしれませんが、冷静になれないのが恋というもの。
「薙。僕は君に伝えなくてはならないことがあるんだ」
伝えなくてはならないこと。それはまさか、愛の告白では。いえいえ、恋という病にかかり正常な思考ができないとはいえ、流石にそれは夢見がちです。彼と出会ったのは、つい先程。愛の告白に至るには、時間が短すぎます。ですが、相手の立場になってみてはどうでしょうか。出会った時間は同じ、つい先程出会った人間に愛の告白をするか___。
しますね。余裕でしますね。なんでしたら、先程のやり取りで愛の告白めいたことを言っていましたし。これは、もしやすると、もしやするかもしれません。
「僕は川良 紘影の親友なんだ」
その名前は聞き覚えがあるより、書き覚えや見覚えがあります。予想はできていたはず、可能性としては一番高い。けれども、ショックを隠しきれません。この事実を受け入れにくい。明確に別れたのです。敵と味方に。まるで、ロミオとジュリエット。こう言いいますと、ロマンチックに聞こえますが、当事者にとってはロマンチックではありませんし、ただただ、苦行なだけです。
「つまりは、敵と言うことですね」
「いや、待って。敵意はないと言ったでしょ」
はて、どういうことでしょう?
「僕はカゲから、君を騙してこいと言われたんだ。無害なフリをして君の情報を得るためにね」
なるほど。流石は下品な御方、下劣な作戦です。
「ですが、その企みを言っては、元も子もないのでは?」
「いいんだ。僕はカゲを、裏切ることにしたから」
裏切る。下品な御方は人望があるようには見受けられませんでしたが。それにしたって、理由が分かりません。
「何故ですか?親友なのでしょう?和人様は、親友を簡単に裏切るような御方には見えませんが」
「うん。僕もできることなら、カゲを裏切りたくはないさ。でも、そうせざるおえない理由ができたんだ」
一拍置くと、和人様はこちらの眼をしっかりと見つめ、真剣な表情をしています。そして、忘れることのできない一言を言ったのです。
「僕は君に恋をしたんだ」
適当なビルの屋上に立ち、カズーと払切 薙がいるホテルを見ていた。中の様子を伺えるわけでもないが、何かが起こった時に即座に対処できるように監視しているわけだ。即座に対処するならばわざわざ屋上にいなくとも、ホテルの下とかで待機するべきなので、監視という名目でちょっとしてみたい格好いいシチュエーションをしているだけではある。
「黒早くん。無事だといいけど」
俺の後ろで、佳然が心配そうに呟いた。その表情は暗い。
「カズーは、たいていのことはできる。失敗するわけがない」
だからこそ、無駄に屋上で風を感じているわけだ。カズーに対しての信頼度が、俺と佳然では違うのだろう。
「黒早くんも可哀想に。こんなことやらされるなんて」
「やれって言ったのは、佳然だろーが」
間接的には佳然のせいだ。ゴーサインを出した奴が悪い。
「そうだけど…。まさか、あんな下衆な作戦だなんて」
下衆な作戦。いたってシンブルだ。カーズが払切に取り入りスパイし、払切の情報を得る。それどころか、籠絡し無力化、あるいは隙を作り暗殺するといった作戦だ。
「普通、親友にそんなことさせないと思うけど」
「何言ってんだ。カズーに惚れない女なんていないぞ。成功率は高い」
「いや、成功率云々の話じゃなくて。道徳的な話なんだけど」
「道徳?ナニソレオイシイノ?」
軽いジョークを返したら、ゴミを見るような目で見られた。中々に刺激的だ。
「まぁ、でも確かに成功はしそうだけど。黒早くん、超人めいてるし。天上人って感じ?」
「はっ!カズーはああ見えて、結構な俗物だぜ」
「嘘だー。川良くんが、黒早くんの評判下げようとしたいだけでしょ」
アイドルはトイレに行きませんという、幻想を信じているファンか。
「あいつの好みのタイプとか、だいぶ俗っぽいぜ」
「へー?好みのタイプとかあるんだ?」
「そりゃあんだろ。何だと思ってんだ」
「仙人とか」
仙人って。霞だけ食って生きる変人並に、俗世間から縁遠いと思っているのか。確かに、そう思われる傾向にはあるけどな。それがカズーの不幸ではある。
「あいつの好みはな、ボブの艶やかな黒髪で、清楚な佇まいで礼儀正しい、大和撫子な感じで、かつ巨乳で背は低く、どこかふっ切れた要素を持っている奴だ。なんと欲にまみれた奴なんだ。親友ながら引くね」
「…」
佳然が、口を半開きで固まっている。そこまで、ショックだったのだろうか。いや、学園のアイドルが、そんな俗物だったなら、無理からぬことかもしれない。この情報が、佳然から学校へ伝われば、ちょっとしたパンデモニウムが起きかねない。
「…川良くん。一旦冷静になって」
妙なことを言う。俺は常に冷静だ。まぁ、今は屋上にいて少々興奮しているが。
「…。冷静になったなら、さっき言ってたことを、一つずつ理解していって」
「…。ん?あれ?いや?ちょっと待て?んー?これって?」
嫌な予感がビジバシする。いやしかし、だからと言って。頭が混乱している。
そんな俺の状況を、打破するかのように、屋上の扉が勢いよく開けられる。そこには眩しい笑顔のカズーが立っていた。
「カゲ!上手くいったよ!」
サムズアップまでしている。ここまでテンション高い、カズーは中々にレアだ。しかし、上手くいったと言うことは、流石のカズー様だ。見事に相手を籠絡させたわけだ。
カズーが逆に籠絡されたかと、いらぬ心配をしてしまった。そんなことあるわけがないのに。成功の結果を聞こうと、カズーの元へ近づこうとしたら、カズーの背後に何かが見えた気がした。カズーがサムズアップした状態で横にずれると、隠れていたものが見えるようになる。
「こんにちわ。翔子さん。下品な御方」
『ぎゃあぁぁぁぁっっ!?』
俺と佳然は、化け物に出会ったかのように思わず叫んでしまった。
「人の顔を見て、悲鳴をあげることはないじゃないですか」
「こっちは、軽いトラウマになってんだよ!ボケナスが!!」
俺の隣で佳然も、首を縦に何回も振っている。流石の佳然も、トラウマになっているようだ。
「カズーぅっ…!!」
地獄の亡者のごとき、声を発しながらカズーに詰め寄る。
「カゲ!上手くいったよ!」
先程と同じポーズと、同じ言葉を告げられた。洗脳でもされてるのかと思うほどに不気味だ。そもそも、何が上手くいったというのだろうか。
「彼女ができました!」
満面の笑顔で言われた。何を言っているんだ、こいつは。いつだったか、俺を裏切るなら死を選ぶと言ってた奴とは思えない。あの時、密かに感動していた、俺の気持ちを返して欲しい。
「カズー…!裏切ったな!お前…!お前!俺より先に、彼女を作るなんてっ!!」
「そこじゃないでしょ!!」
佳然が、すかさずツッコミをいれてきた。中々に鋭く早いツッコミだ。
「くそっ…!!友情より愛か…!!愛なのか!俺も愛が欲しい!!」
「せいっ!」
脳天から下へ衝撃が駆け抜け、顔面が地面へ高速で突撃した。
「川良くん。そんなのは後。冷静になれ」
俺の頭に足を乗せて、佳然は命令してきた。背後からの一撃だったので、うつ伏せの状態では、佳然のスカートの中を覗くのは物理的に不可能になる。どうせ、中身はいつものごとくスパッツだろうが、見えるものは見るのが俺の信条。
「冷静になったから、足をどけろ」
頭が軽くなる。俺は、自身のできる限り最速の動きで、振り返った。しかし、佳然も手練れ。俺の行動を予測していたようで、バックステップで飛び退いていた。
「ちっ!やるじゃねぇか」
「川良くんの、冷静の基準ぶっ壊れてんじゃないの」
ついでに、頭もぶっ壊れてるんじゃないのと、言いたげな顔をしている。
「俺は至って冷静だ。冷静に、スカートの中身を覗こうとしただろ」
「死ねばいいのに」
いい笑顔で言われた。
「あの、本題に入ってもよろしいですか?」
「うん。どうぞ。そこのセクハラ魔神は、無視してもいいから」
「ありがとうございます。要点のみ、お伝えします。私と、和人様はお付きあいをすることになりました」
「え?あ、うん。えっと…?おめでとう?」
佳然が、かなり戸惑っている。正直、だからどうしたと言う気持ちだろう。
「ですので、和人様の御友人である所の、下品な御方もとい、川良 紘影さんを殺すことができなくなってしまったのです」
「平和じゃねぇか。全てが丸く収まる。良かった、良かった」
籠絡したのか、されたのかは不明だが、目的は達せられたのなら良しとしよう。文句はない。
「ちょっと待ってよ!私も、それに含まれてるんでしょ?」
縋るように、佳然が言う。命がかかってるのだから、当然の反応ではある。
「残念ですが、翔子さんも含まれます。ですが、そうでなくとも、翔子さん一人では相手にはならなかったでしょうから、闘う意味もないですしね」
「はぁ?」
払切の分かりやすい挑発に、佳然は反応する。一気に熱くなる、炎のような女だ。
「翔子さんが望むのであれば、私もお相手するのはやぶさかではありません。結果は判り切っているでしょうが」
背の低い払切が、佳然を見下ろしている。雰囲気的に。早速、恋人が言うことを無視しようとしている女をカズーは微笑ましく眺めている。嫌な形のバカップルもあったもんだ。手綱は握っていてほしい。まぁ、カズーは放し飼いをしながら、躾るタイプではあるけど。
「私はあなたと違って、殺し合いがしたいわけじゃない。そんな安い挑発に引っかかるほど馬鹿じゃない」
引っかかてるように見えたけども。そう言いたかったが、口を挟むのは止めた。俺も命は惜しい。それを挑発と取られかねない。
「ふふっ、それはそうなのでしょう。けれど、どこかで闘いを、殺し合いを楽しんでいるのではありませんか?」
「そんなことはない」
何の迷いもなく、佳然は答えた。佳然の、ここぞという時の意志の強さは凄い。
「殴り合いなら、応じてもいいけど」
意志が弱かった。その上、自分の有利なフィールドでの勝負を希望している。せこい。
「それでは、私の欲求が満たされません。まぁ、それでも、私が勝つとは思いますが」
そこまで闘いたいか。バーサーカーかなんかか、こいつは。仕方ない、ここは俺が仲裁してやるか。
「二人とも落ち着け。俺のために争うな」
『…』
無言で、刀と、炎に包まれた拳を向けられた。
「仲が、よろしくてなりよりだ。その状態を保ってくれたまえ」
「そうなると、川良くんが常に敵になるってことだけど?」
「下品な御方を斬れるならば、翔子さんとも共闘しましょう」
「自分でも言うのもアレだが、俺は、だいたいの女の敵だぜ」
「ホントにアレね…」
「やはり始末した方が、世のためなのでは?」
「なら、互いの意見を取り入れた、名案を出してやろう。払切は、俺を斬れるチャンスがあり、佳然は俺と敵対関係にはならない」
別に私は敵対関係でも、それならそれでいいけど。とか言う戯言が聞こえたが、無視をする。
「俺が、払切と一対一の対決をする」
「川良くん!?」
「一度敗れていますよね」
「あぁ。でも、俺は逃げ切った。ある意味では勝ちだな。引き分けってことだ」
「なるほど」
払切の眼が細まった。獲物を狙う獣の眼だ。恐怖に身が竦みそうになるが、耐える。獲物を狙う獣ほど、罠に嵌めやすいものはない。
「ただし、条件がある。最初に相手に、一撃いれたら勝ちだ。追撃はすんなよ」
「一撃で殺せばいいのでしょう?」
流石はサイコパス、発想がおかしい。
「場所と日時は、こちらが決める。俺が勝ったら、こっちの望みを一つ聞いてもらう」
「その条件で、文句はない?」
佳然が念押しする。後でごねられては元も子もない。相手の了承を得ることは必要だ。
「いいでしょう。常識的な場所と日時ならば」
信用が全く無い。当たり前だが。そんな幼稚なことは、相手が幼稚でなければやらない。
「ふっ。勝てて当然と思わねぇことだな」
「その言葉、肝に銘じましょう」
そう言うと払切は、カズーと腕を組みながら、楽しそうに幸せそうに去っていた。俄然やる気が出てきた。絶対にぶっ倒す。
「せいぜい、今の内にイチャコラしてな」
「…」
佳然が、いつになく真面目な顔をし、思案にふけっている。大方、俺が払切に挑んだことを考えているのだろう。勝算があるとは思えないという顔をしている。
「川良くん、嫌なら答えなくてもいいんだけど…。たぶん、不快に思うかもしれないんだけど…」
「言いたいことあんなら言えよ。答えるかは分かんねぇけどな」
俺の能力に関することの場合は、答えるわけにはいかない。ネタがバレれば、その分対策は取られる。佳然はあくまでも協力関係、いつ裏切るかは分からないからな。
「川良くん、嫉妬してるよね」
「はぁ?ん?まぁ…そうだけど」
思ってもいなかった質問に、戸惑ってしまった。嫉妬と言えば嫉妬だ。リア充爆発しろ、というやつではある。
「その嫉妬ってさ、黒早くんを取られたからとか、じゃないよね?」
いつものギラギラした眼ではなく、澄んだ水のような眼で落ち着いた感じで聞いてきた。それが逆に恐い。身体から隠しきれず、漏れ出る感情も怖いこと、この上なし。
「…」
無言の抗議を、してみた。
「⁉︎」
何を勘違いしたのか、無言を肯定と見たのか、口元に両手をやり、驚愕と歓喜を、織り交ぜた表情をしている。器用なやつだ。ちょっと、可愛いじゃねぇか。
「…」
ゴミを見る眼で、見てやる。ようやく、自分の勘違いに気づいたのか、一度咳払いをし、目線を逸らしながら、申し訳なさそうにしている。
「だから、不快に思うかもって、言ったじゃん。言えって言うから」
「ホントにアレだな」
「ぐっ…⁉︎」
ささやかな仕返しをしてやった。ざまぁみやがれ。
「えっと…、こほん…。別に、取り繕うわけじゃないけど、真面目な話をします」
今更、下がりきった株は、上がらないとは思うが。咳払いまでして、何とか話題を逸らそうと、無駄な努力が物悲しいな。
「なんで、わざわざ、薙に挑むような真似をしたの?放っておけば、戦わなくても良かった状況だったのに」
今にも、殺し合いをしそうだった奴がどの口で言うか。そんな表情で返答したら心外だという表情で、返された。
「川良くん、私のこと見くびりすぎ。言ったでしょ、そんな安い挑発には引っかかんないって」
真剣な表情で訴える佳然だが、若干目が泳いでいるとこを見ると、完全には自分のことを信じ切れていなそうだ。
「あーゆータイプのは、明確に決着をつけなきゃ、納得しねぇんだよ。いくら、心酔してる恋人の言いつけでもな」
それにカズーも、払切に対して、そこまで強く言い聞かせていないようだったし。何が目的かは、何となく分からなくもないけど。
「もしかしたら、平気なのかもしんない。あのままでも、問題はなかったかもしんないけどな。でも、会って早々挑発してくる奴を、完全に信用するのは難しいだろ。だから、その枷を強固にしてやる必要がある」
「だから、あえて挑発に乗ったってこと?でも、それなら私が闘った方が」
「佳然なら勝てるかもしれない。けど、負けるかもしれない」
「…」
反論がないということは、負けるという可能性がある自覚はしてるのだろう。冷静に自己分析はできてるみたいだな。
「そう言うなら、川良くんは、薙に負ける可能性がないと?」
「ない。絶対に勝てる。そうじゃなきゃ、この俺が、勝負に挑むわけないだろうが」
佳然とは違い、目を泳がせす真剣な表情で力強く断言した。それで納得したのか、佳然は「そう」と言って会話を終わらせた。
まぁ、流石に、絶対勝てるは嘘だけどな。そう言わなきゃ、納得しそうにもないし。けど、佳然より、勝率が高いのは紛れもなく事実だ。
決戦は金曜日。そんな歌があったが、実際の決戦は土曜日だ。でも、俺にとっては、金曜日から戦いは始まっている。
決戦の地。真夜中の学校、そのグラウンドに立っている。少し肌寒い、夜空を見上げる。曇りだ。星が見えないとムードが出ないな。
「空を、見上げてる暇があったら手動かしたら?」
「俺を、見惚れてる暇があったら手動かして穴掘れよ」
「あんたねぇ…!」
穴掘りに、ムードを求めるのが間違っているか。土掘って、ムードもクソもないしな。
「こんだけ掘れば、十分でしょ?」
半径1メートル、人の腰ぐらいまでの深さ。確かに十分だな。
「あの薙に、落とし穴なんて効くとは思えないけど」
「効かないだろうな。けど、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。あと、20頑張ろうか」
爽やかな笑顔で佳然に言う。心外だが、当の佳然は悪魔の笑顔を見たかのように、顔を強張らせ、少しの間、口を開けた間抜け面でいた。
「はぁ⁉︎マジで言ってんの?付き合ってらんない」
佳然は、手にしたスコップを地面に突き刺した。やってらんねぇと行動でも言っている。
「できることはやらねぇと、死んだ後じゃ、後悔することもできねぇぜ」
「ぐっ…‼︎」
俺が失敗すれば、次は佳然の番だ。あのバーサーカーに、付きまとわれる日々が待っている。それは、佳然の目指す平穏な日々とはかけ離れたものだ。それは望まないことだろう。
「もっと堅実な作戦なら、やる気も上がるんだけど」
「なら、もっと堅実な作戦をご提示願おうか」
「…。川良君が修行して、強くなるとか?」
「精神と時の部屋を用意してくれんならいいけどな」
それか、一日で強くなる方法があるならな。
「ちなみに、アホみたいに強い佳然さんから見て、俺は伸びしろがあるかな?」
「…。川良くんの、MAXレベルが10だとすると」
MAXレベルが、低すぎる気がする。プロボクサーレベルが、10という可能性も否定はできないけども。
「と?」
「今の川良くんのレベルは、10」
「伸びしろゼロ!」
苛酷な現実を突きつけられた。考えようによっては、この歳で極めたということになる。嬉しくも、なんともねぇ。
「川良くんってさ、なんか、完成されてる感じがするんだよね」
「そうか…」
ホントに、嬉しくもなんともねぇ。
決戦の土曜日。真夜中、学校のグラウンドに立つ人影は四つ。校舎側には俺と佳然。校門側には払切 薙とカズー。この四人以外の人間は、学校の敷地内にはいない。人払いは済んでるようだ。黒早家の力は偉大だな。
「逃げずに、よく来ましたね」
「そうだな。もっと褒めろ。イカれたロリ巨乳快楽殺人鬼を相手にして、逃げなかった俺の武勇を!」
「口の減らない、下品で変態な御方。その口から斬り刻んであげましょうか」
「二人とも、やる気十分だね」
カズーが嬉しそうに言う。確かに俺はやる気が十分だが。向こうは殺る気が十分だろ。俺が煽ったからというのもあるが。
「無駄に、煽る必要ないでしょ」
横に立つ佳然が囁きながら、肘をついてきた。その肘が地味に痛ぇ。警告も兼ねてるんだろう。
「ま、そろそろ始めようぜ」
「貴方の、その余裕、無性に崩したくありますね」
せめて余裕ぶって、余裕を作らなきゃ、勝てるもんも勝てやしねぇからな。隣の佳然が、払切の言葉にうんうんと頷いていたのは見なかったことにする。
「それじゃあ」
カズーが払切から離れる。同じように佳然も俺から離れた。俺と払切の距離は、15メートルほど、気の刃は一度防いでいる。今回は使わず、確実に仕留めるため接近してくるだろう。奴なら、一気に距離を詰めることは可能だ。しかし、俺と奴の間には、落とし穴が敷き詰められているように点在する。近づけば足を取られる、いかに達人といえど、不意にバランスを崩されれば、そこに隙が生まれるはずだ。俺は落とし穴の位置を完全に覚えている、その隙をついて、一撃を入れることができる。
グラウンドの端で、カズーが片手を上げている。あれが下ろされれば、始まる。命懸けのギャンブルだ。イカサマありの。
「始めっ!」
フライングじゃねぇのか、というくらいの超反応で払切が駆け出す。
かかった!
払切の足が、落とし穴を踏み抜く!しかし、ギリギリ穴の縁を踏む。惜しい!だが、次の穴がある。位置的に。確実に踏み抜く。俺の勝ちだ!一撃を打ち込むために、俺は動きだす。
「ふっ」
落とし穴を踏み抜く瞬間、払切が笑った。哀れな道化を見るような見下した笑み。それは勘違いかもしれないが、嫌な予感がする。
行くな!身体に命令をする。急ブレーキをかけられた身体は、追撃の姿勢を無理に止めたせいでバランスを崩す。体勢を立て直さなければ、このままでは落とし穴に落ちる。払切も落とし穴に落ちるかと思ったが、跳躍。降り立つ場所にも落とし穴はある。見事に落とし穴に…。落ちずに、落とし穴の淵へと足を下ろす。どういうわけか、こいつは、穴の位置を把握している!払切が迫る。体勢を直している暇はない。
「だったら、このままの勢いで落ちる!」
頭の上を高速で刀が横切る。ギリギリで避けられたようだ。俺の身体は、穴へと落ちた。
外しました。やはり、ここぞとという時の判断力は群を抜いて高い。しかし、こちらは体勢を崩さず、穴に落ちてはいません。穴に落ちる下品な御方は、もはや詰んでいます。逃げ場はない。追撃の一撃を…。
打ち込もうとした矢先、視界が塞がれました。突如、目の前に粉塵が舞い上がります。落とし穴に、仕込んでいたのでしょう。抜け目がない。ですが、場所も気配も捉えています。王手をかけ、再度詰むといたしましょう。墓標のように、彼の体に刀を突き立てるために穴へと飛び込みます。
刀には、突き刺した感触が伝わります。皮を斬り、肉を裂き、血管を断ち、内臓をえぐる感触。刀は身体を貫通し、地面にまで突き刺さっています。一撃、致命傷が入りました。私の勝ちです。
「勝ち誇って…!んじゃねぇぞ!」
「っ!」
パチンと音がしました。
突如刀から感触が失われました。いえ、それどころか、下品な御方の気配も失われています。即座に気配を…!背後!?
振り向き、迎撃の姿勢を取るも、視界の端では既に下品な御方が、こちらに覆い被さるように空中で拳を振りかぶっていました。
「おせぇんだよ!」
「ぐっ!」
全体重を乗せた拳で肩を殴られ、そのままの勢いで地面へと叩きつけられます。その衝撃で、刀から手が離れ、肩を足蹴にされながら極められました。
「はっ!ざまぁねぇな!」
「勝ち誇ってるんじゃ、ありません。この程度、抜けられないとでも、思ったんですか」
「佳然!カズー!勝負ありだろ!」
「あ…。うん、そ、そうね」
「そうだね」
そんな馬鹿な。今のこの状態は私の過失です。ですが、それより前に一撃を入れたのは私です。私の勝ちのはず。
「何か言いたそうだな、言ってみろよ」
精神的にも物理的にも、人を見下しながら、こちらに向かってニヤニヤと腹が立つ、笑みを浮かべています。
「私が、最初に一撃を入れました。私の勝利です」
「ふ~ん?誰か、見たやついるか?」
「一撃入れてた、状況だったけど…、決定的な場面は、見てないし…」
「粉塵が舞ってたから、よく見えなかったね」
翔子さんはともかく、和人様までもが、下品な御方の味方をするなんて。愛より友情なのでしょうか。いえ、和人様はあくまでも中立の立場から、意見しているだけです。なんて、公平な方なのでしょう。しかし、あの粉塵、私に対する目眩ましだけではなく、第三者からの目眩ましにもなっていたとは。偶然ではなさそうですね。狙っていたのでしょう。
「卑怯な…!」
「卑怯?一撃入れたと、嘘をのたまうやつに言われたかねぇな」
「嘘ではありません。私の刀は、あなたを刺し貫きました」
「はぁ~ん?どこを?俺は、この通り、ピンピンしてるし。刺し傷なんて、ありゃしねぇ」
わざとらしく、芝居がかった言い方が、余計に腹立たしいです。
「それは…!あなたの能力で、治したのでしょう」
そのはずです。下品な御方は、治す能力を持っています。ですが、それだけでは説明できない事もあります。あの瞬間移動めいた現象は…。やはり、能力を二つ持っているのでは?瞬間移動の能力、あるいは幻覚を見せる能力。それと治す能力。それならば辻褄はつきますが…。何かが、違う気がします。ジクソーパズルの、最後の空きに、形の似たものを、無理矢理はめ込んだような、納まりの悪さを感じます。
「それを証明できるのか?できねぇよな?俺が今、お前を抑えこんでるのは見るも明らかだけどな。ざまぁねぇな、おい」
悔しいですが反論はできません。見事と言わざる負えませんが、納得はできません。卑怯、愚劣と蔑まれ、外道の汚名を被ろうと、約束を反故にし、下品な御方を斬り刻みたいです。
「残念だけど、薙の負けだね。試合に勝って、勝負に負けたってやつだ。それでも、心は気高く持たなくちゃいけないよ」
嗚呼、憎しみに支配されていた、私の心が浄化されていきます。まるで、天使のよう。あるいは、神の御使いでしょうか。いえ、私は、天使も神も信じてはいませんが。それほどまでに、神秘的だったのです。
「はい、そうですね。和人様の言う通りです。いいでしょう。望みを聞きましょう。どのような破廉恥な望みでも甘んじて受けましょう」
「なんでエロい望みが前提なんだよ」
不満気そうに話す、下品な御方。なんでと言われても、貴方だからとしか答えようがありません。佳然さんも、似たような想いだったのでしょう。私と同じような顔をしています。視線が合わさり二人して笑顔になりました。
「カゲの、日頃の行いだよね」
「清廉潔白。豆腐並に白いと言われた、この俺がか?」
「豆腐は豆腐でも、胡麻豆腐でしょ、川良くんは」
「あるいは、烏賊墨豆腐でしょうか。存在するかは知りませんが」
「…」
皆さんから批判され、少し不貞腐れてるように見えます。意外です。繊細な心を持つ変態なのでしょうか。
「俺が、お前に望むことは…」
「私たちを狙わないってこと」
「勝手に決めんじゃねぇよ、馬鹿!」
破廉恥な望みでなければ、その望みだと思っていましたが違うようですね。では、なんなのでしょうか。
「俺が望むのは、お前が俺たちを狙う『スペシャリスト』を倒す刀になることだ」
敵を追い返すだけではなく味方にする。それはとても有効な方法だと思う。あの提案は薙の欲求を満たし、私たちが狙われることも防いでいる。本当に川良くんは凄い。頭が良いと言うか、頭が悪い。もとい、悪知恵が働く。目下の脅威は退けられた。
あの決闘の二日後、ようやく普通の日常、獲物を狙う視線などない普通の学校生活が、再開される。はずだった。
朝のホームルーム、薙は私たちのクラスに転入してきた。私と川良くんが、悲鳴を上げたのは言うまでもない話だ。
いつ如何なる時でも、『スペシャリスト』は現れるかもしれない。ならば、近くにいる時間はなるべく多い方がいい。そういう理由らしい。建前だと思う。ただ単に、黒早くんと、できる限り一緒にいたいだけ。何だか、普通の恋する乙女だ。素直に可愛らしいと思う。私はそう感じたけど、周りの人はそうは思わなかったみたい。
学園のアイドル、侵されることのない聖域が侵略されたからだ。聖域を取り戻さんと、乙女の十字軍が結成された。彼女らは勇ましくも、侵略者の前に立つ、そこまでは良かった。ただ一つの誤算は、侵略者が『一人超ド級艦隊』なことだった。圧倒的な力を目の前にして、彼女らは勇気を砕かれ全面降伏することになる。これが後に語られる、『無血乙女革命』である。
薙は、味方になれば頼もしいし、狩る狩られる関係じゃなければ友好的だし、とても良い子で、大和撫子といった感じだ。(本質的な人間性は見なければ)。それに事情を知る同級生の女子というのは、やっぱりどこか安心する。親友のきょーこや、ゆうちゃんとは違った、安心感がある。
薙が学校に通い始めて、二週間経った日、私は、放課後秘密裏に薙を呼び出した。二人っきりで話があると。
集間市の中心には、十字形の大きな公園がある。周知公園。無駄にでかく、市の中心にデンとあるので、嫌でも周りが知ることになる。だから、周知公園という名前になったとか。普通は公園ができた後に、名前はつけないと思うから、この話は嘘だと思うけど。遊具などはなく、あるのは公園の中心に、これまた無駄に立派な噴水がデンと鎮座している。そこから東西南北へと、森林を左右にあしらえた、広く長い煉瓦道が続いている。綺麗な道に、立派な噴水、自然豊かで、各所にあるトイレやベンチも小洒落ており、集間市の観光名所兼デートスポットになっている。私も、いつかはここでデートをしようと、心に決めているのだ。
ちなみに、デートをするカップルは来た道を途中でUターンするか、森を突っ切ることをしない限りは、必ず噴水がある広場を通ることになるので、デートしてたことが周りにバレる。それが名前の由来だという説もある。確実に嘘だけど。でも、その話が広まって、どうねじ曲がって歪んだかは分からないけれど、カップルが噴水のある広場を通ると別れるというジンクスに変貌した。そのせいか、あるいはお陰か、カップルは噴水に近づかなくなったとか。だから、噴水広場は程よい賑やかさを保っている。
薙との待ち合わせは、この噴水にした。雰囲気の良い場所だ。ジンクスを恐れ、ここをデートで訪れないのは凄く勿体無いと思う。
賑やかな場所は密談には向いていない。けれど、それは間違い。この噴水は、無駄に立派ででかい、そしてそれが鎮座する広場も無駄に広い。賑やかと言っても人が密集するほどじゃないし、噴水の縁に座る人も多いが、このでかさだ、人と人との間隔は相当に余裕がある。それに加え噴水の音、うるさいと言うほどではないけれど、けして、静かではない。隣同士の会話ぐらいならば邪魔にはならない。けれど、少し離れた所にいる、人の会話を掻き消すほどには騒がしい 。静かで、人目のない場所は会話が目立つ、会話どころか、その人物さえも目立たせてしまう。自然な風景に紛れること以上に、目立たないことはない。そして、ここは開けた場所だ。誰かがこちらの領域に近づいてくれば、すぐに分かるというわけだ。
なんて偉そうに語ってみたけど、全部川良くんの受け売りなんだけどね。何度か川良くんとも、『特別』な会話をする時に、ここを利用したから、その効果は折り紙つきだ。
「別のとこが、良かったかな?恩を仇で返すみたい…」
少し気分が落ち込んでいたら、正面から薙の姿が現れた。どこか気まずそうに、薙には珍しく、微かに動揺と緊張が見える。珍しい。あと、ちょっと可愛く見える。小動物っぽい。言ったら、気分を害すると思うけど。小さいこと気にしてるし。
「来てくれて。ありがとう」
緊張をほぐそうと笑顔で迎え入れた。けれど、当の薙は緊張を強めたように見える。おかしい。
「翔子さん。先に言っておきます。無理です」
「ちょっと待って。私確認したいだけなの。薙が私と同じ考えかどうかを」
「ですから、無理です。私の考えは違います」
「ちょっと、人の話も聞かないで否定しないでよ。でも、そうか、薙はどっち側でもないのか」
「いえ、貴女とは、逆側です。断言します」
「はぁ⁉︎川良くんを選ぶの⁉︎」
「選びませんよ!なぜ下品な御方を。下品な御方を選ぶのは、貴女と思ってたんですけれどね。まさか翔子さんが…。いえ、趣味嗜好を非難するのは、よくありませんね。マイノリティーは、悪ではありませんもの」
「ん?え?ごめん。待って。何か勘違いしてない?」
「していませんよ。翔子さんは薔薇が好きなのでは?と、確かに混乱はしましたが、薔薇も百合も、両方とも花ではありますものね。性質は違えど、愛でるという意味では同じですし」
「薔薇?百合?…。薙、なんで呼ばれたと思ってんの?」
「翔子さんが同性愛者で、私に告白をするのでしょ?」
話が噛み合わないと思ったら、とんでもないことになっていた。とりあえず、なんとか誤解をといた。
「けど、何だって、そんな勘違いしたのよ?」
「この噴水で、愛の告白をすれば成就するのでしょ?わざわざ秘密裏にココを指定してきたので、これはもしやと思いまして」
もしやと思うな。薙って結構天然入ってる気がする。
「でも、そんな噂聞いたことないけど、誰から聞いたの?」
「下品なおか…、川良さんですよ。やたらと和人様と一緒に噴水デートしろと勧められました」
「あの男は…!」
なんて器が狭い。薙には後でちゃんと、ここの噂を話しておこう。でも、そこまでさせるほどに彼は黒早くんのことを…!あぁ、違う。今は趣味の時間じゃない。落ち着け、私。
「愛の告白ではないとしたら…。川良さんの力のことですね」
「察しがよくて、助かるわ。私は『直す』が川良くんの能力だと、睨んでいたのだけど…」
「それでは、説明がつかないことがありますね」
「最初の戦闘と次の決闘、なにが起きていたのかを教えて」
薙の説明が終わった。簡潔に、でも、要点は正確に、自らの疑問点も付け加えて。
「私は幻覚を見せる能力と、思っていましたが、やはり、それでは説明がつかないことがあります。能力を複数持っているのなら、納得がいくのですが」
「それはないと思う。黒早くんは、川良くんの使える能力は、一つだと言っていたし。もしかしたら黒早くんが、嘘をついてる可能性はあるけど」
「それはありませんね。和人様が仰るのであれば、それは誠でしょう。疑う余地もありません」
間髪入れず、そう返す薙。恋は盲目と言うより、恋は盲信の域に達している気がする。半ば呆れた顔で見ていると、こちらの表情に気付いたのか、柔らかい笑みを浮かべた。
「恋の病からの妄言と、お思いですね。私情を除き、黒早 和人という人間性を考慮した結果です。翔子さんもそう考えたのでは?」
意外にも、冷静に客観的に考えていた。ううん、意外じゃないか。元々、薙は優秀だ。戦闘能力や洞察力に優れ、勘も鋭い。時々、天然染みた失敗はするけど、それをカバーする能力の高さがある。最近のバカップルぶりに目がいって評価を間違えていた。あの黒早くんと、釣り合うほどの完璧人間なのだから。盲目なのは、私の方だったみたいだ。
「うん。黒早くんは、嘘をつく人間じゃない」
「そうですよね。和人様は、完璧な聖人君子ですもの」
本当に、私情を除いているのだろうか。天を見上げ、祈りすら捧げている。その様子を、落胆の混じった呆れ顔で見ていたら、こちらに気付いたのか、わざとらしく、一度軽く咳払いをした。
「えほん。話を進めましょう。和人様は嘘を言ってないでしょう。ですが、それは嘘ではないだけ、ということもあり得ます」
「つまり…、私の能力は二つかという質問に、『使える能力』は一つと答えたってことは、使えない能力がもう一つあるかもしれないってこと?」
「はい、その可能性はあります。それは役に立たないという意味なのか、発動条件が厳しく使えないのか、或いは、意図的に使わないかは分かりませんが。ですが、今は気にする必要はありませんね。使えない能力を、危惧しても仕方ないです」
それは確かに。けど…。
「その話、必要あった?」
「おや?翔子さんは頭が良かったと思いましたが?」
天使のような微笑みで、遠回しに馬鹿にされた。馬鹿だと言われた。川良くんのようなことをしてきた。
「選択肢を減らしたってことね。川良くんのこれまでの奇跡的な快進撃は、一つの能力によって行われたと」
「正解です。大変よくできました。花マルをあげましょう」
正解したのに、馬鹿にされた。
「では、次に考えることは…」
「川良くんの能力の特定。答えは出てるから考える必要はないけど」
薙が僅かに目を見開いている、少しは驚いたみたいだ。ふふん、少しは挽回できたかな。さっきのは、答えが分かっていたので意味がないと思っただけなのだ。
「確認したいだけって言ったでしょ?私は答え合わせがしたいの」
「では、聞かせてください。翔子さん、あなたの答えを」
川良くんの能力。校舎を直し、自身の怪我を治し、教科書を直し、飛びかかった自身を消したり、薙の気の刃を消したり、穴にいた自身を消した。直すと治すと消す。
治すと直すだけならば、分かる。問題は消すだ。薙は、幻覚を見せる能力だと、思っていたが、それはない。だとしたら、校舎は実際に見えてるのは幻覚で、現在もボロボロな状態だということになる。それはないはず、そうなると川良くんは胴体に穴が空いたままだ。逆に壊した、殺した状況を、幻覚で見せられ、実際には傷ついていないというのも考えられるけど、そんな手のかかることをする必要がない。幻覚を見せれるなら、そもそもが川良くんはピンチな状況にはならない。ピンチを回避する方法は、いくらでも考えられる。悪知恵の働く川良くんなら、もってのほかだ。何よりあの時の、胴体を貫いた感触、あれを幻覚だとは思いたくない。そう、貫いた感触。薙も穴の中にいた川良くんを、刺し貫いた感触はあったと言う。そして、川良くんが消え、逆転された。私はあの時、砂埃が舞う中でも見た。薙の上に川良くんは突然現れ、薙を押さえ込んだ。その時点で傷はなかった。消えた後で傷も治したのか、川良くんの、怪我を治すのは一瞬だ。それも可能なのだろう。けれど、川良くんの能力の発動条件であろう、指を弾く音は一度だけしか聞こえなかった。つまり、一度の能力の発動で傷を治し穴から消えたことになる。
そこから考えられる答えは。
「川良くんの能力は、『元に戻す』能力よ」
「『元に戻す』。なるほど、辻褄は合いますね」
そう、校舎を直したのではなく、壊れる前に戻した。自身を治したのではなく、貫かれる前の身体に戻した。教科書は…。別に言及する必要はない。飛びかかった自身を消したのではなく、飛びかかる前の状態に戻した。薙の気の刃を消したのではなく、飛ばす前の状況に戻した。穴から消えたのではなく、穴に落ちた瞬間、落ちる前の時に戻した。
今、思えば、これまで戦闘だけではなく、色々と川良くんには不可思議なことが起きていた。それは、どれも些細なことではあったけど、ある種の奇跡を起こしていた。それも説明がつく。
「『スペシャリスト』全員に言えることでしょうが、特に常軌を逸した奇跡の業ですね、それは」
生身の人間で、能力と変わらない剣技を放つ、あなたが言いますか。とは、思ったけど言わなかった。今は話の腰を折る必要はない。
「そう。常軌を逸した、強力で危険な能力よ」
そう言った私に、薙は怪訝な表情で答える。
「奇跡の類とは思いますが。そこまで、危険視しなくともよいのでは?こう言ってはアレですが、川良さん自身は弱いですし」
「その弱い川良くんに、出し抜かれたのよ、私たちは」
「…」
これには薙も黙った。川良くんは戦闘能力が並なだけで弱くはない。さっき、薙のことを完璧人間と称したけれど、その薙よりも一部の能力は特化している。感の鋭さは怖いほどだし、場をよく見、その都度、冷静に適切な行動を取れる。ピンチにとても強い。その上にあの能力。使いようによっては、一発逆転ができる。十分に脅威だ。
「それに、川良くんが弱いとしも、それはそれで困る」
「あの能力が、別の『スペシャリスト』に渡る可能性があるというわけですね」
「正解。よくできました。花マルをあげるわ」
薙が僅かに顔をしかめた。少し嫌味が過ぎたかな?でも、これでおあいこだし。
「川良くんは、たぶん、あの能力を一番使いこなせるんだと思う。けど、使いこなせなくとも十分に脅威な能力なのよ、あれは。万能過ぎる。それを、戦闘能力のある能力者が手にすれば、強さがグンと跳ね上がる」
「それをさせないための、私なのでしょう?」
「うん、そう。そうなんだけど…。薙、私はね。平穏無事な普通の生活を、送りたいと思っているの。その為なら、私は非人道的なことでもやるわ。川良くんの能力は奇跡の力に近い。それを欲しがる奴らは多い。川良くんは存在するだけで、争いを呼ぶ」
薙の眼が細められた。人の本質を見るかのような眼。あまり気分がいいものではない。数秒で査定が終わったのか、いつもの様子に戻った。
「ふふ、私が言えることではないでしょうが、翔子さんはイカれてますね。私的には好ましいですけれど」
イカれてると言われるのは、あまり嬉しくはないけれど、好ましいと言われるのは、嬉しいと言うか、安心する。自分でも異常な思考だとは思う。平穏無事な普通の生活を得る為に、その逆とも言える行為をする。矛盾しているし、罪を重ねる生き方だ。その思考に共感をしてもらえるというのは、赦された気持ちになる。実際には赦されることはないのだけれど。
「もう一度、あの方を殺すのですね」
唐突に、薙が言い出した。これから話そうとしていたことを突かれ、少し動揺する。
「抑えているつもりでしょうが、殺気が隠せてませんよ。それと、顔に出てます。不思議ですね。普段はポーカーフェイスができるのに、川良さんのことになるとそれが崩れる」
「ぐっ…!」
カップル二人から、同じ指摘を受けた。なんだか妙に恥ずかしい。私が川良くんに対して正常な状態でいられないのは、同族嫌悪に近い感情のせいだと思う。私と川良くんは本質が、思考が、生き方が近い。平穏無事な普通の生活を望む、イカれた人間だ。目的は同じ、けれど互いに、その目的の邪魔になる存在になる。
「結局のところ、相入れなかったってわけか」
「寂しいんですか?」
「うん。なんだかんだで、私、川良くんのこと好きだしね。同族嫌悪ならぬ、同族好意っていうかさ」
薙がこちらを哀れむように見ている。あまり、こういう時には同情とかをする人間ではないのに、少し意外だ。
「悲恋ですね。敵同士になるしかないなんて、なんて悲劇でしょうか。心を強く持ってください」
同情とかではなかった。勝手に人の悲恋を愉しんでいるだけだった。そもそもが、その悲恋も空想でしかない。
「そーゆー、好きじゃないんだけど」
「それでも、悲劇には変わりありませんよ」
こちらを真っ直ぐ見つめて、今度は普通の、何でもないような顔をしている。
「薙ってさ、最初は感情のない殺戮マシーンかと思ってたけど、そんなことないよね。ちゃんと人のこと、気遣える良い子だし」
「心外ですね。私は常識的な人間ですよ。感情のある殺戮マシーンです」
それは、快楽殺人鬼と何が違うのだろう。『スペシャリスト』しか殺さないのだから、法は守っているので、そういう意味では常識的とは言えるのかもしれないけど。
「じゃあ、常識的な殺戮マシーンさんに聞くけど、私が、川良くんを殺すとなったら、川良くんを護るつもり?」
冗談のように聞いてはみたけれど、実のところ、今回の密談のメインはこれだ。薙が敵に回るか否かで、対策がまるで違う。
「命を狙う『スペシャリスト』を殺す刀になる、という約束でしたからね」
そこまで物騒な約束ではなかったと思うけど。でも、実際はスペシャリストと闘いになれば、命のやり取りをするしかないから間違いではないのかな、嫌な話だけども。
「そう、そっか。じゃあ敵同士か。うん」
「翔子さん、見切りをつけるのが、早過ぎませんか?友人と殺し合いをするかもしれないのですよ?もう少し、葛藤とかしたらどうです?」
既に一度殺し合いをしてるんですが。薙は、こちらを不思議そうに見ている。あれは本人の中で、なかったことになってるのかな?確かに、あの時はまだ友人ではなかったけどさ。
「殺した罪は、一生持つつもりよ」
そう言ったら、薙は小さく上品に笑いだした。そんなに面白いことは、言ったつもりはないんだけどなー。
「先ほども言いましたが、翔子さんは異常ですね。私よりイカれてます」
酷い言い草だ。というか、自分が、イカれてる自覚はあったんだ。
「翔子さん。私は人間を殺さないという、ルールを持っています。それは法を守っているだけの話で、やっていることは人殺しの外道です。私は、私の殺人剣を奮いたいという欲求を、合法的に満たしているのですよ。殺した人間に対して、哀れみや後悔などはありません。法がなければ、私は人間でも同じように殺し、哀れみや後悔も持つことはないでしょう」
相当にイカれてると思う。その薙よりイカれてるとはどういうことだろうか。結構、心外だ。
「でも、翔子さんは違いますよね?法は尊重し、人殺しに対しても罪を感じる人です。それは普通の模範的な人間で、とても正しい。ですが、自分の生活を守る為なら法を犯すことも躊躇わない。そして躊躇わず人を殺すのでしょう。そして、その罪に目を背けず、真摯に向き合い、哀しみ、後悔をし自らを罰っする」
「それのどこが、イカれてるっての?普通のことでしょ?」
「普通ではありません。それを普通と思っていることも、異常であると言える一つです。本当に正常な人間ならば、人間を殺す時には躊躇するものです。それが知り合いならば尚のこと。ですが、それが貴女にはない。一度、決断すれば意志を持ち、佳然 翔子という人間性を保ちながらも、躊躇わず人を殺す。人は訓練しなければ、そのような境地には至れません。いえ、訓練したとしても、そこまでのものにはならない。そして、そのような状態でいるにも関わらず、それに引っ張られることなく、貴女は人として致命的には壊れていない。それはとても異常です。普通ならば狂い壊れます。壊れることこそが普通なのです」
薙の言葉に、私は何も言えなかった。薙に指摘されるまで、本当にそれは正常なこと、ううん、異常ではないと思っていた。だって仕方がない、そうしなければ私の生活が守れない。だから、やると決めたら躊躇はしない。躊躇なんてしてる暇はない。そう教わったから。
「翔子さんを、責めているわけではないのですよ?」
「大丈夫。傷ついたわけじゃないから」
「それはそれで、どうなんでしょうか」
どうしろと。傷ついて欲しかったのか。困り顔の薙は、可愛らしいので別にいいけどさ。
「翔子さん、何かしらの組織に所属してました?」
「組織って…。私は普通の家庭に生まれ、育った。異常な『スペシャリスト』よ」
「そうですか。翔子さんの優れた体術や、その思考。何かしらの組織によって訓練されたものかと思いまして」
「組織じゃないけど、師匠はいたわ。その人に、体術と心構えを教わったの。その師匠から、教えを受ける前にこう言われた。「私がお前に教えるのは、護身術とか武道とかじゃねぇ。人を殺す術だ。それを学ぶってことは、人でなしになるってぇことだ。その覚悟があんのか?ないなら、教えるのは無理だな」ってね」
当時10歳の子供に、護身術を教えてやるから食い物を寄越せと言って、散々貢がせた後の台詞じゃなければ、格好いい台詞なんだけど。ただの詐欺でしかないし。
「それで翔子さんは、はいと答えたのですね」
「いんや、やだって言った」
「はい?」
薙が困惑顔で、こっちを見ている。今の流れだと、はい、と言ってるのが正しいし。
「「人でなしにはなりたくないけど教えろ、タダ飯喰らい。警察に言うかんな」って言った。そしたら、警察が効いたのか教えてくれることになったの」
本当は、教えたら絶対人でなしになる。絶対ならない。の醜い言い争いがあったのだけど、私と師匠の関係を必要以上に醜く伝えなくてもいいから、言わないでおく。
「それは何と言うか。色々と台無しですね」
「うん。師匠は、人間がかなりできてないからねー。精神年齢が、子供と一緒だし」
「私の師匠は、人間がかなりできています。完璧な人です」
急に、師匠自慢された。何故か、得意げな顔だ。こっちの師匠にも良いところはあると言い返そうと思ったけど、あの人、強い以外に良いところがないから、言うのは止めることにした。そーえば、師匠は美人だった。でも、美人は美人だけど、他の要素が打ち消してるから、これもなしだからいいや。
「あ。今、気づいたけど。師匠って、何か川良くんに似てるかも。性格っていうか、雰囲気っていうか」
「それは…、心から同情します。そんな師匠を持つなんて、それこそ悲劇ですね。お可哀想に」
人を殺しても何にも感じない人に、心から同情された。本当に可哀想なのは、師匠と川良くんな気がする。まぁ、あの二人だからいっか。
「翔子さんは、人を殺す術を学びながらも、人であろうとした。その結果、人殺しを躊躇わない、善人になったと言うわけですね」
「私は、自分のこと善人だと思ったことないけど。人殺しを躊躇わない善人って、矛盾してない?」
「えぇ。矛盾してます。矛盾した存在なのですよ。翔子さんは。それは常人では到達しえない領域です」
「はいはい。異常ってことね」
「いえ、言い換えます。超常です。しばしば、私のことを化け物やら天才だとか称しますが」
化け物は申し訳ないけど、言ったことはある。けど、天才は言ったことはない。思ってはいるけど。
「翔子さんこそ、化け物やら天才の類です。それは誇ってもいいことですよ」
嬉しいような嬉しくないような、まぁでも、褒めてくれてるんだろうし、嬉しい方面で受け取ることにしよう。
「さてと、話はここで終わりかな。こっからは敵同士だね」
噴水の縁から立ち上がり、薙に向かって拳を突き出し宣戦布告する。
「はい?いえ闘いませんよ」
「は?」
噴水の縁に座りながら、こちらを見上げ、明日の天気は雨かと聞いたら、雨なんか降らないと言うかのような気楽さで答えられた。
「約束は、川良さんと翔子さんを狙う、『スペシャリスト』から護ることですよ。どちらかに加担すれば、約束を違えます。どちらにとも加担するのは私の身体は一つなので無理ですので、ここは傍観に徹しますよ」
確かに約束はそうだった。約束を守るのならば、それが最適なのだろう。薙は正しい。けれど。
「そーゆーことは、もっと早く言ってよね!」