二話 走れ走れ走れ
協力関係を結んでから、しばらくは、何も起こらなかった。起こってたまるかという話だが。いや、何も起こらなかったと言うのは嘘か。佳然との約束のせいで、色々と面倒事は起きた。命に関わるようなことは…、まぁ…、起きなかったけどな。
まったくフェアじゃない、俺の力は、ほぼ、毎日使わされてるのに、俺の身を守ってくれたのは、数えるほどしかない。『なおす』だけなら大したことはないと言えば、大したことはない。が、対価が見合ってない。胸や尻くらい、揉ませてほしいものだ。
「発想がおっさんだね、カゲは」
「いやいや、健全な男子高校生なら、当然の欲求だろ」
「うーん。発想って言うか、言い方かな」
失礼な。この親友は、俺に対して遠慮を知らないのか。遠慮を知らないからこそ、親友なのかもしれないが。まぁ、今さら、遠慮する仲でもないか。
教室の後ろで、友人と談笑している佳然の方を見る。こちらの話を聞いてたのだろう、談笑しながら、指のジェスチャーで私もそう思うと伝えてきた。器用な奴だ。ついでに中指立てられた。ついでに立てるもんじゃねぇだろ。
「あ、そうだ。今日から、転校生が来るらしいよ」
「転校生?この時期に?」
今は6月、中途半端な時期だ。
「季節外れの転校生って、これアレだろ。刺客とか敵とかじゃねぇの?」
「まぁ、よくあるけどね。仲間と言う可能性もあるよ」
「仲間?俺は孤独なファイターだぜ。仲間はいらねぇのさ」
顎に手をやり、流し目の決めポーズで言ってみた。カズーはいつもの発作かみたいな顔をし、視界の端にいる佳然は、こちらを見ずに、指で地獄へ堕ちろと示していた。
「季節外れの転校生は、両親の都合とかだと思うよ。普通に考えて」
「俺は騙されねぇ。疑ってかかるぜ」
「あ、もしかしたら主人公かもね。転校パターンって多いしね」
そんな馬鹿な。なんでかは分からないが、それはまずい気がヒシヒシとする。
「高橋 浩介です。両親の仕事の都合で、転校してきました」
高橋 浩介。この男___。普通だ。俺も、人のこと言えないが、THE普通だ。モブだ。とても主人公には、見えない。後ろから、カズーが言った通りでしょと、ペンで俺を叩いてきた。いやいや、まだ分からない。こういう一見怪しくない奴が犯人だったりするのは定番だ。
「と思うんだが、どうだろうか?」
昼休みに、友人と楽しそうに昼食を取る佳然に、紙パックの飲料を飲み、片手にパンを持ち、側に立ちながら聞いてみた。露骨に凄い嫌な顔された、周りの佳然の友達も、ヒソヒソと内緒話をしている。まったく歓迎されていない。勝手に、輪の中に入ったのだから、当たり前だが。くそっ、カズー連れてくりゃよかった、女受けいいからな。今からでも呼ぶか、こっちの様子を楽しそうに見てるし。
佳然の友達の一人が、俺を睨んでいる。あれは萌黄か。萌黄 優。その名前に反して、萌えでも優しくもない。ショートカットの黒髪に、切れ長の眼。美人なのは違いないが、男より女にモテるタイプだな。
よく分からないが、よく睨まれる。きっと、小さい頃に結婚の約束をしていて、大きくなって再会した俺が、その約束を忘れてるせいなのだろう。まぁ、そんなことはあり得ないが、そう思ってないと結構キツい。悪意のある視線は精神力を削られる。
しばし、無言で萌黄と睨み合いをする。視線を外したら、負けな気がするので、視線は外さない。
「しょーこ、答えてあげなよ」
佳然の別の友達、印花 京子が、佳然に返事を促す。ゆるふわのセミロングの茶髪で、ゆるふわ笑顔で、ゆるふわ雰囲気を持つ、ゆるふわ盛合せな女だ。萌黄とは対称的、見た目も可愛いので、女より男にモテるタイプだ。当たり前の話だけどな。
印花に言われて、渋々といった感じで、佳然は、顔だけをこちらに向けてきた。
「知るか。本人に聞けば」
しっしっと、犬を追いやる仕草つきで、心底どうでもよさそうに言ってきた。その対応にイラっとはしたものの、それもそうだなと納得し、その場を去る。
「高橋くん。君は敵かね」
単刀直入に、紳士的に聞いてみた。後ろで誰かが、机に突っ伏した音が聞こえた。どこぞの、ツインテだろうから無視しよう。当の高橋くんは、何を言われたのか分からないのか、キョトンとしている。ふっ、中々に芝居が上手いじゃないか。だが、俺は騙されない。
「え?敵って?敵じゃないとは思うけど」
「だが、味方でもないよな」
「んん?まぁ、そうかな?何が聞きたいの?えーと…?」
名前を言うように、促してきた。この男、できるな。その誘い乗ってやろう。
「俺は、川良 拡影だ」
片手を腰にやり、身体を軽く傾け、もう一方の手を、天へと突き出した。俺は、頂点に君臨している逆らっても無駄だ、のポーズだ。
「あー!」
そのポーズが効いたのか、感嘆の声をあげる、高橋くん。もはや、高橋くんは俺に逆らうことはできない、奴隷のようなものだ。
「川良 拡影!川良くん、本当にいたんだ!」
何やら感動している。俺の名声が、世間に響きあってるんだろうか、一流と言うのは本人が望まなくとも、目立ってしまうのだな。と、冗談という、現実逃避は止めにしよう。
「何で、俺の名前知ってんの?」
「あ、これ」
そう言って高橋くんは、一通の便せんを寄越した。男からラブレターを貰っても、正直嬉しくないし、後ろからの強烈な視線も、不快なことこの上ない。背中が、熱視線で焦げそうだ。
「学校に行く途中で、女の子が、『川良 拡影』に渡してって、渡してきたんだ」
ほぉ、女の子。後ろからの強烈な視線が消える。なんだ、あいつ。普通逆だろ。
「凄い美少女だったよ。川良くんって、モテるんだな」
無言で肯定する。後ろから二方向に、無言で否定された気がするが無視をする。便せんを受け取り、紳士的にその場を去った。
自分の席に戻らず、カズーに便せんを掲げて見せる。カズーは、困ったような笑顔を浮かべ、拍手をしてくれた。それに満足し、佳然の元へ行き、便せんを掲げる。「中身は」と言いかけた瞬間に、ダッシユで教室を出てトイレへ向かう。教室から、佳然の怒号が聞こえたが無視をした。
トイレの個室に入り、便せんの中身を確認する。達筆でありながらも、女性的な字が書かれていた。
『川良 拡影様。貴方のことを知り、以前から会いたいと思っていました。集間市北四丁目-三ー五で御待ちしています。御一人で来てください。よろしくお願いいたします。』
佳然が、中身を確認しようとした理由は分かる。この手紙を差し出した人間は、敵かもしれない。ラブレターに見せかけた罠という可能性は大いにある。そうなると、佳然は動くだろう。協力関係というのもあるし、敵の敵は敵だからだ。だがしかし、99%罠だとしても、1%の確率で、ラブレターかもしれない。ならば、男は罠だとしても、行かなければならない。手紙をくれた女性の気持ちを、踏みにじるわけにはいかないのだ。そう、これは男気の問題。告白に淡い期待をしているわけではないのだ。
教室に戻ると、手紙のことを追求されるので、午後の授業は捨てて、早退することにした。後で佳然に、文句を言われるだろうが仕方ない。俺は、愛に生きる男なのだ。
手紙の場所は、古い廃ビル群の一角だった。この廃ビル群は、昔、この辺りで幅を利かせていた、足昌グループの物で、このビル群で足昌グループの全ての事業が行われ、言わば、ビル群が、一つの国のようになっていた。足昌グループは、特に工業の分野に秀でており、自然とこのビル群にも、工場が多く点在している。その結果、建物を繋ぐようにパイプが張り巡らされ、ビル間の隙間も狭いことにより、迷路のように入り組んでいた。そのせいで、迷う人が続出した。
この迷路に、一人の子供が、探検気分で入ってしまう。そういうことは、よくあった。事業の要の部分、秘匿するべき場所は、流石にセキュリティで入ることはできないが、それ以外は見学は自由、アットホームが売りの足昌グループである。この迷路を利用した、脱出イベントも行なわれたほどだ。なので、子供が一人、敷地内を歩いていても誰も気にはしなかった。その子供は、行方不明になる。必死の捜索が行われ、見つかった時には、既に事切れていた。ビル間の入り組んだパイプに囲まれた谷間、デッドスペース。足を滑らせ、そこに落ちたのかは定かではないが、そこで餓死していた。
足昌グループに落ち度はないとも言えないが、全てが足昌グループの責任ではない。子供がいたのは、侵入禁止の場所であり、そこに入ったのは子供自身の責任だ。だが、世論はそれを許さなかった。侵入禁止の場所に、入れるようになっていることが問題だとか、気づかなかった職員が悪いとか、そもそもが、こんな迷路のような造りが悪いだとか、発見がもっと早ければ、足昌グループが、もっと協力的ならばだとか、果ては、足昌グループは人体実験をしており、その犠牲になっただとかの、とんでも話まで出る始末だ。もはや、言いがかりだが、この事件で足昌グループの評判はガタ落ちし、解体される。そして、廃ビル群だけが取り残された。
その後も、廃ビル群は、解体するにも金がかかるということで、そのまま存在している。ビル内は入れないように、施錠がしてあるが、長い年月が経ち、鍵を壊されたり、壁が崩れたりしており、それも意味を成さなくなっている。不良の溜まり場、心霊スポットとして使われたのも、過去の話。過去に『スペシャリスト』同士の殺し合いがあったこともあり、あそこには『スペシャリスト』が、隠れ住んでいるなどの噂も流れ、もはや、人が訪れなくなった、完全な廃墟だ。
こんな場所を指定するなんて、告白するのに人目を気にする、奥ゆかしい女の子なのだろう。いや、もうポシティブに考えるの無理だ、完全に罠だな、これ。廃ビル群の中でも中心の辺り、人の目が届きにくい場所。いや、待てよ。騙すのであれば、見るからに怪しい場所を指定しなくはないか?逆に怪しい場所を、指定するということは、怪しくないという証明なのでは。
そう自分に言い聞かせ、ビルの中に入る。ビルの中は何もないが、思ったより綺麗だ。何もないから、綺麗だと思ったのかもしれない。
一階には、人はいなかった。このビルの構造はシンプルだ。ドア付きの大部屋に、階段と廊下の組合わせ。元は事務所にでも使われてたのだろうか。なので確認するのは楽だった。二階。三階。四階。人はいない。五階、最上階。大部屋のドアを開ける。
人がいた。部屋の真ん中に立っている。黒いコートを来た女だ。年齢は分からない、若くはある。ボブの艶やかな黒髪、手に日本刀を持った、コートの上からでも分かるグラマラス(死語)な美少女。顔つきも凛々しく、その立ち姿からは、静かな迫力が溢れている。
が、それを打ち消すかのように、その女は小さかった。チビだった。百四十半ばほどだろうか。こう言っちゃなんだが、ちぐはぐ感が冗談のようだ。
「初めまして。『スペシャリスト』さん」
「待って、告白は少し待ってくれ。確認したいことがある、君と付き合うと、俺はロリコンになるのだろうか」
「いえ。私は貴方と同じ年齢ですので、ロリコンにはならないかと。付き合っている所を、第三者が見た場合にロリコンと感じないかは、保証しかねますが。ですが、その心配は無用です。貴方は私の好みではありませんし。そして、私は人間。『化物』と付き合うなんて、有り得ません」
スパッと返された。俺の出鼻を挫く奇想天外な質問にも動じない。佳然あたりなら、引っ掛かってるのに。この女、俺の年齢や、俺が『スペシャリスト』だと知っている。そして、自分を人間だと言った、この女は『スペシャリスト』じゃないのか?
「ふふ。色々と考えを、巡らせているようですね。教えてあげます。私は人間です。『スペシャリスト』狩りをしています」
『スペシャリスト』狩りだと。しかも人間の。いると言う話は聞く。『スペシャリスト』は殺しても、罪にはならない。それは合法的に、人を殺せるということだ。それを魅力とする奴らはいる。けれど、『スペシャリスト』の大概は化物揃いだ。それと闘うなんて、正気の人間じゃない。
「あんたも、人殺しをしたいクチか?綺麗な顔して、エグい趣味だな」
俺の軽口にも表情を変えず、女は微笑んでいる。不気味なこと、この上ない。しかし、この女、隙がない。
「私は払切 薙といいまして、殺人剣を嗜んでいるのです。折角覚えたのなら、奮いたくなるのが心情。ですが、おいそれと、奮うわけにはいきません、刑務所には行きたくありませんしね。そこで、『スペシャリスト』の方たちです。聞く所によりますと、『スペシャリスト』の方たちは、鬼畜外道だと評判、実力者も多く奮う相手に相応しい。罪にもなりませんし」
イカれてる、この女。そもそも、殺人剣を嗜んでる時点で、頭がおかしい。あと、名前もおかしい。
「何で俺が、『スペシャリスト』だと知っている?」
「貴方、以前にこのような物で、調べられたことは、ありませんか?」
そう言って払切は、左目の前に、左手の指で小さい丸を作った。ちょっとその仕草が可愛い。ではなく、あの形は、佳然が奪った能力か。
「心当たりがあるようですね。その能力で調べられると、ある組織へとデータが送られ、そこにお金を払えば、そのデータが頂けるのです」
最悪だ。個人情報保護法はどうなってんだ。まぁ、『スペシャリスト』は人権すらないのだから守られるわけないか。
「データ!?酷い!俺のこと、隅々まで知られちゃってんの!?スリーサイズとか!趣味とか!止めて!」
「いえ、そこまでは。第一、知りたくありませんし。貴方が、サーチされた場所と顔。『スペシャリスト』だということしか、データにはありません。貴方の名前などは、探偵を雇い調べました」
ざまぁみろ、御丁寧にどうもと心の中で呟く。ペラペラ喋ってくれたお陰で情報は手に入った。俺の能力までは知らないらしい。それならまだやり用はある。刀を持っているが、相手は女。そして小さい。能力を使い、なんとか組み合えば勝てる。あわよくば、どさくさ紛れに豊満な胸を揉んでやる。
と、考えるのは素人の変態だ。逃げるのみ。刀持った相手に、やり合う奴はアホだ。元に戻るとはいえ、痛いもんは痛い。なんとか隙を見つけ、逃げるしかない。相手は、余裕の笑みを浮かべている。ふざけやがって、その余裕ぶち崩してやんぜ。ざまぁみせてやる。
「お前のおっぱいを、俺の能力で奪う!」
右手を相手に、格好よく向ける。勿論そんなことはできない。どんな能力を持っているか分からない相手が、能力を使う動きをすれば、多少は警戒し隙が生まれるはず。払切に反応はない、刀が、一瞬揺らめいたような気がした。
ならば、右手を揉みしだくように動かせば隙が___。右手が動かない。違う。理解ができない。違う。理解はできるが、認めたくはない。俺の右手は肘より先が無くなっていた。斬り飛ばされた俺の腕が、地面に転がっていた。
「っぐがあぁぁぁっ!?」
認識したのを見計らったように、右手から血が吹き出した。痛みで頭がパニックになる。
「下品なのは嫌いです」
痛みを頭から追いやり、思考する。払切にやられたのは間違いない。だが、どうやって。俺と払切は、五メートルは離れている。どんなに刀を伸ばしても、届く距離にはない。能力じゃないのか?本当に『スペシャリスト』ではないのか?
「なぜという顔をしているので、教えてあげましょう。能力ではありません。気を刃にし鎌鼬のように、貴方の腕を斬り飛ばしたのです」
気の刃だと。どこの漫画のキャラだ、こいつは。『スペシャリスト』より化物じゃねぇか。
この女には勝てない。情けない話だが、確信に近い自信がある。下手したら佳然ですら、勝てないかもしれない。それ程までに、化物染みている。こうなったら、一か八かやってみるしかない。
思ったよりも弱い。『スペシャリスト』は化物揃いと言うのは、嘘だったようです。或いは、この下品な御方がハズレだったのでしょうか。いえ、ハズレと判断するのは、早計かもしれません。あの下品な御方は、未だ能力を使っていない、何か一発逆転の能力を持っているのかもしれません。なぜならば、眼に力がある。何かを虎視眈々と狙っている、あの傷にも関わらず、冷静に冷徹に隙を伺っています。油断は禁物。
「うおおぉぉぉぉぉっっ!!」
雄叫びをあげ、こちらへと駆け出す。片腕を失っていても、バランスを保ちながら走れることは驚嘆すべきことです。何か訓練を受けた人間の動き。ですが、特別速いわけでもありません。相手が何かをするにしても、気の刃を放ち牽制しようとした時。下品な御方は跳躍。タイミングが合えば、気の刃をよけれたのでしょうが、いささか早すぎです。空中ではいい的です。期待ハズレだったことに、少し悲しい気持ちになりつつ、私は気の刃を放ちました。下品な御方は、指をパチンと弾きました。指弾、あるいは何かの能力を使ったのかと思いましたが、何も起こらず、下品な御方の胴は真っ二つに___。
消えました。彼の命がではなく、文字どうりに消えたのです。下品な御方はどこに___。いました。跳躍する前の場所に。幻覚を見せられたのでしょうか。高速で動いたのでしょうか。どちらでも結構。切り替えなくては、姿を探したため、間が生じてしまいました。一瞬の隙を、相手が見逃すはずはありません。
下品な御方は勝ち誇ったように、下品な笑みを浮かべました。そして、地面を蹴ると私の懐へ___。ではなく、側面にある窓へと飛び込んだのです。驚きました。ここは五階、まともな神経ではありません。いえ、何らかの能力で、空中を自在に動けるのならば問題はないはず。先ほどの動きにも説明がつきます。
ところが、下品な御方はそのまま地面へと落ち、叩きつけられたのです。即死かと思われましたが、辛うじて生きていました。頭部を守りながら、落ちたおかげのようですが、最早、虫の息。勝てないと分かり、自暴自棄になったのでしょうか。
パチンと音がし、瞬きをしたその刹那。自分の眼が、どうにかなってしまったのかと思いました。下品な御方は、何事もなく立ち上がったのです。怪我などなかったように。下品な御方はこちらを見ると、中指を立て、その場を駆け足で立ち去りました。
すぐにでも、追いかけるべきだったのですが、私はあまりの出来事に、頭の中の処理が追いつかず混乱していました。あの怪我が、一瞬にして治るとは。あれが彼の能力なのでしょうか。『治す』力。或いは___。
私は、部屋を見回しました。先ほど斬り落とした、彼の腕はどこにもありません。それどころか、飛び散っていた血飛沫の跡すら、なかったのです。
まるで、狐につままれたよう。夢、幻のよう。いえ、もしかしたら、幻だったのかもしれません。相手に『幻を見せる』能力。その可能性も拭えません。
なんにしろ、このまま逃がしたとあれば、流派の名誉に関わります。追いかければ、追いつけるでしょう。次こそは仕留めましょう。
危なかった。流石に死ぬかと思った。一刻も早く、この場を離れなければいけない。あの女の驚いた顔は痛快で、ざまぁだったが、二度と顔は付き合わせたくない。俺はバトル漫画の主人公じゃない、あんなファンタジーの住人の相手なんざしてられるか。『スペシャリスト』も、十二分にファンタジーの住人だろうが、俺は前衛向きじゃない、完全に後衛だ。
ビルから落ちた場所は、廃ビルと廃ビルの間の狭い路地裏だ。パイプやらが邪魔して、移動し難い。あの女は十中八九、追ってくるだろう。早く逃げなくては。手近のビルの窓から入って、外に出るか。いや駄目だ。出口がなければ、袋のネズミだ。
「下品な御方、どこにいますか」
遠くから声が聞こえる。誰が返事をするものか。パイプが、壁のようになっている物陰へ潜み、気配を殺す。いや、気配の殺し方なんか知らないが。
「そちらの方ですか」
場所が分かるのか?いや、ブラフだろ。こちらが焦り、行動を起こすのを待っているのだろう。ここは焦らず、物陰に潜むのが正解だ。
「逃げないのですか?私には都合がいいですから、いいですけど」
無駄だ。俺は恐怖し、パニックにはならない。もっと恐い奴に追いかけられたこともあるしな。それに比べたら。
「覚悟を決めたのでしょうか?」
ん?あれ?なんか声が近づいていないか?いやいや、まさかそんなわけない。気のせいだろ。
緊張で喉が渇く。嫌な汗が流れる。ねっとりした悪寒に身体が支配される。陽が傾いたのか、陰ができる。陰?まだ三時くらいだ、陽が傾くにはまだ早い。俺は上を見上げる。パイプが入り組み、壁のようになっている上に___。
「こんにちは。斬ってもよろしいですか?」
俺は恐怖し、パニックになった。流石に叫びはしなかったが、心の中では大絶叫はしていた。ふざけるな、何でこっちの場所が分かるんだ、気でも読めんのか、ドラゴンボールの住人か。走りながら、路地裏にある相手の邪魔になりそうな物を後ろへ投げていく。払切はその障害物を、難なく文字どうり薙払っていた。だが少しは、動きを抑えられたお陰で、なんとか逃げ続けていた。
後ろから、嫌な悪寒がした。肩越しに後ろを見る。払切が、刀を振ろうとしていた。気の刃が飛ぶ。横の通路へと飛び込む。後ろを、高速で刃が通りすぎた。あんなもん二度も喰らうか。でもこれで、払切は、刀を振ったせいで俺との距離が開いたはずだ。これなら___。
俺の足が止まる。止まざるおえなかった。壁。いわゆる袋小路ってやつだ。後ろを振り返る。払切が、優雅に歩いてきた。誘い込まれたのか。ざまぁねぇな。
「中々、いい運動になりました」
「そうかよ。じゃあ休憩にしようぜ」
「そうですね。貴方を斬って、休憩にしますか」
ふざけやがって。しかし、どうする。壁を越えることはできないし、隙を見て、払切の横をすり抜けることは、不可能に近い。打つ手はない。こともないが、それを使うのは極力避けたい。いや、そんなこと言ってる場合ではないだろ。いい加減、覚悟を決める場面だ。
覚悟を決め、手を床に向ける。払切は、不思議そうにこちらを見ている。なにをするか、注意しているのだろう。いや?こちらを見ていない。見てはいるのだろうが、焦点が合ってない。俺の後ろ、壁を見ている。敵から、視線を逸らすのは危険だが、気になり後ろを見てみる。
壁の一部が炎に包まれていた。そして、炎は集束し、壁が消える。その穴から、人が姿を現した。不敵な笑みを浮かべ、身体全身から、自信を発するツインテールの女。
「佳然様!」
不敵な笑みが歪んだ。ご丁寧に、ずっこけてもくれた。律儀な奴だ。
「様ってなによ!様って!」
「敬意を払って、様をつけてやったんだ。ありがたく思えよ」
「上からなのか下からなのか、はっきりしなさいよ!」
佳然の片手には、携帯が握られている。協力関係にあるので、互いの居場所をGPSで分かるように設定していたから、それを辿ってきたのだろう。タイミング的にはばっちりだ。これで打つ手は増えた。まず、確認しなくてはならないことがある。
「調子はどうだ?」
「調子?あぁ___。中々いいかな」
佳然の能力、残り回数は七回か。調子はどうだ?と聞き、その返答で、残り回数が分かるように決めている。回数が制限と、バレるのはよくない。用心し過ぎな気もするが、用心にこしたことはない。
「そろそろよろしいですか」
律儀に待っていたのか、払切が声をかけてきた。黙って斬りつけてくればいいのに、それはしたくなかったのだろう。不意打ちが卑怯とかではなく、それでは戦いではないという想いがあるのだろう。
「あれが敵?」
佳然が呟いた。俺に聞いたのではなく、自然に出たのだろう。払切の姿は色々とちぐはぐだ。面くらうのは、仕方ない。だからと言って、油断していい相手じゃない。相手を軽く見るのなら、佳然を正さなくてはならない。そう思ったが、その必要はなさそうだ。佳然の顔に油断はなかった。
「払切 薙と申します。貴女の名前を伺ってよろしいですか?」
「佳然 翔子」
律儀に名乗る必要はないのにな。名前を知られるのは、あまりよろしくはない。ラブレターに見せかけた罠とか送られたりするしな。
「翔子さんですね」
おや?俺を呼ぶときは、名前で呼んでいなかった気がするが。この差はなんだ。
「翔子さんの炎、面白いですね」
「面白半分で触れたら、火傷じゃすまないけどね」
佳然は、そう言いながら格好いいと思ってんのか、片手を広げ顔の前に置き斜めに身体を構えた。
「なにこの状況で、ふざけてんだ!」
「はぁっ!?いつも、川良くんがやってることを、ちょっとやってみたかったから、マネしただけでしょ!?」
「俺は、時と場合を考えてる!あと、そんなだせぇポーズは、とらねぇ!」
「はあぁっ!?嘘だ!絶対嘘だね!!」
「もしもし、見苦しい喧嘩は、よくありませんよ。そんなことをしてる、場合ではないのでは」
敵に諭された。しかも、殺そうとしてきた相手に。確かに、そんなことをしてる場合じゃない。佳然も理解したのか、複雑な顔をして払切の方へ向き合った。
「佳然」
呼びかけると、視線を一瞬こちらに寄越し、返事替わりにすると、すぐに払切の方へと戻す。油断はしていないようだが、これは伝えなければならない。
「払切は化物染みた、『人間』だ」
人間であることを、強調して伝える。佳然は少し顔をしかめたが、すぐに元に戻した。
「『人間』___。それがどうしたの?私は、私を守るためなら、『人間』だって殺すわ。その覚悟はできてる」
「ならいい。余計なことを言ったな。余計じゃないことも一つ、お前だけじゃなく、俺も守れよ」
佳然は薄く笑みを浮かべた。自然に浮かんだ笑顔だ。
「ふふっ、そーゆー約束だしね。言ってて、情けなくなんないの?」
「ならない」
人には、適材適所というものがあるんだ。俺は、自分のやるべきことをやる。女に守られるのが、情けないなんてのは知ったことじゃねぇ。男としてのプライドがそれで崩れるなんてことはない。俺はプライドを持って、守られてやる。
「そろそろ、始めませんか。闘いを。二対一でも、構いませんよ」
舐めやがって。佳然もムカついたのか、顔をしかめている。しかし、その余裕も油断には繋がらない。払切本人は、舐めてるつもりはないのだろう。二対一でも、問題はない。それだけの話だ。その提案に乗らない理由はない、利用しまくってやる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて、二対一でやらせてもらおうかしら」
「えぇ。是非そうしてください」
「そうしよう」
敵でありながらも、三人の思いが一つとなった。これなら、シャインでスパークな必殺技も、撃てそうだ。
「よし、じゃあ、正々堂々と___」
佳然に目配せをする。反応が返ってくる。まだ短い期間だが、流石は相棒、こちらの意図は通じているようだ。
俺は高らかに宣言する。
「退却だぁぁぁっっ!!」
佳然の開けた穴へと、全力ダッシユする。
「はあぁぁぁっっ!?」
後ろから、驚愕の声が聞こえるが、空耳だろう。佳然に、こちらの意図は通じているのだから。走る足音が、一つなのも気のせいに違いない。いや、気のせいじゃないな。足を止め、後ろを振り返る。
佳然は、こちらを見ながら、間抜け面を晒している。払切は困ったように、戸惑っていた。
「なにやってんだよ!?」
「いや、あの。川良くんの言いたいことは、分かるんだけど。なんてゆーのかな、ここは闘う場面じゃない?」
「私も同意します」
何を言ってるんだ、こいつらは。しかし、俺も、こいつらの言いたいことは分かる。流れ的にも、格好よく闘う場面なのだろう。佳然も、大見得切った手前、逃げ出すのは格好が悪いのは分かる。払切も強敵と闘いたいのだろう。
が、知ったこっちゃねぇ。払切は強い。人間の皮をかぶった化物だ。佳然でも、勝てるかどうかは分からない。それどころか___。今に至っては、絶対に、佳然では勝てない。
「言って聞かせるよりは、やった方が分かんだろ。闘いたいなら闘え。駄目と思ったなら、すぐ逃げること」
「無駄に偉そうに」
佳然はこちらを一睨みしたあと、軽く息を吐いて、相手に向き直る。気持ちを切り替えたのだろう。
「待たせたね」
「では___。」
両者が構える。佳然は拳法のような構え、払切は居合い斬りのような構えだ。佳然と、払切の距離は十メートルは離れている。互いに動かない。どう切り込むか、互いに探っているようだ。払切の手が僅かに動く。それが合図になり、闘いの火蓋が切って落とされた。
佳然が駆ける。獣のように、前のめりに突っ込んでいく。一瞬にして、三メートルの距離を詰めた。払切の腕が動く。まずい、気の刃だ。いかに、佳然が速くとも、十メートルの距離は長い、向こうの刃の方が早い。気の刃が放たれる。遠目から見てるから辛うじて分かるが、気の刃は速く見えにくい。佳然は初見だ、とてもじゃないが避けきれない。佳然に、気の刃がぶつかる。寸前、佳然は走りながらも身体を反らし、気の刃をかわしやがった。化物か。払切も目を見開き、僅かながら驚いている。その隙を逃さず、佳然は距離を詰め、払切に拳が届く距離へ近づいた。佳然の右手に、炎が生まれる。以前よりも、炎がでかい、成長している。直径五十センチ程だ。その炎の拳を、払切へと叩き込む。払切は、目に見えないスピードで刀を振るい、周りの壁や、パイプの類いを斬り壊す。その残骸が、払切の盾になり、佳然の手の炎が焼失していく。炎が消えた腕を狙うように払切が下から斬り上げる。佳然は腕を引き、後ろへ下がりつつ炎を生みだし、払切へ炎の塊を投げ飛ばす。払切は、地面へ落ちた残骸を蹴り飛ばし、炎の塊へぶつけ焼失させる。
完全に佳然が生みだす、炎の特性がバレている。佳然が登場した時に見抜かれたのだろう、中々の観察眼だ。俺もやったが、佳然の炎は強力だが防ぐのは簡単だ。同じ質量分、ぶつけるものさえあれば、それでいい。ここは狭く、そこらにぶつけるものはある。ここなら、俺ですら佳然には負けない。あまつさえ、払切は化物みたいな人間、佳然の攻撃を防ぐのは容易いだろう。
佳然の動きが止まった。払切も待ちの姿勢だ。そろそろ準備をするかな。
「川良くん!」
佳然が、こちらを見ずに声をあげる。
「私が間違ってた、ごめん!!」
そう言って、こちらを向き走り出し逃げ出した。潔い、そして自分の非を認め、謝ることができるのは美徳だと思う。
並走しながら後ろを見ると、払切は暫し固まっていたが、こちらを追って駆け出してきた。
「佳然!ここに来るのに、時間がかかったか?」
「なんか迷路みたくなってて、時間はかかったね!」
だとすると、普通に道を進むのはよくないな。佳然の炎は、残り五回。多いとは言えない。
「出口の方向は、どっちだ!?」
「次を右!」
「そうじゃない!来た道じゃない!方向だ!方向!」
「方向!?えーと、そっち!」
佳然は、目の前の壁を指す。
「突っ切るぞ!」
壁に向かって走る。並走する佳然は、正気かという顔をしたが、こちらの意図を察したのか、スピードをあげて先に壁の前に辿り着き、炎を生みだし、壁を覆うようにぶつけ、炎が集束すると同時に飛び蹴りで壁を蹴り抜いた。なんと男らしい。
「よし!よくやった!」
穴が空いた壁から、ビルへ進入する。かなり広く開けた場所だ。ここなら佳然も存分に闘えるか?いや、炎の回数も少ない。ここは逃げるべきだ。
「このまま行くぞ!」
「それはいいけど、このまま壁抜いてたら、追いつかれる!」
「そんなら相手に、同じ苦労を。させてやりゃあいいんだよ!」
走りながら後ろを向く、ちょうど、先ほど空けた穴を通り抜けようと払切が迫っていた。俺は、そちらに向かって腕をつき出す、一瞬斬り落とされたトラウマが、頭をよぎったが、頭の外へと無理矢理逃がす。
「俺の能力で壁を直す!!」
パチンと指を弾く、力が発動し一瞬にして空いた穴が元に戻る。払切の身体能力ならば、さほど時間稼ぎにはならないだろうが、やらないよりはマシだ。
「あいたっ!?」
ゴインという良い音がして、若干コミカルな声が聞こえた。払切の身体能力なら、ぶつかるとは思えなかったが嬉しい誤算だ。なんの迷いもなく、ぶつかったのだろうか。ざまぁみやがれ。
「川良くん!回数は大丈夫なの!?」
こちらの能力の把握に余念がない。のではなく、純粋に心配しているのだろう。回数を言うべきなのだろうが、そこまで情報を与えたくはない。
「多くはない!そんなに使えねぇ!」
「私の一回は、残しといてよ!」
ふざけるな、そうしたら俺が使えるのが、あと一回じゃねぇか。しかし契りは守らなければならない、不本意だが。
「出し惜しみせず、行くぞ!」
「そっちも、出し惜しまないでよね!」
背後で壁が崩れる音がする、振り返る余裕はないが、払切が、壁をぶった斬った音だろう。直進するのが一番の近道だが、後ろから、気の刃を放たれる可能性がある。曲がるべきだろうか___。
油断しました。強かに壁へぶつかりました。下品な御方の能力は、『幻を見せる』ものだと思い込んでいたので、壁が直った時も幻と思いぶつかってしまいました。
下品な御方の能力は、『直す』力なのでしょうか、或いは複数の能力を持っているのか、どちらにせよ厄介ではあります。下品な御方は下品ですが、状況をよく見ています、判断力の高さは中々のものです。翔子さんの、『炎』の方が対処はしやすい。ですが、翔子さんも能力が一つとは限らない。それに翔子さんの体術は中々のもの。逃げたからと言って、勝てないと判断されたわけではありません。勝つ為に逃げている、そういうことも考えられます。詰まるところ、油断は禁物。
眼前にある壁を、少々恨みを込め斬り崩します。轟音を立て、壁にもう一度穴が空きました。穴の向こうには御二方がおり、その姿は小さく、爪楊枝ほどでしょうか。だいぶ離されたようです。
相手の動きを止める、或いは牽制も兼ねて、気の刃を放つことにします。気の刃は、射程十メートルほど、御二方との距離は、約三十メートル。届きません。ですが、私は躊躇わずに気の刃を放ちました。
「はぁっ!!」
気合いを込め、私が撃てる、最上のものを放てました。しかし、気の刃は、十メートルを越えたあたりで、霧散してしまいました。御二方も、その様子を見て安心したようです。驚異はないと判断したのでしょう。
私は諦めず、もう一度気の刃を放ちました。学習しないわけではありません。
「はぁっ!!」
再び気合いを込めた一撃を放つも、先ほどと変わらず、それどころかむしろ弱くなっています。スピードも先ほどに比べ遅い。お二方もそれを見て、振り向くのを止め前を向きました。
好機です。
今度は声を出さず、気の刃を放ちます。先ほどよりも、速く強い一撃です。二撃目が、一撃目にぶつかります、ちょうど十字のように。気の刃が、押し出されるように加速、重ねれば重ねるほどに、飛距離、威力、共に上がる、私の切り札です。
二つ重ねではまだ遠い。一撃、二撃、三撃。立て続けに、三つ重ねを放ちます。三つ重ねが二つ重ねに、ぶつかる直前、天性の勘でしょうか、下品な御方が後ろを振り向きました。
「佳然!避けろぉっ!!」
下品な御方は叫びながら、横に跳びました。翔子さんが振り返ります。ですが、一手遅い。二つは重なりました。五つ重ねの速さは、即座に避けられはしません。翔子さんの身体は、真っ二つになるでしょう。
「避ける必要はないっ!!」
気の刃は、翔子さんの身体に命中しました。ですが、翔子さんの身体は無事でした。気の刃が、命中した場所に炎が渦巻き、すぐに集束し焼失しました。
なるほど。翔子さんの炎は、同じ質量をぶつければ防ぐことはできます。それは逆に言えば、同じ質量であれば、どんな攻撃でも翔子さんの炎で防げるということになります。最強の矛と最強の盾を、兼ね揃えた能力。強い。このような強敵に出会えたことを、神に感謝したいくらいです。
最強の矛と盾を、持ち合わせているならば、遠距離から炎を撃ち続け、相手の攻撃は炎で防げばいい。それどころか、炎を前面に展開させ、相手の間合いに入る方法もあります。なぜ、それをしないか。罠という可能性もあります。ですが、私が思うに回数が決まっているのではないのでしょうか?翔子さんは、どこか使うのを躊躇していました。出し渋るように見えました。
能力なしでも、翔子さんの体術はかなりのものですが、刀を持った私ならば、こちらに分があります。能力を使い切ってしまえば、こちらの勝ちとなるでしょう。
ならば、こちらは炎に注意しながら距離を詰め、撃てるんであれば気の刃を撃つ。ここまで思考しといて何ですが、当初とやることは変わりませんね。いえ、下品な御方のことも注意しなければ、翔子さん以上に注意が必要ではあります。身体能力的には、大したことはありません。ですが、対峙した時の違和感、達人と対峙したような感覚。師匠と相対した時の感覚に、近いものを感じます。油断はできません。
私は駆けます。一本の矢のように真っ直ぐと、相手を射抜くほどのスピードで。
危なかった。あんな裏技を使ってくるとは。佳然の隠し技がなければ、佳然という強力な駒を、失うところだった。いい加減人間じゃねぇな、あの女。それは、防いだ佳然にも言えるけど。
気の刃を防ぐために、相手と直線にならないように、通路を曲がりながら移動する。流石に気の刃が、曲がったり追尾したりはしないだろう。___しないよな。
「川良くん!もう少しで外!」
隣で並走してる、佳然が叫ぶ。それと同時に、また嫌な予感がする。後ろを振り向くと払切がいない。振り切ったか。いや、それはないだろう。あの化物が、追いつけないはずがない。なら、なぜだ。なぜいない。
前に向き直る。嫌な予感は消えない。前を走る佳然も、何度か後ろを確認し、怪訝な顔をしている。
「川良くん、何か音がしない?」
音?___聞こえる。重い物が倒れたような音が。振動も感じる。なんだ?___まさか!
気づいたと同時に、前を走る佳然の横にある壁に、幾重もの線が走る。
「佳然!横だ!壁からくるぞ!!」
そう叫んだのと、壁が崩れたのは同時だった。佳然に覆い被さるように、崩れた壁が迫る。能力を使って壁を戻すか、しかし、残りは二回しか使えない。ここで最悪、佳然が死んでもその一回で治すことはできる。どうする。考えるまでもない。壁を戻しても、その後、払切による追撃で負傷する可能性は高い。___ここは傍観する。
佳然は、自身の身体を覆うように炎を生み出す。その炎は、今まで見たものよりでかい。三倍ほどだろうか。つまりは、三発分を一度に使ったのだろう。壁は相当な質量を持っているから仕方ない。壁は吸い込まれるように炎と共に消えていく。壁は佳然に襲いかかることなく焼失した。二人して安堵する。
それがいけなかった。安堵し、隙が生まれた。それは、一息を吐くほどの隙だったが、払切相手には致命的とも言える隙だった。矢のようなスピードで払切は、壁の穴から飛び出し、地面スレスレの前傾姿勢で佳然の横を通り抜けると同時に片脚を薙いだ。
「あぐっ!?」
血が舞う、傷は深い。バランスを崩し佳然はよろめく。通り抜けた払切は、既に身体を翻し、トドメを刺そうと佳然へと迫っていた。
「川良くん!!」
その言葉を待っていた。その言葉が言い終わる前に、俺は指を弾く。パチンと音がすると、佳然の血は消え、元の綺麗な脚へと戻る。佳然は、よろめいた身体をそのままに片足を軸にし、迫る払切の腹へ蹴りを叩き込んだ。
隙があると思い、注意を怠った払切は咄嗟のことに反応ができぬまま、蹴りを受けて吹っ飛ぶ。
「走って!!」
佳然が叫ぶ。俺たちは走り、ビルの出口から外へ飛び出した。いまだ狭い、ビルとビルの狭間にある一本道の路地裏だが、目の前、30メートルほど先に、大きな通りが見える。廃ビル群の外、あそこに行けば助かるはずだ。
半分の15メートルを過ぎたところで、ビルの入口から払切が現れた。この距離なら逃げ切れる、普通ならば。しかし払切には、アレがある。案の定、払切は躊躇いもなく、気の刃を放とうと構える。一本道に逃げ場はなく、ゴールはまだ遠く、佳然も燃料切れ、絶対絶命だ。
「佳然!こっちを見ずに、前だけ見て走れ!!気の刃は、俺が何とかする!!」
「川良くん!?わ、分かった!!」
物分かりがよくて、よろしい。俺は完全に身体を、払切の方へと向ける。その状態で、後ろへと走る。間抜けな姿だが気にしてらんねぇ。できる限り距離をかせぐ、損はないはずだ。
払切が動く。気の刃が放たれた。重なった気の刃は、一瞬にして距離を詰める。まだだ。できる限り引き付け、距離を稼がなくちゃならない 俺の能力は後一回しか使えないのだから。
と思ったが目で追いきれないし、正直怖い。早々に能力を使わせてもらう。
指を弾いた瞬間に、血の気が引いた。気の刃は、いつの間にか目の前にきていたからだ。危なかった。早々にビビって、能力を使ってよかった。冷や汗がどばっと出る。
払切が、またも驚愕に目を見開いている。それはそうだ。一瞬にして気の刃が、消えたのだから。ざまぁみやがれ。そのまま、驚愕しっぱなしでいてくれ。その間に逃げるから。
流石に、そうはいかなかった。飛び道具は、効かないと思ったのだろう、直接仕留めようと、こちらへ駆けてくる。飛び道具を封じれたのはいいがピンチには変わらない。逃げ切れるか?俺は別に運動神経は悪くない。だがしかし、相手は一般的な人間の基準を持ち合わせていない。犬に追いかけられるようなもんだ。しかし、距離は十メートルほど。逃げれる可能性は高い。
出口に向かって、走り出す。後ろからのプレッシャーに負けずに、死に物狂いで駆ける。佳然は前にいない、無事に逃げ切れたようだ。
距離は七メートル。後ろで獣が駆けるような音がし、それが段々と、大きく近くなっていく。後ろを向き、この見えない恐怖から逃がれたい気持ちが高まるが、必死で自制する。後ろを向けば、それこそ必死だ。
距離は三メートル。出口は目の前だ。逃げ切れたと思った瞬間、不思議な感覚に陥った。動きがスローモーションに感じる。そして、後ろを向いているわけではないのに、払切がどこにいて、どう行動してるかが分かった。それどころか、走っている自分を眺めつつその状況を把握していた。
根拠はないが、確信的にこれは、『能力』の類いではないと理解した。まるで早とちりをし、死ぬ前に魂が外に出て自らの死ぬ状況を見てるかのようだった。ゆっくりと払切が、俺の背後から飛びかかってくるのをどこか他人事に眺める。払切の明確で鋭い殺意が、形になりビジョンを見せているのだろう。
もう駄目だ。諦めてしまうほどに、死が確定している。詰んでいる。王手だ。いや、俺は王なんて立派な駒じゃないか。歩だ。よくて桂馬ぐらいだろうか。そんな馬鹿げたことを考えてると。
「川良くん伏せて!!」
その声で現実へと還る。考える暇もなく、脳がその言葉に従う。ヘッドスライディングをするように地面スレスレに跳ぶ。その上を、佳然翔子が、名前の如く翔んでいく。俺が桂馬なら、あいつは飛車のようだ。ミサイルキックのように、身体ごと払切にぶつかっていく。
転がりながら、何とか出口へ辿り着く。すかさず路地裏を見る。佳然の不意打ちの蹴りにより、払切は体勢が崩され俺への一撃をいれ損なったようだ。佳然は身体ごとぶつかったせいで、地面に横倒れになっていた。払切は、体勢が崩れたとは言え立ってはいる、この差はでかい。すかさず払切は、佳然にトドメを刺そうと刀を振りかぶる。
「佳然!!こっちへ跳べ!!」
佳然は、両手で地面を押すようにし、こちらへと地面を擦るように跳んだ。払切は刀を降りおろす。佳然の右足から、綺麗な赤色が見えた。血を撒き、佳然が転がりながら、こちらへぶつかってきた。その勢いのまま俺は佳然を受け止め、腕の中に抱き地面を転がり回り、路地裏から離れ通りに出る。
「通り魔だ!!そこの人、警察に連絡を!!」
転がり回ったせいで全身が痛み、所々血も出ているが気にせず、あらんかぎりの声で俺は叫んだ。
路地裏を見る。払切はいない。払切は逃げ出したようだ。流石に、一般人に見られることは避けたか。一見、冷静沈着で何事にも動じない女かと思ったが、意外と間が抜けている所もあるようだ。ざまぁねぇな。
「川良くん…。警察は駄目…。困る…」
間が抜けている奴は、もう一人いたらしい。俺に覆い被さるようにして、佳怜が倒れている。痛みに堪えながら喋ってるので、息も絶え絶えだ。
「周りをよく見ろ。まぁ見れたらだけど無理はすんなよ」
俺が隠れていたのを見つけた、払切ならば、冷静ならば、気配は読み取り分かったはずだ。今、周りに、人は誰もいないことを。
大通りに出ればいい。人に見つかるかもと、相手に思わせれば、それで良かった。ビルの中では、ブラフも通じないがココなら通じる。見通しがいい道だ、リスクは高いと踏んだのだろう。読み通りだ。ざまぁみやがれ。
「人いないの?」
幾分落ち着いて、痛みにも慣れてきたのだろう。先程よりも、声に力がある。
「あぁ、足大丈夫か?」
「大丈夫に見える?私は見えない」
軽口を叩くなんて、元気じゃないか。軽口を叩くことで、平静さを保っているのかもしれないが。佳然の脚の怪我は深い。
「治して…はくれないか。一回分は、使っちゃったし」
「治してやってもいいが、ガス欠だ」
「そう…。ごめん、もう少し待って。今どくから」
「無理すんなよ。抱き心地はいいから、しばらく、このままでいいしな」
「…?っ!?」
自分が今、どのような状況にいるかを理解した途端、佳然の顔が真っ赤になり、必死に身体を動かし離れようとする。
「あんま動くなって!俺も、傷だらけでいてぇんだよ!あとなんか、柔らかいものが、いい感じに当たるけどいいのか!?」
「ぐぅっ…!!くぅっ…!!」
ようやく大人しくなった。親の命か自分の命か選べと、言われてるかのような悲痛な形相だ。もう少し堪能したかったが、この状況を誰かが見れば、これはこれで警察沙汰になるし、佳然も可哀想だからそろそろ終わりにするか。
「エロい所は触らないから、少し我慢しろよ」
「エロい所とか言うな!!」
慎重にエロい部分に、触らないように注意しながら、佳然をどかす。だがしかし、いや待てよ。女性にエロくない部分があるのだろうか。腰なんてエロいし、肩だってエロい、背中もエロけりゃ、首もエロい、なんだったら、鎖骨も膝の裏も足の裏ですら、エロいんだ。
などと、くだらない哲学的話を思考しているうちに、佳然をどけることに成功した。未だ傷が痛むのだろう、苦悶の表情を浮かべている。触られたことにたいする苦痛の顔ではないだろう、きっと。そうであったら、かなり凹む。
とりあえず自分が着ている、制服のブレザーを脱ぐ。佳然が一瞬ギョッとした顔をしたが、無視。そのブレザーを、佳然の足にある傷に巻きつけるようにし、包帯のかわりにした。
「立てるか?」
「なんとか…、ごめん、肩貸して」
言う通りに肩を貸す。ズシリと肩に重みがかかる、けっこう重い。別に佳然が、デブだということではなく、自分で自分の体重を、ほとんど支えられないのだろう。それほどにダメージがあるということだ。
「あんま、ここに居ても危険だからな。多少は無理してもらうぞ。でも、本気で無理になったら言えよ」
「うん…。分かった。ありがとう」
「礼はいらねぇよ。俺も助けてもらったし、一応は、協力関係だしな」
「一応ね…」
少しずつ歩みを進める。順調にしばらく進んでいたが、佳然の足が、途中で止まった。
「もう無理か?」
「どうしよう…」
小さく佳然が呟いた。俺に聞かせる気はなかったのだろう、つい、口に出たという感じだ。問題でも起きたのかと佳然を見ると、佳然は、眼に涙を浮かべていた。
「痛いのか?無理すんなよ?」
そう声をかけるも、佳然は首を横にふり否定する。
「違う…。こんな状態で家に帰れないよ…。怪しまれる…。こんな怪我、誤魔化しきれないよ…」
両親は佳然が『スペシャリスト』であることは知らないんだったか。『スペシャリスト』であることがバレなくとも、自分の娘の足が、血塗れなのを見れば心配させるし、大事にもなる。このまま佳然を、家に帰すわけにはいかないな。まぁ、最初から帰すつもりはないけど。
「なら、今日は帰らなきゃいいだろ。明日になれば、力も使えっから、足も直せるしな」
「帰らない?でもどこに行けば…」
「ちゃんと安全な場所に、連れて行ってやるから安心しろ」
「安全な場所?」
顔を上げた佳然の前に、偶然にもラブホテルがあった。佳然の顔がドン引いている。あらぬ誤解だが、面白いから誤解を解くのは後にしよう。
「安心して休める場所だから、大丈夫だ」
そう言いつつ、洋風チックな外観のラブホへと、足を進める。佳然は目を白黒させて混乱の最中にあり、なすがままについてきている。俺が言うのもなんだが、駄目だろ。
「え?え?休むって?文字どうりに、休むんだよね?休むだけだよね?」
俺に対して顔を向け、喋っているのだが、混乱しているせいか、眼の焦点が合ってないので、正直恐い。痛みで脂汗をかいているのが、輪をかけて恐さを倍増させている。
「そもそも、二人共制服だけど入れるの?それは、倫理的にいいの?」
制服で入れるのかは知らない。大人の世界過ぎて、そこら辺の実情は知る由もない。倫理的にはアウトなのは間違いないだろう。俺がラブホ側の人間だったら、全身傷だらけで、片方は足が重傷な制服の二人組が来れば、即座にお帰り頂くに決まっている。まず、関わり合いたくはない。
そんなこんなで、ラブホの前につく。壁際にはタクシーが、客待ちか休憩なのか、停まっている。その横の壁には、料金表がでかでかと記されていた。休憩五千円、うんたらと。
「五千円…。佳然、五千円あるか?」
「私が払うの!?よ、よく分かんないけど、こういう場合って、男の子が、払うんじゃないの!?あ!う…!べ、別に入りたいわけじゃないんだから、勘違いしないでよね!?」
ツンデレのテンプレのような台詞を、言い出した。まぁ、本心だろうから、ツンデレではないんだろうが。
「いや、俺、金ないし。お互いの為だ。割り勘でいこう。俺の分は、後で返すから」
「え、え~…?で、でも…」
ちっ、出し渋りやがって。だが、もう後一押しだ。
「佳然、もうすぐ日が暮れる。人目がなくなれば、払切が再度襲いかかってくるかもしれない。そうなったら今度は凌ぎきれねぇ。そうなる前に、一刻も早く安全な場所に行かなきゃなんねぇんだよ」
「それは…そうだけど…。うぅっ…!分かったわよ…!覚悟を決める!」
佳然は、顔を真っ赤にしながら、財布を取り出し五千円をこちらへと突き出してきた。それを丁重に受け取り、歩みを進める。隣にいる、佳然の顔は超赤い、顔から火が出そうである。
「…ょ…っぃ…ゃ…!!」
聞き取れない声で、何かをブツブツ言っている。傷だらけなのも相まって、不気味すぎる、隣を歩くのを即座に拒否したくなった。
ラブホの自動ドアの前、正面にあと一歩踏み出せば、禁断の門が開かれる。佳然は、すっかり覚悟を決めたのか、真剣な顔をしている。死地に赴く戦士のようだ。
「入るよ。川良くん」
「え?こんな真っ昼間から、俺を誘うなんて、いくら俺が魅力に溢れた男だからって大胆すぎんよ、佳然は想像以上にドエロイんだな。ひくわー」
「はぁっ!?」
共に闘う同志に裏切られ、背後から撃たれたら、こんな顔をするのだろう。怒りと悲しみと絶望を、ごっちゃにして潰した、なんとも言えない感情が表れている。
「いつ誰が、ラブホに入るなんて言ったか!」
「はぁ!?だ、だって!五千円って!?」
「それは、今から向かう場所へのタクシー代だ、馬鹿者め」
絶句。放心状態、魂が抜け落ち返す言葉もないのだろう。そんな状態から、古いパソコンが起ちあがるように、ゆっくりと通常の状態へと戻っていく。
「ま、紛らわしいことするなぁっ!!」
佳然名物、顔面ボルケーノである。赤面が中々に様になっている。
「勘違いするのが悪い。さっきも言ったけど、早く安全な場所に行かなきゃなんねぇのは本当なんだ。こんな所で時間を無駄にしてる暇はない」
「どの…!!ぐぅっ…!」
どの口がと言いかけ、必死に押し留めた。ここで言い争っても、時間の無駄だと判断したのだろう。
「それじゃあ、早くその安全な場所に行きましょ」
「あぁ、ラブホじゃないとこな」
睨まれた。超怖い。殺気が眼に見えるようだ。
タクシーの元に向かい、運転席の窓を叩く。どうやら、運転手は寝てるらしい。こんなとこで寝んなよ。ホラーとかだと、寝てると思っていたら実は死んでいて、運転席の後ろから刀を持った払切が現れるみたいな感じだが。まぁ、その心配はないだろう。払切は、一般人を襲わないからな。
二度、三度、窓を叩くと、ようやく起きやがった。寝ぼけ眼でおっさんがこちらを見る。こっちを一瞥し、嫌な顔をしやがった。学生は客にならないと思ったのだろう。俺は五千円を窓へと貼り付けるように、相手に見せる。運転手は、ふむと頷くと、ドアを開けた。世の中金だな。
片足を負傷している佳然を、なんとか後部座席に乗せる。そして、前にいる運転手に行き先の住所を告げた。しかし、この運転手、傷だらけの俺たちをよく乗せたもんだ、まったく気にしていない。
車は目的地へと向かい走る。背もたれにもたれると、どっと疲れが出た。一先ず安全な場所にいることによって、緊張が解けたのだろう。隣の佳然もそんな感じだ。
「お前ら、そんな疲れるまでヤりまくったのか?」
「なっ…!?」
運転手が、急に下世話なセクハラをしてきた。佳然が驚き言葉を失っている。まったくけしからん。もっとやれ。
「はい、殺りまくりです。三人で殺ったり、殺られたりの大騒ぎですよ」
「はぁっ!?」
佳然が驚きの声をあげた。嘘は言っていない。音だけでは、本当の意味は伝わらないだろうが。
「マジか!?3Pかよ!最近の若い奴は、すっげぇな。俺もよ、昔はモテたんだぜぇ!」
「へー、ハーレム状態ってやつっすか?」
「そーそー、そんな感じだ。学生ん時なんか凄かったぜ!学校の女の大半が、俺のこと好きだったからな!」
「マジで!?ハーレム主人公じゃん!?超憧れなんですけど!?」
まさか、俺の憧れで目標が、現実に存在するとは。前髪で隠れていて、しっかり顔を見ていなかったら分からなかったが、一見地味に見えるが、中々にイケメンである。三十くらいだろうか、おっさんなんて思っては失礼だったか。
「いやいや、お前には敵わないって。なぜか知んないけどよ、みんな、ヤるまでには至らないんだよな。肝心なとこで邪魔が入ってな」
「いや、でもラッキースケベとかはあったでしょ?」
「あったあった。出会い頭にぶつかったら、なぜかスカートに頭つっこんだり、胸に手が乗っかったりとか、日常茶飯事だったな」
「おぉ!ドアを開けたら着替え中とか、雪山で遭難して、裸で身体を暖めたりとか!?」
「なんだお前、俺の人生見てきたのか?あったぜぇ、雪山ん時は絶対童貞を捨てられると思ったんだがな」
と言った感じで、下劣で下品な思春期真っ只中の、中学生ばりな下ネタトークに花を咲かせ、隣で超絶居心地悪そうに私は関係ありませんので感を出している佳然に、チョイチョイ話をふり、師匠(運転手)と共にセクハラをするなどしてたら目的地へ着いていた。
気に入られたのか降りる直前に、俺へ師匠は連絡先を書いた紙を渡してきた。
「エロに関することで、相談したいことがあれば、連絡しろ。それ以外は受け付けないからな」
と、格好いい台詞を言い、颯爽と去っていた。
隣にいる佳然の目は、死んでいるを通り越し、虚無だった。もはや、何も映してない。度重なるセクハラ攻撃に精神がまいってしまったのだろう。可哀想に。
「で?ここは?」
未だに目は虚無だが、意識はあるらしい。佳然の視線の先には、和風な豪邸がある。豪邸と言っても漫画やアニメのような、無駄にスケールのでかい豪邸ではなく、普通の豪邸。普通の豪邸という言葉が、矛盾している気がしないでもないが、一般的な一軒家四つ分くらいのデカさ。ちょっとした、旅館ぐらいある。
「ここは、俺ん家だ」
「うっそ!?ここ川良くん家なの!?」
お前程度が、こんな豪邸に!?みたいな顔をしやがった。いや、被害妄想かもしんないけど。
「いつからここは、カゲの家になったのさ」
重厚なる門から軽い声がした。門柱に備え付けられている、インターホンのカメラが俺を射ぬくように見つめている。
「カズー。俺の物は俺の物、お前の物は俺の物だろ?」
「だろ?って。急に、ジャイアニズムを提唱しないでよ。だいたい、この家は正確には僕の物じゃないし」
「黒早くん?」
「あっ、とりあえず上がりなよ。佳然さんも怪我してるし」
そうカズーが言い終わると同時に、大きな門が開かれた。入ろうとするが、佳然の脚が動かない。限界がきて歩けないのか?
「あのさ…。こう言うと怒るかもしんないけど、黒早くんは信用できるの?」
「信用はできる。俺にとってはな。佳然にとっては知らない、自分で見極めてくれ。」
自分でも驚くほどに、棘のある言い方になった。佳然が疑うのも仕方はない。慎重であることはいいことだ。ただ、親友が疑われるのは、いい気分はしない。
「分かった。ごめんなさい」
「本人に伝えとくよ」
門をくぐり石畳の道を渡り、入口の前へと辿り着くと、目の前の大きな引き戸が独りでに動いた。自動ドアになったのか、流石金持ち、と感心していたら、目の前にこの家に不釣り合いな二十代前半くらいの、ザ・メイドが立っていた。まず洋風だし、メイドっつーか、どっちかって言うとゴスロリのメイド風、ヒラヒラした装飾が所々に着いている。とても、可愛らしい顔をしているのに、その顔は無表情で人形のようだ。本気で人形なんじゃないかと今でも疑っている。
「河田さんに下弦さん」
無表情で、人を指差し言いはなった。
「え…?佳然です…」
佳然も戸惑っている。このメイド、さっきの発言はボケではなくマジである。たちが悪い。佳然はいい、初めてだし珍しい名前だから、聞き間違えることはあるだろう。俺は何度も会ってるのに、未だに間違うのはおかしいだろう。
「分かった」
絶対に分かっていない。寡黙なメイドと言えば、優秀だったりするのが世の常だろう。あるいは、超人的な戦闘能力を有しているとか。そんなんはない。ビックリするぐらい、このメイド無能である。ポンコツメイドだ。あらゆる仕事を満足にできない。なんでメイドしてるんだろう、本気で疑問だ。
「あ…。お怪我してる」
「あ、はい」
『…』
沈黙が続く。佳然は困惑している。
「リノさん。治療してくれると、嬉しいんですが」
「あぁ…。絆創膏はどこ?」
俺に聞くな。絆創膏の場所は、知ってはいるが。そもそも絆創膏で、どうこうなる怪我ではない。
「…。困った。治療が無理」
「えぇ!?」
佳然が驚いている。無理もない、俺も最初はそんな感じだった。しかし、このメイドは無理でないことがあるのだろうか。
「リノさん!」
廊下の奥から、カズーが現れた。慌てて走ってきたのか息が荒い。手に何か持っている。あれは救急箱か。
「リノさん!何かした?」
「戸を開けた」
無表情だから、気のせいかもしれないが、どこか得意気に見える。タイミングはばっちりだったから、戸を開けたのは成功と言えるのだろうが。
「それだけ?」
「はい」
「そっか。良かった」
カズーも、そこまで心配する必要はないだろと思うが、このメイドに任せたらロクなことが起きない。生粋のトラブルメイカーだから、やることなるすこと一大イベントになってしまう。
「それじゃあ、佳然さん。カゲ。こっちへ治療しよう」
通されたのは、畳が敷き詰められた広い和室。畳の上には、既に大きなブルーシートが敷いてある、血で畳が汚れないよう配慮しているんだろう。
俺と佳然はそこに座りこんだ。正直もう動きたくはない、疲れた。
「まずは、佳然さんから治療しなきゃね」
「私も手伝う?」
メイドが小首を傾げ、可愛らしく聞いているが、顔は無表情なので壊れたマリオネットにしか見えなくて、超恐い。
「リノさん、手伝いたいの?あーと…。カゲの治療できる?」
「絆創膏なら貼れる」
選択肢に、絆創膏しかないのか。絆創膏はそこまで万能じゃない。仙豆の類いだと思ってんだろうか。
「じゃあ、とりあえずカゲはリノさんに任せて、佳然さんの方を先に」
爆弾を俺に押し付け、佳然の方へ向かうカズー。それを佳然が手を向け制止する。
「私は自分でできるから、黒早くんは川良くんの治療して」
「でも、佳然さんの方が重傷だし…。あ。あまり、人に触られたくないとか?」
「え、えっと…。そうゆうのじゃないんだけど」
なるほど、治療すると、合法的に触れるということか。俺としたことがこいつは盲点だったな。
「よし、じゃあ、俺が治療しよう」
「なんでそうなるのさ」
「川良くんに、触られるのは嫌」
「変態」
三人に蔑んだ目で見られた。中々に悪くはない。
「つーかよ、カズーは触っていいのか。差別か!イケメン無罪ってやつか!」
「変態有罪なだけよ。えーっとさ…。ほら、なんてゆーの?精神的にも、参ってるわけじゃない?だから、精神的回復もしたいかなー、なんて」
「は?何言ってんだ?精神的回復?癒し的なことか?俺が、佳然の胸を、揉めばいいのか?」
「なんでそーなんのよ!精神的に傷が増えるでしょ!」
トラウマレベルか。どんだけ嫌なんだよ。いや、嫌か。
「でも、うん、癒し。そう!癒しが必要なの!」
元気じゃねぇか、本当に重傷なのか?すっごい目をキラキラして俺を見ている。いや、目をギラギラして俺たちを見ている。なんだこの嫌なプレッシャーは。以前にも感じたことがある。あー…。そういうことか。
「あー。うん、まぁ、それで佳然さんが、元気になるならいいけど」
カズーも気付いたようだ。以前にある事件によって、カズーも俺も、佳然の特殊性癖を知ってしまった。俺は、佳然の特殊な性癖に付き合うのは、御免被りたい。
そう、性癖。俺は数多ある性癖を、寛容に受け止められるほどに懐の広い男だが、佳然の性癖だけは、受け止められない。受け止めてはならない。一健全な男子として、BLだけは生理的に無理だ。
「タクシーの中で、私はセクハラにあいました」
「セクハラ?記憶にないな。紳士的な談話はしたが」
「頭に変態がつく、紳士な談話だったんじゃないの?」
俺に対しての、親友の信頼が限りなく薄い。真の変態的な談話は、あんなもんじゃない。全世界激震レベルだ。俺はまだ、本気を出していない。
「まぁ、いいじゃん。ただ治療するだけだし。カゲが、何かされるわけじゃないだろ?」
「視姦されるだろ」
「いつも、カゲがしてることじゃん。因果応報だね。ほら、腕出して」
まるで、俺が変態かのような口振りだ。真の変態の称号は俺ではなく、あそこで情欲の炎を眼に宿しながら、息を荒くしている女にあげるべきだろ。
「んー。なんか、それっぽくした方がいいのかな?」
「それっぽくってなんだよ。過剰なサービスする必要はねぇよ」
「でも、やるからには満足してほしいじゃん」
そんなサービス精神は、ドブにでも棄ててくれ。こんな時にも、イケメン力を発揮する必要はないだろ。
「つーか、あれ以上興奮させたら、ぶっ倒れるぞ」
「確かに。それは困るね。話は変わるけど、どうしてこうなったわけ?『スペシャリスト』狩り?」
「まぁ、そんな感じだ」
「ふーん?顔も、傷だらけじゃん。何したらこうなるのさ?」
「地面を転がり回ったらこうなる」
目の前の端正な顔が、呆れ顔になる。それでも様になっているのは、流石のイケメンである。
「まぁ、こんなもんかな。よし、終わった」
「終わった」
いつの間にかいたのか、カズーの横にメイドが突っ立ていた。見てくれと姿勢はいいので、立ち姿はできるメイドに見えなくもない。
「あぁ、うん。カゲの治療は終わったよ。リノさん」
メイドは、今しがた聞いた言葉を理解するのに、暫し時間がかかっているのかフリーズしたように動かなくなる。実はロボットなんじゃねぇか、この人。
「違う。終わった」
「ん?あ。僕に終わったか聞いたわけじゃないのか、終わったって何が終わったの?」
「あれ」
そう言って、メイドが指差した先には、床に突っ伏したまま動かない、佳然の姿があった。その表情は、表現できないような笑顔だ。恍惚でありながら、苦悶の表情を浮かべている。幸せの絶頂で死んだら、こんな顔をするのかもしれない。
「近いよ…!近すぎる…!あぁ…!妄想が…!妄想が溢れ出てぇ…!がほぁ!?って、言って倒れた」
メイドが、佳然の下劣極まる遺言を、佳然の声色を真似しながら教えてくれた。地味に物真似がうまい。どうでもいいスキルはあるんだな、この人。物真似なので感情が込もった声なのに、顔は無表情という違和感が凄い。
「佳然さんって…。ちょっと残念だね」
「カズー。佳然の名誉の為に言っておく。ちょっとじゃねぇ、かなり残念だ」
音がする。眼が覚める。睡眠という、憩いの時間を邪魔した物を止めようと、後方へ手を伸ばす。いつもある場所に目覚ましがない。不思議に思うと、未だに音が鳴っている。目覚ましの音じゃない。ガチャガチャと、鍵のかかった扉を、開けようとしている音だ。
やっと気づく、ここは私の部屋じゃない。確か、私は払切 薙に襲われて、何とか逃げて、黒早くんの家に来たんだ。そうだ、そして治療中の、川良くんと黒早くんによる情事を目撃し妄想が溢れだして…気を失ったんだ。気絶するなんて勿体ないことをした。
落ち込み項を垂れると、自分の身体が目に入った。血の気が引く。自分の姿が、上はワイシャツ、下は下着しか着ていなく、そのうえワイシャツも乱れている。まるで、乱暴されたかのような状態に、頭がパニックになる。私が気絶してる間に、いやらしいことをされたのだろうか。そんな考えが頭をよぎるけど、黒早くんはそんなことをする人間ではないし、川良くんもセクハラ魔王だけど、そこまでの下衆じゃない…はず。きっと、あのメイドさん、リノさんだったけ?リノさんに頼んで、私を着替えさせたんだろう。たぶん間違ってはいないんだろうけど、リノさんってポンコ…器用じゃないから、こんな感じになっちゃったんだと思う。
ガチャガチャと、さっきからドアを開けようとする音がする。うるさい、誰だろうか?
「くそっ!開かない!リノさんが着替えさせたなら、絶対あられもない姿になってるはずなのに!なんでこういう時は、しっかりと鍵かけてんだ!」
下衆がいた。なんなんだろう、この男。私にはよく分からない。変態でセクハラ野郎で、性格もひん曲がってて、弱いくせに、ここぞという時は頼りになる。それは、能力のおかげでもあるけど、それ以上に判断力が凄い。
払切 薙と闘った時もそうだ。川良くんの指示や、直勘がなければ、私は死んでいた。でも、それは向こうも同じか。そもそも、川良くんがノコノコと罠にかかりにいったせいで、あーなったわけなんだけど。あんな罠に、なんで引っ掛かたんだろうか?川良くんなら、罠だと見抜けたはず。ラブレターだから浮かれていた?それはない…とも言い切れないけど、そこまで馬鹿じゃないはず。私を巻き込まないように?違う。それなら携帯の電源を切って、私に居場所を知られないようにするはずだ。居場所。居場所を守るため?誘いに乗らなければ、後々、学校や家にいる時に襲ってくる可能性もある。払切 薙は、結果的に人がいる所では襲ってはこなかっただろうけど、可能性としては有り得た。そうなればおしまい。世間は、『スペシャリスト』を認めない。川良くんは、静かで平穏な生活がしたいと、よく言う。その気持ちは理解できる。だから、川良くんは敵の誘いに乗った。居場所を守るために。
そう考えると、何だかヒーローみたいだけど、結局は自己の保身。敵と私をぶつけて、あわよくば、共倒れを狙っていたのかもしれないし。でもそれなら、最後の路地裏で、私を助ける必要はなかった、見捨ててもよかったはず。川良くんは良い人間なのか、悪い人間なのか、私にはよく分からない。
「くそっ!こうなったら!ドアを蹴破るしかないか!エロ神様も、そうしろと言っている!俺にも、ラッキースケベの才能があるはずだ!」
うん。変態なのは間違いない。今、ドアを蹴破られるのは困る。こんな格好、人には見せらんない。
「川良くん!ちょっと待て!今、開けるから!」
ベッドから降り、辺りを見回す。私の制服は置いてない。置いてあっても、あんなボロボロなものは着れなかったけど。ここは客室のようで、ベッドと小さめの棚、クローゼットと、必要最低限のものしかない。クローゼットは扉が全開で残念なことに着るようなものは何も入っていない。
「佳然、まだか?」
「えっと…。もうちょい!もうちょい待って!」
「なにをそんなに手間取って…。はっ!ソーカ、ケガデウゴケナイノカ。それは大変だ!鍵を貰いに行かねば!」
そう言って、凄い早さで足音が遠くなる。なんていう、無駄な察しの良さ。今、私ががどんな状況にいるかを瞬時に理解したのだろう。まずい、まずい。なにか着るものは。ベッドのシーツや布団を下に巻く、それしかない。そう思いベッドを見ると、青い物が見える、取り出すとそれはジーンズだった。リノさんが履かせようとして、諦めて、ベッドに置いていったんだろう。けれど、なぜジーンズ、ワイシャツもそうだけど、もっと着せやすい服はあったろうに、スカートとかスエットとか。あの、ゴスロリっぽいメイド服は、ちょっと困るけど。
時間がない。早く着ないと変態が来る。急いでジーンズを履こうとするが、足に激痛が走る。応急処置をしてあるが傷は深い、動かすと激痛が襲う。脂汗と涙を浮かべながら、ようやくジーンズを履くことに成功する。それと同時に、ドアが開かれた。
「佳然、無事か!?」
下卑た笑みを浮かべ入ってくると思いきや、真面目な顔をしている。そうして、私を見ると、ふと安心したようにホッとした顔を一瞬見せた。本当に、私がケガで動けないと、心配していたのだろうか。分からない。川良くんの考えが。本当は良い人間なのかも?
「くそっ!一歩遅かったか!これはこれで、エロいけど!」
前言撤回。クズだ。クズがいる。
「川良くん、一体何の用?」
自分でも驚くほどに、冷ややかな声が出た。周りの気温も下がってるような感覚だ。
「はぁ!?アホか、ケガを治しに来たんだろうが!」
そう言われ、時計を見ると時計は0時5分を指していた。『スペシャリスト』の能力で一日の使用回数が決まっているものは、どういう理屈かは分からないけど全員0時を越えると使用回数が元に戻る。一日経って、能力は戻っている。自分の力も戻っているのを、今さらながら感じ取った。
「ったく、ケガで頭ん中朦朧としてんのか。人がせっかく、すぐに治してやろうと部屋に来たのに、なんのサービスもねぇとはな」
そう言って、川良くんは指をパチンと弾いた。一瞬にして傷がなくなり元通りになる。本当に便利な能力だ。
「川良くん。私のこと心配してくれたの?」
「いや、別に。動かせる駒がないと不便だろ」
真顔で言いはなった。本心なのだろう。けれど、私は悪い気はしない。いつもの川良くんなら、下世話な軽口の一つは言うはずだ。長い付き合いではないけど、共に行動するようになって、少しは川良くんのことを理解したつもりだ。こう言う時の川良くんは、照れ隠しをしている。別の気持ちを隠し、動揺を悟られまいと、ポーカーフェイスになり言葉もストレートになる。
人の感情は複雑で、矛盾を孕んでいる。私が、川良くんのことを好きかと聞かれれば、好きとも言えるし、嫌いとも言える。川良くんのセクハラ気質は嫌いと断言できる。自分の目的、幸福の為なら手段を選ばない、冷徹で外道なのだけど、どこかそれに徹しきれていない甘さは好ましく思う。だから、川良くんは、あぁ言ったけど、どこかで私を心配していたんだと思う。もしかしたら、私の勝手な思い込みかもしれないけど、そうに違いない。そうであって欲しい、のかもしれないけど。
だからと言って、私は川良くんを、全面的に信用しているわけじゃない。あくまでも、一時的な相棒にすぎない。いつ裏切るかは分からないし、私が裏切るかもしれない。疑ってかかるべきであり、不審な点があれば逃すわけにはいかない。
不審な点。そこまでのことではないけど、疑問がある。これは聞かなきゃならない。
「川良くん、聞きたいことがあるんだけど?」
「いくら佳然の頼みでも、俺のスリーサイズを教えるわけにはいかないな」
馬鹿なことを言っている。イラッとしたが、ここは堪える。元の軽口が復活したということは、川良くんに冷静さが戻ったわけだ。混乱させ激昂させ、相手から主導権を奪う、川良くんの得意技だ。相手のペースに呑まれてはいけない。
「自分で把握してるの?男で把握してる人って、あんま聞いたことないけど」
「おいおい。自分で言うのも何だが、俺は割とナルシストだぜ?自分のことは、知りつくしているからな。いや、待てよ。男の場合、スリーサイズの下はケツよりも、もっと重要な部分になるんじゃないか?いやいやまったく、男のスリーサイズを知りたいなんて、佳然はとんだスケベだな」
こういう時の川良くんは、本気で死ねばいいと思う。怒りを抑えて冷静に、特に私は顔に出やすいので出ないように心掛ける。
「私はスケベじゃないし、本来聞きたかったのはそれじゃないけど。教えてよ、興味はある。BL的に」
「ぐぅっ…!!」
川良くんは、本当に嫌なのか、BLの話を持ち出すと怯む。そこまで、嫌悪しなくてもいいのに。過去に、なんかトラウマでもあったのだろうか。
「ほらほら?どうしたの?教えてよ?ねぇ?後学の為にもさ」
自分でも意地が悪いと思うし、本来の私はこんなキャラではないのだけど、普段からこのようなことを川良くんにやられているのでいいとしよう。川良くんは、ぐぬぬという感じの顔をしている。
「女の子が、そんなことを言うもんじゃありません!お下品ですよ!」
お母さんみたいに怒られた。まったくもって正論だけど、川良くんにだけは言われたくない。
「そんなことを聞きたいんじゃないの。最後の路地裏で、どうやって払切を凌いだの?」
川良くんの顔つきは変わらない。けれど、微妙に、私の勘違いかもしれないけど雰囲気が変わった気がする。警戒している。
「そりゃあ、アレだ。攻撃をくらって、即座に回復させたんだよ。肉を切らせて、骨復活ってわけだ」
それじゃあ、肉は切られっぱなしだし、骨は無駄に復活している。動揺しての言葉かは分からないけど、川良くんの言ってることは嘘だ。川良くんの能力が、自身が死んだ後にも使えるかは分からないけど、基本的に自身が死ねば能力を使うことはできない。思考して能力は発動するからだ。川良くんの能力は、『直す』能力。払切も、それは分かっていたはず。なら、とるべき方法は一つ、能力を使われる前に殺しきる。払切には、それが可能だった。
気の刃。あれを避けるのは、不可能に近い。特に、あの狭い空間なら、なおのこと。正に必殺の一撃。気づいた時には、バラバラになって死んでいる、そんな技だ。川良くんでは防げないし、回復することもできない。防御に特化した能力でなければ凌げない。
川良くんの能力は、『直す』能力じゃない?一つの能力を応用して、『直す』力と見せかけている?
「川良くんの能力は、本当に『直す』能力なの?」
「さっき見たろ?治ってんだろ?精神的トラウマは治せないけどな」
人を小馬鹿にしたような笑顔を浮かべている。いつもの顔、でも私には、それが仮面のように見えた。本心を隠す仮面。
「川良くんの能力は危険?」
「それ聞いてどうすんだ?危険だったら?」
「危険だったら___。前と同じ。私の生活を壊すのなら、殺す。私の生活を護るため」
そう宣言したら、川良くんは、一瞬だけ柔らかい笑みを浮かべたように見えた。今はいつものにやけ顔に戻っている。
「危険じゃなきゃ、いいけどな。まぁ、だとしても、お前じゃ俺には勝てねぇよ。じゃあ、俺寝るわ」
そう捨て台詞を残し、川良くんは、部屋から出ていこうとする。私じゃ勝てない。そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。その余裕は、味方なら頼もしいけど、敵なら憎らしい。このまま黙って帰すのも癪だ。
「そうだね。おやすみ。私の為に徹夜して、寝ないで、待っててくれたんだもんね」
「っ!」
笑顔で言ったら、何も言わずドアを閉めていった。図星だったようだ。ドアを閉める瞬間に見た、川良くんの顔は少し紅潮していた。ふふーん、してやったり。川良くんの、レアな顔を見てやった。川良くんじゃないけど、ざまぁみろって感じだ。
できることなら、川良くんとは二度と闘いたくない。それは勝ち負けの話もそうだけど、心情的にも二度、クラスメートを___。友人を殺したくはない。
川良くんも、いなくなったことだし、私も寝ようかと思ったけど、確認しなきゃいけないことがあるんで部屋を出ることにした。
傷は治ったのに、まだ、どこか痛みがある気がする。脳が傷を治したことに気づいてなく、痛いという信号を出してるような感覚。脳と、身体のちくはぐ感が酷い。
廊下の窓からの景色を見るに、ここは二階のようだ。月明かりを便りに階段を降りる。一階の廊下は明かりがついている、誰かいるのだろうか、その方が都合はいいんで助かるんだけど。
見覚えのある風景。傷を治療していた部屋の前だ。戸を引き中を見る、明かりをつけ、誰かいないかと捜すも誰もいなかった。明かりが消えていたのだから、当然と言えば当然なんだけど。逆に誰かいたら、それはそれで恐い。昔、テレビで見たホラーを思い出す。
少女が、夜中に音がして目が覚める、暗い部屋なので何の音かは分からない。少女はその音を確かめるため、明かりをつけるもそこには何も誰もいない。不思議に思いつつも明かりを消し、寝ようとするとまた音がする。再び明かりをつけるが、やはり何もいない。少女は疲れているんだと納得し、ベッドに戻る時、鏡が目に入った。鏡には少女と、少女の後ろに笑みを浮かべナイフを持ったピエロが…!
「佳然さん?」
「ひっ…!」
軽く悲鳴を、あげてしまった。心を冷静に保ち、後ろを振り向く。そこには、ナイフを持ったピエロはいるはずもなく、黒早くんが少し驚いた感じに立っていた。
「あっと…。怪我はもう、大丈夫みたいだね」
少し考えてから、こちらの怪我を心配してきた。私が、無様に悲鳴をあげたことは、触れない方がいいと考えたのだろう。川良くんなら、ここぞとばかりに弄るんだろうなと思う。黒早くんは、こういう気遣いができるからモテるんだなと実感した。黒早くんを好きな女子は多い、私の周りにもいっぱいいる。でも、みんな告白とかはしないらしい、抜け駆け禁止とかの協定が結ばれているわけではなく、自分では釣り合いが取れないからだと言う。その気持ちは分からなくもない、完璧人間、リアル出来杉くん、その隣に並ぶのは嫌だろう。それに加え、名家の人間ときたものだ。友人に、しょーこなら釣り合うんじゃないの?と本気なのか冗談なのか、分からないことを言われたけど、無理です。
「あのさ、私の携帯どこ?」
「はい」
ポケットから、私の携帯を取り出し渡してきた。
「中は見てないから安心して。新しい制服も用意してあるから、着替える時に言って、それと家には泊まると連絡をしておいたから」
見透かされてる。携帯も取りににくると分かっていたから、持ち歩いていたのだろう。
ん?連絡?連絡って言った?家の番号を知っているなら、携帯の中を見たってことじゃ。
「ほら、僕、クラス委員長だからさ。緊急の時の連絡網を先生から預かってるんだよ」
声に出さずとも顔に出てたのか、黒早くんは簡潔に説明してくれた。けれど、連絡したと言うけれど、どう親に伝えたのだろう。黒早くんは清廉潔白な人間なんだろうけど、どう足掻いても男子だ。男子から電話がきて、娘さんが自分の家に泊まりますなどと聞かされたら、心配させるんじゃないか。いや、あの母なら喜びかねないけど。
「僕じゃなく、リノさんが連絡をしたから安心して。過労で倒れたので、家で休ませてると伝えたから」
過労で倒れたと聞いたら、安心はしない気がするんだけど。
「佳然さんの両親は、集間の出身でしょ?」
両親は、二人とも集間の出身だ。それどころか、幼馴染みで家は隣同士、あまつさえ、部屋の窓から会話ができるほどといった、フィクションの世界かとツッコミたくなるレベル。川良くんが聞いたら血の涙を流し羨ましがりそうだ。
「こういう使い方は、好きではないんだけど、黒早の名を出せば、安心はしてもらえるからね」
黒早くんの家は、集間を仕切る家の一つと聞いたことがある。集間で起きた、揉め事や事件を調停し、集間を代々護ってきた家らしい。それ故に、集間に住む人は黒早家に絶対的な信頼を持っている。最近の若い人は、知らない人もいるけど、現に私も、両親から聞いてなければ知らなかったと思うし。上の年齢の人たちには、黒早家のカリスマと影響力は絶大な効果がある。家の親にも効果があったのだろう。
「そう。ありがとう。苦労させて、ごめん」
素直にお礼を言ったら、黒早くんは困ったような笑顔を浮かべ、はにかんだ。モテるんだろうなという感じである。
「苦労と言う苦労は、してないよ。まぁ…、リノさんに、電話をさせるのは、少し苦労したけど…。リノさん、人見知りするから」
大変そうだ。まぁ、主人が完璧人間なんだから、ポンコツメイドでも問題はないんだろうけど。それはそれで、釣り合いが取れてる気がする。
「黒早くん、聞きたいことがあるんだけど」
「カゲのこと?いいよ。言えないこともあるけど」
読まれている。見透かされるのは、あまり好きじゃない。
散々に、川良くんと、黒早くんで妄想しといて、今も色々と、お世話になっていてなんだけど、私は黒早くんのことが嫌いだ。嫌いと言うより苦手と言った方が適切かもしれない。私が捻くれているだけかも知れないけど、完璧っぷりが少し鼻につく。別に黒早くんは、それを自慢しているわけでもないし、自分では完璧だとも思っていないのだろうけど。
たぶんそれは、能力者でありながら、普通の人間として暮らそうともがいている半端な私が勝手に、完璧である黒早くんに、劣等感を持っているだけなのだろう。
私は不思議でならない。明らかに私より、捻くれているだろう川良くんが、黒早くんと友達なのが。
黒早くんは、人当たりもよく、顔もよく、家はお金持ちで、女子にモテる。川良くんが、最も嫌いそうなタイプだ。利用している?川良くんならやりかねないけど。そうゆう感じには見えない。二人は純粋に、仲が良さそうだ。
「カゲは最初、僕のことを嫌ってたよ」
またも、人の考えを読み取ってきた。こっちの考えてることは、全て分かっているのだろうか。エスパーか何かなんだろか。
「えーとさ、佳然さん。考えてること、凄い表情に出てるよ」
「!!」
意味はないけど、手で頬をぐにぐにと動かしてしまう。自分でも自覚はしていたけど、最近は表情を出さずにできてると思っていたから、ショックが流石に隠せない。
「あー…。普段はそうでもないけど、今回はちょっとね」
フォローされた。惨めになるから、このことはスルーしよう。話題を変えよう。
「川良くんの、『能力』は何?」
「それは言えない」
「言えないってことは。それじゃあ、単に『直す』能力じゃないってこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「川良くんは、能力を二つ持っていたりする?」
「…。カゲが使える能力は、一つだよ。『能力』に関しては、これ以上、僕は喋らない」
「そう」
黒早くんから、これ以上の情報は出ないだろう。『能力』が一つだと分かっただけでも、良しとしよう。嘘を言ってるのかもしれないけど、黒早くんは嘘をついていない気がする。
「『スペシャリスト』が、恐くないの?」
「力を持ち、それを理不尽に奮う人は恐いよ。それは『スペシャリスト』に限らずにね。佳然さんも、ヤル気満々の刃物を持ったハゲ頭の髭面のマッチョマンは恐いでしょ?」
それは恐い。命の危機云々ではなく、ビジュアルが、生理的に受けつけそうもない。
「ナイフを奮う気がなければ、恐くないってこと?ナイフを持っていても?」
「そうなるね。佳然さんは、特に鋭利なナイフを持っているけど恐くはないよ」
私の能力を知っている。川良くんから聞いたのだろう。
「私は必要なら、そのナイフを奮うのをいとわない」
躊躇えば私が死ぬ。覚悟は決めなくちゃいけない。そう私は教わったのだから。
「それが、佳然さんの強さだね。カゲも言ってたよ」
「強くはないよ。ただの自分本意な人殺しなだけ」
「『人』殺しなんだね」
「法律では人じゃなくても、人でしょ?生きて感情もあるんだから。じゃなきゃ、私も川良くんも、『人』じゃなくなる」
黒早くんが微笑を浮かべた。そんな姿も絵になる。
「佳然さんは、優しいんだね」
なるほど。モテるわけだ。やっぱり苦手だ。