殿下の誤算
大好きな従兄殿下と結婚したものの、側妃の存在に苦しむエリザベス。殿下の愛情を信じられず満たされず悩む彼女を救うのは?
「エリザベス、綺麗だよ」
優しく微笑むのは夫となった、従兄殿下アレックス。
私たちの結婚を祝うために、寺院の鐘が鳴り続けている。外には歓声を上げる民衆の声。
ステンドグラスから差し込む光が厳かに照らすなか,教皇閣下の深い静かな声が宣誓を促した。
絶望しながら誓った唇に優しいぬくもりが重なり、花嫁の頬をころんと涙がすべり落ちた。
※※※※※
「エリザベス、今日も綺麗だよ」
「愛する人、わたしにもキスをくれる?」
「可愛いエリザベス、会えない時間もすべて君のものだよ」
殿下は毎日甘い言葉をくれるけれど、それは本音なの?それともリップサービス?
エリザベスには、もう分からなかった。
ただただ、マーガレットが第二妃として召される日を恐怖し涙を隠す日々。
殿下と結ばれて幸せなはずなのに、愛してると囁かれても腕に抱かれても心は空虚だった。
たった今、愛されていると実感していたはずなのに、エリザベスの心はもっとを欲しがる。
三日に一度の早朝、朝露に濡れた美しい庭をアレックスと散歩する。それは結婚した後、忙しい二人の日課になった。
静謐な朝焼けを二人で見て花を愛でて他愛ない話をする。隠し事はしない。
けれども、エリザベスは不安な気持ちを打ち明けることはしなかった。
やがて公務が増やされ、エリザベスはそれに没頭するようになった。
二人が結婚して半年後、マーガレットはやってきた。
※※※※※
第二妃として上がったマーガレットとの挨拶がすむと、アレックスはさっさと公務に戻ってしまった。
仕方なくエリザベスが対応する。
侍女たちが紅茶のカップとお菓子を用意して控えると、早速マーガレットのおしゃべりが始まった。
「エリザベス様、お久しぶりですわねぇ。少し見ない間に貧相になったのではなくて?」
「・・・公務が忙しくなってしまって、」
エリザベスの言葉を遮ってマーガレットが大げさに、さも分かっていますよと言う風に同調した。
「そうでしょうねぇ!先日も慰問に訪れたところを新聞記者が大仰に記事にしていましたわ。綺麗なお妃様はご公務にお忙しいでしょうし、殿下のことはわたくしにお任せになってくださいな!」
エリザベスはそれに返事をせずに侍女を呼んだ。
「・・・そろそろ、お部屋へ案内してさしあげて?」
「そうですわよね!今夜の準備もありますもの。ねぇエリザベス様、殿下はどんな夜着がお好みかしら?」
勝ち誇ったマーガレットの顔を見たくなくて、エリザベスはさあ?と曖昧に微笑み部屋から彼女を追い出した。
「エリザベス様、温かいお茶をいかがです?」
それは年配の侍女だった。
結婚してからエリザベスにつけられた侍女は30人。誰もがエリザベスの機微を的確にとらえ対応できる選りすぐりの人材だとすぐに分かった。
「ありがとうモリー。今日は少し疲れたみたい」
「それでは蜂蜜をいれておきましょうね」
そっとひざ掛けが添えられる。アニスが靴を脱がせて、柔らかなクッションをあてがってくれた。
「アニス、ネリーありがとう。みんな私を甘やかしすぎよ?」
「それはエリザベス様が私たち侍女や使用人にまで目をかけて下さるからですわ。私たちは貴女に仕えられて誇らしく嬉しいのです」
いつもエリザベスの傍には侍女が5人いて、何かと世話を焼いてくれる。城での暮らしに慣れたのも彼女たちがいたからだ。
「マーガレット様につきたいと申し出る侍女はいなかったのですよ」
「どうして?」
無邪気に聞き返したエリザベスは知らない。自身が侍女たちの心を鷲掴みにしていることを。
「とにかく我儘で癇癪がひどいと評判ですのよ」
サラが暴露した。くすくすと侍女たちの慎ましい笑い声が広がる。
「ですから伯爵家から侍女を連れてきていますの。でも勝手が違うでしょうから今頃大変なことでしょう」
ミリアンナがにっこりと何気にひどいことを言う。
「エリザベス様が気になさることではありませんわ。今日はゆっくりとお湯に浸かってお休みなさいませ」
・・・マーガレット様、今は殿下を迎えるご用意の真っ最中ね。でも肝心の侍女が城に不慣れでは整いませんわね。
「マーガレット様のところに、お酒とお夜食をお持ちして。それと花を」
エリザベスはその夜、やはり寝つけなかった。
兄から甘いお酒が届けられていて、心配症ねと笑ってしまった。
きっと侍女たちも心配している。明日の朝、泣きはらした目を晒さないようにしなければ。
寝台に潜り込み、本を読んでいるが集中できていない。
隣にいつものぬくもりがないからだ。
─────泣いてはだめ。大丈夫。殿下は私を愛してくれている。
キィ、と小さく扉の音がした。
はっと起き上がるとそこにはアレックスがいた。
「やあ、わたしの姫君。隣で眠ってもいいだろうか?」
「・・・どうしてこちらに?」
「わたしは妻の隣で眠りたいんだ」
「・・・今日はだめ。マーガレット様の隣でお眠りください」
「こんなに震えて泣いている君を放って?」
アレックスは寝台の脇で跪いてエリザベスの手をとり甲に口づけた。
「姫君、お許しを」
「ずるい方ね。私が許すとわかっているのでしょう?」
アレックスはにやりと笑って優しい口づけをおとした。
そしてエリザベスを胸に抱きこんでいつもの甘い言葉をこぼす。
甘い甘い声と温かい腕のなか、いつものジャスミンの香りを感じながらいつしか眠ってしまった。
それからのアレックスは、マーガレットの元へは行くものの夜は必ずエリザベスの隣で眠る。
アレックスからマーガレットの香りがすることもない。
これまでと何も変わらないアレックスにエリザベスは安心していた。
そして三か月後、マーガレットの懐妊が発表された。
※※※※※
いつものお茶会─────
マーガレットの嫌味と自慢話には慣れた。
微笑んでいる自信もある。ただ、頭が痛い。
この頃のマーガレットはゆったりとした腰元を隠すドレスを着て、さかんに妊婦をアピールしている。
「つい先日も殿下から、体を冷やさないようにとショールをいただきましたの。貴重な大型ヤギの毛で編んであって軽くてとても温かいので部屋にいる時はずっと傍に置いていますの。わたくしもお腹のお子も大事にするようにとメッセージが添えられてあって、とっても嬉しかったのです」
「そうね、大事な時期ですもの。私からも何か送らせていただくわ。どんな物が良いかしら」
「まあ、そんな。殿下によくしていただいている分だけで十分ですわ」
「そう。何か足りないものがあれば、遠慮なくおっしゃってね」
上辺だけ取り繕った不毛なお茶会が終わり、席を立ったエリザベスだったが途端にめまいにおそわれ蹲ってしまった。
侍女たちの悲鳴が聞こえる。近衛の騎士が駆けつけエリザベスを抱き上げた。
「わ、わたくしは何もしておりません!」
マーガレットの上ずった声が聞こえる。あれでは自分がしましたと聞こえてもおかしくはない。
まだ目の前が暗く、くるくると世界が揺れるので抱き上げた近衛に、彼女は無関係よと告げる。
部屋に連れて行って、と頼み逞しい腕の中で目を閉じた。
「エリザベス!何があった?」
血相を変えたアレックスが駆けつけ、肩で息をしている。隣には兄もいた。
ソファにゆったりと腰かけたエリザベスは自分の足元に控える近衛に、もう大丈夫だから行ってと声をかけた。彼は美しい礼を取り静かに退室していった。
「お兄様、彼に褒章をお願い。私を助けてくれたの」
分かった、と短く言葉を切り兄が部屋を出て追いかけていく足音が聞こえる。少し優雅さが足りない。
「ここまで腕に抱かれてきたのか?」
アレックスの声がいつになく険しい。
「お聞きになったのではなくて?」
「ああ、聞いている。倒れそうになったところをさっきのアレが抱きとめたとね」
「その通りよ。何か問題でも?」
「わたしの心の問題だ」
アレックスが侍女に目配せをしてすべて下がらせた後で、エリザベスを抱きしめた。
「わたし以外の誰にも触れさせたくない」
ぽつりとこぼされた言葉にエリザベスは笑い出した。
「私は殿下のものよ。あなた以外の誰のものでもないわ。心まですべて」
──────でもあなたは違うでしょう?あなたのすべては私のものにはならない。
※※※※※
朝焼けの美しい庭を二人で歩き、キスを送りあってそこで別れる。
いつもの日課に、いつものキス。
朝露に濡れたエデンローズの花弁が幾重にも重なって庭を彩っている。
「ここは美しいお庭ですのね。未来の王妃の庭にふさわしい眺めですこと。」
唐突に後ろから声をかけられ、エリザベスは反射的に振り返った。
「わたくしもこのお庭が欲しいわ」
マーガレットが一人でそこにいた。しかし、ぎょっとした顔でつかつかと近寄ってくるとおもむろに肩のショールを取って、それでエリザベスをくるんだ。
「あ、あなたどうなさったの!?わ、わたくしの言葉、泣くほど?」
きょとんと瞬いたエリザベスにマーガレットはどこからかハンカチを取り出して押し付けた。
「早くお顔をふいて!」
エリザベスはそこでやっと自分が泣いていることに気がついた。けれども涙は止まらなかった。
「ど、どこかに東屋かベンチはないの?」
慌てた様子のマーガレットがエリザベスの手を引いて歩きだした。エリザベスは、手を引かれるままずっと静かに泣いていた。
「あったわ!やっと見つけた!」
散々歩いて探し回ったベンチ。
マーガレットが木製のベンチを指していざなう。
どちらからともなく一緒に腰かけた。
「わたくし、あなたって嫌味なほど完璧な妃だと思っていたわ」
あなたでも泣くことってあるのね。そう続けられた声にいつもの棘はなかった。
「先だっての御礼を言おうと思っていたの」
エリザベスがめまいで蹲ってしまった時、その場には剣呑な空気が漂っていた。
侍女たちからの非難の目、近衛からの疑いの眼差し。
マーガレットは何もしていないのに、誰もがマーガレットを犯人にしようとしていると感じた。
「わ、わたくしは何もしておりません!」
焦って思わず声をあげたけれど、それは白々しく響いただけだった。
何か無実を訴えなければ・・・と思うのに声が出なかった。
「マーガレット様は無関係だとおっしゃっている。お部屋まで丁重にお送りするように」
その時、近衛のはっきりとした声がその場を動かした。
エリザベスの顔は見えなかった。近衛の腕の中でぴくりともせずに運ばれて行く様を呆然と見送った。
もしエリザベスが近衛を通じてああいう風に言ってくれなければ自分はどうなっていたことか。
ぞっとした。
彼女の持つ権力の大きさに。
折に触れ、エリザベスは城での影響力を見せつけてマーガレットを苦しめた。
それは初夜の時も。
自分に慣れている侍女を使いたいと申し入れはしたものの、勝手わからぬ城での準備に右往左往している侍女たちに叱咤していると、優雅な物腰の侍女が数名寄越され支度を見事に整えていった。
お披露目の夜会の時も。
殿下の衣裳にあわせて生地を選ぶ用意と宝飾品の選定に、侍女を寄越して労りのメッセージもついていた。
週に一度開かれる茶会や、殿下のサロンの開催の知らせ、国王夫妻との会食でのドレスコード、本当ならこちらから伺うべきことを彼女は正妃の努め、とばかりに知らせてきた。
それはマーガレットが懐妊してからも変わらなかった。より事細かく気遣いのメッセージが増えた。殿下よりも。
いずれエリザベスよりも愛されて子供を産み、正妃の座を奪ってやろうと乗り込んできたのにエリザベスは敵ではなかった。
殿下夫妻は人目はばかることなく仲睦まじいと評判で、実際その通りだった。誰がどう見ても殿下が溺愛している。なのになぜマーガレットが城にあがったのか。
エリザベスが子供のできない体質なのだろう、と思った。よくあることだ。
けれども違った。残酷な事実を知ったのは初夜だった。
「君に望むことは、王子を産むことだけだ。エリザベスを出産の危険にさらしたくないからね。生活の保障はしよう。」
「ね、最低だと思いませんこと?」
目を丸くしたエリザベスに、マーガレットはあけすけに懐妊までの話を暴露した。
「わたくしも初めてではありませんでしたから、まあいい思いはしたのですけれど。それにしたって、やることだけやって泊りもしませんでしたのよ。甘い言葉もなくおざなりな贈り物だけ。わたくしを子供を産む道具としか思っていないのが丸わかりの態度ですもの。すぐに冷めましたわ」
あっけにとられているエリザベスにマーガレットは笑ってみせた。
「気に病まないで。殿下とわたくしの関係は契約のようなもの。わたくしのことも気にしなくてよくてよ。子供を産んだら、幸せになれそうなところへ降嫁するつもり」
「でも、それではお子と離れ離れになってしまうわ」
「・・・言いにくいのですけれど、エリザベス様に育てていただけないかしら?殿下のお子をわたくしは連れていけない」
またもや目を丸くしたエリザベスだったが、泣き笑いの顔で頷いた。
「殿下は私に子供を産ませるつもりはないの。だからずっと、マーガレット様が羨ましかったわ」
「・・・殿下、最低ね」
キラリと光った朝露とエリザベスの涙は静かに落ちて消えた。
※※※※※
まだ肌寒い春の朝、生まれたばかりの王子のうぶ声が城に響いた。
寝ずにマーガレットの枕もとで甲斐甲斐しく世話をしているのはエリザベスだった。
産婆が王子を清めくるみ、乳を含ませにマーガレットへと差し出した。
「無事でよかったわ」
「どうしてあなたが泣いているのよ」
マーガレットが呆れて、エリザベスの顔をぬぐう。ぎこちなく乳を含ませると、王子はすぐに眠ってしまった。
そこへ知らせを受けたアレックスがやってきた。
「エリザベス、眠らなくていいのか?体を壊すよ」
マーガレットと二人、顔を見合わせアイコンタクトが成立する。
─────殿下はどんな時でもぶれないわね。
「マーガレット、皆もご苦労だった。ゆっくり休め」
エリザベスはアレックスに連れられて、早速寝室に押し込められた。
「まったく、お産に付き添うなんて無茶をして。今日はよく休んで。王子は乳母が面倒を見ているから、起きたら見に行っていいよ」
「とても可愛かったわ。私、母親になれるのね。興奮して眠れそうにないわ」
「後でゆっくり見れるよ。今は体を休めるのが先」
優しいキスが額に、頬に、鼻に、唇におりてきた。唇におちたキスは甘くて深い。
「愛してるわアレックス」
「知っているよ。わたしだけの姫君」
兄 「王子誕生おめでとうございます」
殿下 「ああ、ありがとう」
兄 「・・・それにしては浮かない顔ですね」
殿下 「王子だぞ?」
兄 「良いことでは?国民的には慶事ですよ」
殿下 「エリザベスが育てるんだぞ?血のつながらない息子がエリザベスを好きにならないはずがない」
兄 「・・・あんた、本当にいい加減にしろよ?」
殿下 「王女なら良かったのに」
兄 「そんなこと言うの、この国でアンタだけだよ」